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2015/12/13

小泉八雲 落合貞三郎他訳 「知られぬ日本の面影」 第二十五章 幽靈と化け物について (二)

       二

 

 お宮へ行く往來の兩側は聖いしるしのある提灯の列で照らされて居る、社殿の大きな廣場は假小屋、店、芝居小屋の小都會と變つて居る。寒さも厭はず、集つた人の数は驚くきものであつた。いつもお祭りに人を喜ばせる普通の物は悉くある上、普通でない物も中々あつた。ありふれた見世物のうちで、生きた蛇の帶をした娘のゐない事だけが物足りなかつた、多分季節が蛇にはさむすぎるのであらう。占や手品や、輕業や踊りがあつた、砂で繪をかく男もあれば、アウストラリヤ産のエミユや、色々の藝を仕込んである琉球産の大蝙蝠の二つがひのある動物園あつた。私は神社に參詣してから、何か不思議なおもちやを買つて、それから化け物探險に出かけた。こんな特別な場合に、見世物屋に賃貸するためにできた大きな永久建築物の中に納まつてゐた。

 入口の看板に書いてあつた『生人形』と云ふ大きな文字は幾分この見世物の性質をほのめかしてゐた。生人形は私共西洋の『蠟細工』にやや相當する、しかしそれと同じやうに寫實的であるこの日本の創作はずつと安價な材料でできて居る。銘々一錢で木の札を買ふてから、私共は入場した、それから幕のうしろへ行くと長い廊下へ出た、それには小さい部屋程の疊敷の仕切のある假屋がいくつかならんでゐた。それぞれこの題目に相應な背景で裝飾されたその場所には等身大の人物のいくたりかがゐた。人目に最も近いものは三味線を彈いて居る二人の男と踊つて居る二人の藝者を表はしたものであつたが、私には云ふまでもなく人形と思ははれた、しかし金十郎がその前の小さい掲示を飜譯してくれたのによれば一人だけは本物の人間であると云ふ事であつた。私共はまたたきか身震ひがあるだらうと待つて見たが駄目であつた。不意に三味線彈きの一人が大きな聲で笑ひ出して、頭振つて三味線を彈いて歌ひ出した。私共は完全にだまされた。

 あとのものは全部で二十四あつたが、大概は名高い人氣のある傳説とか又は聖い神話などを表はした物で、それぞれ強い印象を與へた。それを思ひ出すと日本人の胸がとどろかずにはゐないと云ふ封建時代の英雄的行動、親孝行の傳説、佛教の奇蹟、天皇の物語などが題目のうちにあつた。しかし時々その寫實が殘忍な事もあつた、たとへば或場面では頭を刀でたち割られて、血の溜りに倒れて居る女の死骸がある。つぎの部屋へ行くとその女が奇蹟的に蘇生して日蓮宗の寺へ御禮參りをして、何か不思議な事件で偶然そこへ行つた自分の殺害者に出遇つて、その男を改宗させては居るが、そのためにこの不快な事が全然ぬぐひ去られる事はない。

 廊下の終りに黑い幕がかかつてゐて、そのうしろから叫び聲が聞える。それから黑幕の上の方に掲示があつて、平氣で向うまでこの祕密の場所を通りぬける事のできる人には褒美を出すと云ふ約束が書いてあつた。

 『旦那、化け物はこの中に居ります』と金十郎は云つた。

 私共は幕を上げて中へ入ると、そこは生垣の間の小徑(こみち)のやうになつてゐた。それから生垣のうしろに墓があつた。私共は墓地へ來て居るのであつた。本當の草や樹木があつた、それから卒塔婆もあり墓もあつたがその印象は全く自然であつた。その上屋根が甚だ高いのと、光線を巧みに鹽梅してそれを見えなくしてあるので、一切うす暗くなつてゐた、それでこれが人に夜、外に出て居る感じを與へた、その上空氣がつめたいので一層その感を深くした。それから處々に大概超人間的の高さの、氣味の惡い物が見えた、或物は暗い處で待つて居るやうで、又或物は墓の上に浮かんで居るやうであつた。すぐ私共の近くに右の方の生垣の上の方に、私共に背中を向けてずつと聳えて居る坊さんがゐた。

 私は金十郎に尋ねた、『山法師かね』

 『いや』金十郎は答へた、『脊の高い事を御覽なさい。狸坊主にちがひないと思ひます』

 狸坊主は日暮れてから未だ旅をして居る人を誘ひ込んで殺すために、狸が僧侶の姿に化けた物である。私共は進んでその顏を見上げた。見ると魘されるやうな顏であつた。

 『全く狸坊主です』金十郎は云つた。『且那樣はそれをどう御考ですか』

 返事をしないで、私はとび退(の)いた、その巨大な物は突然生垣の上へのり出して、呻き聲を上げて私につかみかかつたからであつた。それから搖ぎながら、軋る音をたててもとヘ戻つた。見えない絲で操(あやつ)られるのであつた。

 『金十郎さん、これはいやな恐ろしい物だと思ふね。……しかし褒美を要求する事は止めた』

 私共は笑つた、それから進んで三目入道を見る事にした。三目入道も夜油斷して居る人をさがして居る。顏は佛の顏のやうに柔和で微笑して居るが、剃髮した頭の頂上に恐ろしい眼がある、その眼を見たらためにならないと云ふ時に始めて分る眼である。この三目入道は金十郎につかみかかつてびつくりさせた、丁度狸坊主が私をびつくりさせたやうに。

 それから山姥を見た。山姥は子供を取つて來て暫らく養つてから喰つてしまふ。顏には口がないが、頭の頂上の髮の下に口がある。この山姥は可愛い小さい男の子を今手にもつて喰べかけやうとしてゐたので、私共につかみかかる暇がなかつた。この子供の方は見物人の印象を強くするために特別に綺麗にしてあつた。

 それから墓の上を大分離れて空中に浮かんで居るので、やや安心して見た女の幽靈があつた。眼はなかつた、長い髮は亂れて、白い着物は煙のやうに輕く浮いてゐた。私は私の生徒の一人が幽靈の事を作文に書いた一節を思ひだした、『一番大きな特色は足のない事である』それから私は又飛び退いた、その物は、全く音を立てずに、しかし甚だ急に空を横ぎつて私の方へ來たから。

 それからあと墓の間の道中は同じやうな經驗の連續に過ぎなかつた、しかしそれが婦人の叫び聲や、自分等を驚かした物が外の人々にどんな效果を與へるか、見たいばかりにためらつて居る人々のふき出し笑のために面白くされた。

 

[やぶちゃん注:これ、実際のセツ夫人の様子を活写して呉れていたら、もっともっと面白いものになったであろうに。至極、残念である。

「砂で繪をかく男」大道芸の一つである砂絵師。私の電子テクスト『日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十章 大森に於る古代の陶器と貝塚 35 砂絵師』の私の注をご覧あれ。

「アウストラリヤ産のエミユ」鳥綱ダチョウ目ヒクイドリ科エミュー属エミュー Dromaius novaehollandiaeウィキの「エミュー」より引く。エミュー(Emu)は『オーストラリア全域の草原や砂地などの拓けた土地に分布している。周辺海域の島嶼部にも同種ないし近縁種が生息していたが、現生種の』一種のみを『除いて絶滅したとみられている』。『オーストラリアの非公式な国鳥』。体高は約一・六~二メートル程度で体重は四〇~六〇キログラム程度。体高は『鳥類の中ではダチョウに次いで高いが、体重はヒクイドリに及ばない。見た目はダチョウに似るが、ややがっしりした体躯で、頸から頭部に掛けても比較的長い羽毛が生えている。また、趾(あしゆび)は』三本で、『先に丈夫な爪を備えている。幼鳥の羽毛には縞模様があるが、成長すると縞が消える。成鳥はオス、メスいずれも同様に全身の羽毛が灰褐色になるが、所々に色が剥げたり濃くなったりしている箇所があり、泥で汚れているかのように見える。エミューの羽は、鳥類では唯一』二本が一対であるという『特徴を持っている』。『性格はヒトに対しては温厚であるが、雷・金属音・子供の甲高い声などに反応し走り回ることがある。犬などの動物に対しては警戒心が強く、場合によっては蹴りで相手を攻撃する。蹴りは、前方』九〇度の『範囲程度であれば容易に繰り出す。また、繁殖時期になると多少警戒心が強くなる。性別でみると、オスの方が比較的おとなしい』。『鳴き声はオスとメスで違い、オスは「ヴゥー」と低い鳴き声を出し、メスは「ボン……ボボン」とドラムのような鳴き声を出す。メスの鳴き声は繁殖時期が近づく頃がもっとも盛んになる』。『翼は体格に比してきわめて小さく、深い羽毛に埋もれているために外からはほとんど視認できない。ダチョウ、ヒクイドリ、レアなどと比べると、最も退化した形であり、長さは』約二〇センチメートルで、先端には一本の爪が附属する。『卵はアボカドのような深緑色で、長さは』一〇センチメートル程で、重量は約五五〇~六〇〇グラムある。抱卵は十個程度の産卵後にが約二ヶ月の間飲まず食わずで行う。『食性は雑食性で、主に昆虫、果実、種子、下草などを餌にする。砂漠化しつつあるような土地でも生息可能で、繁殖力も強く基本的には丈夫な鳥であるが、この食性により、農地を荒らす害鳥として駆除の対象となったため、ダチョウ目の他の種と同様、頭数が激減している』。『丈夫で飼いやすいためか飼育している動物園は多く、人に慣れやすく危険性も低いことから、入園者が直接触れられるようにしているところもある』。また本邦でも一九九六年から、『北海道下川町一の橋地区に個人により導入され、国内初の畜産を軸とした飼育が始まっ』ており、北海道下川地域で同人により一九九五年から『試験的飼育が展開され、アメリカ・モンタナ州より生後』六ヶ月の『オス・メスのペアーが導入された。そのエミューペアーは現在』十三歳八ヶ月(二〇〇九年一月現在)『であるが、繁殖を続けている』とある。

「琉球産の大蝙蝠」現在、脊索動物門脊椎動物亜門哺乳綱ローラシア獣上目翼手(コウモリ)目 Chiroptera の内、南西諸島産の大型のオオコウモリ類には、大沢夕志・大沢啓子氏のサイト「オオコウモリの世界へようこそ」の「日本に生息するオオコウモリ」によれば、

クビワオオコウモリPteropus dasymallus

(鹿児島県口永良部島以南の琉球列島に分布。)

エラブオオコウモリ Pteropus pselaphon dasymallus

(鹿児島県口永良部島とトカラ列島に分布。口永良部島は世界のオオコウモリ類の北限で、以下の四亜種中では体が最も大型。)

オリイオオコウモリ Pteropus pselaphon inopinatus

(沖縄本島とその周辺の小島に分布。)

ダイトウオオコウモリ Pteropus pselaphon daitoensis

(北大東島と南大東島に分布。)

ヤエヤマオオコウモリ Pteropus pselaphon yayeyamae

(宮古島から西の多良間島・石垣島・黒島・小浜島・西表島・鳩間島・波照間島・与那国島など八重山諸島の殆んどの島に分布。日本に棲息するクビワオオコウモリ四亜種中では一番体が小型。)

とあり、さらに以前は、

オキナワオオコウモリ Pteropus lochoensis

『が沖縄本島にいたようですが』、明治三(一八七〇)年に『新種として発表されて以来捕まったことがないので絶滅したと思われます。イギリスの大英博物館に標本が二つあるのみです』とある(画像や分布域詳細及び特徴はリンク先を参照されたい)。ハーンがこのオオコウモリを見たのは明治二五(一八九二)年か翌年のことと思われるから(本書の刊行は明治二七(一八九四)年九月)残念ながら、このオキナワオオコウモリ Pteropus lochoensis の可能性は殆んど全くないと言える。有意に大きい「大蝙蝠」で「琉球産」というのがガセでないとすれば、以上の分布と大きさからはクビワオオコウモリPteropus dasymallus の可能性が高くなるように思われる。

「頭を刀でたち割られて、血の溜りに倒れて居る女の死骸がある。つぎの部屋へ行くとその女が奇蹟的に蘇生して日蓮宗の寺へ御禮參りをして、何か不思議な事件で偶然そこへ行つた自分の殺害者に出遇つて、その男を改宗させては居る」私の全くの直感に過ぎないが、これは所謂、三遊亭圓朝の怪談噺「真景累ヶ淵(しんけいかさねがふち)」(安政六(一八五九)年初演)で人口に膾炙する累の物語を模したものではあるまいか? 無論、ここでハーンの述べる筋書きとは必ずしも一致しないが、無惨に殺される女――蘇生――日蓮宗の寺――というのは、仔細は省略するが、どうも私にとっては累に重なるのである。なお、私はその最初の物語とされる元禄三(一六九〇)年に板行された仮名草子本「死霊解脱物語聞書」を親しく読んでおり、その評論である高田衛氏の「江戸の悪魔祓い師(エクソシスト)」(一九九一年筑摩書房刊)なども愛読書である。

「三目入道」「みつめにゆうだう(みつめにゅうどう)」と読む。額に三つめの眼を持った僧形の妖怪で江戸期以降の妖怪画の定番キャラクターである(因みに私は妖怪フリークでもあり、かなりの妖怪関連書と画集を所持している)。ウィキの「三つ目入道」から引く(アラビア数字を漢数字に代え、記号の一部を変更・省略した)。『明治時代、東京府(現・東京都)神田区の神田元柳原町に三つ目入道が出現した事例が、錦絵新聞『東京日日新聞』第四百四十五号に記事として報じられている。一八七三年八月四日(明治六年)午前三時頃、梅村豊太郎という男が地震で目が覚めた後に寝つけずにいたところ、一緒に寝ていた子供が突然激しく泣き出した。何事かと思ったところ、枕元に三つ目の怪僧が立っており、しかも次第に巨大化し、天井を突き破るほどの大きさとなった。しかし度胸の据わった豊太郎は怪僧の裾を引っ張って力任せに倒したところ、その正体は古狸だったという』。『また長野県東筑摩郡の教育委員会の調査による資料では、同郡に伝わる妖怪として「人前で踊るもの」とされているが、それ以外の記述はなく、詳細な特徴などは不明』である。『江戸時代後期の黄表紙においては見越し入道の一種として、首の長い三つ目の妖怪がしばしば描かれている』とある。]

 

 

.

   Each side of the street leading to the miya was illuminated with a line of paper lanterns bearing holy symbols; and the immense court of the temple had been transformed into a town of booths, and shops, and temporary theatres. In spite of the cold, the crowd was prodigious. There seemed to be all the usual attractions of a matsuri, and a number of unusual ones. Among the familiar lures, I missed at this festival only the maiden wearing an obi of living snakes; probably it had become too cold for the snakes. There were several fortune-tellers and jugglers; there were acrobats and dancers; there was a man making pictures out of sand; and there was a menagerie containing an emu from Australia, and a couple of enormous bats from the Loo Choo Islands—bats trained to do several things. I did reverence to the gods, and bought some extraordinary toys; and then we went to look for the goblins. They were domiciled in a large permanent structure, rented to showmen on special occasions.

   Gigantic characters signifying 'IKI-NINGYŌ,' painted upon the signboard at the entrance, partly hinted the nature of the exhibition. Iki-ningyō ('living images') somewhat correspond to our Occidental 'wax figures'; but the equally realistic Japanese creations are made of much cheaper material. Having bought two wooden tickets for one sen each, we entered, and passed behind a curtain to find ourselves in a long corridor lined with booths, or rather matted compartments, about the size of small rooms. Each space, decorated with scenery appropriate to the subject, was occupied by a group of life-size figures. The group nearest the entrance, representing two men playing samisen and two geisha dancing, seemed to me without excuse for being, until Kinjurō had translated a little placard before it, announcing that one of the figures was a living person. We watched in vain for a wink or palpitation. Suddenly one of the musicians laughed aloud, shook his head, and began to play and sing. The deception was perfect.

   The remaining groups, twenty-four in number, were powerfully impressive in their peculiar way, representing mostly famous popular traditions or sacred myths. Feudal heroisms, the memory of which stirs every Japanese heart; legends of filial piety; Buddhist miracles, and stories of emperors were among the subjects. Sometimes, however, the realism was brutal, as in one scene representing the body of a woman lying in a pool of blood, with brains scattered by a sword stroke. Nor was this unpleasantness altogether atoned for by her miraculous resuscitation in the adjoining compartment, where she reappeared returning thanks in a Nichiren temple, and converting her slaughterer, who happened, by some extraordinary accident, to go there at the same time.

   At the termination of the corridor there hung a black curtain behind which screams could be heard. And above the black curtain was a placard inscribed with the promise of a gift to anybody able to traverse the mysteries beyond without being frightened.

   'Master,' said Kinjurō, 'the goblins are inside.'

   We lifted the veil, and found ourselves in a sort of lane between hedges, and behind the hedges we saw tombs; we were in a graveyard. There were real weeds and trees, and sotoba and haka, and the effect was quite natural. Moreover, as the roof was very lofty, and kept invisible by a clever arrangement of lights, all seemed darkness only; and this gave one a sense of being out under the night, a feeling accentuated by the chill of the air. And here and there we could discern sinister shapes, mostly of superhuman stature, some seeming to wait in dim places, others floating above the graves. Quite near us, towering above the hedge on our right, was a Buddhist priest, with his back turned to us.

   'A yamabushi, an exorciser?' I queried of Kinjurō.

   'No,' said Kinjurō; 'see how tall he is. I think that must be a Tanuki-Bōzu.'

   The Tanuki-Bōzu is the priestly form assumed by the goblin-badger (tanuki) for the purpose of decoying belated travelers to destruction. We went on, and looked up into his face. It was a nightmare,— his face.

   'In truth a Tanuki-Bōzu,' said Kinjurō. 'What does the Master honorably think concerning it?'

   Instead of replying, I jumped back; for the monstrous thing had suddenly reached over the hedge and clutched at me, with a moan. Then it fell back, swaying and creaking. It was moved by invisible strings.

   'I think, Kinjurō, that it is a nasty, horrid thing. . . . But I shall not claim the present.'

   We laughed, and proceeded to consider a Three-Eyed Friar (Mitsu-me-Nyūdō). The Three-Eyed Friar also watches for the unwary at night. His face is soft and smiling as the face of a Buddha, but he has a hideous eye in the summit of his shaven pate, which can only be seen when seeing it does no good. The Mitsu-me-Nyūdō made a grab at Kinjurō, and startled him almost as much as the Tanuki-Bozu had startled me.

   Then we looked at the Yama-Uba,— the 'Mountain Nurse.' She catches little children and nurses them for a while, and then devours them. In her face she has no mouth; but she has a mouth in the top of her head, under her hair. The YamaUba did not clutch at us, because her hands were occupied with a nice little boy, whom she was just going to eat. The child had been made wonderfully pretty to heighten the effect.

   Then I saw the spectre of a woman hovering in the air above a tomb at some distance, so that I felt safer in observing it. It had no eyes; its long hair hung loose; its white robe floated light as smoke. I thought of a statement in a composition by one of my pupils about ghosts: 'Their greatest Peculiarity is that They have no feet.' Then I jumped again, for the thing, quite soundlessly but very swiftly, made through the air at me.

   And the rest of our journey among the graves was little more than a succession of like experiences; but it was made amusing by the screams of women, and bursts of laughter from people who lingered only to watch the effect upon others of what had scared themselves.

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