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2015/12/15

小泉八雲 落合貞三郎他訳 「知られぬ日本の面影」 第二十六章 日本人の微笑 (一)

 

      第二十六章 日本人の微笑

 

 

       一

 

 世界及びその珍奇な事に關する考を重に小説や傳奇で定める人々は、今でも、東洋は西洋よりも眞面目であると云ふ信仰を何となしに抱いて居る。もう少し高い立脚地から物事を判斷する人々はそれに反して、現在の狀況では、西洋は東洋よりも眞面目である筈だと云ふ、それから眞面目くさつて居る事でも、又その反對らしい事でも、ただ流行として存し得る物だと云ふ。しかし事實は、この事に關して、凡て外の問題に於けると同じく、人類のどちらの半分にも應用のできるやうな正確な規則は作られない。科學的には、今の處どうしてそんな物が出て來るか、その非常に複雜な原因を滿足に説明しようと思はないでただ一般にその對照をなせる結果だけを研究するより外はない。特別に興味のあるこんな對照を示せる一事は英人と日本人とによつて提供された物である。

 英國人は眞面目な人種、表面ばかり眞面目でなく、人種性格の根抵で眞面目であると云ふのが普通である。それと同じく、英國人程眞面目でない人種と比べても、日本人は表面からも根柢からも甚だ眞面目とは云へないと云ふ事も殆んど間違ひはない。それから少くとも眞面目でないと同じ程度に、日本人はもつと氣樂である、日本人は恐らくやはり文明世界に於て、最も氣樂な人種である。私共西洋の眞面目な者は自分で氣樂だとは云へない。實際私共はどれ程眞面目だか充分知らない、そして産業生活のたえず增大する壓迫のために、どれ程益々眞面目になりさうだか分つて見れば、恐らく驚かずには居られないだらう。私共の氣分を最もよく知る事のできるのは私共程しかつめらしくない人種の間に長く生活するに限るやうだ。私は日本内地は三年近く住んだあとで開港場の神戸で數日間英國流の生活に歸つた時、この確信が甚だ強く私に起つた。もう一度英國人の話す英語を聞いてとてもありさうにない程の感動を受けた。しかしこの感情はほんの暫らく續いただけであつた。私の目的は或必要な買物をする事であつた。私のつれの日本の友人があつた、その人に取つては凡て外國風の生活は、全く新しい不思議な物であつた、そしてその人は私にこんな奇妙な質問をした、『どうしてあの外國人は笑はないのでせう。あなたはあの人達に物を云ふ時、にこにこしてお辭儀をなさるが、あの人達はにこつともしない。何故でせう』

 實際私は全く日本人の風俗習慣になつてしまつて、西洋風と離れてゐたのであつた、そしての私の友人の質問によつて始めて私はよほど妙な事をやつ居る事に氣がついた。それが又二つの人種の間の相互の了解の困難な事のよい例だと思はれた。銘々が他の人種の習慣や動機を自分の習慣や動機で判斷するのは如何にも自然だが又如何にも誤り易いから。日本人は英國人のしかつべらしい事で困れば、英國人も又とにかく日本人の輕薄な事で困るのである。日本人は外國人の『顏が怒つて』居る事を云ふ。外國人は日本人のにこにこ顏をひどく輕蔑して云ふ、彼等はそれが不眞面目を表はして居ると疑ふ、實際不眞面目以外の意味はないと公言する者ある。只少數のもつと注意深い人は研究の價値ある謎であると認めて居る。私の横濱の友人の一人は、極めて愛すべき人で、東洋の各開港場で半生以上をすごした人だが、私の内地に出發する丁度前に私に云つた、『君は日本人の生活を研究するのだから、多分僕のために一つ發見する事ができよう。僕は日本人のにこにこ顏が分らない。澤山經驗あるが一つ云つて見よう。僕が或日山の手から馬に乘つて下りて來た時、僕はその曲り道の間違つた側から登つて來る空車を見た。馬を引き止めようとしても丁度間に合はなかつたらう。しかし大した危險もないと思つて止めて見もしなかつた。僕はただあちら側へ行くやうにと日本語でその車夫にどなつた、ところがその車夫はさうはしないで只曲り道の低い方にある塀に車をよせて梶棒を外側へむけた。僕の乘つて居る速さでは横道によける間がなかつた、それで直ぐそのつぎに車の梶棒が一つ馬の肩にあたつた。車夫は少しも怪我はしなかつた。僕は馬が出血して居るのを見てムラムラとして、僕の鞭の太い方の端でその男の頭の上からなぐりつけた。その男は僕の顏を見てにつこり笑つて、それからお辭儀をした。そのにつこりが今でも見える。僕はたたきつけられたやうな氣がした。そのにこにこで僕はすつかり參つてしまつて、怒りがすぐに飛んで行つてしまつた。全く、それは丁寧なにこにこであつた。しかし何の意味だつたらう。一體全體あの男はどんなわけで笑つたのだらう。それが分らない』

 私もその當時分らなかつた、しかしその後もつと遙かに分らない微笑の意味が私には分つて來た。日本人は死に面して微笑する事ができる。そして事實いつも微笑する。しかしその時微笑するのも、その外の場合に微笑するのも同じ理由である。その微笑には輕侮や僞善はない。又弱い性格と聯想されがちの病的あきらめの微笑と混雜してはならない。それは念入りの、長い間に養成された禮法である。それは沈默の言語である。しかし人相上の表情に關する西洋風の考からそれを解釋しようと試みるのは、漢字を普通の事物の形に實際似て居る、又は似て居ると想像する事で解釋しようとするのと殆んど同じく成功しさうにない。

 第一印象は重に本能的であるから學術的に幾分信ずべき物と認められて居る、そして日本人の微笑によつて起される第一印象それ自身は事實大してまちがつてゐない。外國人は日本人の顏の大概嬉しさうな、にこにこした特色に氣がつかない事はない。そしてこの第一印象は大概非常に愉快である。日本人の微笑は初めのうちは人を喜ばせる。人が始めて疑ふやうになるのはもつとあとの事で、格段な場合、即ち苦痛、恥辱、失望の場合に、それと同じ微笑を見るに到つた時である。その微笑の一見不適當な事が時として烈しい怒りを起させる事になる。實際外國の居留民と日本人の從者との間の悶着の多數は、この微笑の故である。よい從者は眞面目くさつて居るべきだと云ふ英國の傳説を信じて居る人は、皆彼の「ボーイ」のこの微笑を辛抱して居られさうにはない。しかし現今西洋の風變りなこの特別の點は追々日本人にもよく認められるやうになつて來た、そして普通の英語を話す外國人は微笑を好まないで、とかくそれを侮辱的だと考へ勝ちである事を知るやうになつて來た、それだから開港場に於ける日本の使用人は大概微笑しなくなつた、そして無愛相な風を裝ふて居る。

 今ここで横濱の或婦人がその日本の女中の一人について物語つた妙な話を思ひ出した。『私の日本人の乳母が先日何か大變面白い事でもあつたやうににこにこしながら私の處ヘ來て、夫が死んで葬式に行きたいから許してくれと云つて來ました。私は行つてお出でと云ひました。火葬にしたやうです。ところで晩になつて歸つて來て、遺骨の入つた瓶を見せました、(そのうちに齒が一本見えました)、そして「これが私の夫ですよ」と云ひました。そしてさう云つた時實際聲を上げて笑ひました。こんな厭な人間をあなた聞いた事ありますか』

 彼女の召使の態度は不人情であるどころでなく、烈女的であつたのかも知れない、そして甚だ感動すべき説明ができたのかも知れない事を、この話をした婦人に納得させる事は全く不可能であつたらう。淺薄皮相でない人でもこんな場合には表面だけで誤られ易い。しかし開港場の外國居留者の多數は全く淺薄皮相の徒である、そして敵となつて批評する以外には彼等の周圍の人生の表面を離れて見ようとは少しもしない。私に車夫の話をした横濱の友人の考はそれと違つて居る、この人は表面で物を判斷する事の誤りを認めた。

 

[やぶちゃん注:この「横濱の或婦人がその日本の女中の一人について物語つた妙な話」は如何にもあり得そうもない「妙な話」と日本人なら感ずる。ハーンも実は本章の「三」でそれを如何にも「妙な話」として再度、採り上げて検証推理している。
 
 
「しかつべらしい」「しかつめらしい」に同じい(「鹿爪らしい」は当て字)。小学館「日本国語大辞典」の「しかつめらしい」には通常の意味項の二つともに、

『いかにも道理にかなっているようである。もっともらしい。しかつべらしい。』

『固苦しくまじめくさった感じがする。まじめぶっている。形式ばっている。ものものしい。しかつべらしい。』

とした上で、『語源説』の箇所に「大言海」他から『シカツベラシの訛』と寧ろ、この口語形容詞の古語である「しかつめらし」の元が「しかづべらし」の転訛とする説が挙げられている。

 しかも、同辞典では、別に見出しとして「しかつべ」「しかつべしい」「しかつべらしい」の三語を総て独立した見出し語とて掲げてある(もう一件、「鹿都部真顔」(しかつべまがお)なる江戸後期の江戸の戯作者(戯作名義は「恋川好町」)で狂歌師のペンネームが載る)。

 その、

「しかつべ」は形容動詞とし、「しかつべらしい」の略から造語された語

とし、使用例に梅亭金鵞(ばいていきんが)『寄笑新聞』寄笑新聞(明治八(一八七五)年刊の維新後の世相を諷刺し皮肉った雑誌。全十一冊)最終号から

『問ひ來し人は眞面眼(シカツベ)に、賣人は買人より利を取りて』(引用は恣意的に漢字を正字化した。以下の例引用部は同様に処理した)

と引く。

 一方、「しかつべしい」は、形容詞の口語とし、

『(「しかつべらしい」の変化した語か)まじめくさっている。もったいぶっている。しかつめらしい。』

とあって、使用例は集成本狂言の「泣尼(なきあま)」から、

『なる程弟子共も數多ござれども。しかつべしい檀林へ學問登し』

とする。この狂言は近世の成立と考えてよい。

 また、「しかつべらしい」は形容詞口語で、古語形容詞シク活用「しかつべらし」を元とするとし、

『「しかつめらしい(鹿爪)に同じ。』

として引用例は歌舞伎「毛抜」で『お勅使へしかつべらしう言譯なでもなることかと聞いて居れば』を引く)歌舞伎十八番の一つである「毛抜」の初演は寛保二(一七四二)年の大坂佐渡嶋長五郎座に於ける安田蛙文(あぶん)作「雷神不動北山桜(なるかみふどうきたやまざくら)」三幕目である)。二つ目の例として講義本「風流志道軒」の序から、『若此書を取て、しかつべらしく讀むものあらば、それこそ眞のたはけにあらずや』と引く(風来山人(平賀源内のペン・ネーム)作の滑稽本「風流志道軒」初板行は宝暦一三(一七六三)年である)。続いて、

『「しかつめらしい(鹿爪)に同じ。』

とし、浄瑠璃「神霊矢口渡」の「一」の、『あいと返事に中居が三絃、しかつべらしく差向ひ』や、二葉亭四迷の「浮雲」の「第一編 第三囘 餘程風變な戀の初峯入 下」から『まづ重くろしく折目正敷居すまって、しかつべらしく思いのたけを言ひ出だそうとすれば』(同小説の発表開始は明治二〇(一八八七)年)他江戸期の俳諧書からと内田魯庵の「社会百面相」の二例を引いて、その後の『語源説』には「大言海」及び前田勇の「上方語源辞典」から『シカリツベクアラシの略』とする。

 以上から、本篇で用いられている「しかつべらしい」は標準語として通用することが判る。但し、私は聴き言葉としては物心ついてから一度も耳にしたことは残念ながら、ない。さればこそこの長々しい注を附したく思ったのである。

 

「私のつれの日本の友人」不詳。可能性としては「第十九章 英語教師の日記から(二)に出る、松江の師範学校の同僚であった中山彌一郎が考えられるか。彼は後のハーンの神戸時代(明治二七(一八九四)年十一月に第五高等学校英語教師の契約切れとともに著作に専念するために神戸市の「神戸クロニクル社」に就職して神戸に転居した。その二年後の明治二十九年八月に東京帝国大学文科大学の英文学講師に就職するまで神戸に住んでいる)まで交際を続けていたことから、つい連想してしまったが、違うかも知れない。

「私の横濱の友人の一人は、極めて愛すべき人で、東洋の各開港場で半生以上をすごした人」最後に「表面で物を判斷する事の誤りを認めた」とハーンが記すこの人物は相応のアメリカの高官か商人のように思われるが、不詳。識者の御教授を乞う。

「僕は日本人のにこにこ顏が分らない。」原文は“I can't understand the Japanese smile.”である。さればここは「僕は日本人のにこにこ顏が分らない。」、「分らない」に傍点を附すべきところである。本章の執筆意図からもここには傍点が必要である

「山の手から馬に乘つて下りて來た時」これは「第一章 私の極東に於ける第一日(九)で私が注した横浜の山手にあった「外人遊歩道」である。リンク先の一部が接続不能となっているが、サイト「ルート・ラボ」の地図豆氏の投稿「外国人遊歩道」 をたどるでルートを容易に確認出来る。ここでのロケーションはこの内から何箇所かを比定出来るが、確定は不能である。

「それで直ぐそのつぎに車の梶棒が一つ馬の肩にあたつた」ここは実は底本では「それで直ぐそのつぎに車の梶棒が一つ馬の肩にあつた」となっている。確かに原文は“and the next minute one of the shafts of that kuruma was in my horse's shoulder.”であるから、誤訳ではない。誤訳ではないが、これを日本語として読むとどうしてもおかしい。全く動的な活写になっていないからで、読者は必ず百人が百人、ここで流れが何かに「ぶつかって」今一度、紙面を読み直すはずである。ここは私は梶棒が馬の肩に「あつた」(在つた)ではなく、激しく「あたつた」(當つた/打つた/中つた)「ぶつかつた」でなくては正しい日本語としては成立しないと考える。訳者(後書きから田部隆次氏と推定される)は確信犯でかく訳したとしても、それは間違いであると私は思う。されば、ここは極めて例外的に「あたつた」と「た」の脱字と勝手に判断して「あたつた」と電子化した。大方の御批判を俟つものではある。因みに、平井呈一氏はこのシーンをどう訳されているか、拝見しようではないか。カタストロフだけではなく、この友人の直接話法総てを引くので比較対照されたい(下線やぶちゃん。平井氏は訳文では傍点を好まれない傾向があると感じている。しかし、ここでも「どうにも」と冠した上に「解(げ)せない」とルビを振って目立たせ、しかも「のだ」と強く断定して、原文の“I can't understand the Japanese smile.”の斜体を美事、日本語に写しておられるのである。それは最後の「ぼくにはかいもく解(げ)せんのだよ」の「かいもく」とルビにさえ作用してカチッとした額縁とさえなっていることに注意されたい)。

   《引用開始》

「君はこれから日本人の生活を研究しようという人だから、ぼくのためも何か発見してくれるものがあると思うが、ぼくはね、じつをいうと日本人のあのにこにこ顔がどうにも解(げ)せないのだ。いろいろ経験したなかから一例をあげてみると、ある日、ぼくが馬にのって山手(ブラフ)から下りてくると、からの人力車が一台、坂道の曲がり道の反対側を登つてくるのさ。こっちはあわてて馬を止めようとしたが、もう間に合わんし、べつに危いとも思わなかったから、そのまま馬を止めずに、その車夫に、そっち側へ寄れ! と日本語でどなりつけてやった。ところが、車夫のやつ、反対側へ寄りもせずに、平気なつらをして、曲がり道の低い偶の塀ぎわに車を寄せてからに、梶棒を往来の方へつん向けたものだ。こっちは君、パカパカ飛ばして行ったんだから、たまらないやね、よける暇も何もあったもんじゃない。あっというまに、梶棒の片っぽが馬の肩にぶつかってさ、車夫はべつにどこも怪我はしなかったけれども、見ると馬の肩から血がふきだしてるじゃないか。こっちはカッと腹が立ったから、いきなり持ってた鞭の握りで、車夫の頭を殴りつけてやった。するとね、車夫のやつ、ぼくの顔をまじまじと見上げて、にこにこ笑いながら、しきりと頭を下げるんだな。そのにこにこ顔は、いまだに目先に残ってるよ。ぼくは、なんだかふいに背負い投げを食ったような気がしてね。そのにこにこ顔には、すっかり兜をぬいじゃったよ。――腹の立ったのも、いっペんにどこかへすっ飛んじゃってさ。それがね君、じつにまたいんぎんな笑顔なんだ。ありゃあ一体、どういうつもりなのかなあ? なんでにこにこ笑ったのか、ぼくにはかいもく解(げ)せんのだよ

   《引用終了》

この全体こそが、正しい臨場的な名「活」訳である、と私は信じて疑わぬのである。

「私もその當時分らなかつた、しかしその後もつと遙かに分らない微笑の意味が私には分つて來た。」原文“Neither, at that time, could I; but the meaning of much more mysterious smiles has since been revealed to me.”。この訳文もイラっと来る。すんなりはんなり読める平井先生の訳を掲げておく。『そのときは、わたくしにもその意味はわからなかった。しかし今ではわたくしも、その時から思えば、もっと複雑な微笑の意味もわかるようになっている。』。

「敵となつて批評する」老婆心乍ら、この「敵」は「かたき」と訓じているはずである。]

 

 

ⅩⅩⅥ

THE JAPANESE SMILE

 

.

   THOSE whose ideas of the world and its wonders have been formed chiefly by novels and romance still indulge a vague belief that the East is more serious than the West. Those who judge things from a higher standpoint argue, on the contrary, that, under present conditions, the West must be more serious than the East; and also that gravity, or even something resembling its converse, may exist only as a fashion. But the fact is that in this, as in all other questions, no rule susceptible of application to either half of humanity can be accurately framed. Scientifically, we can do no more just now than study certain contrasts in a general way, without hoping to explain satisfactorily the highly complex causes which produced them. One such contrast, of particular interest, is that afforded by the English and the Japanese.

   It is a commonplace to say that the English are a serious people,— not superficially serious, but serious all the way down to the bed-rock of the race character. It is almost equally safe to say that the Japanese are not very serious, either above or below the surface, even as compared with races much less serious than our own. And in the same proportion, at least, that they are less serious, they are more happy: they still, perhaps, remain the happiest people in the civilized world. We serious folk of the West cannot call ourselves very happy. Indeed, we do not yet fully know how serious we are; and it would probably frighten us to learn how much more serious we are likely to become under the ever-swelling pressure of industrial life. It is, possibly, by long sojourn among a people less gravely disposed that we can best learn our own temperament. This conviction came to me very strongly when, after having lived for nearly three years in the interior of Japan, I returned to English life for a few days at the open port of Kobe. To hear English once more spoken by Englishmen touched me more than I could have believed possible; but this feeling lasted only for a moment. My object was to make some necessary purchases. Accompanying me was a Japanese friend, to whom all that foreign life was utterly new and wonderful, and who asked me this curious question: 'Why is it that the foreigners never smile? You smile and bow when you speak to them; but they never smile. Why?'

   The fact was, I had fallen altogether into Japanese habits and ways, and had got out of touch with Western life; and my companion's question first made me aware that I had been acting somewhat curiously. It also seemed to me a fair illustration of the difficulty of mutual comprehension between the two races,— each quite naturally, though quite erroneously, estimating the manners and motives of the other by its own. If the Japanese are puzzled by English gravity, the English are, to say the least, equally puzzled by Japanese levity. The Japanese speak of the 'angry faces' of the foreigners. The foreigners speak with strong contempt of the Japanese smile: they suspect it to signify insincerity; indeed, some declare it cannot possibly signify anything else. Only a few of the more observant have recognized it as an enigma worth studying. One of my Yokohama friends — a thoroughly lovable man, who had passed more than half his life in the open ports of the East — said to me, just before my departure for the interior: 'Since you are going to study Japanese life, perhaps you will be able to find out something for me. I can't understand the Japanese smile. Let me tell you one experience out of many. One day, as I was driving down from the Bluff, I saw an empty kuruma coming up on the wrong side of the curve. I could not have pulled up in time if I had tried; but I didn't try, because I didn't think there was any particular danger. I only yelled to the man in Japanese to get to the other side of the road; instead of which he simply backed his kuruma against a wall on the lower side of the curve, with the shafts outwards. At the rate I was going, there wasn't room even to swerve; and the next minute one of the shafts of that kuruma was in my horse's shoulder. The man wasn't hurt at all. When I saw the way my horse was bleeding, I quite lost my temper, and struck the man over the head with the butt of my whip. He looked right into my face and smiled, and then bowed. I can see that smile now. I felt as if I had been knocked down. The smile utterly nonplussed me,— killed all my anger instantly. Mind you, it was a polite smile. But what did it mean? Why the devil did the man smile? I can't understand it.'

   Neither, at that time, could I; but the meaning of much more mysterious smiles has since been revealed to me. A Japanese can smile in the teeth of death, and usually does. But he then smiles for the same reason that he smiles at other times. There is neither defiance nor hypocrisy in the smile; nor is it to be confounded with that smile of sickly resignation which we are apt to associate with weakness of character. It is an elaborate and long-cultivated etiquette. It is also a silent language. But any effort to interpret it according to Western notions of physiognomical expression would be just about as successful as an attempt to interpret Chinese ideographs by their real or fancied resemblance to shapes of familiar things.

   First impressions, being largely instinctive, are scientifically recognized as partly trustworthy; and the very first impression produced by the Japanese smile is not far from the truth The stranger cannot fail to notice the generally happy and smiling character of the native faces; and this first impression is, in most cases, wonderfully pleasant. The Japanese smile at first charms. It is only at a later day, when one has observed the same smile under extraordinary circumstances,— in moments of pain, shame, disappointment,— that one becomes suspicious of it. Its apparent inopportuneness may even, on certain occasions, cause violent anger. Indeed, many of the difficulties between foreign residents and their native servants have been due to the smile. Any man who believes in the British tradition that a good servant must be solemn is not likely to endure with patience the smile of his 'boy.' At present, however, this particular phase of Western eccentricity is becoming more fully recognized by the Japanese; they are beginning to learn that the average English-speaking foreigner hates smiling, and is apt to consider it insulting; wherefore Japanese employees at the open ports have generally ceased to smile, and have assumed an air of sullenness.

   At this moment there comes to me the recollection of a queer story told by a lady of Yokohama about one of her Japanese servants. 'My Japanese nurse came to me the other day, smiling as if something very pleasant had happened, and said that her husband was dead, and that she wanted permission to attend his funeral. I told her she could go. It seems they burned the man's body. Well, in the evening she returned, and showed me a vase containing some ashes of bones (I saw a tooth among them); and she said: "That is my husband." And she actually laughed as she said it! Did you ever hear of such disgusting creatures?'

   It would have been quite impossible to convince the narrator of this incident that the demeanour of her servant, instead of being heartless, might have been heroic, and capable of a very touching interpretation. Even one not a Philistine might be deceived in such a case by appearances. But quite a number of the foreign residents of the open ports are pure Philistines, and never try to look below the surface of the life around them, except as hostile critics. My Yokohama friend who told me the story about the kurumaya was quite differently disposed: he recognized the error of judging by appearances.

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