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2015/12/11

小泉八雲 落合貞三郎他訳 「知られぬ日本の面影」 第二十三章 伯耆から隱岐ヘ (三十三)

       三三

 

 松江の昔のサムラヒで、今隱岐の島に暮して居るものがある。彼(か)の武人の大階級が癈された時、その少數の機敏な者共は、風俗が昔のまゝ古風であつて、土地が低廉なこの小群島で運試しをやつて見ようと決心した。幾人も成功した――この島では人間が心底から正直で風浴が淳朴な埓爲めであつたらう。といふのは、經驗のある商賣人と競爭しなければならぬといふと、他處ではどんな商賣にもサムラヒは滅多に成功し得なかつたからである。失敗した者もあるが、暮して行けるほどの種々な卑しい職業に從事することは出來た。

 封建時代のそんな老生存者のほかに、この帝國の斯んな非常に僻遠な貧乏な地方で、新たな生活狀態に雄々しくも面と向つて居る、嘗ては高貴な家族の子達が――有名な家系の若樣やお孃様が――幾人も隱岐に居るといふことを自分は知つた。一市の住民が嘗ては頭を下げた人の息女が稻田での苦しい勞働を教はつて居つた。時代が異つて居たなら要職を望み得られた若人が、隱岐ヘイミンの忠實な下男となりて居つた。それからまた或る者は警官となつて自己を幸運だと正當にも思惟して居るのであつた。

 

    註。日本の警官は殆んど全郡、今に名

    をシゾクと呼ぶサムラヒ階級のもので

    ある。自分は世界で一番完全な警官だ

    と考へてよろしいと思ふ。が、現今そ

    れに目立つて見えて居るあの素ばらし

    く立派な性質を一代經つた後、保持し

    て居るであらうかどうか、それは疑は

    しい。大切なのはそのサムラヒ氣質で

    ある。

 

 基督教國の銃劔が、利得といふ聖い動機の爲めに、日本に強ひた文明の彼(か)の大變化は、最近の社會崩解の種々な危險よりも、もつと大きな種々な危險に陷らないやうに、此帝國をまだ救ふことは疑を容れぬ。が然し、その變化は無慙なほど突然なものであつた。英吉利の地面有ちの上流社會がその收入を奪はれた結果を想像して見ても、それと似寄つた剝奪が日本のサムラヒに及ぼした結果は、之を精確に理解することは出來なからう。といふ譯は古昔の武士階級は禮儀の道と戰爭の術とだけしか知つて居なかつたからである。

 それでそんな話を聞いて自分は、樂山神社(らくざんじんじや)の出雲での最後の大祭にあつた奇異な行列のことを考へずには居られなかつた。

 

[やぶちゃん注:本篇で語られる士族の商法による士族没落の一般論には、この時、唯一の同行者であった妻セツの過去の辛い実体験が強く関わっていると考えられる。既注であるが再掲しておく。小泉セツは慶応四(一八六八)年生まれであるが、生まれると直ぐ稲垣家の養女となっている。明治一九(一八八六)年、十九の時、稲垣家は前田為二という士族の次男坊を婿養子としてセツと娶せたが、稲垣家は士族の商法で失敗して負債を抱えることとなり、三年後(別情報では一年も満たないうちであったともする)、夫為二は大阪に出奔、明治二十三(一八九〇)年一月に正式な離婚届が受理され、セツは稲垣家を去って実家小泉家へと戻った。セツがハーンの住み込み女中となった時(推定で明治二十四(一八九一)年年初)、セツは数え二十四であった。何をか言わんや、であろう。

「隱岐ヘイミン」字面では判り難いので老婆心乍ら述べておくと「ヘイミン」で一語、「平民」である。

「利得といふ聖い動機」「聖い」は通常なら「きよい」と訓ずる。それで訳者も読んでいるものとは思う(聖しこの夜、の「きよし」である)。但し、可能性としては「たふとい(とうとい)」と訓ずることも不可能ではない。原文は“holy”で、神聖な、の意である。そうして言わずもがなであるが、「利得」(原文“gain”)を主たる目的とする動機であるとし、それにキリスト教嫌いのハーンが「基督教國の銃劔が」と添える時、強烈な皮肉な「聖なる潔癖さを持った」「貴(とうと)い」「尊(たっと)い」「神聖なる」の謂いであることにお気づきになられることであろう。「銃劔」は西洋列強キリスト教国の日本を食い物にしようとする狼の牙に他ならない。ハーンのような異邦人がこの時代にかく指弾していることを我々は重く捉えねばならぬ。さても因みに、“gain”とはフランス古語が語源であり、その原義は「食物を獲得する」の意であるのである。

「樂山神社」「第十七章 家の内の宮(一)」の冒頭に注した中に出るが、このハーンの謂いから考えると、やや厳密性を欠くように読めてしまうように思われるので再度、注することにする(いちいち記さないがネット上で確認出来る複数の記載を綜合してまず誤りでないと思われる記載を心掛けた)。まず、

このハーンの呼称する「樂山神社」なるものは、実は甚だ新しいもので、明治一〇(一八七七)年に旧松江藩の有志によって西川津村楽山(現在の松江市西川津町。現在の松江城東方の推恵神社がある楽山公園附近)に造られた松江藩松平家初代藩主松平直政を祭神とする「樂山神社」

を指す。但し、次の「三四」の訳者注でも述べられているが、

この「樂山神社」は明治三二(一八九九)年に旧松江城二の丸内に遷座され、

その際、寛永五(一六二八)年に初期の松江藩の堀尾家第三代藩主堀尾忠晴が朝酌(あさくみ)村西尾(現在の松江市西尾町)に創建した徳川家康を祀る東照宮を合祀するとともに、

同時に社名を「松江神社」と改称している

のである。因みに、この「松江神社」はさらに昭和六(一九三一)年、

松江開府の祖とされる堀尾家初代藩主堀尾吉晴(彼ではなくその子堀尾忠氏を堀尾家初代松江藩主とする説もある)

及び

松江藩中興の名君とされる松平家第七代藩主松平不昧治郷を配祀して

今日に至っている。即ち、松江神社は見た目は小さな境内ではあるものの、以上から判る通り、

実在した超弩級の名君四柱を祭祀

し、本殿は寛永五(一六二八)年の、拝殿は寛文元(一六六一)年の権現造、手水舎は寛永十六(一六三九)年と頗る古いものなのである。

さて話を戻すと、ともかくも、

楽山公園内には「樂山公園」には現在は存在しない

のでまずは注意されたい。

 しかし、そうなると、

次の「三四」の叙述と齟齬を生ずる

ことになる。

何故なら、「三四」では、明治維新以前に、ここ楽山にあった「樂山神社」から、松平直政の神霊「直政さん」(訳文には出ないが原文にそうある)が松江城内の社(現行の「松江神社」附近ではなく最北の現在の「城山(じょうざん)稲荷神社」付近のように読める)へ『御幸』(訳文より引用)したと書いてあるから

である。そこで調べてみると、

このハーンの「樂山神社」とは、

 

ここ楽山の地に庭園を造った松江藩松平家第二代藩主松平綱隆がそこに天満宮や松平家初代藩主で父である松平直政の信仰が厚かった稲荷神社などの社を設けたものを指して「樂山神社」と呼んでいる

 

 

のではないかと私には推理されるのである。即ち、厳密にはハーンの誤認ということになるというのが私の推理である。私は現地の社史には詳しくない。とんでもない誤認をしているかも知れない。大方の御批判を俟つものではある。

「出雲での最後の大祭にあつた奇異な行列」以下、次の「三四」で実に印象的に語られることになる。]

 

 

ⅩⅩⅩⅢ.

   Some of the old samurai of Matsue are living in the Oki Islands. When the great military caste was disestablished, a few shrewd men decided to try their fortunes in the little archipelago, where customs remained old-fashioned and lands were cheap. Several succeeded,— probably because of the whole-souled honesty and simplicity of manners in the islands; for samurai have seldom elsewhere been able to succeed in business of any sort when obliged to compete with experienced traders, Others failed, but were able to adopt various humble occupations which gave them the means to live.

   Besides these aged survivors of the feudal period, I learned there were in Oki several children of once noble families — youths and maidens of illustrious extraction — bravely facing the new conditions of life in this remotest and poorest region of the empire. Daughters of men to whom the population of a town once bowed down were learning the bitter toil of the rice-fields. Youths, who might in another era have aspired to offices of State, had become the trusted servants of Oki heimin. Others, again, had entered the police, [17] and rightly deemed themselves fortunate.

   No doubt that change of civilization forced upon Japan by Christian bayonets, for the holy motive of gain, may yet save the empire from perils greater than those of the late social disintegration; but it was cruelly sudden. To imagine the consequence of depriving the English landed gentry of their revenues would not enable one to realise exactly what a similar privation signified to the Japanese samurai. For the old warrior caste knew only the arts of courtesy and the arts of war.

   And hearing of these things, I could not help thinking about a strange pageant at the last great Izumo festival of Rakuzan-jinja.

 

 

17 The Japanese police are nearly all of the samurai class, now called shizoku. I think this force may be considered the most perfect police in the world; but whether it will retain those magnificent qualities which at present distinguish it, after the lapse of another generation, is doubtful. It is now the samurai blood that tells.

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