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2016/01/28

日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第二十六章 鷹狩その他 (13) 黒田長溥及び大隈重信邸で会食

 ビゲロウ、フェノロサ、及び私の三人が、黒田侯の家へ食事に招れた。彼は以前、筑前の大名であり、有名な薩摩公の兄弟にあたる。彼は動物、殊に鳥類が非常に好きである。彼は私に、数年前私の蟻に関する講義を聞いてから、彼も蟻の習性を観察したといった。同侯は七十歳に近く、すこし弱っているが、科学的のことに、非常な興味を持っている。彼は大きな気持のいい部屋と、開いた炉とのある西洋館に住んでいる。我々は彼の高取陶器と懸物との蒐集を見て、三時間も同邸にいた。

[やぶちゃん注:「黒田侯」本章冒頭で既注。元筑前福岡藩第十一代藩主黒田長溥(ながひろ)。この叙述からも想像出来るように蘭癖大名として知られた。磯野先生の「モースその日その日 ある御雇教師と近代日本」によれば、この明治一六(一八八三)年一月十四日より数日間、『黒田長溥邸の文庫を閲覧』(『郵便報知新聞』明治十六年一月十七日号に拠る)とあり、しかも次の段では十六日に大隈重信邸に招かれているとあるから、もし、モースが時系列を正しく記しているとすれば、十四日か十五日のこととなる。

「高取陶器」高取焼(たかとりやき)のこと。現在も福岡県直方市・福岡市早良区などで継承されている陶器で、凡そ四百年の歴史を持つ県下有数の古窯。参照したウィキの「高取焼」によれば、『高取焼は元々、福岡県直方市にある鷹取山の麓にて焼かれており、朝鮮出兵の際に黒田長政が陶工、八山(日本名・八蔵重貞)を連れ帰って焼かせたのが始まり。開窯は』慶長五(一六〇〇)年と『言われている。窯場には永満寺・宅間窯、内ヶ磯(うちがそ)窯、山田窯があり、これらを「古高取」と呼んでいる』。『江戸時代には黒田藩の御用窯として繁栄、元和年間には唐津からの陶工を招き、技術を向上させている。そして寛永年間に入ると』、第二代藩主『黒田忠之は小堀政一(遠州)と交流を深め、遠州好みの茶器を多く焼かせた。それが縁で、遠州七窯の一つに数えられ、茶陶産地として名を高めることとなった。この頃の中心は白旗山窯で、遠州好みの瀟洒な茶器は「遠州高取」と呼ばれた』。『その後、八山の孫の八郎が高取焼』第五窯として『小石原で小石原焼きを始め(小石原高取)、より繊細な作品が多く焼かれた。以後は、福岡の大鋸谷に移転(御庭高取)』、十八世紀には『「東皿山」と「西皿山」に分けられ、細分化されていった。今日では数カ所の窯元が至る所に残っており、廃窯した窯場にも再び火が灯ったりと、再興している』。『高取焼は時代によって、全く毛色が違っている。高取焼草創期の「古高取」の中でも、特に「内ケ磯窯」は豪放かつ大胆な織部好みの意匠で、ロクロによって成形された真円にヘラで歪みを加えており、今日の視点から見れば芸術性豊かで興趣をそそる志向があるが、その奥に隠された思想により御用窯廃絶の憂き目に遭遇する事になった。後の「遠州高取」になると器は端正になり、古高取とは対照的に瀟洒、風流人好みの作品が焼かれるようになった。「小石原高取」の頃になると技術は爛熟し、「遠州高取」より更に繊細な作風となっている。なお、小石原高取は民窯の小石原焼に多少の影響を与えている。今日の作風は小石原高取以後の技法で、使用する釉薬は多い。個性的な釉薬が多く、高取黄釉、春慶釉、高宮釉、道化釉、ふらし釉、真黒釉などがある』とある。]

 

 一月十六日、ドクタアと私とは大学に近い大隈氏の都会邸宅へ、食事に招かれた。家は外国風で非常に美しく、ドクタア・ビゲロウはその設備を完全であると評した。食堂の床は見事な板張で、戸や窓の上には複雑な木彫があった。庭園は純日本風であるが、円形の芝生だけは、確かに日本風ではない。盆にのせ、箸を副えた日本料理が、我々が椅子に坐って向っている卓の上で供された。

[やぶちゃん注:「大隈氏」既出の大隈重信。磯野先生の「モースその日その日 ある御雇教師と近代日本」によれば、これは一月十六日で、先にモースが記した早稲田大学の前身『東京専門学校授業開始式での』「人類の起源」と題した『講演の御礼だったと思われる』と記しておられる。]

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