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2016/01/08

梅崎春生「幻化」附やぶちゃん注 (24)

 

 バスの終点でぞろぞろ降りた。かなり広い待合所がある。そこからケーブルカーが出る。壁にかかった大きな時間表の前に立ち、丹尾は見上げていた。五郎は近づいて、うしろから肩をたたいた。丹尾はぎょっとして振返った。

「あ!」

 丹尾は黒眼鏡を外(はず)し、とんきょうな声を立てた。丹尾の体から酒のにおいがぶんぷんただよっている。五郎は言った。

「また逢ったね」

「あんた、まだ生きてたんですか?」

 君はまだ生きていたのか、と彼は反問しようと思ったがやめた。

「生きているよ。おれに死ぬ理由はない」

「では枕崎でぼくをすっぽかして、どこに行ったんです?」

「坊津に行ったよ」

「おかしいな」

 丹尾は首をかしげた。丹尾の顔は疲労のためか、酔いのせいか、四日前にくらべると、すこし憔悴し荒んでいた。

「坊津の宿屋に電話したんですよ。するといなかった」

「電話のあとに到着したんだ。面倒だから、君んとこに連絡しなかった」

 丹尾は返事をしないで、彼の顔をじっと見ていた。少し経って、かすれた声で言った。

「散髪しましたね。しかしあんたはなぜ東京から、枕崎くんだりまでやって来たんです」

「君には関係ないことだよ」

 以前にも同じ質問を受け、同じ答えをしたような気がする。

「君はケーブルカーに乗るんだろ」

「どうしようかと、今考えているところです」

 丹尾はトランクを下に置いた。

「来る時の飛行機のことを考えていたんですよ。何だか乗りたくない気がする」

「ケーブルが切れて墜(お)ちることかね?」

 五郎は言った。

「君には覚悟が出来てたんじゃなかったのか。いつでも死ねるという――」

「そ、そりゃ出来てますよ」

 丹尾は憤然と言った。自尊心を傷つけられたらしく、顔に赤みがさした。

「じゃケーブルに乗りましょう」

 ケーブルカーに乗り込む時、丹尾はたしかに力んでいた。必要以上に肩や手に力を入れ、トランクを抱いたまま、眼をつむっている。ケーブルカーの下の土地には、もう緑は見えず、一面茶褐色の岩や石だけである。

 終点についた。丹尾は全身から力を抜き、彼といっしょに降りた。火口はすぐである。火口壁の近くに立った時、さすがに五郎も足がすくんだ。

 火口壁はほとんど垂直に、あるいは急斜面になっていた。色は茶褐、緑青、黄土などが、微妙に混り合い、深く火口に達している。眼がくるめくほどの高さだ。風がないので、白い煙やガスがまっすぐに立ち昇っている。たぎり立つ熱泥が見える。眺めていると、体ごと引込まれそうだ。丹尾はひとりごとのように言った。

「自殺者にはあつらえ向きの場所だ」

 五郎は黙っていた。

〈なぜこの男は、おれと自殺とを結びつけようとするのだろう〉

 羽田を発つ時から、丹尾はそう決めてかかっていた。度度訂正をしたのに、その考えを捨てていない。それが彼には解(げ)せなかった。

「馬はどうです?」

 馬子が馬をひいて近づいて来た。

「火口を一周しますよ」

 五郎は手を振って断った。四、五歩後退しながら、丹尾に言った。

「弁当を食べないか?」

「弁当?」

 いぶかしげに丹尾は反問した。

「弁当、持ってんですか?」

「持ってるよ。二人前」

 彼は風呂敷をといた。中から折詰がふたつ出て来た。丹尾はあきらかに驚愕した。

「ぼくの分もつくって来たんですか?」

 彼は返事に迷った。女指圧師のことをしゃべるのは、面倒であり、重苦しくもあった。

「そうだよ」

 少し経って彼はうなずいた。

「ひとつは君の分だ」

「ど、どうしてぼくが――」

 丹尾はどもった。どもって、絶句した。

 

[やぶちゃん注:「とんきょう」「頓狂」「頓興」などと書き、出し抜けで調子はずれであるさま、間が抜けて調子外れであるさまを言うが、私などは「素っ頓狂(すっとんきょう)」以外に単独で使ったことはない(「すっ」は接頭語で、漢字表記通り「素(す)」に促音が添加されたもの。名詞・動詞・形容動詞に付いてその意味を強める)。

「ケーブルカー」本邦では山岳の急斜面などを鋼索(ケーブル)が繋がれた車両を巻上機等で巻き上げて運転する「鋼索(こうさく)鉄道」を「ケーブルカー」と称し、ロープウェイやゴンドラリフトなど(「普通索道」というらしい)のことを「ケーブルカー」というのは現行では一般的ではないが、参照したウィキの「ケーブルカー」には『イギリス英語では、Cable carはロープウェイを指す』とある。ここは鋼索鉄道のケーブルカーではなく、阿蘇山の火口縁に架かって営業されているゴンドラ型の「阿蘇山ロープウェー」を指している。ウィキの「阿蘇山ロープウェー」によれば(言っておくと、この営業上の固有名詞表記は「ロープウェー」でロープウェイではないので注意されたい)、営業開始は昭和三三(一九五八)年四月十日で、営業距離は八百五十八メートル、高低差は百八メートルある。『全世界で初の活火山に架けられたロープウェイ。阿蘇山中岳の西側から火口の縁までを登る』。現在の阿蘇山ロープウェー」公式サイトによれば、「阿蘇山西駅」から「火口西駅」までの所要時間四分とある。但し、現在(二〇一六年一月八日)は残念ながら、噴火警戒レベルが2(火口周辺規制)であるため、運行休止中である。

「緑青」老婆心乍ら、「ろくしょう」と読む。ここは色名の緑青色であるから、くすんだ緑、淡い青緑のことである。
 
「熱泥」老婆心乍ら、「ねつでい」と読む。

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