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2015/12/09

小泉八雲 落合貞三郎他訳 「知られぬ日本の面影」 第二十三章 伯耆から隱岐ヘ (二十九)

       二九

 

 死を話題にして居る間だから、隱岐にも出雲にも在る原始的ではあるが、人心を動かす或る習慣に就いて――死後直ぐとその死者の名を呼ぶといふ習慣に就いて――語つても宜からう。呼ぶ理由(わけ)は、その呼ひ聲が去り行く魂に聞こえるかも知れず、その爲め時には歸つて來ようといふ氣になるかも知れぬ、考へられて居るからである。だからして母親が死ぬると、その子供が先づ第一にその母親の名を呼ばねばならぬ、それも子供みんなのうちで一番若いのが(その子を一番可愛がつて居たから)眞つ先きに呼ばねばならぬ。それからその夫(をつと)、それからその死者を愛して居た者皆んなが順番にその名を呼ぶのである。

 それから氣絶したり、又は何かの原因で無感覺になる者の名を聲高く呼ぶのがまた習慣である。そしてこの習慣の根抵を爲す奇妙な信仰がある。

 殊に心痛或は悲嘆の餘り失神する者のうち、死の間際まで近寄るものが隨分多数あるもので、それ等の人はいつも同じ經驗をするといふ話である。この信仰についての自分の問に答へて或る人が斯う言つた、『突然何處か他所へ行つて居て――たゞ疲勞はして居るが――非常に愉快だ、といふ氣持がします。そして餘程遠方にある或るお寺へ參りたいといふ心になつて居ります。やがてのことそのお寺の前庭の門へ着きますと、門内にそのお寺が見えますが、それは驚くほど大きな美しいお寺であります。それからその門を潛つてお寺へ參らうと、その前庭に入ります。ところが突然、友人が遙か後ろの方から自分の名を――それも非常に非常に熱心に――呼ぶ聲がきこえます。そこで後戻りすると、ひよいと正氣に返るのであります。少くとも自分の心で生きたいと思ふと、今申したやうになります。然し實際生きて行くことに飽いた者は、呼ぶ聲には耳を藉さずに、お寺の中へはいり込みます。その寺でどんな事が出來(しゆつたい)するものか、誰も知つて居りません、そのお寺へ入るもので、その友人の處へ歸つて來るものはありませんから。

 『だから大聲立てて呼ぶのであります、氣絶した者の耳の穴へ。

 『ところが、死ぬる者は皆んな、冥途へ行く前に、長野縣の信濃の國にある、善光寺といふ大きな寺ヘ一度お參りするといふことであります。ところがそのお寺のぼんさんが説教をされる時にはいつも、その説教を聽きに本堂へ集つて居る、みんなの頭へ白い右片(きれ)を附けて居る靈魂がそのぼんさんには見えるといひます。だから氣絶した者の眼に見えるお寺は善光寺かも知れません。だが私には分りません』

 

[やぶちゃん注:ここで語られている風俗は古く「魂呼(たまよ)ばひ」(魂呼ばい)、「魂呼(たまよ)び」と呼ばれるものである。ここでは頻繁に日常的に頻回で失神や仮死状態に陥るヒステリー症状を呈する者に対しても行われているが、一般には危篤状態に陥っている者や臨終間際及びその直後にその人物の名を大声で呼び叫んで蘇生させようとする臨死に応じた呪法及び葬送儀礼の一種としての習俗である。柳田國男監修民俗學研究所編「民俗學辭典」の「魂呼び」によれば(同辞典は新仮名でありながら漢字は正字表記というおかしな表記である)、

(1)『枕もとで死者に向って呼ぶもの』(後で『本能的なものであろう』と評している)

(2)『屋根または高い所へあがってよぶもの』

(3)『山・海・井戸などに向つて呼ぶもの』

『以上の三つの形式があり、屋根の上で呼ぶものには、棟に穴をあけるとか、瓦をはぐという類を作法をともなつている場合もある』とし、自然な行為として腑に落ちる(1)に対し、わざわざ『屋根で遠くへ去ろうとするものを呼びかえすような態度は明らかに呪術である』とする。『死ぬということは、靈魂が遊離して、ふたたび戻つてこない狀態であると考え、それをよびかえすことによつて蘇らせ得ると信じられていた』ことに基づく『のであろう。呼びかえすには聲を聲をあげて名前をよぶほか、桝(ます)の底をたたいたり、死者の衣服を振つたり、笠や箕(み)でまねきかえそうとするものがある。迷子や人探しの場合にも、これと類似の方法がおこなわれている』とある(最後に参考文献として『民間傳承』(『十ノ一』)の倉田一郎「葬制の諸問題」が掲げられてある)。

 しかし、ここで私が不思議に思うのは(2)についてで、呼び返すことが目的であるのにも拘わらず、何故に場合によっては『棟に穴をあけ』『瓦をはぐ』のであろう、という素朴な疑問である。寧ろこれは、「魂呼ばひ」という見かけ上の行動とは反対に、死者の魂を迷うことなく送り出すための蔭の反定立的行為を無意識のうちにn同時に為しているようにも見えるのである。一度出た魂を戻し易くするために空隙を開けるのだという解釈で反論される向きもあるかも知れぬが、それは帰還しようとする魂への助力以上に、邪悪なる有象無象の別な悪しき魂が骸(むくろ)へ侵入する可能性の方を危ぶむべき頗る危険な行為である(これは最も忌むべき最大の虞れとして、本邦に限らず、原始信仰から一般・新興の宗教に限らず、汎世界的に存在するタブーである)と私は再反論しておく。

 ウィキの「魂呼ばいでは、以下の三箇所が目を引く。『現代日本では死体は火葬に付されるのが一般的で復活の観念は生じにくいが、後世火葬が完全に定着するまでには長い時間を要し、それまでは土葬が主流であった。特に古代では埋葬する前に殯(もがり)という一定期間を設け、復活への望みを託したとされる』。『魂呼ばいが記録に残っている例としては、平安』中期の公卿藤原実資(さねすけ 天徳元(九五七)年~永承元(一〇四六)年)の日記「小右記」の万寿二(一〇二五)年八月の条に『藤原道長の娘尚侍が死亡した夜行われた例が見える。このことからも当時の貴族の間にも儀式の慣習が残っていたことがうかがえる』。『沖縄では「魂込め(マブイグウミ)」「魂呼び(タマスアビー)」などの呼称があり、久高島では「マンブカネー(魂を囲い入れる、というような意味)」と呼ばれる。マンブカネーで興味深いのは、儀式から魂の出入り口が両肩の後ろ辺りに想定されていると思われる点である』とある部分である。

 (2)のケースは、大学時代、唯一人尊敬出来た、今年の二月に亡くなられた漢文学の吹野安先生が、出身地であられる茨城県西茨城郡大原村(現在の笠間市)で、小さな頃に見た、屋根の上に登って西に向かって亡くなった人の衣服をばたばたと振っては名を呼んでいた記憶を、授業中にリアルな大声と身振りで演じて下さったの忘れられぬ。(3)のケースは言わずもがな、黒澤明の「赤ひげ」(一九六五年)で少女おとよと女たちが皆して「ちょーう坊ーぅ!」と一家心中で死にかけている少年長次の名を井戸の底に向って叫ぶ強烈なシーンで忘れられぬ。あの井戸の底に下りて行くカメラ・ワークは素晴らしいと思っているが、あれは私は密かに、偏愛する映像詩人アンドレイ・アルセーニエヴィチ・タルコフスキイ Андрей Арсеньевич Тарковский の「僕の村は戦場だった」(Иваново детство:イワンの少年時代)(一九六二年)夢の井戸のシークエンスのインスパイアだと思っている。

「善光寺」あまり理解されているとは思われないので最初に述べておくと、日本最古と伝えられる阿弥陀如来(正式には一光三尊阿弥陀如来と称する)を本尊とする長野県長野市元善町の定額山(じょうがくさん)善光寺自体は無宗派の単立寺院である。但し、ウィキの「善光寺」によれば、その護持・運営は山内にある天台宗の「大勧進」と称する二十五院及び浄土宗の「大本願」と称する十四坊によってなされており、『「大勧進」の住職は「貫主」と呼ばれ、天台宗の名刹から推挙された僧侶が務めている。「大本願」は、大寺院としては珍しい尼寺である。住職は「善光寺上人」と呼ばれ、門跡寺院ではないが代々公家出身者から住職を迎えている』とあり、『特徴として、日本において仏教が諸宗派に分かれる以前からの寺院であることから、宗派の別なく宿願が可能な霊場と位置づけられている。また女人禁制があった旧来の仏教の中では稀な女性の救済』も特徴の一つとして挙げられるとある。ここに出るように、本邦に於いて広汎に死者が最初に善光寺に参るという話は私も聴いたことがあり、実際に善光寺の僧自身から、ハーンがここに記すように「説教を聽きに本堂へ集つて居る、みんなの頭へ白い右片(きれ)を附けて居る靈魂がそのぼんさんには見える」という話も実は大学生の時に訪れて聴いた記憶がある。小学館「日本大百科全書(ニッポニカ)」の「死霊(しれい)」の大藤時彦の「民俗」の解説には、死者の霊魂は四十九日の間、屋根の『棟(むね)にとどまっているとか、屋敷の周りにいるとかいう。沖縄では四十九日までは家と墓所とを行き来しているという所がある』(これは本書の「第二十四章 魂について」で松江の植木職人金十郎によって語られる)。『四十九日を過ぎると山へ行くという例が多い。福島県などでは村里近くの葉山(はやま)という山へ行くといわれる。そしてそこで死霊が浄(きよ)まると、さらに月山(がっさん)、羽黒山などの霊場に行って鎮まるという』しつつ、『人が死ぬとすぐ死霊が信州(長野県)の善光寺参りに行くという信仰をもっている土地が多い。このため死去するとすぐ「死に弁当」をつくって死者に供える。それを持って死霊は善光寺参りをするという。関西方面では那智(なち)(和歌山県)の妙法山とか、伯耆(ほうき)(鳥取県)の大山(だいせん)へ参るという所もある。村里近くの山が開発されて霊の鎮まる場所としては不適当となってきたことも考えられる』とある。隠岐や出雲の例としてここで語る人物が何故、ここに出るような那智や大山でないのか? ハーンにこの話をした人物がたまたま知っていた一つの例としての死者の善光寺参りの話をしたに過ぎないのか? 識者の御教授を乞うものではある。]

 

 

ⅩⅩⅨ.

   While on the subject of death I may speak of a primitive but touching custom which exists both in Oki and Izumo,— that of calling the name of the dead immediately after death. For it is thought that the call may be heard by the fleeting soul, which might sometimes be thus induced to return. Therefore, when a mother dies, the children should first call her, and of all the children first the youngest (for she loved that one most); and then the husband and all those who loved the dead cry to her in turn.

   And it is also the custom to call loudly the name of one who faints, or becomes insensible from any cause; and there are curious beliefs underlying this custom.

   It is said that of those who swoon from pain or grief especially, many approach very nearly to death, and these always have the same experience. 'You feel,' said one to me in answer to my question about the belief, 'as if you were suddenly somewhere else, and quite happy,— only tired. And you know that you want to go to a Buddhist temple which is quite far away. At last you reach the gate of the temple court, and you see the temple inside, and it is wonderfully large and beautiful. And you pass the gate and enter the court to go to the temple. But suddenly you hear voices of friends far behind you calling your name — very, very earnestly. So you turn back, and all at once you come to yourself again. At least it is so if your heart cares to live. But one who is really tired of living will not listen to the voices, and walks on to the temple. And what there happens no man knows, for they who enter that temple never return to their friends.

   'That is why people call loudly into the ear of one who swoons.

   'Now, it is said that all who die, before going to the Meido, make one pilgrimage to the great temple of Zenkōji, which is in the country of Shinano, in Nagano-Ken. And they say that whenever the priest of that temple preaches, he sees the Souls gather there in the hondo to hear him, all with white wrappings about their heads. So Zenkōji might be the temple which is seen by those who swoon. But I do not know.'

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