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2016/01/06

梅崎春生「桜島」附やぶちゃん注 (9)

 玉音の放送があるから、非番直に全部聞くようにという命令は、その日の朝に出ていた。此の部隊に関係ある電報は一通り目を通していたから、その方面の事態には通じていたとは言え、桜島に来て以来、新聞も読まずラジオも聞かないから、私は浮世の感覚から遠くはなれていた。だから、玉音の放送ということがどういう意味を持つのか、はっきり判らなかった。が、今までにないという意味から、重大なことらしいという事は想像出来た。不安が、私をいらだたせた。

 午前中の当直であったから、私は聞きに行けない。当直が終り、すぐ居住区に戻って来た。放送は、山の下の広場であった。そこに皆が集って聞いている筈(はず)であった。居住区で飯を食べ終っても、放送を聞きに行った兵隊たちは帰って来なかった。

「ずいぶん長い放送だな」

 私は莨(たばこ)に火をつけ、壕の入口まで出て行った。見下す湾には小波が立ち、つくつく法師があちらでもこちらでも鳴いていた。日ざしは暑かったが、どことなく秋に向う気配があった。目をむけると、三々五々、兵たちが居住区に戻って来る。放送が終ったのらしかった。

「何の放送だった」

 壕に入ろうとする若い兵隊をつかまえて、私は聞いた。

「ラジオが悪くて、聞えませんでした」

「雑音が入って、全然聞き取れないのです」

 も一人の兵隊が口をそえた。

「それにしても長かったな」

「放送のあとで、隊長の話があったのです」

「どういう話なんだ」

――皆、あまり働かないで、怠けたり、ずる寝をしたがる傾きがあるが、戦争に勝てば、いくらでも休めるじゃないか、奉公するのも、今をのぞいて何時奉公するんだ、と隊長は言われました」

「戦争に勝てば、と言ったのか」

「はい」

 敬礼をして、兵隊は壕の中に入って行った。私は、莨を崖の下に捨てると、暗号室の方に歩き出した。

 昨日、通信長が、暗号室に入って来て、暗号書の点検をし、こういう情勢で何時敵が上陸して来るか予測を許さんから、その時にあわてないように、不用の暗号書、あまり使わない暗号書は、焼いてしまったがよかろうと言った。今日午後、それを燃すことになった。私も、それに立会おうと思った。

 暗号室に近づくと、二三人の兵隊が、それぞれ重そうな木箱をかついで来るのに出会った。

「暗号書かね」

「そうです」

 私達は山の上につづく道を登って行った。私と同じ階級の電信の下士が、ガソリンの瓶(びん)を持って後につづくのと一緒に、私も肩をならべて山の方に引き返して歩いた。

 林を隔てて、見張台と反対の斜面に一寸した窪みがあって、兵隊はそこに木箱を下し、腰かけて汗をふいていた。私達が近づくと、それぞれ立ち上って、箱から暗号書を出し始めた。皆赤い表紙の、大きいのや小さいの、手摺(てず)れしたのやまだ新しい暗号書が、窪みにうずたかく積まれた。

 電信の下士が向う側に廻って、一面にガソリンをふりかけた。私がマッチをすった。青い焰が燃え、赤い表紙が生き物のように反(そ)り始め、やがてそれが赤い焰になって行った。かすかな哀惜の思いに胸がつまった。私は電信の下士官に話しかけた。

「今日の放送は、何だったのかな」

「さあ本土決戦の詔勅だろうと言うのだがね」

「誰が言ったんだね」

「電信長もそう言ったし、吉良兵曹長もそんなことを言った」

 私は焰を眺めていた。熱気が風の具合でときどき顔にあたった。厚い暗号書は燃え切れずにくすぶったと思うと、また頁がめくれて新しく燃え上った。煙がうすく、風にしたがって空を流れた。布地の燃える臭いが、そこらにただよっていた。時々、何か燃えはじける音がして、火の粉がぱっと散った。

「いよいよ上陸して来るかな」

 棒で暗号書をつつき、かき寄せると、また新しい焰が起った。煙がさらにかたまって上った。

「あまり煙を出すと、グラマンが来たとき困るぞ」

「今日も来ないよ。昨日も来なかったから」

 そう言えば、グラマンは、見張の男を殺した日を最後に、昨日も一昨日も姿を見せなかった。飛行機が来ないということは、上陸の期がいよいよ迫って来ているせいではないかと思った。散発的な襲撃を止めて、大挙行動する整備の状態にあるのではないか。

(上陸地点が、吹上浜にしろ、宮崎海岸にしろ、どの途(みち)此処は退路を断たれる)

 山の中に逃げ込むとしても、幅の薄い山なみで逃げ終(おお)せそうにもない。ことに、此処は水上特攻基地だから、震洋艇か回天が再び還らぬ出発をした後は、もはや任務は無い筈であった。小銃すら持たない部隊員たちに、その時どんな命令が出るのだろう。

 ぼんやり焰の色を見ていた。焰は、真昼の光の中にあって、透明に見えた。山の上は、しんと静かであった。物の爆(は)ぜる音だけが、静かさを破った。兵隊が話し合う声が、変に遠くに聞えた。なびく煙の向うに、桜島岳が巨人のようにそびえていた。その山の形を眺めているうちに、静かな安らぎが私の心に湧き上って来た。

 退路を断たれようとも、それでいいではないか。何も考えることは止そう。従容(しょうよう)とは死ねないにしても、私は私らしい死に方をしよう。私の死骸が埋まって、無機物になってしまったあとで、日本にどんなことが起り、どんな風に動いて行くか、それはもはや私とは関係のないことだ。あわてず、落着いて、死ぬ迄は生きて行こう。――

「村上兵曹。この木箱も燃しますか」

「うん。燃してしまえ」

 木箱は音を立ててこわされ、次々に投げ込まれた。新しい材料を得て、焰は飴(あめ)のように粘(ねば)っこく燃え上った。何気なく手をポケットに入れた。何かがさがさした小さなものが手指に触れた。つかんで、取り出した。一昨昨日捕えたつくつく法師の死骸であった。すっかり乾いていて、羽は片方もげていた。私の掌の上で転(ころ)がすと、がさがさと鳴った。他の者に見られないようにそっと、私はそれを火の中に投げこんだ。燃え焦(こが)れた暗号書の灰の中に、それは見えなくなった。

 死ぬ瞬間、人間は自分の一生のことを全部憶(おも)い出すとか、肉体は死んでも脳髄は数秒間生きていて劇烈な苦痛を味わっているとか、死んだこともない人間によって作られた伝説は、果して本当であろうか。見張の男の死貌(しにがお)はまことにおだやかであったけれども、人間のあらゆる秘密を解き得て死んで行った者の貌(かお)ではなかった。平凡な、もはや兵隊でない市井人(しせいじん)の死貌であった。私が抱き起したとき見た、着ている服の襟の汚れを、何故か私はしみじみ憶い出していた。――

 夕方になって、暗号書は燃え尽きた。灰をたたいて、燃え残りがないかを確かめて、私等は戻って来た。

 居住区に入ると、奥に吉良兵曹長が腰をおろしていた。片手に軍刀を支え、湯呑みから何かのんでいた。アルコールに水を割ったものらしかった。かすかにその匂いがした。

「焼いてしまったか」

「もう、すみました」

 私は手に持った上衣を寝台にかけ、卓の方に近づいた。

「兵隊」

 衣囊の整理をしていたらしい兵隊が、急いで吉良兵曹長のところに来た。

「暗号室に行ってな、今日の御放送の電報が来ていないか聞いて来い」

 兵は敬礼をすると、急ぎ足で壕を出て行った。他に兵は誰も居なかった。壕内は、私と兵曹長だけだった。皆、相変らず穴掘りに行ったのらしかった。私は吉良兵曹長に向き合って腰かけた。吉良兵曹長は例の眼で私を見返した。しゃがれた声で言った。

「いよいよ上陸して来るぞ。村上兵曹」

「今日の放送が、それですか」

「それは、判らん。此の二三日、敵情の動きがない。大規模の作戦を企(たくら)んでいる証拠だ。覚悟は出来ているだろうな」

 嘲(あざ)けるような笑い声を立てた。

「もし、上陸して来れば――此の部隊はどうなりますか」

「勿論、大挙出動する」

「いや、特攻隊は別にして、残った設営の兵や通信科は」

 俄(にわ)かに不機嫌な表情になって、私の顔を見て、湯呑みをぐっと飲みほした。

「戦うよ」

「武器は、どうするんです。しかも、補充兵や国民兵の四十以上のものが多いのに――

「補充兵も、戦う!」

 たたきつけるような口調であった。

「竹槍がある」

「訓練はしてあるのですか」

 私を見る吉良兵曹長の眼に、突然兇暴な光が充ちあふれた。臆してはならぬ。自然に振舞おう。私はそう思い、吉良兵曹長の眼を見返した。

「訓練はいらん。体当りで行くんだ。村上兵曹、水上特攻基地に身を置きながら、その精神が判らんのか」

「何時出来るか判らない穴を掘らせる代りに訓練をしたらどうかと、私は思います」

 全身が熱くなるような気になって、私も言葉に力が入った。吉良兵曹長は、すっくと立ち上った。卓を隔てて、私にのしかかるようにして言った。

「俺の方針に、絶対に口を出させぬ。村上。余計なことをしゃべるな」

 言い知れぬ程深い悲しみが、俄かに私を襲った。心の中の何かが、くずれ落ちて行くのを感じながら、私は身体を反(そ)らせ、じっと吉良兵曹長の眼に見入った。吉良兵曹長の声が、がっと落ちかかって来た。

「敵が上陸したら、勝つと思うか」

「それは、わかりません」

「勝つと思うか」

「勝つかも知れません。しかし――

「しかし?」

「ルソンでも日本は負けました。沖繩も玉砕しました。勝つか負けるかは、その時にならねばわからない――

「よし!」

 立ち断(き)るように吉良兵曹長はさけんだ。獣のさけぶような声であった。硝子玉(ガラスだま)のように気味悪く光る瞳を、真正面に私に据えた。

「おれはな、敵が上陸して来たら、此の軍刀で――

 片手で烈しく柄頭(つかがしら)をたたいた。

「卑怯未練な奴をひとりひとり切って廻る。村上。片っぱしからそんな奴をたたっ切ってやるぞ。判ったか。村上」

 思わず、私も立ち上ろうとしたとたん、壕の入口から先刻の兵が影のように入って来た。つかつかと私達の処に近づいた。両足をそろえると、首を反(そ)らしてきちんと敬礼した。はっきりした口調で言った。

「昼のラジオは、終戦の御詔勅であります」

「なに!」

 卓に手をついて腰を浮かせながら、私は思わずさけんだ。

「戦争が、終ったという御詔勅であります」

 異常な戦慄が、頭の上から手足の先まで奔(はし)った。私は卓を支える右手が、ぶるぶるとふるえ出すのを感じた。私は振り返って、吉良兵曹長の顔を見た。表情を失った彼の顔で、唇が何か言おうとして少しふるえたのを私は見た。何も言わなかった。そのままくずれるように腰をおろした。やせた頰のあたりに、私は、明かに涙の玉が流れ落ちるのをはっきり見た。私は兵の方にむきなおった。

「よし。すぐ暗号室に行く。お前は先に行け」

 私は卓をはなれた。興奮のため、足がよろめくようであった。解明出来ぬほどの複雑な思念が、胸一ぱいに拡がっては消えた。上衣を掛けた寝台の方に歩きかけながら、私は影のようなものを背後に感じて振り返った。

 乏しい電灯の光の下、木目の荒れた卓を前にし、吉良兵曹長は軍刀を支えたまま、虚ろな眼を凝然と壁にそそいでいた。卓の上には湯呑みが空(から)のまま、しんと静まりかえっていた。奥の送信機室は、そのまま薄暗がりに消えていた。

 私はむきなおり、寝台の所に来た。上衣を着ようと、取りおろした。何か得体(えたい)の知れぬ、不思議なものが、再び私の背に迫るような気がした。思わず振り返った。

 先刻の姿勢のまま、吉良兵曹長は動かなかった。天井を走る電線、卓上の湯呑み、うす汚れた壁。何もかも先刻の風景と変らなかった。私は上衣を肩にかけ、出口の方に歩き出そうとした。手を通し、ぼたんを一つ一つかけながら、異常な気配が突然私の胸をおびやかすのを感じた。私は寝台のへりをつかんだまま三度ふり返った。

 卓の前で、腰掛けたまま、吉良兵曹長は軍刀を抜き放っていた。刀身を顔に近づけた。乏しい光を集めて、分厚な刀身は、ぎらり、と光った。憑(つ)かれた者のように、吉良兵曹長は、刀身に見入っていた。不思議な殺気が彼の全身を包んでいた。彼の、少し曲げた背に、飢えた野獣のような眼に、此の世のものでない兇暴な意志を私は見た。寝台に身体をもたせたまま、私は目を据えていた。不思議な感動が、私の全身をふるわせていた。膝頭が互いにふれ合って、微かな音を立てるのがはっきり判った。眼を大きく見開いたまま、血も凍るような不気味な時間が過ぎた。

 吉良兵曹長の姿勢が動いた。刀身は妖(あや)しく光を放ちながら、彼の手にしたがって、さやに収められた。軍刀のつばがさやに当って、かたいはっきりした音を立てたのを私は聞いた。その音は、私の心の奥底まで沁みわたった。吉良兵曹長は軍刀を持ちなおし、立ち上りながら、私の方を見た。そして沈痛な声で低く私に言った。そのままの姿勢で、私はその言葉を聞いた。

「村上兵曹。俺も暗号室に行こう」

 

[やぶちゃん注:「玉音」天皇の肉声の意であるがここは玉音放送で、昭和二〇(一九四五)年八月十五日正午に社団法人「日本放送協会」(現在のNHKラジオ第一放送)から放送された当時の今上天皇(昭和天皇・裕仁)による終戦の詔書。ウィキの「玉音放送」によれば、正午以降に玉音盤を再生した狭義の玉音放送は約五分であったが、その前後に行われた終戦関連ニュース放送等(詔書の前後には「君が代奏楽」もある)を含む放送時間は約三十七分半もあったとある。主人公村上兵曹は当直であったためにこれを聴いていない。従って、その詔書をここに電子化する必要を私は認めない。リンク先にあるのでそれを参照されたい。

「小銃」ライフル銃。

「従容(しょうよう)」ゆったりと落ち着いている様子。

「ルソンでも日本は負けました」ルソン島(フィリピン語:Luzon)は現在のフィリピン共和国のフィリピン諸島の北に位置する最も面積の大きな島。首都マニラやケソンを擁する現在のフィリピンの政治・経済でも最も重要な位置を占める島である。当時のフィリピンアメリカ合衆国の保護国でフィリピン自治領であったが、昭和一六(一九四一)年十二月、アメリカ合衆国軍との間に開戦した大日本帝国軍がアメリカ合衆国軍を放逐してマニラ市に上陸、アメリカ合衆国陸軍司令官ダグラス・マッカーサーはオーストラリアに逃亡、大日本帝国陸軍は翌昭和十七年上半期中にフィリピン全土を占領した。その後、昭和一九(一九四四)年から昭和二〇(一九四五)年にアメリカ軍を中心とする連合国軍はフィリピン奪回を目指し、防衛する日本軍との間で戦闘が行われた。日本軍は「捷一号作戦」と呼ばれる計画に基づいて防衛を試みたが、連合軍が勝利を収めた。その「フィリピンの戦い」中でもここで言うのは「ルソン島の戦い」で、昭和二〇(一九四五)年一月六日から終戦までフィリピン・ルソン島で行われた日本軍(第十四方面軍:司令官山下奉文大将)とアメリカ軍の陸上戦闘のことを指している。日本の敗戦まで戦闘は続いたものの、首都マニラは同年三月にアメリカ軍が制圧しており、村上兵曹のこの言葉はそのマニラ陥落時を指している(以上は複数のウィキペディアの記載を参考にした)。]

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