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2015/12/02

小泉八雲 落合貞三郎他訳 「知られぬ日本の面影」 第二十三章 伯耆から隱岐ヘ (十七)

       一七

 

 日本には殆んど何(ど)の郡何(ど)の町にも其處のメイブツ或は其處のメイシヨがある。或る場處のメイブツといふのは、天産物であらうが人工品であらうが、其處の特別な物産である。或る町或は郡のメイシヨといふのは其處の觀處(みどころ)で――何か宗教的、傳説的、歷史的或は愉樂的の理由で――訪ねて行つて見る價値のある場所である。社寺や庭園、異常な樹木や奇妙な岩、それがメイシヨである。其處からして美くしい景色が眺められる場所、又は、春は櫻の花とか、夏の夜は螢のちらつく光りとか、秋は楓の紅葉とか、或は支那の詩人がそれヘキンリヨウ(金龍)とい面白い名を與へて居る水上のあの蛇のやうな長い月光の漾とかいふやうな、愉快な光景を眺め樂しむことが出來る場所も、同樣にまたメイシヨである。

 

    この一章の原文にケムブツとあるの

    は、メイシヨケムブツといふ言葉か

    らして、原著者が誤つてケムブツを、

    メイシヨを意味する語のやうに思つ

    て用ひたものに相違無いから、譯文

    ではそれを訂して置いた。(譯者識)

 

 隱岐の大名物(めいぶつ)は日御崎の大名物と同じで――鯣である。これは支那にも日本にも大いに需用のある食料品である。隱岐と日御崎と美保關との烏賊はいづれもイカ(セピアの一種)と稱せられて居る。が、美保關で獲れるのは白くまた長さが普通十五吋あるのに、隱岐と日御崎とのは十二吋を越すのは稀で且つ色も赤味を帶びて居る。美保關と日御崎との漁業は殆んど世に知らてゐない。隱岐の漁業は日本全國はおろか、支那、朝鮮にも名がきこえて居る。この島が繁榮を來たし、且り又その極く僅かの部分しか全く耕作の出來ない海岸に、三萬の生靈を支持し來たつて居るのは、全く海の耕作に由つてである。非常に多額の鳥賊を船で本土へ運ぶ。が、隱岐にとつて此産物の最上の顧客は支那人であると聞いて居る。この供給がいつか絶えでもすれば、その結果は想像も及ばぬ不幸なものであらう。だが、今のところ、この漁業は數千年行はれ來たつて居るけれども、無盡藏のやうに思はれる。幾百噸といふ烏賊を捕り、貯臟し、毎月々々輸出し、そして幾百英町の地面がその臟腑や殘物で肥沃にされて居るのである。この漁穫に就いて警察の或る役人が自分に色んな事を語つてきかせた。西郷の東北海岸ではたゞの一と晩に二千尾以上の烏賊を捕ることは敢て珍らしい事では無いといふ。網數四五度の獲物の重さで船がはちされたことがあるから、積入れるのに用心しなければならぬといふ。が然し、このセピアのほかに、同じく食用の重要物産を供給して呉れる別種のカトル・フイシユがこの海岸に群集して居る。それはあの恐ろしいタコ即ちオクトパスである。一匹の重さ十五貫即ち殆んど百二十五英斤の章魚を時々中村の漁場近くで捕る。そんな化け物のやうな動物にこれまで人が危害を蒙つた記錄が無いと知つて自分は驚いた。

 隱岐の今一つの名物は――知られて居て然るべきであるのに餘り世に知られてゐない――バテイセキ即ち『馬蹄石』といふ美くしい眞黑な石である。島後にだけ在るもので、しかも大きな塊になつては居らぬ。重さは燧石ぐらゐで、且つまた燧石のやうに殺(そ)げる。がこれは磨きの效く石で、磨くとその光澤は瑪瑙のやうである。紋理も斑點も全く無い。その強度な黑色は決して變らぬ。いろんな美術品を馬蹄石で造る。硯、盃、小笛、小さなダイ卸ち花瓶や小さな肖像を載せる臺など。此材料は出雲の湯町の美くしい瑪瑙同樣に細工が出來るから、飾玉すら造られる。そんな品物はその製造元でも割合高價である。

 馬蹄石の起原に就いて妙な傳説がある。馬蹄石は、その色か、或は屢々その天然狀態に於て見られる所の、又曲線を爲して殺(そ)げ易い傾向があるので生ずる所の半圓形の痕かが、思ひ樣によつては馬の蹄に何處か似て居るのでその名があるのである。が、傳説に據ると、或る神馬の――源氏の勇士佐々木高綱のあの驚く可き牝馬の――蹄が觸つて出來たのだといふ。その牝馬には子があつたが、島後の或る深い池へ落ちて死んだ。牝馬は水に映つた己が頭の影に欺かれて自分もその池へ飛び込んだ。が、子は見つからなかつた。長い間徒に探して歎いた。が然し堅い岩さへその牝馬に同情して、その蹄が水の下で觸つた處が馬蹄石に變つた、といふのである。

 殆んど馬蹄石に劣らず美しい、そして同じく黑い、今一つの隱岐名物がある。それはウミマツ即ち『海松』と呼ぶ珊瑚性の海産物である。煙管筒や筆立や他の小さな品物をそれで製造する。そして、磨くと黑漆で塗つたやうである。海松で造つた品物は稀で且つ高價である。

 ところが眞珠母の物品は隱岐では甚だ廉い。そしてそれがまた別種の隱岐名物になつて居る。アハビ即ち『鮑(シイ・イア)』の貝殻を、これは西部日本の此邊の海では驚く許りの大きさに達するが、それを巧に磨きまた切り斷つて、その表面の虹色の光りが恰も百通りの色の火がきらめくやうに見える不思議な皿や鉢や盃や、その他の器物に變へて居る。

 

[やぶちゃん注:「支那の詩人がそれヘキンリヨウ(金龍)とい面白い名を與へて居る水上のあの蛇のやうな長い月光の漾」誰を指すのか、不詳。識者の御教授を乞う。老婆心乍ら、「漾」は「ただよひ(ただよい)」と訓ずる。

「イカ(セピアの一種)」原文“ika (a kind of sepia)”。この“sepia”は、

 軟体動物門頭足綱鞘形亜綱十腕形上目コウイカ目 Sepiida

のイカ類、或いはそれ以下のタクソン、

 コウイカ目Sepiina 亜目コウイカ科 Sepiidae

に属する種群、或いはその中でも、

 コウイカ属 Sepia

に属する種、狭義には種としての

 コウイカ Sepia (Platysepia) esculenta

を指すところの一般的な英単語と考えられる。学術用語の「コウイカ属」を指すのであるなら、頭文字の“s”は大文字でなくてはならないし、全体を斜体にせねばならぬ。ハーンは既に別の箇所で生物の学名をローマン斜体で示しているからである。

「美保關で獲れるのは白くまた長さが普通十五吋あるのに、隱岐と日御崎とのは十二吋を越すのは稀で且つ色も赤味を帶びて居る」「十五吋」「十二吋」一インチは二・五四センチメートルであるから、前者は約三十八センチメートル、後者は約三十センチメートル強。「美保關で獲れるのは白くまた長さが普通十五吋ある」というのは、島根県で「しろいか」(白烏賊)、同島根県東部で「まいか」(真烏賊)と呼称される、

 十脚形上目ツツイカ目開目亜目ヤリイカ科ヤリイカ属ケンサキイカ Uroteuthis edulis

を指すか。それに対し、「隱岐と日御崎とのは十二吋を越すのは稀で且つ色も赤味を帶びて居る」というのは、ハーンも名物として出す「鯣(するめ)」の主たる素材となる(但し、最も上等の鯣とされるのは御存じのように、前に出したケンサキイカのそれで、特に「一番鯣」とさえ呼ばれる)、

 十脚形上目ツツイカ目閉眼亜目アカイカ科スルメイカ亜科スルメイカ属スルメイカ Todarodes pacificus

か、或いは鳥取で「あかいか」(赤烏賊)、島根で「べにいか」(紅烏賊)、隠岐では「あかいか」「どーたりいか」(西ノ島。語源不詳。体の「胴」と同じぐらい大きいから、或いは釣ったらどたっとして動かないから、古く日本海では樽流し釣りの漁法で大きな烏賊を獲ったことから「タル」が「タレ」「タリ」となって「ドータリイカ」になったという三説が「西ノ島町観光協会」発行のこちら(PDF)に掲載されてあった。鳥取県では本種を「たるいか」(樽イカ)と称しており、私は「胴樽」(大型個体の胴が樽のように大きい)が語源では? と考えた)などと称される、

 十脚形上目ツツイカ目閉眼亜目ソデイカ科ソデイカ Thysanoteuthis rhombus の若年個体

かとも思われる。「ソデイカ Thysanoteuthis rhombus の方を「若年個体」としたのは、実際には成長したソデイカの個体の中には胴長八十五センチメートルに及ぶ恐るべき巨大なものもあるからである。(なお、和名の「袖烏賊」は第三腕の口器側の保護膜が広く且つ支持肉柱が多数あるために袖のように見えることに由来する)。

「三萬の生靈」原文“thirty thousand souls”「三」の最後に『全島の人口は三萬〇百九十六人』と引用している。……いや、田部さん……分からなくはないんだけど……ここはやっぱ、「三萬の島民」辺りでよいんでは、ありますまいか?

「幾百英町」「英町」は「エーカー」と読んでおく。原文“many hundreds of acres”“acre”は面積の単位の「エーカー」である。一エーカーは約四千四十七平方メートルであるから、二百四十万平方メートル前後になる。島後の島面積は二百四十一・六四平方キロメートルであるから、ぴったし! ハーン先生は恐ろしく数字に強い!

「別種のカトル・フイシユ」と言いながら「タコ即ちオクトパス」としているのは、原文通りである。

 “cuttlefish”は通常、イカの中でも体の短い先に出したコウイカやカミナリイカ

を指す単語であ(カミナリイカ(雷烏賊)は頭足綱コウイカ目コウイカ科コウイカ属カミナリイカ Sepia lycidas。西日本での異名「もんごういか」(紋甲烏賊)の方が知られるが、現行では輸入物の大型のコウイカ類に広く使われるようになってしまっており、本種の和名としては用いない方が無難である)、因みに、

 体の細長い先のスルメイカやアカイカなどは“squid”

と言うが、実は一般的な欧米人は、島国で海産生物に古えより馴染んできた日本人と異なり、これに限らず、魚類や甲殻類・貝類などの普通の海産物の個別種どころか、上位タクソンでの区別すら出来ない人が圧倒的に多いのである。即ち、大方の人々にとってはタコもイカも一緒くたであって、気味の悪い触手(テンタクル)の惡魔、化け物に過ぎぬのである。但し、ハーンはその点では博物学的には精通しているから、ここは寧ろ、欧米読者のレベルまでわざと自分を下げて、かく表記したものと私は思う。因みに、この蛸はその巨大さと重量から、頭足綱八腕形目マダコ科ミズダコ属ミズダコ Enteroctopus dofleini に同定してよかろう。本種の大型個体は腕足を広げた体長が三~五メートルにも及び、体重も十~五十キログラム、最大個体では体長九・一メートルで体重二百七十二キログラムの記録がある、とウィキの「ミズダコ」にはある。現行の隠岐では「丸カゴ」と呼ばれる漁具を用いて捕獲しているらしい。「隠岐の島ものづくり学校」の「ミズダコ漁」をご覧あれ。まさにここはハーンの言う「中村」の漁港である。それを見ると、現在、大物は一匹一万円で取引されるとある。

「十五貫即ち殆んど百二十五英斤」「英斤」は「ポンド」と読んでおく。「十五貫」は五十六・二五キログラム、「百二十五」ポンドは凡そ五十六・六九九キログラム。

「中村」現在の隠岐の島町大字中村。島後の北の中央東部寄りに位置する。「武良(むら)」とも呼ばれる。ウィキの「中村(隠岐の島町)によれば、『戦後の中村は現在より店の数が多く、地区内に時計屋、映画館などがあった時代もあったらしい』。『地区唯一の浜辺・中村海水浴場は海の透明度が有名であり毎年多くの観光客でにぎわっているが昔は出店・民宿がたくさんあり今よりだいぶ賑わっていた。しかし現在民宿はほとんど機能しておらず、その代わり毎年キャンプ客でにぎわっている』とあり、『隠岐三大祭の一つである武良祭りが』二年毎の十月十九日に『行われる。鎌倉時代に中村に訪れた佐々木定綱により五穀豊穣を太陽の神と月の神に願い開催されたと伝えられている』とある。この幕府御家人佐々木定綱は「一六」に出た佐々木高綱の兄に当たり、佐々木氏の棟梁である父佐々木秀義の嫡男で、事実、鎌倉初期に隠岐守護となっている。

「バテイセキ即ち『馬蹄石』」「一五」の私の「バテイセキ」の注を参照されたい。

「紋理も斑點も全く無い」中にはそうしたものもあるが、品質として下品とされる。

 「出雲の湯町」現在の島根県松江市玉湯町(たまゆちょう)湯町(ゆまち)。ここは玉湯町玉造(たまつくり)の玉造温泉(「枕草子」にも出る平安この方の名泉)で知られる。ウィキの「玉造温泉」には、この「玉造」という地名で判るように、『この地にある花仙山で良質の青瑪瑙が採掘できたために、この地の人々が玉造を生業としていたことに由来していると考えられる。三種の神器の一つ、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)も櫛明玉命(くしあかるだまのみこと)によってこの地で造られたと言われている。玉作湯神社にはその櫛明玉命を祀っており、多数の勾玉や管玉が社宝として保管されている』とある。詳しくは「いずもまがたまの里伝承館」公式サイトを参照されたい。

「佐々木高綱」「一五」の私の「佐々木高綱」の注を参照されたい。

「あの驚く可き牝馬の――蹄が觸つて出來たのだといふ」「ブリタニカ国際大百科事典」に馬蹄石について(コンマを読点に代えた)、『馬のひづめの跡があるという石にまつわる伝説。古くは神が馬に乗って、遠方から降臨するという信仰から、石に凹凸のあるのをその降臨された証拠として語り伝えてきたもの。のちに神降臨の信仰が薄れると、貴人や武将が馬に乗った話になってくる』とある。これは洋の東西を問わぬ記載と思われるが、本邦の諸地方の「馬蹄石」なるものをネット上で見てみると、実は黒曜石に限定される謂いではなく、牡蠣(カキ)の化石層が化石床を形成した自然物のシミュラクラであったり(香川県まんのう町木戸土器川河床)、大岩に穿たれた馬蹄形の穿孔(自然のものも人為的なものもあろう)が古代の磐座の一種とされたり、前記のような後の貴人・武将奇譚へと変化したりしたものの方が多いように思われる。

「島後の或る深い池」サイト「離島 com. 隠岐の島」内の「伝説の池・津井の池 男池」によって、これが西郷町犬来から南方へ一キロばかり行った池尻にある二つの池、「津井(さい)の池」であることが判った。そこに書かれてある「隠岐の池月伝説」によれば、ハーンのストーリーとは異なり、池に落ちて死んだのは母馬となっており、それを慕った子馬が長じて、人の捕まえようとするのから逃れるために、『島後から海を泳いで島前の西ノ島に逃げた。この島の一番東の集落を宇賀というが、そこから西の倉ノ谷との間の海辺に大きな「瀬戸の岩」がそそり立っている。その大岩の絶壁を、この馬が蹴飛ばしたという』(馬蹄石!)。『西ノ島からはまた海を越えて、隣の中ノ島に渡った。ここでは、金光寺さんの』『近くにある愛宕山に駆け上って、一休みした。それでこの山の頂上と唯山の頂上とを結ぶ鞍部の岩盤には、直径二、三十センチの蹄のあとが五つ六つ残る』という(また馬蹄石!)。『一説に、この馬は、西ノ島から知夫里島に泳いで渡ったともいう。すでにそのころはすこぶるたくましくなっていたので、人々の追うのを振り切って赤禿山を駆け登り、こり島の西端スンズの断崖絶壁に蹄の跡を残している』(またまた馬蹄石!)。『そしてその後は、日本海の波涛を越えて、島根半島の加賀の浦(雲津の馬見山ともいう)に泳いで渡った。こうして、いくつかの奇跡を示したこの馬は、後に雲州の人によって捕えられ、希代の名馬としての折紙がついた。それが、鎌倉の頼朝に献上されて「生食」と名づけられ、宇治川先陣争いに「磨墨」を出し抜いて誉れを後世に残したのである。それも、これも、幼時、母馬に恋い焦がれて「津井の池」に飛び込んだからのことであった』(「一五」で私が浪漫的に妄想した通りの展開!!!)。『今でもこの池のそばを歩くと、珍しい黒曜石が見つかる。馬蹄形の流紋が見えるところがら、これを一名「馬蹄石」というが、一説に、これが出土するのは、名馬「生食」の足が触れたからだといわれている』(ダメ押しの馬蹄石!!)。

「ウミマツ即ち『海松』と呼ぶ珊瑚性の海産物」「一五」の私の「黑珊瑚」の注を参照されたい。

「眞珠母の物品」「しんじゆぼ(しんじゅぼ)」は、ある種の軟体動物(特に貝類)が外套膜から分泌する炭酸カルシウムを主成分とした光沢物質である真珠層のこと。原文は“Nacre wares”“Nacre”が真珠層で、“wares”はその真珠層を素材とした製品で、以下を読めば分かる通り、所謂、青貝細工・螺鈿細工の工芸品を指す。

「アハビ即ち『鮑(シイ・イア)』」“sea-ear”は文字通り「海の耳」であるが、これもいい加減な欧米人にとっては耳の形に似た貝殻を持つ貝類(概ね腹足類(巻貝))はこれ、十把一絡げに「海の耳」なんである。何を言いたいかというと、異なった種(同属ではある)である鮑と床臥(とこぶし。「常節」とも書く。後で掲げるように正確にはセイヨウトコブシと称し、本邦産のトコブシはその亜種である)を区別しないのである。通常の一般名詞でも鮑は“abalone”であるが、床臥は何だかなの、“small abalone”という為体(ていたらく)である。アワビは、

 腹足綱原始腹足目ミミガイ科アワビ属 Haliotis

に属し、本邦の代表種としては(本邦産は凡そ九種とされる)、

 クロアワビ Haliotis discus discus

 メガイアワビ Haliotis gigantean

 マダカアワビ Haliotis madaka

 エゾアワビ Haliotis discus hannai(クロアワビ北方亜種。同一種とする説もある)

 トコブシ Haliotis diversicolor aquatilis(日本固有亜種)

 ミミガイ Haliotis asinina

などが挙げられる(ここはウィキアワビを参照した)。これら大型種の貝殻の内側に形成される真珠層部分を抜き打って装身具に加工したり、ごく薄く小さく切り出したチップ状のものを木彫りなどの工作物に嵌め込んで作られた工芸品が螺鈿細工である。但し、言っておくと、西洋種のトコブシは、種が異なり、

 セイヨウトコブシHaliotis tuberculata

である。これはイギリス海峡のチャンネル諸島附近に多く棲息するとされるが、実はこれには別に“ormer”という単語があるのであるが、何ともいい加減なことに辞書を引くと、二番目の意味に「アワビ類」とあって、開いた口が塞がらぬのである。]

 

 

ⅩⅦ.

   Almost every district and town in Japan has its meibutsu or its kembutsu. The meibutsu of any place are its special productions, whether natural or artificial. The kembutsu of a town or district are its sights,— its places worth visiting for any reason,— religious, traditional, historical, or pleasurable. Temples and gardens, remarkable trees and curious rocks, are kembutsu. So, likewise, are any situations from which beautiful scenery may be looked at, or any localities where one can enjoy such charming spectacles as the blossoming of cherry-trees in spring, the flickering of fireflies in summer nights, the flushing of maple-leaves in autumn, or even that long snaky motion of moonlight upon water to which Chinese poets have given the delightful name of Kinryō, 'the Golden Dragon.'

 

   The great meibutsu of Oki is the same as that of Hinomisaki,— dried cuttlefish; an article of food much in demand both in China and Japan. The cuttlefish of Oki and Hinomisaki and Mionoseki are all termed ika (a kind of sepia); but those caught at Mionoseki are white and average fifteen inches in length, while those of Oki and Hinomisaki rarely exceed twelve inches and have a reddish tinge. The fisheries of Mionoseki and Hinomisaki are scarcely known; but the fisheries of Oki are famed not only throughout Japan, but also in Korea and China. It is only through the tilling of the sea that the islands have become prosperous and capable of supporting thirty thousand souls upon a coast of which but a very small portion can be cultivated at all. Enormous quantities of cuttlefish are shipped to the mainland; but I have been told that the Chinese are the best customers of Oki for this product. Should the supply ever fail, the result would be disastrous beyond conception; but at present it seems inexhaustible, though the fishing has been going on for thousands of years. Hundreds of tons of cuttlefish are caught, cured, and prepared for exportation month after month; and many hundreds of acres are fertilized with the entrails and other refuse. An officer of police told me several strange facts about this fishery. On the north-eastern coast of Saigo it is no uncommon thing for one fisherman to capture upwards of two thousand cuttlefish in a single night. Boats have been burst asunder by the weight of a few hauls, and caution has to be observed in loading. Besides the sepia, however, this coast swarms with another variety of cuttlefish which also furnishes a food-staple,— the formidable tako, or true octopus. Tako weighing fifteen kwan each, or nearly one hundred and twenty-five pounds, are sometimes caught near the fishing settlement of Nakamura. I was surprised to learn that there was no record of any person having been injured by these monstrous creatures.

   Another meibutsu of Oki is much less known than it deserves to be,— the beautiful jet-black stone called bateiseki, or 'horse-hoof stone.' [7] It is found only in Dōgo, and never in large masses. It is about as heavy as flint, and chips like flint; but the polish which it takes is like that of agate. There are no veins or specks in it; the intense black color never varies. Artistic objects are made of bateiseki: ink-stones, wine-cups, little boxes, small dai, or stands for vases or statuettes; even jewelry, the material being worked in the same manner as the beautiful agates of Yumachi in Izumo. These articles are comparatively costly, even in the place of their manufacture.

   There is an odd legend about the origin of the bateiseki. It owes its name to some fancied resemblance to a horse's hoof, either in color, or in the semicircular marks often seen upon the stone in its natural state, and caused by its tendency to split in curved lines. But the story goes that the bateiseki was formed by the touch of the hoofs of a sacred steed, the wonderful mare of the great Minamoto warrior, Sasaki Takatsuna. She had a foal, which fell into a deep lake in Dōgo, and was drowned. She plunged into the lake herself, but could not find her foal, being deceived by the reflection of her own head in the water. For a long time she sought and mourned in vain; but even the hard rocks felt for her, and where her hoofs touched them beneath the water they became changed into bateiseki. [8]

   Scarcely less beautiful than bateiseki, and equally black, is another Oki meibutsu, a sort of coralline marine product called umi-matsu, or 'sea-pine.' Pipe-cases, brush-stands, and other small articles are manufactured from it; and these when polished seem to be covered with black lacquer. Objects of umimatsu are rare and dear.

   Nacre wares, however, are very cheap in Oki; and these form another variety of meibutsu. The shells of the awabi, or 'sea-ear,' which reaches a surprising size in these western waters, are converted by skillful polishing and cutting into wonderful dishes, bowls, cups, and other articles, over whose surfaces the play of iridescence is like a flickering of fire of a hundred colors.

 

7 It seems to be a black, obsidian.

8 There are several other versions of this legend. In one, it is the mare, and not the foal, which was drowned.

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