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2016/01/01

ブログ・カテゴリ――梅崎春生「幻化」附やぶちゃん注――始動 / 梅崎春生「幻化」附やぶちゃん注 (1)

 幻化   梅崎春生   附やぶちゃん注

 

[やぶちゃん注:梅崎春生の遺作となった本作は昭和四〇(一九六五)年六月号及び八月号『新潮』に掲載されたが、春生はその間の、七月十九日午後四時五分に東大病院上田内科にて肝硬変のために急逝している(逝去については以下の底本の「別巻」年譜に拠る)。

 底本(以下に記載)の文芸評論家古林尚(ふるばやしたかし)氏の「解題」によれば、雑誌『新潮』に掲載された際には、本篇の小見出しの、

 

「同行者」「白い花」「砂浜」にあたる前半の題名が「幻化」

「町」「火」にあたる後半の題名が「火」

 

であった、と記されてある。私は初出を確認していないが、この『あたる』というのは、古林氏の表現で、初出の際にはこの小見出しはなかったようにも見えるが、底本の「解題の」後に続く、山本健吉氏の「解説」を読む限りでは、この小見出し類は総て附いていたように記されてある。ともかくも、何時か初出誌を確認したいとは考えている。

 底本は昭和六〇(一九八五)年沖積舎刊「梅崎春生全集 第六巻」を用いた。注は春生が一行空けを行っているパート単位に直後に配した。本文内の傍点「ヽ」は太字とした。

 因みに、本作品名は「げんか」と読む。根拠とその出典などの詳細は最初の本文注で示した。

 最後に。「幻化」は私の最初の梅崎春生体験であった。そうしてそれは実は原作ではなく、NHKによってドラマ化されたものであった。放映は一九七一年八月七日(土)の二二時一〇分~二三時四〇分(九十分ドラマ)で、演出・岡崎栄/制作・遠藤利男/脚本・早坂暁/撮影・野口篤太郎、出演は「久住五郎」が高橋幸治、「丹尾章次」が伊丹十三、「白い花」の章の女が渡辺美佐子、他であった。私は中学三年であったが、そのストーリーと映像の鮮烈さとに非常に強い衝撃を受け、直ちに文庫本(新潮社だったように思う。教員なってすぐに生徒にプレゼントしてしまったので今は持っていない)を買ってむさぼるように読んだのを覚えている(「NHKアーカイブス」公式サイトのここで三分半だけ見られる)。もう――四十四年も前のこと――である。

  因みに、私は本電子化注と同時に、本作の世界と驚くべき円環を閉じるところの、春生の戦後新鋭作家としての実質的なデビュー作「桜島」の電子化附オリジナル注をブログ・カテゴリ『梅崎春生「桜島」附やぶちゃん注』で手掛けている。出来れば是非とも並行してお読み戴きたい。

【2016年1月1日0:08 電子化注始動 藪野直史】]

 

 

 

 幻  化

 

 

 

     同 行 者

 

 五郎は背を伸ばして、下界を見た。やはり灰白色の雲海だけである。雲の層に厚薄があるらしく、時々それがちぎれて、納豆(なっとう)の糸を引いたような切れ目から、丘や雑木林や畠や人家などが見える。しかしすぐ雲が来て、見えなくなる。機の高度は、五百米くらいだろう。見おろした農家の大きさから推定出来る。

 五郎は視線を右のエンジンに移した。

〈まだ這(は)っているな〉

 と思う。

 それが這っているのを見つけたのは、大分(おおいた)空港を発って、やがてであった。豆粒のような楕円形のものが、エンジンから翼の方に、すこしずつ動いていた。眺めているとパッと見えなくなり、またすこし離れたところに同じ形のものがあらわれ、じりじりと動き出す。さっきのと同じ虫(?)なのか、別のものなのか、よく判らない。幻覚なのかも知れないという懸念もあった。

 病院に入る前、五郎にはしばしばその経験があった。白い壁に蟻が這っている。どう見直しても蟻(あり)が這(は)っている。近づいて指で押えようとすると、何もさわらない。翼の虫も触れてみれば判るわけだが、窓がしまっているのでさわれない。仮に窓をあけたとしても、手が届かない。

 五郎は機内を見廻した。乗客は五人しかいない。

 羽田を発つ時には、四十人近く乗っていた。高松で半分ぐらいが降り、すこし乗って来た。大分でごそりと降り、五人だけになってしまった。羽田から大分までは、いい天気であった。海の皺(しわ)や漁舟(いさりぶね)、白い街道や動いている自動車、そんなものがはっきり見えた。大分空港に着いた頃から、薄い雲が空に張り始めた。離陸するとすぐ雲に入った。

 航空機が滑走を開始した時の五人の乗客の配置。五郎と並んで三十四、五の男。斜めうしろに若い男と女。そのうしろの席に男が一人。それだけであった。四十ぐらい座席があるので、ばらばらに乗って手足を伸ばせばいい。そう思うが、実際には固まってしまう。立って席を変えたいけれども、五郎の席は外側で、通路に出るには隣客の膝をまたがねばならない。それが面倒くさかった。

 隣の客はいつ乗り込んで来たのか知らない。五郎は飛行機旅行は初めてなので、ずっと景色ばかりを眺めていた。

「乗ると不安を感じるかな?」

 羽田で待っている時、ちらとそう考えたが、乗ってみるとそうでなかった。不安がなかったが、別に驚きもなかった。下方の風景を、見るだけの眼で、ぼんやりと見おろしていた。

 隣の男が週刊誌から頭を上げた。髪油のにおいがただよい揺れた。男は窓外に眼を動かした。じっと発動機を見ている。黒い点を見つけたらしい。五郎は黙って煙草をふかしていた。二分ほど経った。

「へんだね」

 男はひとりごとのように言った。そして五郎の膝頭をつついた。

「ねえ。ちょっと見て下さい」

「さっきから見ているよ」

 五郎は答えた。

「次々に這い出して来るんだ」

「這い出す?」

 男は短い笑い声を立てた。

「まるで虫か鼠みたいですね」

「では、虫じゃないのかな」

「そうじゃないでしょう。虫があんなところに棲(す)んでる筈がない。おや?」

 五郎はエンジンを見た。急にその粒々が殖えて来た。粒粒ではなくて、くっついて筋になって来る。翼の表面からフラップにつながり、果ては風圧でちりぢりに吹飛ぶらしい。虫でないことはそれで判った。また幻覚でないことも。

 二人はしばらくその黒い筋に、視線を固定させていた。やがて男はごそごそと動いて、不安げな口調で名刺をさし出した。

「僕はこういうもんです」

 名刺には『丹尾章次』とあった。肩書はある映画会社の営業部になっている。五郎は自分の名刺をさがしたが、ポケットのどこにもなかった。

「そうですか」

 五郎は名刺をしげしげと見ながら言った。

「何と読むんです? この姓は?」

「ニオ」

「めずらしい名前ですね」

「めずらしいですか。僕は福井県の武生(たけふ)に生れたけれど、あそこらは丹尾姓は多いのです。そうめずらしくない」

「わたしは名刺を持ってない」

 五郎はいった。口で名乗った。

「散歩に出たついでに、飛行機に乗りたくなったんで、何も持っていない」

 外出を許されたわけではない。こっそりと背広に着換え、入院費に予定した金を内ポケットに入れ、マスクをかけて病院を出た。外来患者や見舞人にまぎれて気付かれなかった。煙草を買い、喫茶店に入り、濃いコーヒーを飲んだ。久しぶりのコーヒーは彼の眠ったような情緒を刺戟し、亢奮(こうふん)させた。

〈そうだ。あそこに行こう〉

 前から考えていたことなのか、今思いついたのか、五郎にはよく判らなかった。

「そうのようですね」

 丹尾は合点合点をした。

「ぶらりと乗ったんですね」

「なぜ判る?」

「あんたは身の廻り品を全然持っていない。髪や鬚(ひげ)も伸び過ぎている。よほど旅慣れた人か、ふと思いついて旅に出たのか、どちらかと考えていたんですよ。飛行横には度々?」

「いえ。初めて」

「この航空路は、割に危険なんですよ」

 丹尾はエンジンに眼を据えながら言った。

「この間大分空港で、土手にぶつかったのかな、人死にが出たし、また鹿児島空港でも事故を起した」

「ああ。知っている。新聞で読んだ」

 五郎はうなずいた。

「着陸する時があぶないんだね。で、あんたはなぜ鹿児島に行くんです?」

「映画を売りに。おや。だんだん殖えて来る」

 五郎もエンジンを見た。細い黒筋がだんだん太くなる。太くなるだけでなく、途中で支流をつくって、二筋になっている。五郎は眼を細めて、その動きを見極めようとした。しかし飛行機の知識がないので、それが何であるか、何を意味するのか、判断が出来かねた。五郎はつぶやいた。

「あれは流体だね。たしか」

「油ですよ」

 丹尾はへんに乾いた声で言った。

「こわいですか?」

 五郎は少時(しばらく)自分の心の中を探った。恐怖感はなかった。恐怖感は眠っていた。

「いや。別に」

 五郎は答えた。

「映画を売りに? 映画って売れるもんですか?」

「売れなきゃ商売になりませんよ」

 丹尾はまた短い笑い声を立てた。

「映画をつくるのには金がかかる。売って儲(もう)けなきゃ、製造元はつぶれてしまう」

「なるほどね」

 そう言ったけれども、納得したわけではない。フィルムなんてものは、鉄道便か何かで直送するものであって、行商人のように売り歩くものではなかろう。そんな感じがする。五郎は丹尾の顔を見た。この顔には見覚えはない。髪にはポマードをべったりつけている。チョビ髭を生やして、蝶ネクタイをつけている。太ってはいるが、顔色はあまり良くない。頰から顎(あご)にかけて、毛細血管がちりちりと浮いている。暑いのに、かなりくたびれたレインコートを着ている。五郎は訊ねた。

「映画というと、やはり、ブルーフィルムか何か――

「冗談じゃないですよ。そんな男に僕が見えますか?」

 その時傍の窓ガラスの面に、音もなく黒い斑点が出来た。つづいて二つ、三つ。翼を流れるものが、風向きの関係か何かで、粒のまま窓ガラスにまっすぐ飛んで来るらしい。爆音のため聞えないけれども、粒はヤッと懸声をかけて、飛びついて来るように見えた。二人は黙ってそれを眺めていた。やがて最後尾から、スチュワーデスが気付いたらしく、急ぎ足で近づいていた。丹尾は顔を上げて訊ねた。

「これ、何だね?」

「潤滑油、のようですね」

「このままで、いいのかい?」

 スチュワーデスは返事をしなかった。じっとエンジンの方を見詰めていた。その真剣な横顔に、五郎はふと魅力を感じた。やがてエンジンの形も見にくくなった。黒い飛沫(ひまつ)が窓ガラスの半分ぐらいをおおってしまったのである。斜めうしろの乗客たちも、異変に気付いて、ざわめき始めた。

 スチュワーデスは何も言わないで、足早に前方に歩いた。操縦席の中に入って行った。その脚や揺れる腰を、五郎はじっと見ていた。病院のことがよみがえって来た。

〈今頃騒いでいるだろうな〉

 五郎は病室を想像しながら、そう思った。病室には彼を入れて、四人の患者がいた、それに付添婦が二人。騒ぎ出すのはまず付添婦だろう。患者たちは会話や勝負ごとはするけれども、お互いの身柄については責任を持たない。精神科病院だけれども、凶暴なのはいない。一番古顔は四十がらみの男で、電信柱から落っこちて頭をいためた。この男はもう直っているにもかかわらず、退院しない。会社の給料か保険かの関係で、入院している方が得なのだと、付添婦が教えて呉れた。電信柱というあだ名がついている。

「図々しい男だよ。この人は」

「うそだよ。そんなこたぁないよ」

 その男はにやにやしながら弁明した。

 その次は爺さん。チンドン屋に会うと、気持が変になって入って来る。何度も入って来るから、延時間にすればこちらの方が古顔ともいえる。もう一人は若い男。テンプラ屋の次男で、病名はアルコール中毒。皆おとなしい。

〈騒いでももう遅い。おれはあそこから数百里離れたところにいる〉

 喫茶店でコーヒーを飲む前から、淀んで変化のない、喜びもない病室に戻りたくないという気分はあった。

 スチュワーデスが操縦室から、つかつかと出て来た。彼等に背をかがめて言った。

「もう直ぐ鹿児島空港ですから、このまま飛びます。御安心下さい」

 そして次の客の方に歩いて行った。窓ガラスはほとんど油だらけになっていた。丹尾が言った。

「席を変えましょうか」

「そうだね」

 五郎は素直に応じて、二人は通路の反対の座席に移動した。その方の窓ガラスは透明であった。突然雲が切れる。前方に海が見える。きらきらと光っていた。

「あんたはいくつです?」

 座席バンドをしめながら、丹尾が言った。手が震(ふる)えていると見え、なかなか入らなかった。

「ぼくは三十四です」

「四十五」

 五郎は答えた。

「潤滑油って、燃えるものかね」

「ええ。燃えますよ。しかしよほどの熱を与えないと、燃えにくい。バンドはきつくしめといた方がいいですよ」

 丹尾はポケットから洋酒の小瓶を取出して栓をあけ、一気に半分ほどあおった。五郎に差出した。

「どうです?」

 五郎は頭を振った。丹尾は瓶を引込め、ポケットにしまった。機は洋上に出た。

「こわいですか。顔色が悪い」

「いや。くたびれたんだろう」

 こわくはなかったが、体のどこかが震えているのが判る。手や足でなく、内部のもの。気分と関係なく、何かが律動している。そんな感じがあった。

 機は洋上に出た。速力がすこし鈍ったらしい。錦江湾の桜島をゆっくり半周して、高度を下げた。空港の滑走路がぐんぐん迫って来る。着地のショックが、高松や大分のとくらべて、かなり強く体に来た。しばらく滑走して、がたがたと停った。特別な形をしたトラックが二台、彼方から全速で走って来るのが見える。五郎はバンドを外した。爆音がなくなって、急に機内の空気がざわざわと泡立って来た。

 外は明るかった。南国なので、光線がつよいのだ。タラップを降りる時、瞼がちかちかと痛かった。近くで話している人々の声が、へんに遠くから聞える。耳がバカになったようだ。続いて丹尾が降りて来た。並んで待合室に入った。

「あんなこと、しよっちゅうあるんですか」

 やや詰問的な口調で、丹尾は受付の女に言った。

「あんなことって、何でしょう?」

「あれを見なさい」

 丹尾は滑走路をふり返った。しかし旅客機はそこになかった。乗客を全部おろした機体は、ゆるゆると引込線に移動しつつあった。丹尾はすこし拍子の抜けた表情になって言った。

「君に言ったって、しようのないことだが――」

[やぶちゃん注:「幻化」「げんか」と読む。単語としては仏教語「げんけ」があり、これは狭義には、「まぼろし」の意の「幻(げん)」と仏菩薩の神通力による変化身(へんげしん)である「化(け)」を意味するが、一般には「実体のない事物」「すべての事物には実体のないこと」の譬えとされる。但し、春生の本作の読みは飽くまで「げんけ」ではなく「げんか」である。それはこの標題は仏教教理などの抹香臭い束縛からは本篇は解き放たれたものであると私は信じて疑わないものだからである。因みに、小学館の「大辞泉」には本作が見出し語として出るが、それは『げんか〔ゲンクワ〕【幻化】』である。(なお、昔、テレビのCMで糞作家が、「幻化」という言葉は「げんか」じゃなく「げんけ」と読むんだ、と酒を飲みながら講釈するとてつもなく不快な厭らしいのがあった。そんなことは、こちっとら、百もご承知でい! 似非作家が!)。そもそもが、この「幻化」は仏教用語のそれを元として春生は選んだのではなく、かの陶淵明の有名な「歸園田居 五首」(園田の居に歸る 五首)の「其四」の終りの方の一節に基づくのである(このことは底本の山本健吉氏の「解説」でも明記されてあり、春生は求められると、『「人生幻化に似たり」という詩句を、梅崎は好んで書き、薩摩の坊津に建てられた梅崎の文学碑にも、この詩句が刻まれている』とある)。「其四」のみを引く。原詩は岩波中国詩人撰集一海知義注「陶淵明」(一九五八年刊)に拠ったが、訓読は必ずしもそれには従わず(そもそも底本のそれは新字現代仮名遣というとても従えない気持ちの悪いものだからでもある)、私の訓読文とした。

 

 歸田園居 五首

 

 其四

久去山澤游  久しく去る 山澤(さんたく)の游び

浪莽林野娯  浪莽(らうまう)たる林野の娯(たの)しみ

試携子姪輩  試みに子姪(してつ)の輩を携へ

披榛歩荒墟  榛(しん)を披(ひら)きて荒墟(かうきよ)を歩む

徘徊丘隴間  徘徊す 丘隴(きうろう)の間(かん)

依依昔人居  依依(いい)たり昔人(せきじん)の居

井竈有遺處  井竈(ゐさう) 遺(のこ)れる處(あと)有り

桑竹殘朽株  桑竹(さうちく) 朽株(きうしゆ)を殘す

借問採薪者  借問(しやくもん)す 採薪(さいしん)の者に

此人皆焉如  此の人 皆 焉(いづ)くにか如(ゆ)くと

薪者向我言  薪者(しんじや) 我に向ひて言ふに

死沒無復餘  死沒して復た餘(のこ)れるもの無しと

一世異朝市  一世(いつせい) 朝市(てうし)を異(こと)にす

此語眞不虛  此の語 眞(まこと)に虛(きよ)ならず

人生似幻化  人生 幻化(げんくわ)に似て

終當歸空無  終(つひ)に當(まさ)に空無(くうむ)に歸(き)すべし

 

本詩「歸田園居五首」は淵明数え四十二の時の作で、前年四〇五年十一月に最後の官職であった彭沢県(現在の江西省北部の九江市の約九十キロメートル東方に同名の県として現存する)県令(この年の八月の着任で就任八十数日しか経っていなかった)を辞任して帰郷した際の詩篇である。人口に膾炙する「歸去來の辭」(勘違いしている人が多いが、これは「辞」、辞賦(じふ:楚辞の系統を引く漢文韻文の一体で押韻して朗誦に適した文)であって「詩」ではない)とほぼ同時期の作とされ、「歸去來の辭」の序に辞職の理由は余すところなく記されてある。なお、これ以後、淵明は隠遁の生活を続けて二度と出仕しなかった。まさに「田園詩人」淵明の出発点にある詩篇と言えよう。

 以下、原詩底本の注を参考に簡単に語注する。

・「浪莽」オノマトペ(擬態語)で果てしなく広いこと。一海氏は『広大なのは、林野であると共に娯しみでもあると考えてよかろう』と注しておられる。

・「子姪」自分の子や甥といった連中。

・「榛」狭義には落葉低木のブナ目カバノキ科ハシバミ属ハシバミ Corylus heterophylla var. thunbergii を指すが、低灌木群ととってよい。

・「荒墟」荒れ果てたもと村里だった跡地。

・「丘隴」他本では「壟」「壠」ともする。何れであって岡や畦(あぜ)や塚の謂いで、ここでは、小高い丘の上の墓地の謂いとなる。

・「依依」なんとなく慕わしく惹かれるさま。

・「居」かつて人の住んでいた家の跡。

・「井竈」井戸と竃(かまど)。

・「桑竹」前の「井竈」と対句であるから、その居の住人が嘗て植えたものである。

・「借問」試みに訊ねてみる。

・「復」は「再び」の意はなく、リズムを整えるための軽い添え字である。

・「一世異朝市」次句に「此語」とあることから当時の諺の類いで、「一世」は一世代で当時は三十年を指し、「朝」は王朝の宮廷、「市」は市場、市井の盛り場、即ち、民草(たみぐさ)の繁華街であるから、たった三十年ばかりで、それが入れ替わってしまうという凄まじい速さの有為転変を指す。

・「人生似幻化/終當歸空無」「人生 幻化(げんくわ)に似て/終(つひ)に當(まさ)に空無(くうむ)に歸(き)すべし」まず「幻化(げんくわ)」という読みである。尊敬する漢文学者一海先知義先生だけではない。岩波文庫版松枝茂夫・和田武司訳注「陶淵明全集」でも、その他でも何でもかんでも(私は中学生の頃から極端な淵明ファンである)、これは「幻化(げんくわ(げんか))」と読まれ、「幻化(げんけ)」なんどと訓じたものは――少なくとも私は――一度として見たことがない「幻化」とは単に「儚(はかな)い幻(まぼろし)」の謂いである。陶淵明は廬山の僧俗文化人の集まりであった念仏集団「白蓮社(びゃくれんしゃ)」グループと親しかったから、仏教臭と無縁であったとは言わない。が、私は寧ろ、この「幻化」には道家的な匂いを強く感じる「幻化」と云う文字を見ると私は即、「荘子」の「斉物論篇」に出る、万物が実に空しく下らなく変化することを指すところの「物化(ぶっか)」を連想するのである。即ち、この章句は、

   *

……いや、まさに、人生などというものは儚き夢幻(まぼろ)しに似て、結局は消え去って「無」となってゆくべきものなのだなぁ……

   *

という謂いである。それは仏教の辛気臭い「無常」なんかではない。それが――無為自然のあるがままの「人」の「生」なのだ――と陶淵明はすっきりと感懐しているのである。そうして――これを題名として選んだ梅崎春生もまた同じように――である。されば、永遠にこれを知ったかぶりして「げんけ」などとゆめゆめ読んではならない、と私は思うのである。大方の御批判を俟つものではある。

「五郎」本篇が三分の一ほど進行した、坊(坊津)でのシーンで、丹尾に絡んで「久住五郎」と姓が泊まることになる家(一応は宿屋らしい)の主人の台詞で初めて出る。但し、すぐ後の最初に簡単に丹尾と挨拶を交わすシーンで『「わたしは名刺を持ってない」/五郎はいった。口で名乗った。』とあるので、ここで実際には姓名「久住五郎」を彼は丹尾に名乗っているのである。

「病院に入る前、五郎にはしばしばその経験があった。白い壁に蟻が這っている。どう見直しても蟻が這っている。近づいて指で押えようとすると、何もさわらない」虫を幻視するのは精神疾患としてはオーソドックスなもので、知られる一般的なものでは、統合失調症や常習的な酒の過飲(私は私を棚上げするつもりはないが、幸いにしてこうした幻視症状の体験は私にはない)によるアルコール依存症、及び、それが進行したアルコール性精神病では、実際のいない小動物・虫・蟹・蜘蛛・小人を見たり、パレイドリア(pareidolia:室内の壁の染みなどに明瞭な人の姿が見えたり、雲が巨大な人の顔に見えたりするシミュラクラを著しく超えた幻覚)は、かなり普通に見られる典型的幻視症状である。梅崎春生の場合、底本別巻の年譜にある精神的な病的記載及びそれと連関を持ちそうな重い疾患を拾ってみると、戦前では、

 

昭和一二(一九三七)年 二十一歳 『幻聴に拠る被害妄想から下宿の老婆をなぐ』って、警察に『一週間留置』される

 *

昭和一七(一九四二)年 二十七歳 一月に『召集を受け、対馬重砲隊に入隊する』も、『肺患のため即日帰郷。同年』末頃まで、『福岡県津屋崎療養所、のち自宅で療養』

 

とあり、戦後新人作家として本作で脚光を浴びた後では、

 *

昭和二八(一九五三)年 三十八歳 『先天的無力体質と診断され』『憂鬱症の兆候があらわれ』始める[やぶちゃん注:『先天的無力体質』という診断名は聴いたことがないが、これは所謂、やや古典的な病質性体型を指す“habitus asthenicus”(ハビトゥス・アステニクス:無力体質・無力性体質/ラテン語で“habitus”は「態度・外観・習慣・性質」、“asthenicus”は「無力の・衰弱した」の意と思われる。こちらはギリシャ語由来かも知れない)のことであろう。如何にも無力的な印象を受ける外見や体質を指す。皮膚が青白く、頬の紅色が限局しており、胸部が扁平、筋肉発達が不良で全体に瘦せている。以前は結核に罹り易いとして結核性体質とも呼ばれたが、私は最早、印象表現に過ぎ、医療現場で使うべきでない語と考える。この診断も何科の医師が下したものか分からないが、如何にも病因不明で困った藪医者がつい口をついて言ってしまった怪しい診断名と読む。]

 *

昭和三三(一九五八)年 四十三歳 『秋ごろから心身の違和を覚えるようになる』(但し、この年の五月には妻恵津が心因反応というノイローゼにかか』って入院して六月に退院していることは注意しておく必要はある)

 *

昭和三四(一九五九)年 四十五歳 恐らくは前年からの精神的不調が昂まったために、五月に先の恵津が入院した同じ病院に『入院し、持続睡眠療法を受け』、七月に『退院し、蓼科山荘にて身を養う』

 *

昭和三七(一九六二)年 四十七歳 十月、『子供とふざけて転倒、第十二胸椎圧迫骨折、さらにギックリ腰ともなり難渋』

 *

昭和三八(一九六三)年 四十八歳 八月、『蓼科山荘で吐血、養生不十分で苦しむが、やがて回復』したものの、十二月には『夏の吐血後の不養生がたたり』、『武蔵野日赤病院に入院』

 *

昭和三九(一九六四)年 四十九歳 一月には『肝臓ガンの疑いで東大病院に入院』

 *

昭和四〇(一九六五)年 満五十歳 七月十九日午後四時五分、『東大病院上田内科にて肝硬変で急逝』

 

とある。彼の主な作品(私は極めて珍しく沖積舎版全集全六巻・別巻一(但し、これは彼の作品総てではない。全集自体、「第一期」とする。但し、現時点でも第二期は刊行されていない。ずっと以前に私は同社に電話を入れて確認したことあるが、刊行は未定というけんもほろろの答えであった)は総て読んでいる。所持する全集類で総て読んでいるものはすこぶる少ないので恥を曝すところの特異点ではある)では、作者をモデルとしてとしか思えない主人公や分身的登場人物が、中高度のアルコール性依存症症状やアルコール過飲を主原因の一つとする肝臓病を患っている様子が極めてリアルに頻繁に描かれており、梅崎春生自身も、上記の症状や病態からアルコール過飲が強く疑われる。主人公の久住五郎は自分の精神疾患をあまり具体に語っておらず、病名も病因も特に記していないが、この虫幻覚は、彼がアルコール性精神病或いは強迫神経症、さらには統合失調症の前駆様症状に近いことを強く示唆しているように私には読める作中の現在時制の久住がアルコール依存を示していないように描き、それを今一人の重要な登場人物たる丹尾章次に顕在的に外化させて描いているのは、寧ろ、そこに作者梅崎春生の深刻なアルコール依存(死因の肝硬変の原因の有力な一つも過飲であり、それがまた、精神病との相互増幅関係にある)の可能性とその病態心理が透けて見えるようにも私には思われるのである。以下で語られることになる主人公五郎の症状を考える上でも、こうした作者春生自身の精神病様の病歴は非常に重要であり、春生の病跡学に於いても頗る興味深いものである。

「丹尾章次」謎めいた影のある怪しい副主人公で、エンデイングまで五郎と絡まる。読み進めるうちに特殊な不思議な波を持ちながら、漸層的にその怪しい彼の内実が開示されるようになっているが、ネタバレになるので、今、ここでは細かくは注さない。ただ、山本健吉氏が底本の「解説」で述べているように『彼は主人公』五郎の『分身である』というのは至当である。まさに丹尾章次は久住五郎自身のトリック・スターであるということは言っておいてよかろうと思う。また、山本氏は、『梅崎はかつて丹尾鷹一という筆名を持っていたことがあ』り、昭和一七(一九四二)年二十七の時、『この筆名を用いて「生産人」という雑誌に小説『防波堤』を発表し、それは選ばれて『新進小説撰集』昭和十七年度後期版(赤塚書房)に載せられている』(この「防波堤」という小説は沖積舎版全集には所収されておらず、私も未読である)が、これは後の梅崎の小説「突堤にて」(昭和二九(一九五四)年発表)『の原型のような作品であ』り、この「幻化」の奇妙な登場人物である「丹尾章次」『という名前には、丹治鷹一の弟といった感じがあ』って、『作者が赤の他人と考えている人物に付けた名前ではない』と断言されておられることを言い添えておく。

「映画会社の営業部」彼は映画会社所属の営業マン、映画セールスマンである。斜陽化する以前の映画産業では「封切館」の上映から一~二週遅れて新作上映をする「二番館」、更に遅れて上映する「三番館」、その下にさらに「四番館」「五番館」「名画座」という低料金の上映館が数多く存在した。二番館以下では二本立・三本立興行が一般的であって、映画会社も特定の一社ではなく、複数の会社の作品を取り混ぜて興行することも多かった(ここは主にウィキの「映画館」に拠った)ことから、膨大な製作費のかかる映画で、しかも中小の映画会社にとっては、地方を回ってはこうした中低級の上映館に映画を売り歩くことが極めて重要な営業であったのである。次のパートでその仕事を具体に丹尾が語っている。

「僕は福井県の武生に生れたけれど、あそこらは丹尾姓は多いのです」これは正しい。サイト苗字由来net」の「丹尾」で調べてみると、福井県と秋田県に特異的に多いようである。同解説には『現福井県東部である越前国丹生郡起源とも言われるが、はっきりとした出自は不明。近年、福井市など現福井県東部である越前地域に多数みられる。「尾」は接頭語か、小さい開発地の意味』とある。「武生」は当時、福井県中部にあった市で、福井市に次いで福井県第二の都市であったが、二〇〇五年に今立町(いまだてちょう)と合併した際に越前市となった。

「〈そうだ。あそこに行こう〉」場所をここでは示さない。読者を誘惑する上手い手法である。読者はしかし、このパートの「大分」から「鹿児島」で、鹿児島以南であることは了解出来る。「桜島」の既読者なら、これはもうピンとくる台詞である。但し、そこは「桜島」では、ない。しかし、この「久住五郎」が「桜島」の「村上兵曹」であったとしたら、〈あそこ〉であろうことは、やはり春生フリークなら――『きっと小説「桜島」の〈あそこ〉の〈あの〉場所だ!』と分かる――のである。

「この間大分空港で、土手にぶつかったのかな、人死にが出たし、また鹿児島空港でも事故を起した」前者は恐らく、本作発表の前年の昭和三九(一九六四)年二月二十七日に旧大分空港(国東市にある現在の空港ではなく大分市内にあったもの)で発生した「富士航空機墜落事故」である。ウィキの「富士航空機墜落事故」によれば(アラビア数字の一部を漢数字に代え、記号の一部を変更・省略した)、同日、『富士航空九〇二便はコンベア二四〇(レシプロ双発旅客機、機体記号JA5098・1948年製造)に乗員五名・乗客三十五名を乗せ、鹿児島から大分へ向けて運航していた。しかし、十五時二十分頃、大分空港への着陸に失敗し、空港東側の大分川支流の裏川の河原に墜落し炎上した』。『この事故で、乗客十八名と客室乗務員二名の、合わせて二十人が焼死し、犠牲となった。犠牲者の中には、鹿児島市内にある履物店が招待し別府温泉に向かっていた団体客や、新婚旅行の帰りだった愛媛県宇和島市の夫婦二名などがいた。操縦乗員二名・客室乗務員一名及び乗客十九名は重軽傷を負ったが救出された。いずれも機体前方にいたため生存できたとみられる』とあり、『事故調査委員会の事故調査報告書によれば、九〇二便は大分空港への着陸アプローチまでは正常に飛行していたが、着陸後に行うプロペラのリバース(プロペラの角度を変えて推進力を逆にして機体を減速させる機能)もしくは非常ブレーキ操作のいずれかに、不適切な操作または機械の欠陥があったと推定された。しかしながら、事故原因が人的ミスであるか機体の欠陥のいずれであるかは断定されなかった』。『なお、富士航空は主に西日本のローカル路線を中心に運航していた航空会社であったが、規模的には中小企業であり経営難に陥っていた。そのため、事故後の一九六四年四月一日には、他の弱小航空会社であった日東航空、北日本航空と合併し、日本国内航空になることが決定していた。本事故はその矢先に発生したものである』。『この事故により、旧大分空港の構造的欠陥が浮き彫りとなり、本格的な移転の構想が持ち上がった』とある。後者はやはり、この直後の同昭和三十九年の、翌三月十六日に、やはり同じ富士航空機が鹿児島空港で離陸事故を起こして乗客四人が負傷した事故であろう。ネット上のキャッシュから拾ったデータであるが(従ってリンクはしない)、富士航空の旅客機ビーチクラフトC18型機(小型の双発型レシプロ旅客機)が、この日、鹿児島空港で滑走中に突風に煽られて離陸に失敗、滑走路外の草原に突っ込んだ事故である。

「頰から顎にかけて、毛細血管がちりちりと浮いている」これは梅崎春生の小説にしばしば登場する(それらから春生にもこの症状が発現していたらしいことが判る。因みに春生の死因は肝硬変である)、肝炎や肝硬変などの肝疾患にしばしば見られる、ヴァスキュラー・スパイダー、クモ状血管腫(vascular spider)である。顔面や前胸部などの上大静脈領域に発現し、見た目が蜘蛛が足を広げたように血管が拡張している上、中心部分の血管が拍動するのが視認出来ることからかく呼称される。さりげなく、ここで既にして丹尾の身体状況が示されているのである。
 
「ブルーフィルム」英語“
blue film”。現在のピンク映画・ポルノ映画で、広義には男女の性行為をあからさまに描いた猥褻な映画を広く指し、アメリカでのこの手の低級映画がフィルムを青く着色していたことによる呼び名である。但し、本邦で「ブルーフィルム」と呼ぶ場合、狭義には、温泉街などで秘密裏の上映会に提供されていた、八ミリ又は十六ミリ・フィルムによる、短編の性行為実写か擬似的性行為を専ら写したところの非合法映画(その多くは無修正)を指すことが多い(ここはウィキの「ピンク映画」を主に参考にし、私見を加えた)。

「その次は爺さん。チンドン屋に会うと、気持が変になって入って来る」この人物設定は実は以前の小説「仮象(かしょう)」(昭和三八(一九六三)年十二月号『群像』初出し、作品集『幻化』に「幻化」と併載された。山本健吉氏は底本「解説」でこれは春生がこの短篇「仮象」を「幻化」の『衛星的作品と考えていたからである』と述べておられる)に登場する「内山」という老人の精神疾患の設定と同じである(以下、同作の「神経科病室」から引用)。仮象の「内山老」は、『チンドン屋と会ったり、家の前をチンドン屋が通ったりすると、急に亢奮(こうふん)してそれを見に行く。時にはチンドン屋のあとをくっついて、一時間ぐらい戻ってこないこともある。戻って来た老人は、夢に浮かされたように朗らかになっている。上機嫌になって』いわば躁状態にあるのであるが、『しかしこの御機嫌な状態は、三日と続か』ず、『三日目あたりから、深い欝(うつ)状態におちい』り、『逼塞(ひっそく)して自分の殻に閉じこもってしま』い、『ほとんど行動もしないで、食慾もなくな』って、不眠も併発する。『夜中にぶつぶつと何か呟いていたり、泣いてい』ることもある。『その状態が五日か六日か続き、だんだんと元の状態になる』。といっても『心身健康という』様子になるのではなく、『むっつりとして笑わない、あまり感動のないような老人に戻るのである』とその病態を記している。「幻化」では後で再び、このチンドン老人のエピソードが出る。

「もう一人は若い男。テンプラ屋の次男で、病名はアルコール中毒」ここと、すぐ後の『丹尾はポケットから洋酒の小瓶を取出して栓をあけ、一気に半分ほどあおった。五郎に差出した。/「どうです?」/五郎は頭を振った』など、こうしたそっけない、やや軽いもの謂いや演出が――五郎の精神疾患はアル中などとは無縁である――的な如何にも説明的な雰囲気を持っており、作者が――五郎は心因性精神病である――飲酒とは関係ない――とかたくなにもって行こうとしているかのように私には読めてしまい、やや不自然に感じられる部分なのである。

「数百里離れたところ」百里は約三百九十三キロメートルだが、東京―鹿児島間は単純直線距離で九百六十六キロメートルほどである。「数百里」というのは実数値的にはちょっと大袈裟にも見えるが、実際、日本語の「数軒・数日・数人・数里」等は漠然とした不定数を示し、「いくらかの」で、「二」及び「三」以上で概ね「五」及び「六」程度の数値幅を持つ。実距離を「百里」で割ると二・七ほどであるから、確かに「数百里」でおかしくなく、意識的距離としてはもっと腑には落ちる表現と言える。

『「ぼくは三十四です」/「四十五」/五郎は答えた』これを検証するには、作品内時間を是が非でも措定する必要が発生する。そしてそれには先の私の注が有効に作用すると思うのである。即ち、前の丹尾の台詞「この間大分空港で、土手にぶつかったのかな、人死にが出たし、また鹿児島空港でも事故を起した」である。これが私が注した通り、昭和三九(一九六四)年二月二十七日の旧大分空港で発生した富士航空機墜落事故と、その翌月三月十六日の同じ富士航空機による鹿児島空港で発生した離陸事故とするならば(この仮定は私はかなり確度が高いと考えている)、翌年のことならば丹尾は「この間」という近日指示はせず、「去年」と言うであろうこと、両方の事故を五郎が「ああ。知っている。新聞で読んだ」と受けているのは、やはり直近の事故記事で、記憶が明確に新しく鮮明であることを意味している(事故当時、五郎が精神疾患を病んで入院していた可能性が高いことも判断材料とされたい)。即ち、私は、

 

本篇の作品内時間は昭和三九(一九六四)年の夏の終った――さらに限定的に言うなら九月上旬

 

ではないかと推定している。その具体な根拠は後半の「町」の中に、『めずらしくかき氷屋があった。東京ならもう店仕舞をしている筈だが、ここは南国なので商売がなり立っているのであろう』と叙述が出現するからである。「八月」末とはしないのは、「九月」本州でのかき氷屋の営業は一つ、子供らの夏休みが切れ目とも私には思われるからである。但し、五郎が〈あそこ〉を再訪するシンクロニティを考えた時には、これは「八月二十日頃」(本篇の「白い花」に出る日附である)が相応しいが、そこまで合わせるのは却ってやらせっぽく不自然である気がするからでもある。さて、これに従うなら、

 

昭和三九(一九六四)年当時三十四歳の丹尾章次は凡そ昭和五(一九三〇)年生まれ

昭和三九(一九六四)年当時四十五歳の久住五郎は凡そ大正八(一九一九)年生まれ

 

ということになる(二人の年齢差は十一)。丹尾が嘘をつく必要は普通に考えると、ない。彼自身から自発的に告げた年齢であることからも信じてよいであろう。しかし、五郎は後にも出るような追跡妄想などの有意な精神不安を抱えており、自らの素性を隠そうとする傾向が顕著であるから、この年齢も鵜呑みには出来ない気はまずはしてしまう。しかし、実は――五郎のそれもほぼ正しい――のである。それは、後の「白い花」の、印象的な敗戦時の経験述懐で判明する。そこで五郎は『坊津の海軍基地が解散したのは、八月二十日頃かと思う。五郎はまだ二十五歳。体力も気力も充実していた。』と出るからである。されば、先に示した通り、

 

久住五郎が大正八(一九一九)年生まれと仮定するなら、昭和二〇(一九四五)年の夏敗戦直後には満で二十五か二十六歳

 

であったことになるからである。因みに、作者

 

梅崎春生は大正四(一九一五)年二月十五日生まれで、敗戦時は満で二十九歳

 

で、作者自身がモデルである五郎は作中では四、五歳若く設定されてある。

「潤滑油って、燃えるものかね」「潤滑通信社」公式サイト内の「潤滑油も自然発火するか」によれば、潤滑油の引火点(対象試料を規定条件で加熱し続け、試料容器上部空間に蒸気と空気の混合物が滞留し、点火源となる小さな炎を油面上に近づけて引火する温度)は摂氏一二〇度から三五〇度自然発火温度(対象可燃物を空気中で加熱して他から点火されることなく、自ら発火する最低温度で、対象可燃物の周囲の状況と圧力によって異なってくる)は摂氏二五〇度から三五〇度とある。このページのグラフを見ると航空機のように圧力が著しく低い高空では自然発火の可能性は著しく低くなるものの、潤滑油の漏れが外部のみでなく、エンジン内部にも及んでいる場合には、これだと容易に引火しそうな気はする。

「機は洋上に出た」の後に二人の台詞のやり取りがあって二文からなる短い五郎の心気症様の不安描写の段落の後、再び「機は洋上に出た。速力がすこし鈍ったらしい。錦江湾の桜島をゆっくり半周して、高度を下げた」と続く。この前の「機は洋上に出た」は、どう読んでみても表現の重複であり、しかも後者のような、論理的整合性がなく、挟まれ方が不自然である。これは山本健吉氏も底本「解説」で「幻化」について、『彼の自信の作であり、自分でも満足できる出来ばえだったのだと思う。ただ、も少し生きていたら、推敲を加えたかも知れない。たとえば』この『「機は洋上に出た」という不注意な重複など、一方を削除したであろう』と記しておられる。

「近くで話している人々の声が、へんに遠くから聞える。耳がバカになったようだ」中耳の圧調整障害が急速に起きた場合に生じる症状で、重いものは「航空性中耳炎」と呼ぶ。私は九年前の二〇〇六年十二月に、風邪をひいている状態でベトナムに旅した際、行きの空路で重い航空性中耳炎に罹患した。特に左耳はエウスタキオ管(耳管)のみでなく、外耳部まで炎症が真っ赤に広がっていた(到着後に現地の病院で診察を受けて妻が内視鏡で視認、点耳剤の投薬を受けた。保険がきかないので小さな水薬一瓶で一万円三千円ほどした)、帰国後も左右ともに聴力が不可逆的に悪くなり(特に左は高音部が有意に減衰)、現在も常時左右ともに耳鳴りが聴こえる。航空性中耳炎は、特に鼻や耳に炎症がある状態で罹患すると、重い症状を呈し、しかもやっかいなことに再発を繰り返し易くなる。……侮ると大変なことになるので、一言附言しておきますよ、五郎さん……]

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