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« 梅崎春生「幻化」附やぶちゃん注 (5) | トップページ | 2016 謹賀新年 »

2016/01/01

梅崎春生「幻化」附やぶちゃん注 (6)~第一章「同行者」~終

 枕崎で車を降りた。五郎は空腹を感じた。機上食と、鹿児島でうどんを少量。口にしたのはそれだけで、車で長いこと揺られて来た。日はまだ高い。緯度の関係で、日没は東京より一時間ほど遅いのだ。しかし空腹はそのためだけでない。病院の安静の一日と違って、今日は大幅に動き廻った。何か食べましょうや、と丹尾は話しかけた。さっきの激情から、やっと自分を取戻したらしい。

「宿屋の飯を食うほど、ばかげたことはない。それがセールスマンの心がけですよ」

 トランクを提げて、先に歩き出した。後姿はずんぐりして、いかにもこのなまぐさい街の風物にぴったりだ。トランクだけが独立した生物のように上下動する。

〈SN氏のトランク、か〉

 五郎の頰に隠微な笑いが上って来る。何もかも間違いだらけだ。おれも、あのトランクも、ここに来るべきじゃなかったのではないか。しかしすぐに笑いは消えてしまう。

 今まで車で眺めて来たいくつかの小部落は、緑の樹々の間に沈んでいた。小川がそばを流れていた。今見る枕崎の街は、ほとんど木がない。むき出しにした木造家屋だけである。かろうじて柳の街路樹があるが、幹の太さが手首ぐらいで、潮風にいためられてか葉もしなびている。ふり返ると町並の向うに、開聞岳の山容が見える。魚の臭いでいっぱいだ。庭内にむしろを敷いて、一面に茶褐色の鰹節(かつおぶし)を干した家がある。そのそばに猫が丸くなって眠っている。バー。パチンコ屋。食堂。特製チャンポン。空気は湿っていた。

「ここに入ろうよ」

 食堂に入る。チャンポンと割焼酎を注文する。焼酎の方が先に来た。

「割焼酎というのはね」

 丹尾が五郎の盃(さかずき)に注いだ。盃というより、小ぶりの湯呑みに近い。黒褐色の厚手のやきものだ。

「水で割るんじゃない」

「何で割るのかね?」

「清酒。いや、合成酒でしょう。水で割ると、かえってにおいが鼻につく」

 つまみの塩辛を掌に受けて、丹尾は焼酎とともに口に放り込む。盃を傾けながら、五郎はその赤い掌を見ていた。

「君。肝臓が相当いかれているようだね」

「そうですか」

 丹尾は平気な顔で答えた。

「そうでしょうな。あれから毎日酒ばかりで、アル中気味だ」

「酒で悲しさが減るかい?」

「いや。やはりだめだね。やけをおこして、いっそのこと死のうかと思うけれど――」

 チャンポンが来た。丹尾は箸を割って、先をこすり合わせた。

「さっき飛行機で、油が流れ始めたでしょう。ぎょっとしたね。あの航空機はあぶないんでね」

「あぶないことは知ってたんだろ」

「知ってたよ。墜落するかも知れない。墜落したらしたで、それもいいじゃないか。そう思って乗ったんですが、やはりだめだ。こわかったね。だからぼくはあんたに名刺を渡した」

「名刺をね。どうして?」

「海に墜(お)ちて、死体が流れて判らなくなってしまう。あんたの死体だけでも見付かりゃ、ぼくの名刺を持っているから、ぼくが乗っていたことが判る」

 五郎はポケットから丹尾の名刺を出して、裏表を眺めた。

「判ってどうなるんだ?」

「あとで考えてみると、どうもなりゃしない。恐怖で動転してたんだね。あんたはほんとにこわくなかったんですか?」

 五郎はしばらく返事をしなかった。チャンポンの具のイカの脚をつまんで食べていた。イカは新鮮で、しこしこしてうまかった。

「こわくはなかった。いや、こわいということは感じなかった。第一墜ちることを、考えもしなかった。ぼんやりしてたんだな」

「そうですか」

 丹尾はまた盃をあおった。

「あんたはなぜ東京から、枕崎くんだりまでやって来たんです」

「そりや君と関係ないことだよ」

 彼はつっぱねて、チャンポンに箸をつけた。豚脂(ぶたあぶら)をふんだんに使って、ぎとぎとし過ぎていたけれども、空腹には案外うまかった。二十年前は物資が乏しく、こんな店もなかったし、鰹節も干してなかった。貧寒な漁村であった。しかし彼はその頃鮮烈な生のまっただ中にいた。丹尾も箸を動かしながら言った。

「今日はここに泊るんでしょう」

「多分ね」

「ぼくと同宿しませんか」

 丹尾は五郎を上目で見た。

「立神館という宿屋があった。あれがよさそうです。出ましょうか」

 丹尾はチャンポンを、半分ほど食べ残し、立ち上った。

「ぼくはその前に、映画館を一廻りして来ます。あんたは?」

「そうだな」

 五郎は答えた。

「海でも見て来ようかな。いや、その前に床屋にでも――」

 五郎はそう言いながら、丹尾の顔を見た。

「君もその鼻髭(ひげ)、剃ったらどうだい。あまり似合わないよ」

「あの日から剃らないんですよ」

 左の人差指でチョビ髭をなで、丹尾は沈んだ声で言った。

「髭を立てたんじゃない。その部分だけ剃らなかっただけだ。記念というわけじゃないけどね」

 

[やぶちゃん注:これを以って「幻化」の第一章「同行者」が終わる。

「緯度の関係で、日没は東京より一時間ほど遅い」枕崎の緯度は、

北緯三十一度 十六分

で、東京は、

北緯三十五度四十一分

で、四度程度ずれる(孰れも市役所・都庁の数値)。但し、ここで五郎が「一時間ほど」というのは季節からみておかしい例えば、これをブログ公開した

二〇一六年一一月一日の日没

で計算すると(多分、私が何かと最もお世話になっている「こよみのページ」に拠った)、

      東京では十六時三十八分

であるのに対し、枕崎西方にある、

     野間岬では十七時二十七分

と確かに一時間四十九分も遅くなるのであるが、さても、私が作品内時間と推定する昭和三九(一九六四)年の九月の、例えば一日で見ると、

      東京では十八時  九分

であるのに対し、

     野間岬では十八時四十四分

であるから三十五分だけ遅いことになる。

「SN氏のトランク」これ直後に「五郎の頰に隠微な笑いが上って来」、「何もかも間違いだらけだ。おれも、あのトランクも、ここに来るべきじゃなかったのではないか」という叙述から、恐らくは一九三一年(昭和六年相当)に製作されたドイツ映画「O・F氏のトランク」(原題:Die Koffer des Herrn O.F)を意識した台詞と思われる。私は残念なことに本作を観ていないが、「Movie Walker」の「O・F氏のトランク」によれば、『処女作「人生謳歌」で認められた、元モスコーユダヤ劇場の主脳者アレクシス・グラノフスキー』(Alexis Granowsky)『の第二回トーキー作品で、ドイツの風刺作家として聞えているレオ・ラニア』(Leo Rania)『と監督グラノフスキーが共同して書卸したもので、自ら大人の為のお伽噺と断ってある。出演者は「メトロポリス」』(Metropolis:ドイツ一九二六年製作)『のアルフレッド・アベル』(Alfred Abel)、「M」(一九三一年)『のペーター・ローレ』(Peter Lorre)他。『キャメラは』私の好きな、かの名作「制服の処女」(一九三一年)『のライマール・クンツェ』(Reimar Kuntze)『及びハインリヒ・バラッシュ』(Heinrich Balasch)『で、作曲は「カラマゾフの兄弟」』(Der Mörder Dimitri Karamasoff:ドイツ一九三一年公開)『のカロル・ラトハウス』(Karol Rathaus他である。シノプシスはリンク先に詳しい。お読みになると、私がこれだと思ったことを「なるほど!」と合点して頂けるものと思う。

「鰹節」枕崎水産加工業協同組合公式サイトによれば、枕崎の鰹節は国内最高品質を誇り、製法伝来三百年を迎えたとある。

「開聞岳」薩摩半島南端に位置する標高九百二十四メートルの火山で、美しい円錐形の山容から「薩摩富士」とも呼ばれる名山である。私が二十五年前、結婚直後の、まだ足の悪くなる前の新妻と二人っきりで登頂した唯一の山である。

「チャンポン」ウィキの「ちゃんぽん」によれば(記号の一部を変更・省略した)、『豚肉・野菜・魚肉生産品(場合によっては魚貝類そのもの)を具とした日本の郷土料理。長崎の麺料理が有名』。『長崎ちゃんぽんの語源については、諸説ある。福建語の挨拶「吃飯」もしくは「吃飯了」(直訳するなら「飯は食ったか?」)から来ているとの説、同じく福建語の「混ぜる」を意味する語「混」から来ているとする説が存在する。また、沖縄のチャンプルーと関連があるともいわれる。マレー語およびインドネシア語のcampur(チャンプル)」、「ちゃんぽん」、「チャンプルー」はともに「混ぜる、ごちゃ混ぜにする」という意味があり、同一語源の可能性がある。後述の沖縄のちゃんぽんはおかず載せごはんであるが、その形態はインドネシアのナシチャンプル(nasi campur ナシはご飯の意味)と一致する』。『語源事典では「異なるものを混ぜること」の語源として、鉦の音(ちゃん)と鼓の音(ぽん)という擬音としてつなげた近世(江戸時代)の造語であるとしている。これらの語源事典では、「混ぜること」より発生が遅い料理名の「ちゃんぽん」について、中国語説を取り上げながらも、「混ぜること」の意味から影響された名前としている』が、『いずれも根拠が乏しく単なる連想による民間語源の可能性が強い』とある。鹿児島でもチャンポンを扱う店は多く、私は枕崎には行ったことはないが、推察するに鹿児島は豚料理が有名で(豚骨料理は絶品である)、背脂をふんだんに用いた豚骨スープに、枕崎のそれは、ここに出る烏賊などの自前特産の海産物を入れたものが供されているのであろう。

「合成酒」ウィキの「合成清酒」から引く。『アルコールに糖類、有機酸、アミノ酸などを加えて、清酒のような風味にしたアルコール飲料で』、『清酒に比べて酒税の税率が低く、価格が安いことから、清酒の代用として普及しており、料理酒としてもよく使われている。風味付けのために、醸造された日本酒の成分を数%添加した製品が多い』。『日本の酒税法では合成清酒のアルコール度数は』「十六度未満」であることが求められているとある。

「君。肝臓が相当いかれているようだね」「そうでしょうな。あれから毎日酒ばかりで、アル中気味だ」「酒で悲しさが減るかい?」「いや。やはりだめだね。やけをおこして、いっそのこと死のうかと思うけれど――」丹尾がアルコール依存症であることを自ら表明するシーンである。

「箸を割って、先をこすり合わせた」私は今年で五十九になるが、こういう割り箸を箸同士で擦り合わせて割った際の木屑を取る習慣を、全く持たない。一度もやったことがない。ただ、それをやる人を見たことはある。小さな頃は、なんであんなことするんだろ? と思った。大人になってやる意味は判った。でも、昔も今も、私はやらない。ネットを調べてみると、この割った箸同士を「こすり合わせ」る行為は、その割り箸が粗末で質の悪い品であることを示すことになるので、通常、普通の店舗などでこれをやるというのは、失礼に当たるからやってはいけないとあった。ふーん、と思った。ただ、ふーん、と思っただけである。ともかくも、裂けて口を怪我しそうな状態ならば手で毟ればよい。ささくれがひどければ取り替えて貰えばよい。私は向後も、これをやろうとは、思わないのである。

「二十年前は物資が乏しく、こんな店もなかったし、鰹節も干してなかった。貧寒な漁村であった。しかし彼はその頃鮮烈な生のまっただ中にいた」「二十年前」は昭和二十(一九四五)年、敗戦の年である。五郎の秘められた確かな過去と当時の心境が読者に漸層的に具体に示される重要な一場面である。

「立神館」現実にあった旅館かどうかは不詳(現在は少なくともない模様)で「たてがみかん」か「りつじんかん」かもわからないが、枕崎市には現在も立神本町(たてがみほんまち)があるから、「たてがみかん」の読みが第一候補とはなろう。

『「君もその鼻髭、剃ったらどうだい。あまり似合わないよ」/「あの日から剃らないんですよ」/左の人差指でチョビ髭をなで、丹尾は沈んだ声で言った。/「髭を立てたんじゃない。その部分だけ剃らなかっただけだ。記念というわけじゃないけどね」』「あの日」は言わずもがな、「一箇月前に」「妻子を交通事故でうしなってしまった」日から、である。丹尾なりの亡き妻子への哀傷の印、彼の聖痕(スティグマ)なのである。無論、こんな分かり切ったことを注しようとしたのではない。何故、五郎はここで丹尾の自分で「立てた」ように見える「チョビ髭」を嫌ったのかが私には気になるからである。ウィキの「口髭」に以下のようにある。『近代では、口髭は軍人に好まれた。多くの国々において、部隊や階級ごとに様々なスタイルやバリエーションが見られた。一般的に、若い下級の兵士は、比較的小さな、あまり手の込んでいない口髭を立てる。やがて昇進していくと、口髭はより分厚くなり、さらには全てのひげを伸ばすことが許されるようになる』と。五郎は丹尾の髭に戦時中のおぞましい軍人らの髭を思い出したからではなかろうか?

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