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2016/01/16

梅崎春生 詩 「空虛なる展望」  (初出形復元版)

 

     空虛なる展望

              梅 崎 春 生

 

こゝろ疼く薄暮のひととき、むれ立つ木々の梢に、風がひとしきり

いんいんととゞろきわたる。こゝ巷をはなれた動物園の、徑ばかり

ながながとのたくる荒凉の風景。身風景のひとつとなり、おびただ

しい落葉の腐敗する音を感じながら、いまは年老いた一匹の獅子の

ものうげに目を閉ぢ、たてがみを垂れて、遠い日の、かきけされた

夢を見てをる。

 

うち仰ぐ虛空に、つねにおもひはいたみ、古りゆくきのふけふに、

またひとつの銘碑をたてようと、白く舞ひおちる時間と必死の格鬪

をつゞける。はるかなる徑をひとりたどる老園丁のかすれ果てしし

わぶきよ。自由を慕ひもとめる幽囚の鴉のあのきれぎれのうたよ。

年老いた獅子は、いくたび鉛の如き幽鬱の眸あげ、年輪のごとくう

ちかさねし壯麗なる跫音をかぞへかへしたことであらう。

 

かつて空わたる季節の下に、南國の原野を君臨したその日々を、よ

りに近く靑白い夕昏が降りそそぐころほひ、くしくも想ひおこして

は、ひえびえと、あかがねのとびらに絶望の翳をなげるであらうが

 

時計にも似た心象の、ねぢを長いこと捲き忘れ、遠く「死」の時間

を指す長針短針の幽かなるふるえ。獅子は眸をつむる。ひごと、心

なき鴉や狼どもに、水と食物をくばりあるく老園丁への類推に、あ

あ、荒凉の風景にをる自らのみじめさに、あふれ出る熱い涙を意識

して。

 

積木のごとくうづたかい時間の堆積。獅子は心ひそかにひめかくす

日記帳をひらく。耳に痛い風のおとよ。激しい雲脚にも似ていらだ

つ心をおししづめながら、錆びついた鋼鐵のペンをとり、空白なる

今日の頁になすりつける。亦いくたび繰り返した文句であらう。

〝我にいまいちどの、はるかなる展望をゆるせ〟と。

 

[やぶちゃん注:昭和一〇(一九三五)年六月十五日第五高等学校龍南会発行『龍南』二三一号に所載された初出形(発行日は「熊本大学附属図書館」公式サイト内の「龍南会雑誌目次」により確認。そこには梅崎春生の項には『文三甲二』とある)。底本は「熊本大学学術リポジトリ」内の同初出誌誌面画像231-003.pdfを視認、活字に起こした。底本では第三連の末「あかがねのとびらに絶望の翳をなげるであらうが」の後には句点がないが、次の行が、前後に比して二倍の行空きになっていることから、敢えて句点を禁足せずに次の行に上げ、行間は一行分とした(この禁則破りは既に詩篇「創痍」で行われているからでもある)。なお、沖積舎版でも句点が打たれてある。なお、沖積舎版では最終連の最終行が改行されてはいるものの、行頭から始まっているのであるが、底本は表記通り、三字下げとなっている。従えない。第四連の「ふるえ」はママ。

 「動物園」これは恐らく、現在、熊本市東区健軍にある熊本市動植物園であろう。但し、この当時は水前寺成趣園(通称、水前寺公園。現在の熊本市中央区にある)の東側にあった。開園は昭和四(一九二九)年七月で敷地面積九千九百平方メートルであった(二年後には更に二千平方メートル拡張)。参照したウィキの「熊本市動植物園」によれば、この後の昭和一八(一九四三)年には、『第二次世界大戦の戦況悪化に伴い、空襲時に猛獣が脱出する恐れがあったため』、翌年までに『トラ・ライオン・クマ・ヒョウ・オオカミなど猛獣に該当する動物』九種一五頭を『殺処分した。ニシキヘビ、カバ、ゾウは職員らの主張により殺処分を免れたが、カバは栄養失調により死亡し、ニシキヘビは凍死した。なお、ワニは冬眠中だったため軍部に存在を隠したことにより、終戦まで生き延びた』とあり、また、昭和二〇(一九四五)年三月三十一日には大日本帝国陸軍第六師団による接収を受けて閉園させられ、四月二十七日には『軍の食糧とするためにゾウのエリーが感電死させられた』とある(下線やぶちゃん。後の二箇所の下線は私の怒りの下線である)。戦後、昭和二二(一九四七)年十月になってやっと再開園し、昭和四四(一九六九)年に現在の江津湖畔へ移転している。

 「夕昏」春生の好みからは「たそがれ」と訓じているように思われる。

 第三連の「よ/りに近く靑白い夕昏が降りそそぐころほひ、」はママ。この「に」は沖積舎版では除かれている。「に」は確かに衍字とは思われるのであるが、除去すると字数が減り、一行字数を合わせた見た目のバランスがひどく悪くなるので、特異的に残した(以下で除去ヴァージョンを示す)。

 これも奇妙な一行字数配置を変更して繋げた方が読み易く、前掲の句点の観点からも以下にそう加工したものを示す。署名は省略し、前注通り、衍字と思われる「に」を除去した。

   *

 

     空虛なる展望

 

こゝろ疼く薄暮のひととき、むれ立つ木々の梢に、風がひとしきりいんいんととゞろきわたる。こゝ巷をはなれた動物園の、徑ばかりながながとのたくる荒凉の風景。身風景のひとつとなり、おびただしい落葉の腐敗する音を感じながら、いまは年老いた一匹の獅子のものうげに目を閉ぢ、たてがみを垂れて、遠い日の、かきけされた夢を見てをる。

 

うち仰ぐ虛空に、つねにおもひはいたみ、古りゆくきのふけふに、またひとつの銘碑をたてようと、白く舞ひおちる時間と必死の格鬪をつゞける。はるかなる徑をひとりたどる老園丁のかすれ果てししわぶきよ。自由を慕ひもとめる幽囚の鴉のあのきれぎれのうたよ。年老いた獅子は、いくたび鉛の如き幽鬱の眸あげ、年輪のごとくうちかさねし壯麗なる跫音をかぞへかへしたことであらう。

 

かつて空わたる季節の下に、南國の原野を君臨したその日々を、より近く靑白い夕昏が降りそそぐころほひ、くしくも想ひおこしては、ひえびえと、あかがねのとびらに絶望の翳をなげるであらうが。

 

時計にも似た心象の、ねぢを長いこと捲き忘れ、遠く「死」の時間を指す長針短針の幽かなるふるえ。獅子は眸をつむる。ひごと、心なき鴉や狼どもに、水と食物をくばりあるく老園丁への類推に、ああ、荒凉の風景にをる自らのみじめさに、あふれ出る熱い涙を意識して。

 

   *

 なお、この号も梅崎春生が編集人として参加している。彼の「編輯後記」についても、同じく「熊本大学学術リポジトリ」内の231-019.pdfを視認、活字に起こしておく。

   *

 阿部が死んだ事は部に取つても 相當な痛手であつた。三學期あたり、からだをずいぶん無理して使つて居たやうであつたが、まさか、かう言ふ事になるとは思ひもしなかつた。阿部の家に行つて遺稿でもと聞いてみたら、まだ故人の机とか書柵とかは整理して居ないから、そんなものがあるかたいかも判らないと言ふ返事であつた。

 なほ、生前、阿部は、五高に文學研究會を作りたい意向を私に示すことがしばしばで可成綿密な具体案をもこしらへて居たやうであるが、それもお流れになつたのは殘念である。誰か一年二年あたりで、さうした事に興味を持つ人は、ひとつやつて見たらどうだらうか。私は、もう一年足らずで去り行く(筈の)身であるから、どうともしやうもないが、一年二年あたりまだ先長いことだから、そんなものをつくつて、その方面の修業に務めるの面も白からうと思ふ。

 投稿の中、阿部の追悼の文が一篇あつて、一讀胸をうつ眞情にあふれたものであつたが、雜誌の性質上掲載を見合した。惡しからず。

 今度は、私も奮發して、創作を一つ作つたのだが、部長の意見で發表を差し控へることとした。そのため、大きな穴が出來て非常に難儀したので、發行がこのやうにおくれた。之もひとへに私の不明からで、この點諸兄に御詫したい。

 私の話について。

何か批評を聞きたい。惡意から出た批評でない限り喜こんで受け入れもしやうし、反ばくもしやう。これは何の私も話ばかりではなく「龍南」に最も必要なのは批評家なのだ。一學期は批評會が開かれるかどうかもわからないが、開けたら、その方面に興味持つ人は來てほしい。

 文學ほど非生産的なものはないとか、そんな考へを持つて居る人が、まだ龍南に居るやうだ。そんな人の生活が果して生産的であるかと言ふに、さうではなくて、やはり非生産的な生活をして居る。一体、此のやうな精神的な事業が生産的とか非生産的とかそのやうな尺度ではかれるかどうか考へなほして見るがいい。

 最後に投稿者諸兄の健康をいのる。 (梅崎)

   *                                    

第一条の「阿部が死んだ事は部に取つても 相當な痛手であつた」の空隙はママ。この「阿部」という人物、前号二三〇号の『龍南』の編集委員の一人に「阿部」と名乗る者が参加しており、同号に『文一甲一 阿部辰生』の署名の小説(『龍南』内では「創作」と呼ぶ)無事」(同前PDFファイル。以下同じ)、その前の二二九号に『阿部辰生』の署名で小説嫉くが載るが、二三〇号の後には一年生で編集委員を勤めたにも拘わらず、『龍南』への投稿が全くないことから、この人物がこの「阿部」である可能性が強いように思われる。第三条は『龍南』に厳しい編集内規が存在することが窺われる。第四条は春生に「地図」(昭和一一(一九三六)年六月同人誌『寄港地』発表)以前に幻の小説習作が存在したことを意味している。或いは、この「地図」の原型ででもあったのかも知れないが、今となっては謎である。第五条の「受け入れもしやうし、」は底本では「受け入れもしやし、」であるが、脱字と断じて特異的に訂して示した。]

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