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2015/12/14

小泉八雲 落合貞三郎他訳 「知られぬ日本の面影」 第二十五章 幽靈と化け物について (三)・(四)

       三

 

 化け物に見切りをつて、私共は二人の少女の踊りを見に小さい野外劇場へ行つた。しばらく踊つたあとで、一人の少女が劔を出して今一人の少女の首を切り落して、テイブルの上に置く、そこでその首が口を開けて、歌ひ出した。これは皆鮮やかにできたが、私の心は化け物で未だ一杯になつてゐた。それで私は金十郎に尋ねた、――

 『金十郎さん、あの化け物の人形を私共が見たが、――人はあれが本當にあるものと信じて居るのでせうか』

 『もう信じませんね』――金十郎は答へた、――『とにかくこの町の人の間では信ずる者はありません。田舍の方ではさうでないかも知れません。私共は佛樣を信じます、昔の神樣を信じます、それから死んだ人が殘酷な事を復讐に、或は正しい行を是非させるために、諮つて來る事を信ずる人も澤山ありさうです。しかし昔の人が信じたやうな事は悉く信ずると云ふ事はありません。……旦那』私共は別の妙な見世物の處へ來た時、附け加ヘて云つた、『旦那がおいやでなければ、地獄へ只一錢で行つて見られます……』

 『宜しい』私は答ヘた。『二錢出して、二人で地獄へ行かう』

 

 

.

   Forsaking the goblins, we visited a little open-air theatre to see two girls dance. After they had danced awhile, one girl produced a sword and cut off the other girl's head, and put it upon a table, where it opened its mouth and began to sing. All this was very prettily done; but my mind was still haunted by the goblins. So I questioned Kinjurō:

   'Kinjurō, those goblins of which we the ningyō have seen,— do folk believe in the reality, thereof?'

   'Not any more,' answered Kinjurō,— 'not at least among the people of the city. Perhaps in the country it may not be so. We believe in the Lord Buddha; we believe in the ancient gods; and there be many who believe the dead sometimes return to avenge a cruelty or to compel an act of justice. But we do not now believe all that was believed in ancient time. . . .Master,' he added, as we reached another queer exhibition, 'it is only one sen to go to hell, if the Master would like to go' —

   'Very good, Kinjurō,' I made reply. 'Pay two sen that we may both go to hell.'

 

 

 

       四

 

 そこで幕のうしろへ行つて妙にカチカチキイキイ音のする大きな部屋へ入つた。この音はこの部屋の三方を取卷いて居る胸程の高さの、幅の店い臺の上で澤山の人形を動かす車輪や滑車の音であつた。この人形は生人形でなく甚だ小さい人形――操人形であつた。それが地獄の一切の物を表はしてゐた。

 私が見た第一の物は亡者の着物を取ると云ふ三途の川の婆であつた。着物はうしろの木にかけてあつた。婆は背が高く、碧い眼を廻して長い齒を囓み鳴らしてゐたが、小さい白い亡者が震へるのは蝶の身震ひのやうであつた。向うに物凄くうなづいて居る閻魔大王が見えた。大王の右手には三脚架の上に『かぐ鼻』『見る目』の證人達の首が車輪の上にでも居るやうに廻つてゐた。左手には一人の鬼が一人の亡者を鋸でひき割つてゐたが、その鋸は日本の大工のやり方――即ち押さないで引くやうに使つてゐた。それから亡者の苛責の色々の見世物があつた。うそつきは柱に縛られて――徐々に技巧的なぬき方で――鬼に舌をぬかれゐたが、もうすでにその舌は亡者の體よりも長かつた。又一人の鬼は別の亡者を臼に入れて、如何にも強さうな力で搗いて居るので、その物音はこのからくりの響き以上に聞えた。少しさきの方で、一人の男が女の顏をした二匹の蛇に生きながら呑まれかかつてゐたが、一匹の蛇は白く、一匹は靑かつた。白いのは妻で、靑いのは妾であつた。中世の日本に知られてゐたあらゆる苛責拷問は別の處で大勢の鬼によつて巧みに實行されてゐた。それを見てから私共は賽の河原へ行つて子供を一人抱いて居る地藏を見た、それからその廻りには、一群の子供が、棍棒をふり上げ齒を鳴らして居る鬼共から逃げやうとして早く走つてゐた。

 しかし地獄は極端に寒い處であつた、それで私が地獄の雰圍氣のうちに處々不釣合な點のある事を考へて居る間に、地獄に關する普通の佛教の繪本のうちには寒さの苛責の繪を一つも見ない事を思ひついた、實際印度の佛教は氷の地獄の存在を教へて居る。たとへば人の唇が氷るので『あゝたた』としか云へない――それであたたと呼ばれる地獄がある。それから舌が氷るので『あゝばば』としか云へないからあばばと呼ばれる地獄がある。それから大白蓮地獄がある、そこでは寒氣にさらされた骨は『白蓮の花の咲くやう』である。金十郎は日本の佛教に氷の地獄がある筈だと思ふが、たしかには覺えないと云ふ。私は寒氣の考は日本人に非常に恐ろしい物になれるとは思はない。日本人は一般に、寒い事が好きである事を告白して居る、それから氷や雪の愛すべき事を漢詩などに作る。

 

[やぶちゃん注:この最後の「私は寒氣の考は日本人に非常に恐ろしい物になれるとは思はない。日本人は一般に、寒い事が好きである事を告白して居る」が非常に面白く思われる。たった一年一ヶ月半で松江を去った公的に知られている理由は当地の厳寒さに閉口したからであるからである。いや、セツのことを蔭でラシャメンと呼んだ幾たりかの人々の「冷たい」言葉も理由の一つではあった。それもまた「心」の「寒さ」ではあった。

「三途の川の婆」奪衣婆(だつえば)。三途(さんず)川(葬頭(そうず)河)の渡し賃六文銭を持たずにやってきた亡者の衣服を剥ぎ取るという老婆体(てい)の鬼。脱衣婆・葬頭河婆(そうづかば)・正塚婆(しょうづかのばば)・姥神(うばがみ)・優婆尊(うばそん)とも称する。奪衣婆が剥ぎ取った衣類は懸衣翁(けんえおう)という老爺体(てい)の鬼によって衣領樹(えりょうじゅ)に懸けられるが、その衣領樹に掛けた亡者の衣の重さがその亡者の生前の罪の重さを表わして枝が撓って垂れ下がり、それが死後の処遇を決める目安となるともされる。以上はウィキの「奪衣婆」「懸衣翁」を参照した。

「三脚架の上に『かぐ鼻』『見る目』の證人達の首」浄玻璃と並ぶ、私の偏愛する閻魔のアイテム、人頭杖(にんずじょう/にんとうじょう)。檀拏幢(だんだとう)とも呼ばれる。脚或いは台の上に棒状の直立する支えがあり、その上に円盤状の皿或いは蓮花があって、そこに通称、「見る目」「嗅ぐ鼻」と呼ばれる男女の首が載る。私の大好きな鎌倉円応寺蔵鎌倉国宝館寄託のそれでは、怒髪天を衝く忿怒相三眼の男が「見る目」、双鬟(そうかん/総角(あげまき))の目を瞑った少女が「嗅ぐ鼻」で、一般には意想外に、恐ろしげな前者が亡者の生前の善行を、可憐な後者が悪行を語り出すとされる。

「唇が氷るので『あゝたた』としか云へない――それであたたと呼ばれる地獄」頞听陀(あただ)地獄(Atata)。仏教の八寒地獄の第三で、あまりの寒さに「あたた!」と叫び続ける極寒地獄の一つ。

「舌が氷るので『あゝばば』としか云へないからあばばと呼ばれる地獄」前同様、八寒地獄第四に臛臛婆(かかば)地獄(Hahava)があり、ここでは寒さによって「ははば!」という悲鳴を上げるばかりのそれが、また、同第五に虎々婆(ここば)地獄(Huhuva)があって、ここでは「ふふば」とばかり叫び続けるとされる。

「大白蓮地獄」これはハーンの聴き違いか、話者の誤認で、八寒地獄第八とされる最も広大な摩訶鉢特摩(まかはどま)地獄(Mahapadma)のこと。意訳で大紅蓮(ぐれん)地獄とも呼ばれる。「摩訶」とはサンスクリット語の「大きいこと」を意味する語の音写で、ここに落ちた者は紅蓮地獄(八寒地獄第七の鉢特摩(はどま)地獄 Padma)のこと。「鉢特摩」(はどま)はサンスクリット語の「蓮華」を意味する語の音写で、ここでは極寒によって皮膚が裂け破れて流血してその姿が紅色の蓮の花に似るからと言われる)を超える寒さによって亡者の身体が断裂して流血、紅色の大蓮の花に似るからという。以上三つの注はウィキの「八大地獄」を参照したが、それによれば八寒地獄は、第一の頞部陀(あぶだ)地獄(Arbuda:寒さのあまり鳥肌が立ち、身体に痘痕(あばた)を生ずる)に始まり、第二が刺部陀(にらぶた)地獄(Nirarbuda:鳥肌が潰れて全身に皸(あかぎれ)が生ずる)で以下、頞听陀(あただ)地獄・臛臛婆(かかば)地獄・虎々婆(ここば)地獄と続き、第六が嗢鉢羅(うばら)地獄(Utpala:全身が凍傷のために罅割れて青い蓮のようにそれが捲(めく)れ上がる事から青蓮(せいれん)地獄とも称す)・鉢特摩(はどま)地獄・摩訶鉢特摩(まかはどま)地獄の順となるとある。

「日本の佛教に氷の地獄がある筈だ」以上見たように、八寒地獄があるから金十郎(実はセツ夫人)の謂いは正しいが、しかし、本邦の地獄思想・地獄信仰にあっては専ら「八大地獄」はイコール専ら熱気で責め苦しめられる、温度のステージ上昇(苦痛は基本が各十倍増しであるが、後の方では以下全下位綜計の十倍となったりするのはお笑い)で区分される「八熱地獄」であって確かに極寒はオーソドックスとは言えぬ。簡単に八熱地獄をウィキの「八大地獄」から引いて示す(それがハーンの見たフィギアのそれの説明ともなるからである)。第一の等活地獄の罪業は殺生。ここに堕ちた亡者は『互いに害心を抱き、自らの身に備わった鉄の爪や刀剣などで殺し合うという。そうでない者も獄卒に身体を切り裂かれ、粉砕され、死ぬが、涼風が吹いて、また獄卒の「活きよ、活きよ」の声で等しく元の身体に生き返る、という責め苦が繰り返されるゆえに、等活という』。第二の黒繩(こくじょう)地獄の罪業は殺生・偸盗。獄卒によって熱く焼けた鉄の地面に伏し倒され、『同じく熱く焼けた縄で身体に墨縄をうち、これまた熱く焼けた鉄の斧もしくは鋸(のこぎり)でその跡にそって切り、裂き、削る。また左右に大きく鉄の山がある。山の上に鉄の幢(はたほこ)を立て、鉄の縄をはり、罪人に鉄の山を背負わせて縄の上を渡らせる。すると罪人は縄から落ちて砕け、あるいは鉄の鼎(かなえ)に突き落とされて煮られる』という。第三が衆合(しゅごう)地獄で罪業は殺生・偸盗・邪淫。『相対する鉄の山が両方から崩れ落ち、圧殺されるなどの苦を受ける。剣の葉を持つ林の木の上に美人が誘惑して招き、罪人が登ると今度は木の下に美人が現れ、その昇り降りのたびに罪人の体から血が吹き出す』。これは私の好きな話で「刀樹林(とうじゅりん)」という。また『鉄の巨象に踏まれて押し潰される』とも言われる。第四は叫喚地獄。罪業は先に+飲酒。『熱湯の大釜や猛火の鉄室に入れられ、号泣、叫喚する。その泣き喚き、許しを請い哀願する声を聞いた獄卒はさらに怒り狂い、罪人をますます責めさいなむ。頭が金色、目から火を噴き、赤い服を着た巨大な獄卒が罪人を追い回して弓矢で射る。焼けた鉄の地面を走らされ、鉄の棒で打ち砕かれる』。第五は大叫喚地獄。罪業は先に+妄語。『叫喚地獄で使われる鍋や釜より大きな物が使われ、更に大きな苦を受け叫び喚(な)く』という。因みに例えばここで受ける処罰期間は人間界の時間で六千八百二十一兆千二百億年に相当するとある。第六が焦熱地獄で罪業は先に+邪見(仏教の教えとは相容れぬ考えを説いたり、それを実際に行うことを指す)。『常に極熱で焼かれ焦げる。赤く熱した鉄板の上で、また鉄串に刺されて、またある者は目・鼻・口・手足などに分解されてそれぞれが炎で焼かれる。この焦熱地獄の炎に比べると、それまでの地獄の炎も雪のように冷たく感じられるほどであり、豆粒ほどの焦熱地獄の火を地上に持って来ただけでも地上の全てが一瞬で焼き尽くされるという』とある。第七が大焦熱地獄。罪業は先に+犯持戒人(尼僧や童女などへの強姦罪)。『また更なる極熱で焼かれて焦げる』とするが、上位ステージに上がるほど、苦痛が具体な表現は不可能になってしまい抽象化されて実は面白くない。最後の第八が地獄の最下層にある最悪の阿鼻(無間(むけん))地獄で、罪業は先に+父母・阿羅漢(聖者)の殺人罪。『この地獄に到達するには、真っ逆さまに(自由落下速度で)落ち続けて』二千年『かかるという。前の七大地獄並びに別処の一切の諸苦を以て一分として、大阿鼻地獄の苦』、千倍もあるとする。『剣樹、刀山、湯などの苦しみを絶え間(寸分・刹那)なく受ける』。創造を絶する巨大な六十四もの『目を持ち火を吐く奇怪な鬼がいる。舌を抜き出されて』百本の『釘を打たれ、毒や火を吐く虫や大蛇に責めさいなまれ、熱鉄の山を上り下りさせられる』。この地獄での亡者の寿命は人間界時間で三四九京二千四百十三兆四千四百億年に当たるともいう。『いずれにせよ、この地獄に落ちた者は気が遠くなるほどの長い年月にわたって、およそ人間の想像を絶する最大の苦しみを休みなく受け続けなければならない』(最後に妙に具体化してお茶目)。因みに馬鹿馬鹿しいことに気づいたが、科学的には絶対零度以下は存在しないから責め苦としては科学的に無際限の高熱地獄に比べると極寒地獄は高が知れているということになろうか。因みに、ハーンが実際に意識内で対象したのは、ダンテの「神曲」の「地獄篇」の究極の、最も重い罪えある裏切をした者の堕ちる氷結地獄である第九圏「コキュートス」(Cocytus:嘆きの川)が頭を過ぎったからであろう。そこはまさに「あゝたた」「あゝばば」とどころか声も出ぬ。『裏切者は首まで氷に漬かり、涙も凍る寒さに歯を鳴らす』のである(参照と引用はウィキの「神曲」に拠る)。]

 

 

.

   And we passed behind a curtain into a big room full of curious clicking and squeaking noises. These noises were made by unseen wheels and pulleys moving a multitude of ningyō upon a broad shelf about breast- high, which surrounded the apartment upon three sides. These ningyō were not iki-ningyō, but very small images,— puppets. They represented all things in the Under-World.

   The first I saw was Sozu-Baba, the Old Woman of the River of Ghosts, who takes away the garments of Souls. The garments were hanging upon a tree behind her. She was tall; she rolled her green eyes and gnashed her long teeth, while the shivering of the little white souls before her was as a trembling of butterflies. Farther on appeared Emma Dai-O, great King of Hell, nodding grimly. At his right hand, upon their tripod, the heads of Kaguhana and Mirume, the Witnesses, whirled as upon a wheel. At his left, a devil was busy sawing a Soul in two; and I noticed that he used his saw like a Japanese carpenter,— pulling it towards him instead of pushing it. And then various exhibitions of the tortures of the damned. A liar bound to a post was having his tongue pulled out by a devil,— slowly, with artistic jerks; it was already longer than the owner's body. Another devil was pounding another Soul in a mortar so vigorously that the sound of the braying could be heard above all the din of the machinery. A little farther on was a man being eaten alive by two serpents having women's faces; one serpent was white, the other blue. The white had been his wife, the blue his concubine. All the tortures known to medieval Japan were being elsewhere deftly practised by swarms of devils. After reviewing them, we visited the Sai-no-Kawara, and saw Jizō with a child in his arms, and a circle of other children running swiftly around him, to escape from demons who brandished their clubs and ground their teeth.

   Hell proved, however, to be extremely cold; and while meditating on the partial inappropriateness of the atmosphere, it occurred to me that in the common Buddhist picture-books of the Jigoku I had never noticed any illustrations of torment by cold. Indian Buddhism, indeed, teaches the existence of cold hells. There is one, for instance, where people's lips are frozen so that they can say only 'Ah-ta-ta!' — wherefore that hell is called Atata. And there is the hell where tongues are frozen, and where people say only 'Ah-baba!' for which reason it is called Ababa. And there is the Pundarika, or Great White-Lotus hell, where the spectacle of the bones laid bare by the cold is 'like a blossoming of white lotus-flowers.' Kinjurō thinks there are cold hells according to Japanese Buddhism; but he is not sure. And I am not sure that the idea of cold could be made very terrible to the Japanese. They confess a general liking for cold, and compose Chinese poems about the loveliness of ice and snow.

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