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2015/12/03

日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第二十五章 東京に関する覚書(18) 好古家柏木貨一郎邸訪問

 

 私は、かつては高官であったが、過度の飲酒のために職を失い、今は破産人であるところの、一人の陶器に関する権威者を見つけ出した。彼は貧困がありありと見える、みすぼらしい家に住み、そして彼の状態は憐れなものであった。頸には大きな腫瘍があり、はげしく咳をし、家は取りちらしてあって、布団が敷いてあるところから見ると、彼はそれ迄横になっていたのに相違ないが、而も彼は躊躇せず、また弁解等もせずに、私を招き入れた。私はいろいろな陶器の権威者に就て質問した。彼は古筆氏はいいといい、また柏木氏への手紙をくれた。

[やぶちゃん注:この人物は不詳である。

「古筆氏」好古家古筆了仲。既出既注。

「柏木氏」磯野先生の「モースその日その日 ある御雇教師と近代日本」上記頁記載から好古家として知られた柏木貨一郎(天保一二(一八四一)年~明治三一(一八九八)年)のことと推定される。ウィキ柏木貨一によれば、『江戸(東京)出身。神田和泉橋の糸屋・辻家に生まれる。幕府の大工棟梁・柏木家の養子となり』、九代目を『継ぐが、まもなく幕府が倒れた。明治維新後は文部省に勤務し、町田久成らとともに正倉院をはじめ古社寺の宝物調査にあたった。町田が博物館行政から離れた後、官職を辞したようである』。『古美術の鑑定家、収集家として知られ』、『また、三井集会所』や渋沢栄一邸などの『和風建築や茶室の設計を行った。著作に「集古印史」などがある』とある。]
 
  
 

M725

725

 

 もう六時に近く、そして暗かったが、私――私の車夫がともいえる――は柏木氏の住所をさがし、遂に広辻の一角に、三軒の蔵を発見した。高さ十五フィートの竹の垣根にある低い入口を通りぬけると、蔵(図725)の一に招じ入られた。柏木氏は私を三人の男に紹介したが、三人とも古物蒐集家であった。彼は非常に親切で、私にいくつかの興味ある品を見せてくれ、私は即座にそれ等を写生した。また彼は、それに関する知識を持っているらしい数種の陶器に就て、面白い話を沢山してくれた。彼は「薩摩の花装飾」が八十年以前からあるというような考は、愚劣なものだといった。陶器に関する彼の言葉は、私の陶器覚書に訳してある。彼は、日本の古銭の最も珍稀な蒐集や、一千年も前の陶器や、稀な絵画や、その他いろいろな物を持っている。この部屋にある物は一つ残らず古くて珍しかった。火鉢も非常に古く、その下半分は真珠貝を象嵌した漆塗で、装飾の主題は馬の銜(はみ)であった。

[やぶちゃん注:「十五フィート」四・五七メートル。

「薩摩の花装飾」これは以下の柏木の批判的な言い方から見て、「白薩摩」(「白もん」とも)のような真正の薩摩焼ではなく、『幕末から明治初期に掛けての京都で、欧米への輸出用に、より伝統的な日本のデザインを意識し、絵付けされた京薩摩が作られた。横浜や東京で絵付けされ、横浜港から輸出されたものは横浜薩摩と呼ばれた』(ウィキ薩摩焼より引用)ものを指しているのではあるまいか? 陶器には疎いのでとんでもない誤りかも知れぬ。識者の御教授を乞うものである。

「私の陶器覚書」一九〇一年刊のCatalogue of the Morse Collection of Japanese Pottery(モース日本陶器コレクション)のことか。

「一千年も前の陶器」明治一五(一八八二)年から単純計算するなら、平安前期に相当する。

「真珠貝を象嵌した漆塗」螺鈿細工木製台座に陶器の火鉢が載せられてあるものと思われ、かなり凝った高級な火鉢であることが窺える。

「銜(はみ)」轡(くつわ)の馬の口に銜(くわえ)えさせる部分。]
 
 

M726

726

 

 私はまた家について、新しい点を知った。日本人が、防火建築の大きな、寒い、納屋みたいな部屋を、気持のいい場所に変えてそこに住む方法は、図726に示す通りである。部屋の形と同じな、然しそれより小さい、四角な竹製の枠を立て、部屋の壁と枠との間には三フィート半の通路を残しておく。この枠は僅かに色をつけた布で覆ってある。この枠は部屋よりも小さいので、人はこの布と部屋の壁との間を通ることが出来る。彼は一七〇〇年に発行された古い本を見せたが、それにはこの枠の構造、布のかけ方等の、こまかいやり方が書いてあった。これは明かに古くからある思いつきで、かかる防火建築が居住の間(ま)として利用されたことを示している。今迄に何度も蔵の内へ入ったが、このような装置を見たのはこれが最初である。夏にはこの部屋は涼しくて気持がいいことだろう。蔵の壁には本棚や置戸棚が並び、柏木氏はそこに書物や宝物を仕舞っておく。幔幕をかかげると出入口が出来る。彼はさがす物があるとそこからもぐり込むのであるが、布を通じてかすかに輝く蠟燭の光によって、私は彼がどの辺を動いているのか知ることが出来た。

[やぶちゃん注:四方枠を持つのでこれは几帳(きちょう)ではない。御簾(みす)の一種か?

「三フィート半」一メートル二一センチメートル。

「一七〇〇年」元禄十三年。]

 

 先日増田氏が、私にある古物蒐集家の話をして、一度あって貰い度いのだがといった。私は増田氏と、その人の家へ行く約束をしようと思っていた。昨晩私はまた柏木氏の家へ行ったが、彼は留守だった。しばらく待っていると、彼は増田氏と一緒に来た。増田氏は、私がいたので驚きもし、よろこびもして、私がどうしてこの家を見つけ出したかと、不思議がっていた。七、八人の古物蒐集家が集って来たので、柏木氏が持ち出す陶器その他の貴重な品に就て、彼等と会話を交え、意見をたたかわすことは、誠に愉快だった。私は陶器や古物の話を容易になし得る程度の日本語を会得しているので、通弁を必要としない。これ等の古い品物の鑑賞眼は何人も具えている。そして学者達は、あらゆる種類の物に就て意見を交換する為に会合する。これは彼等の長期にわたる、かつ高い文明を示す、幾百の例証の一である。

[やぶちゃん注:本章の前の方で出てきた「長井嬢」(不詳)「の兄さんである増田氏」(不詳)と同一人物らしい。]

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