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2015/12/31

日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第二十六章 鷹狩その他 (5) 凧について(Ⅰ)

 忙しい最中の紙鳶店は、奇妙な、そして新奇なものである。店の前面はあけはなしで、枠に布を張った大きな其烏賊の形をした、変った看板の、布製の腕は風にゆれ、それ全体があざやかに彩色してある。それを書く字は違うが、紙鳶も烏賊も語は同じなので、烏賊を看板にする。

[やぶちゃん注:「紙鳶も烏賊も語は同じなので、烏賊を看板にする。」原文は“Though different characters are used in writing it, the word for kite and for cuttlefish is the same; hence the use of a cuttlefish for a sign.”である。底本ではこの「烏賊」の直下に石川氏による『〔章魚〕』という割注が入る。しかし石川氏は「紙鳶」で「たこ」と呼んでおられるものと思われるが(だからこそ割注をして訂「正」されたと推理する)、実は辞書を引くと例えば三省堂「大辞林」では「いか」の見出しで「紙鳶・凧」が出、意味として『〔形が烏賊(いか)に似ていたことから〕凧(たこ)。いかのぼり。関西地方でいう。』とあるのである。私も「烏賊幟(いかのぼり)」の呼称を知っているし、それが「凧(たこ)」の別称として認識している。ウィキの「凧」には、『凧を「タコ」と呼ぶのは関東の方言で、関西の方言では「イカ」「いかのぼり」(紙鳶とも書く)と明治初期まで呼ばれていた江戸時代になると「紙鳶」と書いて「いかのぼり」と読むようになった。「いかのぼり」を売る店もあり、日常的に遊ぶ娯楽になった。しかし「いかのぼり」を揚げている人同士でケンカになったり、通行の邪魔になったり、大名行列の中に落ちたりといった問題も起きていた』。一六五〇年代(慶安三年から万治元・明暦四年まで:徳川家光が慶安四年に死去しているから、ほぼ第四代将軍家綱の治世)に『「いかのぼりあげ禁止令」や「タコノボリ禁止令」などの高札が立ち、この頃から「たこ」という呼び方に変わった。凧が「タコ」や「イカ」と呼ばれる由来は凧が紙の尾を垂らし空に揚がる姿が、「蛸」や「烏賊」に似ているからという説がある』とある(下線やぶちゃん)。私は形状からは寧ろ、烏賊で違和感がない。……そもそも私はもうじき五十九になるが……五十九年の間……幼稚園の時……住んでいた大泉学園の家の隣りの空き地を……泣きながら凧を引きずった哀しい記憶はあっても……ブンブンと凧を楽しく上げた記憶なんど……これ……全く以って皆無という……悲劇的に不幸な元少年なのである……]

M747

図―717

 

 図717は紙鳶屋の一軒を、急いで写生したものである。内部には何百という紙鳶が積み上げてあり、二、三人の男が、もっともあざやかな色で鬼や、神話的のものや、気味の悪いお面や、その他の意匠を描いている。外側には大小とりどりの子供が立ち並び、熱心に紙鳶を見ている。前にいる子供の頭ごしに写生をしていると、一人の老人が気持よく微笑を洩し、別の職人も愛想よく私を見たが、彼等は小さいお客様の相手をするのに多忙を極めていたので、一瞬間たりとも仕事の手を休めなかった。見受けるところ、彼等の一年間の生活は、紙鳶をつくる数週間に集中されているらしい。値段は著しく安いように思われた。あざやかな色彩で、ごてごて装飾された大きな紙鳶が三セント半で売られ、とばせることの出来る小さなのは半セントである。子供が紙鳶を一つ買うと、店の人は糸目をつける。

[やぶちゃん注:先の黒田侯に鷹狩に招待されたのが明治一五(一八八二)年一二月二十四日、モースの離日は翌明治十六年二月十四日で、この年は日本で年越ししている。ここで子らが紙鳶屋(たこや)に凧(たこ)を買いに群がっているのも腑に落ちよう。]

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