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« 眼からホッキ! | トップページ | 小泉八雲 落合貞三郎他訳 「知られぬ日本の面影」 第二十三章 伯耆から隱岐ヘ (十三) »

2015/12/01

小泉八雲 落合貞三郎他訳 「知られぬ日本の面影」 第二十三章 伯耆から隱岐ヘ (十二)

       一二

 

 隱岐群島の主島たる島後は、時にはそれを『隱岐』と呼び名するのであるが、島前諸島の東北八哩離れて非常に危險な漫々たる海の向うに在るのである。船は浦郷を去ると、直ぐそれへ向けて進んだ。その大海へ出て行くには、中の島と西の島との間にある狹い妙な海峽を通る。其處は絶壁が非常に大きな城塞の――層を爲して高まつて居る稜堡や堡壘の――形を爲して居る。古昔は唯一つの塊でゐたものが何か驚天動地の大衝擊を受けて分れたやうに見える巨大な岩が三つ、その水路の口近く深い海から、壞れた塔の如くにそゝり立つて居る。そして船がそれを左舷にして通る西の島の最後の海角は、これは赤裸々の赤い大きな岩で、鳥帽子岩と呼ばれて居る程あつて、如何にも妙な恰好をした一點となつて地平線上に浮ぶ。

 船が海のうねりへ辷り出ると、大海の深底から立ち現はれて居る他の異常な形をしたものが見える。地平線を後ろに突兀たる半面影像になつて見える『蝙蝠』といふのは、大きな穴が一つ突き拔けてゐて、その穴が眼のやうにぎらぎら光つて居る。その先きに大きな岩が二つある。曲つて、尖んがつて、上の處で殆んどつながつて居るから、蟹がその挾み爪をげて居るのに怪しくも似て居る。それからまた、極く近くへ寄るまでは、船を漕いで居る人間の姿かと思はれる小さな黑い岩が見える。その先にまた島が二つある。人の住まつてゐない、近寄れもせぬ、そしてその邊には警戒を要するうねりが何時もある松島と、それよりも高いぐらゐで、赤味を帶びた巨大な絶壁のなつて海の中から飛び出して居る大森島とである。その忌はしげな巨岩には何か物凄い力が――その横を通る時自分等の船をゆるめかせ震はせる何か不可思議な力が――あるやうに思はれた。が、自分は大森島のその恐ろしい絶壁の下に驚嘆すべき或る色彩を見た。その絶壁が傾く入日に照らされて居たので、輝やかしいその岩の光りが水に落ちて居る處は、その濃藍色の漣が一つ一つ唐金の光りを閃めかせてゐた。自分は金屬性の菫色インキの海のことを考へた。

 島前から、天氣が惡るくない折は、島後の絶壁を判然と見ることが出來る。その絶壁には、此處其處に白墨の白さの線條がついて居て、霞のかかつた日にもその靑色の中に拔けけ出て見えるのである。その絶壁の上に大きな山が一つ見える。それは伯耆の船乘には目標(ポワン・ド・ルプエル)の、大滿寺山である。尤も島後は山々の大きな一と塊りなのである。

 その絶壁はずんずん綠色に變つて行つた。そして自分等の船はそれに隨(つ)いて東の方へ半時間許り走つた。するとその絶壁が思ひがけ無く且つ大きく開けて、遙かに陸地の方へ廣うなつて居る、小山が四方を圍んで居る、そして船が一杯に居る、素敵に見事な入江を見せた。ごちやごちやした帆柱の向うに、長く灰色の一線を爲した家並の正面が、半圓形の絶壁の麓に、そつと眼に映つて來た。西郷町なのである。そして軈てのこと船は石の波止場に着いた。そこで自分は隱岐西郷に一と月の別を告げた。

 

[やぶちゃん注:「巨大な岩が三つ、その水路の口近く深い海から、壞れた塔の如くにそゝり立つて居る」菱浦の北東部にある、それぞれ接近して海中から独立してそそり立つ大・中・小の三つの鋭角状の粗面玄武岩の岩塊で、現行では「三郎岩」(現在、隠岐郡海士町(あまちょう)所属)と呼称するものと思われる。

「そして船がそれを左舷にして通る西の島の最後の海角」底本では「西の島」は「中の島」となっているが、何とはなしに位置関係におかしさを覚えた(地図を見ていて自分が船に乗っていたらという感覚的なもので論理的現実的なものではない)ので原文を見たところ、“And the last promontory of Nishinoshima”となっていて「西の島」の誤訳であることが判明した。これでは実景としてもおかしいと私は思う。島前から島後に向う現行の就航航路では地図上で判断するに「最後の海角」と意識されるのは「中の島」ではなく「西の島」であり、それは「左舷」に見えるからである。因みに私は島後から島前への航路経験しかないので、これは既に述べた通り全くの地図上のシュミレーションである。されば例外的に訂した。なお、老婆心乍ら言い添えておくと、「それ」は後の「西の島」(原文は「中の島」)を指すのであって、前の「三郎岩」を指示するものではない。三郎岩は航路の右舷にある。なお、「最後の海角」に相当するのは「西ノ島」(現行表記は「ノ」である)の宇賀(うか)の半島部である。

「鳥帽子岩」恐らくこれはその名称の類似性から考えて、西ノ島の宇賀の東北端に極く本島に接近してある「冠島(かんむりしま)」(現在、西ノ島町所属の無人島)のことではないかと推定する。

「突兀」老婆心乍ら、「とつごつ」と読み、高く突き出て聳えるこさまを言う。

「半面影像」意味不明。原文は“a ragged silhouette”。ギザギザした、デコボコしたシルエットでいいじゃん、こんなの!

「『蝙蝠』といふのは、大きな穴が一つ突き拔けてゐて、その穴が眼のやうにぎらぎら光つて居る」原文から「こうもり」岩或は「こうもり」島と呼ばれる海面上に出た部分にそれなりの大きさの貫通孔を持つ大きな岩礁と読めるが、ネット検索では網に掛からない。暗礁に乗り上げた……と諦めかけ……地図を見て居たら……見っけ~たゾ!!! これって! 航路の右舷に見えるはずの「小森島(こもりしま)」(現在、海士町所属)のことなんじゃないんか?! 識者の御判断を仰ぐ! 小森島は現行の島前島後航路に近い。

「その先きに大きな岩が二つある。曲つて、尖んがつて、上の處で殆んどつながつて居るから、蟹がその挾み爪を擡げて居るのに怪しくも似て居る」これは二本の鋭角的突出という形状から考えると、「二股島」(現在、海士町所属)であろう。但し、この島は航路の左舷に見え、前で私が推定同定した「蝙蝠」、小森島とは直線で二・二キロメートル離れている。但し、指標となるものが見えにくい海上の視認印象では、この、「蝙蝠」に続いて近くの位置で同方向に二股状の岩が見えたように読めてしまう叙述は、私は、必ずしもおかしいとは思わないと言い添えておく。二股島は現行の島前島後航路に近い。

「松島」現在、海士町所属の無人島。「海士町」公式サイト内の「松島」によれば、中ノ島海士町豊田地区から東の沖合約三キロにある無人島で、現在、『周囲の海域はニホンアワサンゴやアミメサンゴなどの日本の生息域北限であるため、環境庁により海中公園に指定されました。大山隠岐国立公園の一部でもあります。切り立った海食崖に囲まれ照葉樹林が鬱蒼と生い茂り、海岸植物イワタイゲキやカゴノキ、ホウライカズラ、アリドオシといった珍しい植物が生き延びています。太古の自然が残っているのです。江戸時代には対岸の知々井岬とともに幕府の御林地であり、代官が公用伐採を命じる時以外は斧を入れることができなかったとのこと。当時の記録からも「目通り五六尺より一丈あまりの大松数百本、島前一の大山林であった」と残るほどです。戻れなくなったイカ釣り漁船乗組員がここでイカを食べてしばらく暮らしたとの逸話も』あると記す。引用中の生物についてのデータを以下に追記しておく。

・刺胞動物門花虫綱六放サンゴ亜綱イシサンゴ目ハマサンゴ科アワサンゴ属ニホンアワサンゴ(日本泡珊瑚) Alveopora japonica

・イシサンゴ目アミメサンゴ科アミメサンゴ属アミメサンゴ(網目珊瑚) Psammocora profundacella

・双子葉植物綱キントラノオ目トウダイグサ科トウダイグサ属イワタイゲキ(岩大戟)Euphorbia jolkinii

・モクレン目クスノキ科カゴノキ属カゴノキ(鹿子の木)Litsea lancifolia

・リンドウ目マチン科ホウライカズラ属ホウライカズラ(蓬莱蔓)Gardneria nutans

・キク亜綱アカネ目アカネ科アリドオシ属アリドオシ(蟻通し)Damnacanthus indicus

なお、「目通り」は「めどおり(歴史的仮名遣は「めどほり」)」と読み、目の高さで測った立木の太さ(直径)を表わす語で、「五六尺より一丈あまり」は一・五~一・八メートルから三メートル前後で、太いものはとんでもない巨木であったことが知れる。

「大森島」先の松島の北北東二・二キロメートルの位置にある、現在は隠岐郡隠岐の島町所属の無人島。現行の島前島後航路に近い。

「その忌はしげな巨岩には何か物凄い力が――その横を通る時自分等の船をゆるめかせ震はせる何か不可思議な力が――あるやうに思はれた」幻想ハーン節が炸裂!!!

「此處其處に白墨の白さの線條がついて居て」この「白墨の」の原文は“chalky”であるから、私なら、

――此處其處にチヨウクのやうな白さを持つた線條樣の紋があつて――

と訳す。これは「白墨」ではなく、その原材料になる「チョーク」、所謂、「白亜・白堊」(はくあ)層のことを指しているからである。チョークは北西ヨーロッパに分布する細粒の白色を呈する石灰岩で、中生代最後の白亜紀(今から約一億四三〇〇万年前から約六五〇〇万年前までの凡そ七八〇〇万年間)の地層で主に石灰質プランクトンの遺骸からなる。特にイングランド南東部のそれがよく知られている。

「目標(ポワン・ド・ルプエル)」point-de-repère。フランス語。 “repère”(目印・符標・測量の基準線)の“point”(点)の意であるが、「大型機械機材などを組み立る際の指標、測量に於ける水準基線」、「トーキー映画で台詞を同調させるためにフィルムに打たれたシンクナイジング・マーク」などを意味し、そこから、「再度、ある場所に集合する際の目印」などの意や、広く「指針」「目安」の意となり、フランス語の俗語としては「生涯の一時期を画す大きな事件」の意味も持つ。ここは英語の“landmark”と同義である。強いて音写するなら「ポヮン・ドゥ・ルゥぺェルゥ」である。

「大滿寺山」島後の東中央部、現在の隠岐の島町の西郷と布施の境にある標高六〇七・七メートルの山で、隠岐諸島中の最高峰。山名は中腹にる曹洞宗摩尼山大満寺の名に由来し、「隠岐富士」の別名を持つ。

「西郷町」原文は“the city of Saigo”で現在の「隠岐の島町」の西郷である。ここは恐らく誰もが何の躊躇もなく読み過ごすところであるが、実はおかしいのである。何がと言えば、この訳の「西郷町」は厳密に言うと当時は存在しないからである。どうしても「~町」と表記したいのであれば、

当時ならば、周吉(すき)郡の「西郷港町」とするのが正しい

行政上の町名だからである。何故なら、

公式には、「西郷町」というのは、ハーンが訪れた十二年も後の明治三七(一九〇四)年四月一日に島嶼町村制施行に伴って周吉郡西町・中町・東町の区域が合併して初めて発足している町名

だからである。実は、

明治七(一八七四)年に島後の鳥取県矢尾村・目貫村・東郷村の一部が(総て単体の行政区画で上位の郡はない)が合併して「西郷港町」が発足した

ものの、

明治一二(一八七九)年一月十二日に郡区町村編制法の島根県での施行により、行政区画としての周吉郡が発足した際、何故か、「西郷港町」が分割されて「西町」「中町」「東町」となっている

からである。即ち、

この二十五年の間は「西郷町」は存在しなかった

のであり、

ハーン訪問の明治二五(一八九二)年には――「西郷」の町は確かに存在したが、「西郷町」は存在しなかった――

のである。ここは主にウィキの「周吉郡」を参考にさせて貰った。

「そこで自分は隱岐西郷に一と月の別を告げた」くどいが、「隱岐西郷」は「隱岐西郷」丸で船名。先から鍵括弧が必要だと私が言ってる意味がお分かり戴けるものと思う。]

 

 

.

   Dōgo, the main island of the Oki archipelago, sometimes itself called 'Oki,' lies at a distance of eight miles, north-east of the Dozen group, beyond a stretch of very dangerous sea. We made for it immediately after leaving Urago; passing to the open through a narrow and fantastic strait between Nakanoshima and Nishinoshima, where the cliffs take the form of enormous fortifications,— bastions and ramparts, rising by tiers. Three colossal rocks, anciently forming but a single mass, which would seem to have been divided by some tremendous shock, rise from deep water near the mouth of the channel, like shattered towers. And the last promontory of Nishinoshima, which we pass to port, a huge red naked rock, turns to the horizon a point so strangely shaped that it has been called by a name signifying 'The Hat of the Shinto Priest.'

   As we glide out into the swell of the sea other extraordinary shapes appear, rising from great depths. Komori, 'The Bat,' a ragged silhouette against the horizon, has a great hole worn through it, which glares like an eye. Farther out two bulks, curved and pointed, and almost joined at the top, bear a grotesque resemblance to the uplifted pincers of a crab; and there is also visible a small dark mass which, until closely approached, seems the figure of a man sculling a boat. Beyond these are two islands: Matsushima, uninhabited and inaccessible, where there is always a swell to beware of; Omorishima, even loftier, which rises from the ocean in enormous ruddy precipices. There seemed to be some grim force in those sinister bulks; some occult power which made our steamer reel and shiver as she passed them. But I saw a marvelous effect of color under those formidable cliffs of Omorishima. They were lighted by a slanting sun; and where the glow of the bright rock fell upon the water, each black-blue ripple flashed bronze: I thought of a sea of metallic violet ink.

   From Dōzen the cliffs of Dōgo can be clearly seen when the weather is not foul: they are streaked here and there with chalky white, which breaks through their blue, even in time of haze. Above them a vast bulk is visible—a point-de-repère for the mariners of Hōki,— the mountain of Daimanji. Dōgo, indeed, is one great cluster of mountains.

   Its cliffs rapidly turned green for us, and we followed them eastwardly for perhaps half an hour. Then they opened unexpectedly and widely, revealing a superb bay, widening far into the land, surrounded by hills, and full of shipping. Beyond a confusion of masts there crept into view a long grey line of house-fronts at the base of a crescent of cliffs,— the city of Saigo; and in a little while we touched a wharf of stone. There I bade farewell for a month to the Oki-Saigo.

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