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2015/12/08

小泉八雲 落合貞三郎他訳 「知られぬ日本の面影」 第二十三章 伯耆から隱岐ヘ (二十六)


       二六


 隱岐では、出雲でと同じで、小學校が古い迷信の多くを徐々ではあるが、確實に滅ぼしつゝある。漁師ですらその新時代の者はその父祖が信じて居たものを笑ふのである。自分が通譯を通じて燒火山の靈火のことに就いて質問した、或る利發な若年の水夫から次記のやゝ侮辱的な答を受けたのにはいさゝか驚いた。――『えゝ、私共が野蠻人であつた時代には、そんな事を信じてゐたものでありますが、私共は今は開けて居ります!』

 だが此男は幾分か時世に先んじで居たのそある。その男の村には、出雲の何處にも殆んど匹敵を見ぬ程度にまで狐の迷信が流行つて居ることを自分は發見した。その村の來歷は餘程妙であつた。記恆の及ばぬ太古からして、其處はキツネモチの部落だと評判されて居たのである。言ひ換へると、其處の住民は悉く魔力を有つた狐の持主であると一般に信じられて居り、また多分自分もさう信じて居たのである。それで皆んなが同樣に狐持なのだから、一緒に飮み食ひも出來、困らずに御互同志の間で嫁婿の取り泣遣りが出來たのであつた。近處の百姓共は彼等を氣味わるく恐ろしがつて、理窟に叶つたことでも叶はぬことでも、彼等の要求に從つた。狐持は非常に繁昌した。ところが二十年許り前に出雲からの他國者が彼等の村に住みついた。その男は根氣が好く、怜悧で、また多少の資本金を有つて居つた。地面を買ひ、いろんも事に拔け目なく資本を投じて、驚く許り短日月のうちに其處での一番の金持になつた。頗る立派な神社を建てて之をその村へ寄附した。だが、本當に人望のある人になることを妨げる故障がたつた一つあつた。狐持では無く、また狐は嫌だと言つたことさへあつたからである。他の者共と異つて居るといふ此事が村に不和を生む惧れとなつた。殊に此男はその子供を他國共へ片附け、斯くて非狐持部落といつたやうなものを狐持共の眞ん中へ造り出したからである。

 そこで餘程前から狐持共はその過剩な魔物を、此男に無理に有たせようとして居る。月の無い夜、此男の住宅の門のあたりに影が忍びあるいて、斯う小聲で言ふ、――『歸れ! 今日から此處へ來るだ!』すると、上の障子が手荒く開かれて、怒つたその家の持主の聲が斯うきこえる。――『此處は嫌ひだ!歸れ!』するとそのは逃げて行く。

    註。千八百九十二年東京發行の一日
    本新聞紙は、島根をたづねた或る醫
    師の言を典據として、隱岐の人は人
    狐を信じて居りはせぬ、犬神を信じ
    て居るのだと述べて居る。これは島
    根で殊に石見で屢々使ふイヌガミモ
    チといふ言葉を文字通りに考へて起
    きた間違である。それはキツネモチ
    といふことを婉曲に言うつただけの
    ことである。イヌガミは即ちヒトギ
    ツネで、これはいろんな動物の姿に
    身を現ずるものともはれて居る。

[やぶちゃん注:「今日から此處へ來るだ!」「來るだ!」はママ。原文がそうなっている。方言か? 後に附された原文英文は、「此處へ來るな!」「去れ!」「行つちまへ!」である。

「千八百九十二年」明治二十五年で、ハーンが隠岐を訪問したその年である。

「犬神」「イヌガミモチ」ウィキの「犬神」より引く(記号の一部を省略した。下線やぶちゃん)。『犬神(いぬがみ)は、狐憑き、狐持ちなどとともに、西日本に最も広く分布する犬霊の憑き物(つきもの)。近年まで、大分県東部、島根県、四国の北東部から高知県一帯においてなお根強く見られ、キツネの生息していない四国を犬神の本場であると考える説もある。また、犬神信仰の形跡は、島根県西部から山口県、九州全域、さらに薩南諸島より遠く沖縄県にかけてまで存在している。宮崎県、熊本県球磨郡、屋久島ではなまって「インガメ」、種子島では「イリガミ」とも呼ばれる。漢字では「狗神」とも表記される』。『犬神の憑依現象は、平安時代にはすでにその呪術に対する禁止令が発行された蠱術(こじゅつ:蠱道、蠱毒とも。特定の動物の霊を使役する呪詛で、非常に恐れられた)が民間に流布したものと考えられ、飢餓状態の犬の首を打ちおとし、さらにそれを辻道に埋め、人々が頭上を往来することで怨念の増した霊を呪物として使う方法が知られる』。『また、犬を頭部のみを出して生き埋めにし、または支柱につなぎ、その前に食物を見せて置き、餓死しようとするときにその頸を切ると、頭部は飛んで食物に食いつき、これを焼いて骨とし、器に入れて祀る。すると永久にその人に憑き、願望を成就させる。獰猛な数匹の犬を戦い合わせ、勝ち残った』一匹に『魚を与え、その犬の頭を切り落とし、残った魚を食べるという方法もある。大分県速見郡山香町(現・杵築市)では、実際に巫女がこのようにして犬の首を切り、腐った首に群がった蛆を乾燥させ、これを犬神と称して売ったという霊感商法まがいの事例があり、しかもこれをありがたがって買う者もいたという』。『しかし、犬神の容姿は、若干大きめのネズミほどの大きさで斑があり、尻尾の先端が分かれ、モグラの一種であるため目が見えず、一列になって行動すると伝えられている。これは、犬というより管狐やオサキ』(オサキギツネ。キツネの憑き物)『を思わせ、純粋に蠱道の呪法(『捜神記』の犬蠱のような)を踏襲した伝承というわけではないと考えられる。むしろ狐霊信仰を中心とする 呪詛の亜流が伝承の中核を成していると考えられる。また容姿はハツカネズミに似て、口は縦に裂けて先端が尖っているともいい、大分県ではジネズミ(トガリネズミの一種、モグラの近縁種)に似ているといい、大分の速見郡豊岡町では白黒まだらのイタチのようという。前述の山口の相島では犬神鼠(いぬがみねずみ)ともいい、長い口を持つハツカネズミのようで、一家に』七十五匹もの『群れをなしているという。徳島県三好郡祖谷山では犬神の類を「スイカズラ」といい、ネズミよりも少し大きなもので、囲炉裏で暖をとっていることがあるという』。国学者岡熊臣(おかくまおみ 天明三(一七八三)年~嘉永四(一八五一)年)の「塵埃(じんあい)」によれば(リンク先には同書の犬神図も載る)、体長一尺一寸(三十三・三三センチメートル)の蝙蝠に似た姿であるとあるという。『犬神の発祥には諸説あり、源頼政が討った鵺の死体が』四つに『裂けて各地に飛び散って犬神になったとも、弘法大師が猪除けに描いた犬の絵から生まれたともいう。源翁心昭が殺生石の祟りを鎮めるために石を割った際、上野国(現・群馬県)に飛来した破片がオサキになり、四国に飛び散った破片が犬神になったという伝説もある』。以下、「犬神持ち」の項。『犬神は、犬神持ちの家の納戸の箪笥、床の下、水甕(みずがめ)の中に飼われていると説明される。他の憑き物と同じく、喜怒哀楽の激しい情緒不安定な人間に憑きやすい。これに憑かれると、胸の痛み、足や手の痛みを訴え、急に肩をゆすったり、犬のように吠えたりすると言われる。人間の耳から体内の内臓に侵入し、憑かれた者は嫉妬深い性格になるともいう。徳島県では、犬神に憑かれた者は恐ろしく大食になり、死ぬと体に犬の歯型が付いているという。人間だけでなく牛馬にも、さらには無生物にも憑き、鋸に憑くと使い物にならなくなるともいう』。『犬神の憑きやすい家筋、犬神筋の由来は、これらの蠱術を扱った術者、山伏、祈祷者、巫蠱らの血筋が地域に伝承されたものである。多くの場合、漂泊の民であった民間呪術を行う者が、畏敬と信頼を得ると同時に被差別民として扱われていたことを示している。というのも、犬神は、その子孫にも世代を追って離れることがなく、一般の村人は、犬神筋といわれる家系との通婚を忌み、交際も嫌うのが普通である。四国地方では、婚姻の際に家筋が調べられ、犬神の有無を確かめるのが習しとされ、これは同和問題と結びついて問題になる場合も少なくはない』。『愛媛県周桑郡小松町(現・西条市)の伝承では、犬神持ちの家では家族の人数だけ犬神がおり、家族が増えるたびに犬神の数も増えるという。これらの犬神は家族の考えを読み取って、欲しい物があるときなどにはすぐに犬神が家を出て行って憑くとされる。しかし必ずしも従順ではなく、犬神持ちの家族の者を噛み殺すこともあったという』。『犬神による病気を患った場合には医者の療治で治ることはなく、呪術者に犬神を落としてもらう必要があるという。種子島では「犬神連れ(いぬがみつれ)」といって、犬神持ちとされる家の者がほかの家の者に犬神を憑かせた場合、もしくは憑かせたと疑われた場合、それが事実かどうかにかかわらず、食べ物などを持って相手の家へ犬神を引き取りに行ったり、憑いた者が治癒するまで郊外の山小屋に隠棲することがあり、その子孫が後にも山中の一軒家に住み続けているという』。『犬神持ちの家は富み栄えるとされている。一方で、狐霊のように祭られることによる恩恵を家に持ち込むことをせず、祟神として忌諱される場合もある』。] 

 

ⅩⅩⅥ.

   In Oki, as in Izumo, the public school is slowly but surely destroying many of the old superstitions. Even the fishermen of the new generation laugh at things in which their fathers believed. I was rather surprised to receive from an intelligent young sailor, whom I had questioned through an interpreter about the hostly fire of Takuhizan, this scornful answer: 'Oh, we used to believe those things when we were savages; but we are civilized now!'

   Nevertheless, he was somewhat in advance of his time. In the village to which he belonged I discovered that the Fox-.superstition prevails to a degree scarcely paralleled in any part of Izumo. The history of the village was quite curious. From time immemorial it had been reputed a settlement of Kitsune-mochi: in other words, all its inhabitants were commonly believed, and perhaps believed themselves, to be the owners of goblin-foxes. And being all alike kitsune-mochi, they could eat and drink together, and marry and give in marriage among themselves without affliction. They were feared with a ghostly fear by the neighboring peasantry, who obeyed their demands both in matters reasonable and unreasonable. They prospered exceedingly. But some twenty years ago an Izumo stranger settled among them. He was energetic, intelligent, and possessed of some capital. He bought land, made various shrewd investments, and in a surprisingly short time became the wealthiest citizen in the place. He built a very pretty Shinto temple and presented it to the community. There was only one obstacle in the way of his becoming a really popular person: he was not a kitsune-mochi, and he had even said that he hated foxes. This singularity threatened to beget discords in the mura, especially as he married his children to strangers, and thus began in the midst of the kitsune-mochi to establish a sort of anti-Fox-holding colony.

   Wherefore, for a long time past, the Fox-holders have been trying to force their superfluous goblins upon him. Shadows glide about the gate of his dwelling on moonless nights, muttering: 'Kaere! kyo kara kokoye: kuruda!' [Be off now! from now hereafter it is here that ye must dwell: go!] Then are the upper
shōji violently pushed apart; and the voice of the enraged house owner is heard: 'Koko Wa kiraida! modori!' [Detestable is that which ye do! get ye gone!] And the Shadows flee away.[15]
 

 

15
In 1892 a Japanese newspaper, published in Tōkyo stated upon the authority of a physician who had visited Shimane, that the people of Oki believe in ghostly
dogs instead of ghostly foxes. This is a mistake caused by the literal rendering of a term often used in Shi-mane, especially in Iwami, namely, inu-gami-mochi. It is only a euphemism for kitsune-mochi; the inu-gami is only the hito-kitsune, which is supposed to make itself visible in various animal forms.


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