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2016/01/06

梅崎春生「桜島」附やぶちゃん注 (10)~「桜島」完

 

 壕を出ると、夕焼が明るく海に映っていた。道は色褪(あ)せかけた黄昏(たそがれ)を貫いていた。吉良兵曹長が先に立った。崖の上に、落日に染められた桜島岳があった。私が歩くに従って、樹々に見え隠れした、赤と青との濃淡に染められた山肌は、天上の美しさであった。石塊道(いしころみち)を、吉良兵曹長に遅れまいと急ぎながら、突然瞼を焼くような熱い涙が、私の眼から流れ出た。拭いても拭いても、それはとめどなくしたたり落ちた。風景が涙の中で、歪みながら分裂した。私は歯を食いしばり、こみあげて来る嗚咽(おえつ)を押えながら歩いた。頭の中に色んなものが入り乱れて、何が何だかはっきり判らなかった。悲しいのか、それも判らなかった。ただ涙だけが、次から次へ、瞼にあふれた。掌で顔をおおい、私はよろめきながら、坂道を一歩一歩下って行った。

 

[やぶちゃん注:前パートに続き、昭和二〇(一九四五)年八月十五日の夕刻の桜島がコーダのロケーションである。梅崎春生にはこの翌日八月十六日の日記が底本第七巻に載る。解題を見ると、実際にはもっとあるようであるが、この敗戦の年の日記は七月二十三日・八月二日・八月九日とこの日の四日分しか掲載されていない(全公開が待たれる)。私は既に八月二日と八月九日の分は本作の注で既に電子化しており、七月二十三日分は『梅崎春生「幻化」附やぶちゃん注(7)』の注に電子化してある。以下、八月十六日を引く。この四日分が現在知られている彼の昭和二〇年の日記の総てである。今まで通り、これに限っては恣意的に漢字を正字化して歴史的仮名遣に改めたので注意されたい。但し、「ソ聯」の「聯」の表記は原文のママである。

   *

八月十六日

 十二月八日が突然來たように、八月十五日も突然やつて來た。

 ソ聯の參戰。そして日ならずして昨日、英米ソ支四國宣言を受諾する旨の御宣言を受諾する旨の御宣詔。

 原子爆彈。

 昨日は、朝五時に起きて、下の濱辺で檢便があつた。

 朝食後受診。依然としてカユ食。

 夜九時から當直に行つた折、着信控をひらいて見て、停戰のことを知り、目をうたがふ。これから先どうなるのか。

 領土のこと。軍隊のこと。賠償のこと。

 又、ひいて、國民生活のことなど。いろいろ考へ、眠れず。

   *

日記中の「十二月八日」は謂わずもがな、真珠湾攻撃(日本時間昭和一六(一九四一)年十二月八日未明/ハワイ時間十二月七日)と、開戦の詔勅「米國及英國ニ對スル宣戰ノ詔書」を指す。「支」は、この時は未だ中華民国(中華人民共和国はこの四年後の一九四九年十月一日建国)。文面から察するにこの時、春生はかなり重い消化器不調を訴えていたようである。「原子爆彈」この時は流石に長崎に二つ目が投下されたことを知っていたであろう。所謂「玉音」、「大東亜戰争終結ノ詔書」にも「敵ハ新ニ殘虐ナル爆彈ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ慘害ノ及フ所眞ニ測ルヘカラサルニ至ル」とも既にあった以上、春生が長崎原爆投下をこの時点で知らなかったとは考えられない。「夜九時」当初、『日記の書き振りから見て、これは前日十五日の九時ではなく、この十六日のことであろう』と注していたが、後の梅崎春生の桜島の八月十五日によって、これは敗戦当日十五日のことであることが判明した。

 

   ※   ※   ※

 

 最後に私の「桜島」小攷を附す。

 芥川龍之介は「或舊友へ送る手記」(同文は死の当日の昭和二(一九二七)年七月二十四日の夜九時、自宅近くの貸席「竹村」で久米正雄によって報道機関に発表され、死の翌日の二十五日の『東京日日新聞』朝刊に掲載されたもの。リンク先は私の古いテクスト)で自死の理由を『何か僕の將來に對する唯ぼんやりした不安である』と述べている。彼の自殺の動機は、私は半分が極めてプライベートなものであり、後の半分は当時の日本の軍靴の音から恐懼した作家・文化人への弾圧の予兆、その果てに措定した〈生きながらの死〉のような地獄であったと考えている。

 龍之介の作家としての自死という決着は、当時十二歳で福岡県中学修猷館の一年生であった梅崎春生には強い衝撃を与えたに違いない(彼が詩作に興味を持ったのは十七歳以降、小説「地図」を発表したのは昭和一一(一九三六)年六月二十一歳の時ではある)。

 戦後、早くもこの敗戦の年の十二月に本作「桜島」を発表した以上、梅崎春生は、この「桜島」を、戦後に作家として立つための、何ものにも代えがたい試金石と考えていたに違いない。その時、梅崎春生の中には、芥川龍之介が死を以って拒絶したところの戦前戦中の軍国主義という仮想文化への決別の意識が強く働いていたと考えてよい。龍之介が「死」によって「ノン!」としたところのそれを、春生は生きねばならなかったし、実際に、生き抜いた、のであった。そうして、そのように生きた結果として、国家のために生きることの虚しさと馬鹿馬鹿しさを骨身、否、魂と肉と骨に沁み入るほどに味わったのである。即ちそれは、「ぼんやりした不安」が明確な悪鬼として現前し、春生を使役し、その魂を石臼で微塵に挽いてしまった。そうしてその終末期にあって春生が末期の眼で見、そして得たものとは、まさに村上兵曹が遂に述懐する如く、

「私は、何の為に生きて来たのだろう」? 「何の為に?――」

「私とは、何だろう」? 「生れて三十年間、言わば私は、私というものを知ろうとして生きて来た。ある時は、自分を凡俗より高いものに自惚れて見たり、ある時は取るに足らぬものと卑しめてみたり、その間に起伏する悲喜を生活として来た。もはや眼前に迫る死のぎりぎりの瞬間で、見栄も強がりも捨てた私が、どのような態度を取るか」? 「私という個体の滅亡をたくらんで、鋼鉄の銃剣が私の身体に擬せられた瞬間、私は逃げるだろうか」? 「這い伏して助命を乞うだろうか」? 「あるいは一身の矜持を賭けて、戦うだろうか」?

という〈不条理な現実に強引に癒着させられて離れられなくなってしまった自身の肉と魂〉についての根本的なひりつくような疑義であったのだ。そうして、

「それは、その」、「もはや眼前に迫る死のぎりぎりの」「瞬間にのみ、判ることであった。三十年の探究も、此の瞬間に明白になるであろう。私にとって、敵よりも、此の瞬間に近づくことがこわかった」

という〈一箇の自己へのレゾン・デトール(自己証明)の掻き毟りたくなるような不安の声〉だったのであり、それはまた同時に、あの哀れな枕崎の女郎の生々しい肉声、

「ねえ、死ぬのね。どうやって死ぬの。よう。教えてよ。どんな死に方をするの」

と響き合うものである。しかもそれは、見張り兵の惨めな亡骸を前に村上兵曹が心の内で、

「滅亡が、何で美しくあり得よう」!

と叫んだところの〈「ノン!」の声でしかなかった/であった〉のである。

 それは結果して、虚構としての糜爛した繁栄の文化の蔓延する〈たかが/されど〉の戦後世界を――そうした致命的な「死」のトラウマ(心傷)というスティグマ(聖痕)を十字架として背負って、「翳」のように生きることになる/生きねばならないと決意する、孤独な魂の――大叫喚地獄での谺(こだま)となってゆくのである。

 因みに言っておくが、「虚構としての」「文化」というのは、どこぞの戦後の糞評論家の言葉を引いたのではない。梅崎春生の昭和二〇(一九四五)年七月二十三日に桜島の海軍秘密基地で書いた日記に出てくる言葉なのだ(その七月二十三日分全文は『梅崎春生「幻化」附やぶちゃん注(7)』にある)。その中で梅崎春生は戦後をこう〈予言〉しているのである。

   *

 都市は燒かれ、その廢墟の中から、日本が新しい文化を産み出せるかと言ふと、それは判らない。

 しかし、たとへば東京、江戸からのこる狹苦しい低徊的な習俗が亡びただけでもさばさばする。

 平和が來て、先づ外國映畫が來れば、又、日本人は劇場を幾重にも取圍むだらうとふと考へた。

 何か、明治以來の宿命のやうなものが日本人の胸に巣くつてゐる。戰爭に勝つても、此の影は歷然としてつきまとふだらう。それは、つきつめれば東西文化の本質といふ點まで行つてしまふ。

 極言すれば日本には文化といふものはなかつたのだ。

(奈良時代や平安時代、そのやうな古代をのぞいて)あるのは、習俗と風習にすぎない。新しい文化を産み出さねばならぬ。

   *

 禪の公案とは問いであって、答えではない。しかもその公案の答えは、センター試験の国語の小説問題の選択肢の中の、唯一の正答として数十字で示し得るような、チンケな「主題」などという事大主義的詐術とは全く以って無縁である(ああいったものを選べるように現場で指導する国語教師というのは、自分に対して永劫、鳴らせられ続けられる禪師の鈴(りん)の音(ね)をこそ恐懼せねばならぬと言っておく)。

 梅崎春生の「桜島」が示すものも、みじめな生き物のとしての人間が、そうした「死」=「生」=「性」というのものが根源的に持つ謎――意義の不可知性や不条理性――に対する烈しい違和感の「ノン!」を孕んだ疑問を投げつける〈公案〉なのであって、禪機を示す悟達の「暗号」たる胡散臭い模範〈解答〉=国語授業の大団円たる「主題」なんどではないのである。

 しかし、それは対象が虚構であり、不可知であり、不条理である以上、実体を論理的に摑むことは当然、徒労に終わることは眼に見えている。この梅崎春生自身が投げた〈公案〉は禪問答としても、酒のCMで宇野重吉と石原裕次郎が如何にもなクサい演技で掛け合うぐらいしか聴いたことがないくらい、やりにくい公案、哲学が解き明かそうとしてやっきになってきた永遠の課題である。古代ギリシャの昔から今に至るまで、それを解くべく脳味噌を絞った哲人は数知れぬが、しかも未だに誰一人としてその答えを出てはいない。

 それは春生自身も判っていた。しかしそれでも敢えて彼は、それを、この日本の戦後に生きる/生きねばならぬ作家として、問い続けることに決したのである。

 

 さても「影」である。

 

『すると墓地裏の八幡坂の下に箱車(はこぐるま)を引いた男が一人、楫棒(かぢぼう)に手をかけて休んでゐた。箱車はちよつと眺めた所、肉屋の車に近いものだつた。が、側へ寄つて見ると、横に廣いあと口(くち)に東京胞衣(えな)會社と書いたものだつた。僕は後から聲をかけた後(のち)、ぐんぐんその車を押してやつた。それは多少押してやるのに穢(きたな)い氣もしたのに違ひなかつた。しかし力を出すだけでも助かる氣もしたのに違ひなかつた。

 北風は長い坂の上から時々まつ直に吹き下ろして來た。墓地の樹木もその度にさあつと葉の落ちた梢を鳴らした。僕はかう言ふ薄暗がりの中に妙な興奮を感じながら、まるで僕自身と鬪ふやうに一心に箱車を押しつづけて行つた。………』(芥川龍之介「年末の一日」終章。リンク先は私の古い電子テクスト。下線は私が附したもの。以下同じ)

ラ・モオルは、――死と云ふ佛蘭西語は忽ち僕を不安にした。死は姊(あね)の夫に迫つてゐたやうに僕にも迫つてゐるらしかつた。けれども僕は不安の中にも何か可笑しさを感じてゐた。のみならずいつか微笑してゐた。この可笑しさは何の爲に起るか?――それは僕自身にもわからなかつた。僕は久しぶりに鏡の前に立ち、まともに僕の影と向ひ合つた。僕の影も勿論微笑してゐた。僕はこの影を見つめてゐるうちに第二の僕のことを思ひ出した。第二の僕、――獨逸人の所謂 Doppelgaenger は仕合せにも僕自身に見えたことはなかつた。しかし亞米利加の映畫俳優になつたK君の夫人は第二の僕を帝劇の廊下に見かけてゐた。(僕は突然K君の夫人に「先達はつい御挨拶もしませんで」と言はれ、當惑したことを覺えてゐる。)それからもう故人になつた或隻脚(かたあし)の飜譯家もやはり銀座の或煙草屋に第二の僕を見かけてゐた。死は或は僕よりも第二の僕に來るのかも知れなかつた。若し又僕に來たとしても、――僕は鏡に後ろを向け、窓の前の机へ歸つて行つた。』(芥川龍之介「齒車」「四 まだ?」より)

『松林はひつそりと枝をかはしたまま、丁度細かい切子硝子(きりこがらす)を透かして見るやうになりはじめた。僕は動悸の高まるのを感じ、何度も道ばたに立ち止まらうとした。けれども誰かに押されるやうに立ち止まることさへ容易ではなかつた。………』(芥川龍之介「齒車」「六 飛行機」より)

 

 梅崎春生の「桜島」の、このエンディングにある映像を今一度、あなたの心のスクリーンに映して貰いたい。私得意のシナリオ化を試みてみる。

   *

〇桜島方崎の海軍秘密基地の丘の最上層の壕の入口

――壕から出てくる吉良兵曹長。

――少し遅れて兵曹長の後について出てくる村上兵曹。

――明るく海に夕焼が映っている。山道は色褪せかけた黄昏を貫いている。

――ジャリ! ジャリ! と音を立てて、先に立って、道をもくもくと下ってゆく吉良兵曹長。

――崖の上の、落日に染められた桜島岳。

――ジャリ! ジャリ! と歩く村上兵曹。

――彼が歩くに従い、樹々に見え隠れする赤と青との濃淡に染められた、天上の美しさに見紛う山肌。

――ずんずんと、しっかりした足取りで道を下ってゆく吉良兵曹長。

――石ころ道を吉良兵曹長に遅れまいと急ぐ村上兵曹。

ト。

――突然、瞼(まぶた)を焼くような熱い涙を流しだす村上兵曹。(クロース・アップ)

――拭いても拭いても、とめどなくしたたり落ちる涙。(クロース・アップ)

――涙の中で歪みながら分裂する風景。(村上兵曹の視線で)

――歯を食いしばり、こみあげて来る嗚咽を押えながら歩く村上兵曹(頭の中に色んなものが入り乱れて、何が何だかはっきり判らない、悲しいのか、それも判らない、ただ涙だけが次から次へ瞼にあふれるという感じで)。

――掌で顔をおおう村上兵曹。(バスト・ショット)

――なおも、しっかりした足取りで道を下ってゆく吉良兵曹長の後ろ姿。

――よろめきながら、吉良兵曹長の後ろを一歩一歩下って行く村上兵曹。(F・O)

   *

 ここで主人公村上兵曹は、

初対面から「苦手!」と思わず叫んだ、「彼を憎」んでいるはずの、「背の高い」前を行く「吉良兵曹長に遅れまいと急」ぐ「影」となっている

でことに気づく。「上官だから遅れまいと急」ぐのでは――ない。ここでは実は、

――本来、主人公村上兵曹のトリック・スターであったと思われた吉良兵曹長の、その「影」のはずの男の――まさに、名実ともに――黄昏の中の「影」――となって村上兵曹は坂を下って行く――

のである。

 ヴィトゲンシュタインが言うように――鏡像が我々を説明するのでない。我々が鏡像を説明する――かのように。

村上兵曹=梅崎春生は「影」としての吉良兵曹長にこそ、その現象的内実の一面が隠されている

と読むべきではあるまいか? 

――読者である我々は――このリベラルでアンニュイな村上兵曹や――シニックでクールな心理分析を見せる梅崎春生である以前に――「残忍」「凶暴」な表情をしばしば見せ、「鬼」を内に巣くわせている、しかし、いざとなると「いじめられた子供のように切ない表情」のようなものを見せる凶悪のトリック・スター吉良兵曹長でもある――

のではあるまいか?

 そうして、そうであるように、梅崎春生自身も、村上兵曹の鏡像なのである。

 

 虚構としての糜爛した繁栄の文化の蔓延する戦後世界を、致命的な「死」のトラウマというスティグマを十字架として背負って「影」のように生きることを決意した孤独な魂は――当然――擦り切れざるを得ない。

 魂が擦り切れれば自己同一性を失う。

 致命的にアイデンティティを見失えば、それは、今の「文明」社会に於いては「精神疾患」のレッテルを貼られるしかない。

 そうである。

 それは梅崎春生の遺作「幻化」の主人公久住五郎に他ならぬ。

昭和二十年十二月に突如、小説中のキャラクターとして登場した小説「桜島」の「村上兵曹」は、それより後、二十年の間、「〈戦後の文学〉」という〈小説〉の主要登場人物の一人である「〈小説家梅崎春生〉」となって示現し続けた末に、昭和四十年二月、小説「幻化」の、精神を病んだ主人公「久住五郎」という本地(ほんぢ)として顕現した

のであった。

 そうして、

――「幻化」は作家梅崎春生の「死」ではなく、第二の「生」の再生第一作であった

のである! となるはずだったのである!

 「幻化」のエンディングを見よ!

 死を賭けて阿蘇の噴火口を一周する丹尾に、五郎は胸の中で叫ぶ!

 

「しっかり歩け。元気出して歩け!」

 

……しかし、梅崎春生自身の肉体は皮肉にも、そこで「生」を停止したのであった。……

 

……では……また……私の「梅崎春生「幻化」附やぶちゃん注」或いは「梅崎春生」でお逢いしよう……]

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