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2015/12/08

小泉八雲 落合貞三郎他訳 「知られぬ日本の面影」 第二十三章 伯耆から隱岐ヘ (二十七)


       二七

 菱浦には鳥賊が無いし、いやな臭も全く無かつたから、自分は隱岐の他の何處よりも此處が面白かつた。だが、兎も角、菱浦は西郷よりも興味があつたらうと思ふ。その綺麗な小さな町の生活が特に古風であり、また機械といふものが輸入されて出雲や他の地方では殆んど減びて居る古風な家庭産業が、今なほ菱浦には殘つて居る。仕事が大儀になると互に代り合つて、木綿の著物や絹の著物を織つている、薔薇色の娘達を見て居るのは愉快であつた。そんな平穩な古風な生活が總て開放されて人の見るに任してあるのだから、自分は好んでそれを眺め見た。それから他にも愉快な事があつた。それは其處の入江は水泳に絶好な場處であり、その海岸の興味ある處、何處へでも直ぐに乘せて行つて呉れる小船がいつも居るからであつた。夜はまた海風が自分の占めて居る部屋を氣持よく涼しくして呉れるし、緣側からは波止場の石段へ緩やかな冷たい光りと砕ける入江の浪を――美くしい燐光――眺めることが出來、また隱岐の母親がその赤ん坊を寢かさうとて、世界で一番古いねんねこ歌の一つを歌ふ聲を聞くことが出來るのであつた。斯う歌ふ、――

 

    ねんねこ、お山の

        兎の子、

    なぜまたお耳が

        長いやら、

    おつかさんのおなかに

        居る時に、

    枇把の葉笹の葉

        喰べたそな、

    それでお耳が

        長いそな

 

 その節(ふし)が特に美はしくまた哀調を帶びて居て、出雲や日本の他の地方で、それと同じ言葉で歌ふ節(ふし)とは全く異つて居つた。

 或る朝、自分は別府へ行かうと思つて船を一艘僦つて、その日だけその宿屋を出ようとする間際に、宿の老主婦が自分の腕に觸つて叫んだ。『一寸お待ちなさい。葬式に行き違ふのは善くありません』自分は角(かど)を振返つて見たら、岸に沿うてその行列の來るのが見えた。神葬で、子供の葬式であつた。年の行かぬ子供が眞つ先きに神道の徽號を――小さな白い旗と、神木サカキの枝とを――手にして來た。そして棺の後にその母が歩んで居つた。若い百姓女で、大聲出して泣いて、そのお粗末な紺の著物の長袖で眼を拭いて居つた。すると自分の横に居た宿の老婦が斯う囁いた。『悲しんで居りますが、まだ年が若う御座ますから、屹度あの子はあの人の處へ戻つて來ませう』それは、自分のその善良な老主婦は信心深い佛教者であつたから、その葬式は神道で營まれて居たのに、その母の信仰は自分のと同じだと屹度思つて居たからであらう。

[やぶちゃん注:『悲しんで居りますが、ばだ年が若う御座ますから、屹度あの子はあの人の處へ戻つて來ませう』底本は「あの子は」を除く部分は太字部分は総て「ヽ」の傍点で、下線を引いた太字「あの子は」の部分は「○」傍点である。これは原文にない、訳者の心遣いの箇所で、非常に好ましい手法であると私は思う。

ねんねこ、お山の」「兎の子、……」「島根県立古代出雲歴史博物館」公式サイト内の山陰民俗学会会長酒井董美(ただよし)氏の収録・再話になるわらべ歌2 ねんねんよ ころりんよに、島根県の最西端内陸に位置する鹿足(かのあし)郡吉賀町(よしかちょう)柿木(かきのき)で採取された子守り歌が載る(リンク先では録音された唄も聴ける! 私はこのハーンの採録した子守唄の同系統のそれを今、この瞬間に聴けることを、心から幸せに感じた!)。唄は明治三一(一八九八)年生まれの女性によるもので、昭和三七(一九六二)年七月三十一日採集録音になる貴重なものである。

   《引用開始》

    ねんねんよ ころりんよ

    ねんねがお守りは どこ行た

    野越え 山越え 里行(い)た 里のみやげに なにもろた

    でんでん太鼓に笙(しょう)の笛 でんでん太鼓をたたいたら

    どんなに泣く子もみな眠る

    笙の笛をば吹いたなら どんなに泣く子もみなだまる

    ねんねんよ ころりんよ

    おととのお山のお兎は なしてお耳がお長いの

    おかかのおなかにいたときに 椎(しい)の実 榧(かや)の実 食べたそに

    それでお耳がお長いぞ

    ねんねんよ ころりんよ

   《引用終了》

これについて、酒井氏は『とてものどかな節回しである。そしてその歌い出しは「ねんねんころりよ、おころりよ」でよく知られ、日本古謡としての子守歌の骨格が前半部に見られるが、後半部の「おととのお山のお兎は」からは、実はまた別な童話風物語が付属したスタイルになっている』。とされた上で、『伝承わらべ歌の特徴として、詞章の離合集散はよく見られる現象である。ある地方で二つ以上になる歌が、ほかのところでは一つに統合されている例はいくらでもある。この歌がまさにそれであった』と述べられている。その後に、まさにこのハーンの本篇での採集唄が掲げられた後、本子守唄の同系のものは『鳥取県でも知られていた模様で、米子地方のものとして』、松本穰葉子氏著になる「ふるさとの民謡」(昭和四三(一九六八)年鳥取郷土文化研究会刊)に『以下の歌が出ている』と指示されて、

   《引用開始》

    ねんねこやまの

    兎の耳はなぜ長い

    わしの おかさんが

    つわりの時に

    びわの葉なんぞを

    食べたので長い

   《引用終了》

を引かれ、『幼子を相手に大人たちは、兎の耳の長い理由を童話風なわらべ歌の詞章に託して、うたっていたのであった。現在の母親たちには、もうこのような子守歌は伝えられてはいないのではなかろうか』(最後の一文中の衍字と思われる箇所を除去させて戴いた)としみじみと結んでおられる。……ハーンは……この菱浦の哀調を帯びた子守唄に――遂に記憶から永遠に去ってしまった自らの母が赤子のハーンに唄ったその子守唄を――確かに聴いたのだ――と思うのである…………

 

 

ⅩⅩⅦ.

 

   Because there were no cuttlefish at Hishi-ura, and no horrid smells, I enjoyed myself there more than I did anywhere else in Oki. But, in any event, Hishi-ura would have interested me more than Saigo. The life of the pretty little town is peculiarly old-fashioned; and the ancient domestic industries, which the introduction of machinery has almost destroyed in Izumo and elsewhere, still exist in Hishi-ura. It was pleasant to watch the rosy girls weaving robes of cotton and robes of silk, relieving each other whenever the work became fatiguing. All this quaint gentle life is open to inspection, and I loved to watch it. I had other pleasures also: the bay is a delightful place for swimming, and there were always boats ready to take me to any place of interest along the coast. At night the sea breeze made the rooms which I occupied deliciously cool; and from the balcony I could watch the bay-swell breaking in slow, cold fire on the steps of the 
wharves—a beautiful phosphorescence; and I could hear Oki mothers singing their babes to sleep with one of the oldest lullabys in the world:

                  Nenneko,

                  O-yama no

                  Usagi. no ko,

                  Naze mata

                  O-mimi ga

                  Nagai e yara?

                  Okkasan no

                  O-nak ni

                  Oru toku ni,

                  Biwa no ha,

                  Sasa no ha,

                  Tabeta sona;

                  
Sore de

                  
O-mimi ga

                  
Nagai e sona. [16]

   The air was singularly sweet and plaintive, quite different from that to which the same words are sung in Izumo, and in other parts of Japan.

   One morning I had hired a boat to take me to Beppu, and was on the point of leaving the hotel for the day, when the old landlady, touching my arm, exclaimed: 'Wait a little while; it is not good to cross a funeral.' I looked round the corner, and saw the procession coming along the shore. It was a Shinto funeral,— a child's funeral. Young lads came first, carrying Shinto emblems,— little white flags, and branches of the sacred sakaki; and after the coffin the mother walked, a young peasant, crying very loud, and wiping her eyes with the long sleeves of her coarse blue dress. Then the old woman at my side murmured: 'She sorrows; but she is very young: perhaps It will come back to her.' For she was a pious Buddhist, my good old landlady, and doubtless supposed the mother's belief like her own, although the funeral was conducted according to the Shintō rite. 

 

16
Which words signify something like this:
'Sleep, baby, sleep! Why are the honourable ears of the Child of the Hare of the honourable mountain so long? 'Tis because when he dwelt within her honoured womb, his mamma ate the leaves of the loquat, the leaves of the bamboo-grass, That is why his honourable ears are so long.'

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