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2016/01/06

梅崎春生「幻化」附やぶちゃん注 (11)

 

     砂  浜

 

 薩摩の言葉は判りにくい。早口でしゃべられると、全然判らない。外国の言葉を聞いているようだ。小型トラックの荷台に腰をおろして、まわりの風景を眺めながら、五郎はそう考えた。空の荷台には、五郎の他に、もう一人若者が乗っている。それが運転手と話し合う。何の意味か、さっぱり理解出来ない。他国の人間や隠密(おんみつ)が這(は)入り込まないための、島津藩の言語政策だという説を聞いたが、それはうそだろう。言葉とはそんなものでなかろう。そう思ってはいるが、五郎はしだいに自分が隠密であるような気がして来る。

 今朝、彼は密航者であった。

 十時に朝食をとったが、眼が覚めたのは、ずっと以前である。やかましい音がする。五郎は掛布団を頭までかぶる。

〈うるさいじゃないか。病院だというのに!〉

 布団の重さや感触の違うことに、すぐ気がつく。五郎は布団をはねて飛び起きた。窓をあけると、数え切れぬほどの鴉(からす)が高く低く飛び交い、鳴き交わし、その声が空をひっかき廻すようだ。彼はいささか動転して、鴉たちの動作をしばらく見上げていた。

〈これはまるで鴉の町じゃないか〉

 乾いた下着を取入れ、五郎は窓をしめ、寝床にとって返した。しかしもう眠る気がしない。また窓を細めにあけ、外の様子をうかがう。こんなにかしましい鴉声は、記憶にない。二千羽いるとのことだが、戦後急に殖(ふ)えたわけではあるまい。戦争中にも啼いていた筈だ。どうして記憶から脱落したのか。戦争生活の荒々しさに紛れてしまったのか。

 五郎は低い中二階の突上窓から顔をのぞかせ、しばらく外の様子をうかがっていた。この宿は坊のメインストリートから、すこし山手になっているので、家の屋根屋根が見える。瓦は関東などと違って、きめがこまかく、しつとりした微妙な美しさをたたえている。道が見えるが、人通りはほとんどない。まだ戸をしめている家さえある。五郎は眼を鷹(たか)のように光らせ、人や鳥の動きに注意を払っていた。

〈おれは密航者だ〉

 だんだんそんな気分になって来る。この部屋だって、そうだ。あかずの間やかくれ納戸(なんど)や飛び降り障子や、ふしぎな造りになっている。何故そんな遣り方をしたのか。密航者のためのものだという以外には考えられない。五郎は眼を細くしたり太くしたり、顔を傾けたりして、約一時間外界の動きを観察していた。やがて鴉の数が少しずつ減り、喧声もおさまり始めた時、五郎はやっと腰を上げ、とんとんと階段を降りて行った。風呂場で顔を洗うと、階下に食事の用意がととのっていた。

 庭に面した部屋で朝食をとる。庭にはサボテン、鶏頭、ゼラニューム、その他の花が咲いている。茶を飲みながら、五郎は主人に弁当を頼んだ。主人は承諾して言った。

「あんたはここで水死した兵隊さんの友達じゃそうですな」

「ええ」

 あの女がしゃべったな、と思いながら五郎はうなずいた。主人はそれだけで、あとは追求しなかった。やがてトラックがやって来た。彼は弁当を受取り、主人の贈物のサイダー瓶に入った芋焼酎をかかえ、トラックの荷台に飛び乗る。宿賃は意外に安かった。手を振って、トラックは動き出した。

 荷台の上のカンバスをたたんで腰掛け代りにする。しかし道が悪いので車は揺れ、時々ずしんと腰を突き上げて来る。昨夜は熟睡した筈だが、まだ瞼のあたりに疲労が残っている。荷台の若者と運転手は、意味の判らない早口の会話を交わし、笑い合う。五郎は訊ねてみる。

「この車、泊を通るのかね?」

「はい。通ります」

 ちゃんとした標準語で答える。こちらの言葉を理解し、きちんと返事が出来るのだ。ふたたび若者同士の会話になると、鴃舌(げきぜつ)のたぐいに戻る。五郎は疎外感を感じながら思った。

〈おれはあまりしやべらない方がいいらしいな〉

 泊の町に入った時、五郎は背を丸め、何かをねらう眼付きになって、町並や通行人の動きに注意を集中した。しかし町並は短く、あっという間に通り過ぎた。五郎は緊張を解き、背を伸ばした。

 それからしばらく、五郎は膝を立てて手を組み、車の揺れに体を任していた。日がうらうらと照り、左手の方向に海が見えたりかくれたりする。右手はずっとシラス台地で、ところどころに部落があり、時には煙突が見え、合同焼酎製造工場という文字なども読めた。やがてトラックは橋を渡った。

「これが万瀬川です」

 聞きもしないのに、若者が教えて呉れた。

「ここらから吹上浜になるんです」

「君はどこの生れかね?」

「わたくしの生家は伊作です」

 若者は白い歯を見せて笑った。

「アメリカ軍が吹上浜に上陸して来るというので、あの頃は皆びくびくしていましたよ。二十年前ね」

「君はいくつ?」

「二十八歳です」

「じゃ国民学校の頃だね」

「はい。八歳の時です」

 トラックを乗り捨て、まっすぐ浜へ歩く。防風林を抜けると砂丘となり、海浜植物が茂っている。植物の名は知らないが、浜木綿(ほまゆう)とか浜防風とか呼ぶのだろう。砂丘にしがみつくようにして、群生している。そこらに腰をおろして、彼は海を見渡した。沖に大きな島かげが見えた。甑島(こしきじま)だ。空気がかすんでいるので、甑島はちょっと見には、九州本土につながった半島か岬のように見える。水平線は漠として見えない。あそこらが東シナ海になるのだ。

 しんとしている。

 いや、しんしんと、耳鳴りがしている。

 鴉の声、トラックの振動音、それから一挙に解放され、耳がバカになったようだ。砂浜は大きく彎曲(わんきょく)して凹んでいる。海が長年かかって、浸蝕したのである。今眺める海は静かだが、石垣島あたりで発生した台風が、枕崎や佐多岬に上陸して荒れ狂い、鹿児島から北上する。そんな時に吹上浜の浪は砂丘まで襲いかかり、砂をごっそり持って行くのだ。五郎は戦争中、坊津に行く前に、吹上浜の基地を転転とした。それでこの海のこわさは知っている。

「隠密だの、密航者だのと――」

 呟(つぶや)きながら立ち上る。

「おれもちょっと甘ったれているな」

 波打際に出て、五郎は靴を脱いだ。靴と弁当を振り分けにして肩にかけ、ズボンをまくり上げる。サイダー瓶を下げたまま、海の中に歩み入る。脛(すね)までひたして、がばがばと歩き廻り、また波打際にとって返す。波打際で海に向って立っていると、波が静かに押し寄せて来て、蹠(あしうら)や踵(かかと)の下の砂をすこしずつ攫(さら)って行く。このくすぐったい感じは、何年ぶりのものだろう。

 五郎は北に向って歩き出した。

 歩くにつれて、右手の風景、防風林や砂丘の形は、次々に変化するが、左手の海はほとんど変らない。砂は白く粒がこまやかで、ところどころに貝殻が散らばっている。片貝や巻貝。砂や浪に磨き上げられ、真白に輝いている。五郎は時々立ち止り、珍しい形や美しいのを拾い上げて、ポケットに入れる。

 約二キロ歩いた。

 砂丘に上って、腰をおろす。ふり返ると、彼の足跡が浜に一筋つながっている。それを眺めていると、眼がまぶしく、すこし眠くなって来る。疲れて来たのだ。

「すこし飲むか」

 まだ弁当を開くほど腹は減ってない。彼は上衣を脱いだ。背中がすこし汗ばんでいる。瓶が少々荷厄介になって来ている。折角の贈物だから、捨てるわけには行かない。五郎は栓を抜き、一口含んだ。甘ったるく強烈なものが、食道を伝って胃に降りて行くのが判る。

 五郎はポケットから、貝殻をざくざくつかみ出して、そこに並べる。ついでにもう一口飲んだ。

 風景が急に活き活きと、立体感を持ち始めて来た。ぼんやりと明るい風光が、むしろ蒼然と輪郭をはっきりして来る。背中が微風でひやりとする。

「何だかだと言いながら――」

 考えが呟きになって出て来る。酔いがすこし廻って来たのだ。やっとその頃、手や足の先がじんとして来る。

「皆どうにかやってるじゃないか」

 トランク男の丹尾や昨夜の女のことを思い出しながら、そう言ってみる。次に、ヒマラヤ杉に囲まれた精神科病室のことが、胸によみがえって来る。五郎は貝殻を掌に乗せて、しげしげと眺める。どうせおれもあの病室に戻らねばならないだろう。瞬間、五郎は眩暈(めまい)を感じた。

 

[やぶちゃん注:「他国の人間や隠密(おんみつ)が這(は)入り込まないための、島津藩の言語政策だという説を聞いたが、それはうそだろう」私も母や母方の祖父・父方の祖母(これで私が薩摩隼人の血が濃いという理由がお分かり戴けるであろう。私の両親は従兄妹同士なのである)からそう聴かされ、確かに、そう信じ込んできた。しかし、ウィキの「薩隅方言」(さつぐうほうげん)によれば、『薩隅方言は、アクセント等が関東方言や関西方言と大きく異なっていることはもちろん、他の九州各地の方言と比較しても、語韻の踏み方や間の取り方、言い回しなどが大きく違っていて、耳にした者に強い印象を与える傾向がある』。『こうした印象を受け、薩隅方言人工言語説がまことしやかに語られることがある。中央の言葉とは全く異なる言葉を使うことで情報の漏れを防ぎ、幕府の隠密の侵入を難しくする、他国人を言葉で聞き分けるといったことを企図して、薩摩藩が意図的に自国の言葉を作り替えたのだ、というものである』。『たとえば横山光輝の漫画、「伊賀の影丸」の第一話では、服部半蔵が薩摩藩についてこのような発言をするなど、時代劇において薩摩藩の優れた戦略性、手強さを盛り上げるエピソードとして使われることがある』。『但し、この言説については、信頼できる言語学関連の学会で肯定的に取り上げられたことはない』とある。因みに、主人公五郎は梅崎春生と同じく、海軍の暗号兵であるから附記しておくと、同ウィキには、「暗号に使われた薩隅方言」という項があり、『第二次世界大戦中の』昭和一八(一九四三)年に『ドイツから日本へ寄贈された』二隻の『潜水艦のうちの』一隻、『U-511には軍事代表委員の野村直邦中将が便乗することになっていた。当時日本の外務省と在独大使館間の情報交換は、乱数表を用いた暗号電報を使用していた。ところが、戦況の悪化に伴い』、『使用が困難になった。そこで、重大機密事項である潜水艦U-511の出航に関する情報交換に採用した暗号が「早口の薩隅方言」だった』。『出航前後に十数回、堂々と国際電話を使って話を伝えた。アメリカ海軍情報局は当然のことながらこの通話を盗聴し、さまざまな方法で暗号の解読に努めたものの、最初はどの国の言語かもわからなかった。世界中の部族の言語まで調べた挙句、加治木出身の日系二世・伊丹明の手により、ようやく薩隅方言だと特定された』(加治木は旧姶良(あいら)郡加治木町(かじきちょう)現在は姶良市内)とある。

「ゼラニューム」フウロソウ目フウロソウ科テンジクアオイ属 Pelargonium の園芸品種の一般通称であるが、ウィキの「テンジクアオイ属」を見ると、『普通、園芸植物として栽培されるものはゼラニウムと総称されるが、紛らわしいことに、ゼラニウムとは同じ科の』本邦の民間治療で整腸生薬として用いられることで知られるフウロソウ科フウロソウ属ゲンノショウコ節ゲンノショウコ Geranium thunbergii)『などが含まれるフウロソウ属(Geranium)のことでもある。この』二つの『属に属する植物は元は Geranium 属にまとめられていたが』、一七八九年に『多肉質の Pelargonium 属を分離した。園芸植物として栽培されていたテンジクアオイ類はこのときに Pelargonium 属に入ったのであるが、古くから Geranium (ゼラニウム、ゲラニウム)の名で親しまれてきたために、園芸名としてはゼラニウムの呼び名が残ったのである。園芸店などでも、本属植物の一部をラテン名でペラルゴニウム(Pelargonium)で呼び、その一方で本属植物の一部を「ゼラニウム」と呼んでいることがあり、これらは全然別の植物のような印象を与えていることがある。ペラルゴニウムとゼラニウムを意識的に区別している場合は、ペラルゴニウム属のうち一季咲きのものをペラルゴニウム、四季咲きのものをゼラニウムとしているようである』であるとある。「ゼラニュームなんざ、知ってるから注なんぞいらねえ!」と言われる御仁、このこと知ってました?

「鴃舌(げきぜつ)」「鴃」は 、秋から十一月頃にかけて「高鳴き」と呼ばれる激しい鳴き声を出して縄張り争いをすることから「百舌」とも書く、スズメ目スズメ亜目モズ科モズ属モズ Lanius bucephalus  の「舌」=「囀り」の意で、一般には日本人でない外国人の話すところの意味の分らない言葉を卑しめて言う差別語である。

「シラス台地」「シラス」は「白砂」「白州」のこと。主にウィキの「シラス(地質)」から引く。『九州南部一帯に厚い地層として分布する細粒の軽石や火山灰で』、『鮮新世から更新世にかけての火山活動による噴出物であるが、地質学においてはこのうち特に入戸火砕流』(「入戸」は「いと」或いは「いりと」と読む。約二万五千年前に現在の鹿児島湾と桜島を囲む巨大カルデラ姶良(あいら)カルデラの大噴火で発生した大規模な火砕流)『による堆積物を指す。古くは白い砂を意味する一般的な言葉であり、現代でも東北地方においてはこの意味で使われる』。『九州南部の平地を中心に分布しており、鹿児島湾北部を囲む地域において最も厚く、湾から遠ざかるに従って薄くなり熊本県人吉市や水俣市、宮崎県宮崎市にも分布している。鹿児島県内でおおむね』数十メートル程度、最大約百五十メートルもの『厚みがある。鹿児島市北西部から日置市にかけて広がる丘陵地や、鹿屋市を中心として広がる笠野原台地は、ほぼ全体がシラスで形成されている。また、霧島市付近に広がるテーブル状の丘陵群は別の地層の上にシラス層が重なるようにして形成されている。上面は平坦になっておりシラス台地と呼ばれる台地を構成している』とあり、ウィキの「シラス台地」によれば、鹿児島市の実に五十二%をシラス台地が占めるとある。実は、実感としてそれを知る私自身にはこんなインキ臭い注は本来は不要である。私の母の実家(現在は消失)は鹿児島の大隅半島の曽於(そお)市大隅町岩川であったからである

「合同焼酎製造工場」これは所謂、狭義の社名等の固有名詞ではなく、単に幾つかの焼酎製造業者が協力して金を出しあって作った同一の工場で蒸留作業を行っているもののようである。

「万瀬川」現行では万之瀬川(まのせがわ)と表記する。薩摩半島中部を流れる河川で、鹿児島県鹿児島市下福元町錫山(すずやま)の鬼燈火谷(ふずつがたに)付近を水源とし、吹上浜南端部近くで東シナ海に注いでいる。参照したウィキの「万之瀬川」には、『万之瀬川の河口付近は古くから良好な自然の港として利用されて』おり、一九九六年に流域支流内になる『日置郡金峰町(現南さつま市)宮崎において発掘調査が行われ』、十一世紀後半から十五世紀前期までの『多くの陶磁器が発見されている。中国産のものと国産のものが両方見つかっており、中国からの輸入拠点であると同時に国産陶磁器の流通拠点としても用いられていたことが分かっている。南さつま市においては唐仁原(とうじんばら)の地名が残っており、中国商人の拠点があったのではないかと想定されている』。『こうした港としての繁栄は』、大正二(一九一三)年に『南薩線が開通して以降は衰退した』とあり、また、海岸に自生する塩生植物で夏に黄色の花を咲かせる双子葉植物綱ビワモドキ亜綱アオイ目アオイ科フヨウ属ハマボウ(浜朴)Hibiscus hamabo の群落や節足動物門甲殻亜門軟甲綱十脚(エビ)目抱卵(エビ)亜目短尾(カニ)下目スナガニ上科スナガニ科シオマネキ属ハクセンシオマネキ Uca lactea などの干潟生物及び、越冬のために冬鳥として飛来する鳥綱コウノトリ目トキ科ヘラサギ属クロツラヘラサギ Platalea minor などの『水鳥が多く見られることから、万之瀬川河口域のハマボウ群落及び干潟生物群集として日本国の天然記念物に指定されている』ともある。

「伊作」旧鹿児島県日置郡伊作町大字中原、現在の日置市吹上町中原。先の万之瀬川河口から東北に直線で九キロメートル弱に位置する。

「浜木綿(ほまゆう)」単子葉植物綱キジカクシ目ヒガンバナ科ハマオモト属ハマユウ Crinum asiaticum 。九月は本種の開花期に相当する。ウィキの「ハマユウ」によれば、『花は短い柄の先にあって白く細長い』六枚の花被を持ち、『花弁の根本の方は互いに接して筒状、先端部はバラバラに反り返る。花は日没前後から強い芳香を発するようになり、大型のスズメガ科のガが吸蜜に訪れて花粉を媒介する』とあり、本篇には相応しい花ではある。

「浜防風」海岸性の多年草で山菜として食用にする双子葉植物綱セリ目セリ科ハマボウフウ属ハマボウフウ Glehnia littoralis 。花は肉質の白色でカリフラワーに似ているが初夏で、これもこの時期には咲いていない。寧ろ、五郎の網膜に映っているのは、確実にこれと発音も似ている、ここに自生する現在希少種化しつつある先に示した双子葉植物綱ビワモドキ亜綱アオイ目アオイ科フヨウ属ハマボウ Hibiscus hamabo の美しい黄色の花の群落であって欲しい気も私はする(但し、ハマボウの花期は七~八月ではある)。

「甑島(こしきじま)」甑島列島(こしきしまれっとう:現行は濁らないのを行政上で正式化してしまったが、島民からは反発があるという)。東シナ海上の鹿児島県薩摩川内市に属する列島で、上甑島(かみこしきしま)・中甑島(なかこしきしま)・下甑島(しもこしきしま)の有人島三島と多数の小規模な無人島から成る。名は中甑島北部にある「甑」(蒸籠(せいろ))の形をした巨石を甑大明神として崇拝したことに由来するという(以上はウィキ甑島列島に拠った)。地図上での推測であるが、同列島は吹上浜から見るなら、三つの島が東北から南西にごく接近して入り込むようにあって完全な一つの島のように見え、しかも本土側の鹿児島県薩摩川内(せんだい)市の東部が、やはり長い吹上浜の南から見ると有意に半島状に著しく西へ出っ張って見えるに違いなく、しかも計測してみると、間の海峡上の箇所が二十二キロメートルほどしかないことから、五郎のいうように、「空気がかすんでい」て「水平線は漠として見えない」状態であればなおさらのこと、遠く遠望するそれは「九州本土につながった半島か岬のように見える」ものと思う。

「石垣島あたりで発生した台風」この言い方はちょっと気になる。石垣島が台風の直撃を受けるニュースはたびたび聴くが、石垣島付近で台風が発生するというのは、私はあまり聴いた記憶がないからである。台風はもっと東南方の太平洋上で発生するのではあるまいか? 私の認識が誤っているというのであれば、御教授あられたい。

「佐多岬」鹿児島県肝属(きもつき)郡南大隅町佐多馬籠(さたまごめ)の大隅海峡に面する九州本島の最南端にある岬。

「五郎は戦争中、坊津に行く前に、吹上浜の基地を転転とした」底本全集第一巻(「桜島」所収)の本多秋五氏の「解題」には梅崎春生の軍歴が以下のように記されてあって、『佐世保海兵団に入り、そこから防府の海軍通信学校に派遣され、ふたたび佐世保へよび返されて、こんどは佐世保通信隊に配置』となった。昭和二〇(一九四五)年の初め頃に『最初の実施部隊として指宿(いぶすき)の航空隊の通信科に転勤』、同二十年『五月に海軍二等兵曹に任官』、その後、谷山基地(薩摩半島東側の旧谷山市内。現在は新制鹿児島市谷山地区で市南部に位置する)『からK基地へ、K基地』(小説「眼鏡の話」に出る)『から坊津へ派遣され、そこから谷山へ帰還を命ぜられ』て『桜島へ赴任したらしい』とある。何故、「らしい」なのかと言えば、実は春生は、この時の体験を後の本作や「幻化」に反映させているにも拘わらず、配属された坊津の海軍特別攻撃隊などについては生涯一切語ることがなかったからである(この部分はウィキの「梅崎春生」に拠る)。本多氏は、この謎の『K基地』については『どこかは不明だが、『眼鏡の話』に、そこが吹上浜の真正面にあたるとあるのが、『幻化』のなかで、主人公は「坊津に行く前に、吹上浜の基地を転々とした」とあるのに符合する』と述べておられる(下線やぶちゃん)。

「片貝」「かたがい」であろう。斧足類、所謂、二枚貝の死貝の左右の貝殻の一方を指す。]

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