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2016/01/20

柳田國男 蝸牛考 初版(16) 訛語と方言と

 

       訛語と方言と

 

 東北地方今日の言語現象が、殊に自分たちの解説し難いものを以て充ちて居るのは、恐らくは今尚些しも研究せられて居らぬ此方面の中古土著の歷史と、隱れたる關係を有するものであらう。其中でも日本海に面した弘い區域のカサツブレが、直接に京洛の文化と略確かなる脈絡を保つて居るに反して、一方嶺を東に越えた北上川下流の地、即ち夙に獨自の文化を發達せしめて居たと傳ふる部分には、別に一派の方言團の孤立して存するものがあるが如きは、之を單なる偶然の事實として、輕々に看過することは出來ぬやうである。此點から考へると、近世府縣の教育者の間に流行せんとした、所謂方言匡正の事業には、實は危險なる不用意があつたわけである。幸ひに其企てが不自然にして、未だ十分なる成功を見るに至らず、寧ろ若干の記錄を以て其亡失を防ぐの力さへあつたが、土語を粗末にして未來の文藝の自由なる取捨に干渉し、更に實地の使用者をして、今一度固有の感覺を味はしめる機會を乏しくしたことは爭われない。方言は決してさういふ同情無き態度を以て、一括して排除すべきものでは無かつたのである。普通の外來者が一驚を喫するやうな珍らしい單語が、無意味無法則に出現し、また流轉する道理は無い。殊に蝸牛の如く其使用者が最も倦み易く且つ新奇を愛する兒童なる場合に於て、とにかくに大勢に反抗して能く是だけの殘壘を固守して居たとすれば、それには恐らく今日の標準語運動と同じやうな、一種の雅俗觀とも名づくべきものが働いて居たからで、實際また割據時代の日本の文化は、必ずしも花の都の求心力のみによつて、指導せられては居なかつたのである。

 

 だから舊仙臺領などでは、最近に至るまでタマダラが蝸牛の本名であつて、之と異なるものが笑はれ又は正されて居た。さうしてこの語の及ぶところの領域が、大體に於て御城下の勢力と終始して居たのである。しかも此事實が伊達氏の入部によつて始まつたものでないことは、それが北隣の南部領の中へ、幾分か入り込んで居たのを見ても察せられる。或は山村海隅に在つては多少の例外が見出されるかも知らぬが、自分の知る限りに於ては、その分布は大よそ次の如くであった。

   タンマクラ          「東北方言集」、宮城

   タマグラ、タンマクラ     「仙臺方言考」

   クマグラ、タンマクラ     「登米郡史」

   クマクラ、メンメン      「遠田郡誌」

   タンバクラ          「玉造郡誌」

   タンマクラ          「栗原郡誌」

   カマグラ           「牡鹿郡誌」

   ヘビタマグリ、ベココ     陸中上閉伊郡

   ヘビタマグリ、デンデンべーコ 同郡釜石

   ヤマツブ           陸中平泉

   ヘビタマグリ         「御國通辭」、盛岡

   ヘビタマ           「秋田方言」、鹿角郡

[やぶちゃん注:「東北方言集」恐らくは大正九(一九二〇)年仙臺税務監督局編のそれと推定される。

「仙臺方言考」同題の書籍はあるものの、本篇の出版年から考えて、恐らくは大正五(一九一六)年刊の伊勢斎助著「増訂 仙臺史傳 仙臺方言考」ではないかと推測する。

「登米郡史」宮城県にあった旧登米郡(とめぐん)の郡誌。大正一二(一九二三)年登米郡役所編。現在の登米市の大部分(津山町各町を除く)に相当する。なお、以下の注も参照のこと。

「遠田郡誌」遠田(とおだ)郡は宮城県の北部内陸に現存する郡の旧郡誌。大正一五(一九二六)年遠田郡教育会編。ウィキの「遠田郡」によれば、当時は現在の涌谷町(わくやちょう)・美里町(みさとまち)の他、大崎市の一部を含み、登米市(前注参照)米山町西野と米山町中津山が明治一一(一八七八)年まで本郡に所属していたとある。

「玉造郡誌」宮城県最北部栗原郡の南にあった旧郡の郡誌。昭和四(一九二九)年玉造郡教育会編。旧玉造(たまつくり)郡は現在の大崎市の一部。

「栗原郡誌」宮城県最北部にあった旧郡の郡誌。大正七(一九一八)年栗原郡教育会編。旧栗原郡は現在の栗原市及び大崎市の一部であるが、参照したウィキの「栗原郡」によれば、登米市(前注参照)石越町(いしこまち)各町が明治一〇(一八七七)年、登米市南方町(みなみかた)などが翌明治十一年まで当郡に所属していたともある。

「牡鹿郡誌」宮城県牡鹿(おしか)郡は現在の女川町(おながわちょう)の他、当時は石巻市の一部を含んだ。同郡誌は大正一二(一九二三)年牡鹿郡役所編。

「陸中上閉伊郡」岩手県上閉伊(かみへい)郡は現在は大槌町(おおつちちょう)のみであるが、当時は遠野市全域及び釜石市の南方海岸域にある唐丹町(とうにちょう)を除いた大部分を郡域とした。

「御國通辭」「おくにつうじ」と読み、寛政二(一七九〇)年に南部藩藩士服部武喬によって編まれた盛岡の方言集。

「秋田方言」昭和四(一九二九)年秋田県学務課編のそれか?]

 

 是が何れも蝸牛のことである。以上の諸例の中で、牡鹿半島のカマグラは明らかに訛語である。仙臺の市中に於ても、近頃は誤つてマタグラといふ者もあるさうだが、是は多數と反するといふのみで無く、土地の人たちもそれがをかしな片言であることをまだ知つて居る。平泉のヤマツブは或は併存の例であるかも知らぬが、田螺はこの邊で一般にツブだから、この語は新たにも發生し得、又ごく古くからあつたとしても一向に不思議はない。其次には舊南部領内のヘビタマグリであるが、是も新らしい訛りでは無いやうに思はれる。仙臺の城下にも既に「物類稱呼」の頃から、ヘビノテマクラといふ語は行はれて居た。或は烏瓜を「烏の枕」と謂ひ、靑みどろを「蛙の蒲團」といい、ひとでを「章魚の枕」といふ例もあるから、形と大さとに基づいて戲れに名を賦したと考へられぬことも無いが、若し其方が前であつたならば、恐らくはタマクラとは言はなかつたであらう。タマクラは文語の手枕と近いけれども、東北では別に其名を持つものがあつて、それは我々のいふタマキ(環)のことであった。例へば蚯蚓の頸にある色の薄い環がタマクラであつた。普通の農家に用ゐられるタマクラは、土製の圓い輪であつて、藁苞や割竹の類を一つに束ねる爲に、拔差しするやうに出來て居る器のことである。マイマイの螺旋とはちがつて、是は單なる循環であるけれども、物を輪にするといふ點は一つだから、言はゞ圓い物をツブラといつたのと、同じ程度の不精確さである。蝸牛を斯く呼ぶことが他の土地では早く止み、更に差別の爲にタマキ又はタマクラを、環のみに限ることになつたものとすれば、是は蝸牛に取つては可なり前からの名詞であつた。是から南に向つて阿武隈川流域のダイロウ領を中に置いて、福島縣石城の海岸地方にも、マイマイはまたべーコの語と併存して、別に又蝸牛をツムグリといふ例があつた。ツムグリは一方にタマグラと近く、又他の一方には美濃などのツンブリとも近い。或は古事記にある都牟刈の太刀のツムガリなどゝも同じで、本來はツグラ・ツブラの第一音が、ツンと發音せらるべき傾向を具へて居たことを暗示するものかも知れない。

[やぶちゃん注:「烏瓜」スミレ目ウリ科カラスウリ属カラスウリ Trichosanthes cucumeroides私の烏瓜の思い出はこちらに(今もこの実を必ず裏山から一つ、必ず採って来ては、翌年の秋まで部屋に飾っておくのが私の趣味である)。

「靑みどろ」生物学的には緑色植物亜界ストレプト植物門接合藻綱ホシミドロ目ホシミドロ科アオミドロ属 Spirogyra に属する淡水産藻類の総称であるが、一般にはホシミドロ属 Zygnema などの近縁種や似たような形状のぬるぬるした淡水性のて緑色のカーペット状を呈する藻類を広くこう呼称してしまっている(実際には一般人の視認では区別することは不可能である)。

『ひとでを「章魚の枕」といふ』私の大好きな、磯野直秀先生の名論文「タコノマクラ考:ウニやヒトデの古名」によれば、棘皮動物門星形動物亜門の主にヒトデ綱 Asteroidea に属するヒトデ綱 Asteroidea 及びそれらよりも原始的とされるクモヒトデ綱 Ophiuroidea に属するヒトデ類を古くは「たこのまくら」と呼んだ。寧ろ、「ひとで(人手)」はそれよりも遅れて出ており、同論文によれば、寛文六(一六六六)成立の中村惕斎(てきさい)著になる字書「訓蒙図彙」の記載が最も古く、「ひとで」の初出は神田玄泉の「日東魚譜」(最古の写本は享保九(一七一九)年)とある。無論、今では同じ棘皮動物のウニ綱タコノマクラ目タコノマクラ科タコノマクラ属タコノマクラ Clypeaster japonicus が狭義の標準和名としてそれを名にし負うてはいるわけだが(負うのではなく枕にしているというべきか)、ここはそんな薀蓄は不要で、あくまでヒトデ類を指すと採るべきであることは言うまでもない。しかし今時、ヒトデを「タコノマクラ」と呼ぶ人々は絶対数が減っていることは確かではあろう。

「福島縣石城」「石城」は「いはき(いわき)」で旧福島県石城郡のこと。現在のいわき市とほぼ同域。

「古事記にある都牟刈の太刀のツムガリ」知られた素戔嗚の八岐大蛇退治のコーダで、出現する「都牟羽(つむは)の太刀(たち)」=「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」=「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」は異名を「都牟刈(つむがり)の太刀(たち)とも称する。無論、現在の三種の神器の一つである。但し、「都牟羽」も「都牟刈」も原義は不明である。]

 

 蛇と蝸牛との關係には、何かまだ我々の心付かぬものがあるやうである。八重山の石垣島には眞乙姥の墓という石棺が露出した處があるが、土地では是を又ツダミバカ(蝸牛塚)とも謂つて、石の下にはこの貝の殼が一杯入つて居る。蛇が蝸牛をくはへて此中に出入りするのを常に見るといふことであつた。自分はまだ實驗したのでは無いが、蛇が此蟲を食物にして居るといふ話は、他の地方でもよく聽く所だから、或は是に關係した昔話なり、古い信仰なりがあつたのかも知れぬが、假にさうで無くとも若し蛇のトグロをもタマクラといふ習はしがあつたら、斯ういふ異名は起り易かつたであらうと思ふ。ツグラとクマグラとの元一つの語であつたことは、決して自分の臆説では無いのである。ちやうど中央部で胡坐をアヅクラ、またはオタグラなどといふと行きちがひに九州の方では之をヰタマダラと謂つて居る。例へば

   イタマグレ     筑後吉井邊

   イタマグラニスワル 同 久留米

   イタグラミースル  肥前佐賀市

の類である。さうして他の一方には東北で蝸牛をタマグラ、九州では弘くツグラメと謂つて居るのを見れば、獨りタマクラがツグラの同系であるといふに止まらず、國の南北の兩方に一つの語の行はれて居ることは、恰もマイマイが東海道と中國とに、カサとカタカタが伊豫土佐熊野伊豆から、飛んで北國出羽の端々にあると同じく、又蛞蝓と蝸牛とを一つの語で呼ぶ風が、津輕秋田と島原半島とにある如く、頗る自分などの假定する方言周圈説を、有力に裏書することになるのである。

[やぶちゃん注:「眞乙姥の墓」これは誤認がある。ここは確かに「眞乙姥」(まいつば)の墓であるが、ここで柳田が言っている「つだみ墓」(かたつむり墓)というのは同じ場所に忌まわしい方法で埋められた「眞乙姥」の姉か妹(或いは双生児。一方が結婚していないところを見ると、多くの双生児の風俗社会での扱いから考えると双生児の可能性が高いようにも私には思える)の「古乙姥(くいつば)」の墓である。個人(と思われる)サイト「八重山石垣雑学帳」の「赤蜂の妻古乙姥(クイツバ)をめぐる話」が伝承を詳しく載せる。それを引きたいが、別ページも含めかなりの分量になってしまうので諦め(但し、リンク先は必読)、ウィキの「長田大主」を参考に纏めてみると、この二人は石垣島の豪族で後に八重山頭職に任じられた長田大主(なーたふーず/なあたうふしゅ)の実の二人の妹であったという。古乙姥(くいつば)の方は石垣島東部の豪族遠弥計赤蜂(おやけあかはち)に政略結婚で嫁がせたものの、赤蜂が反乱を起こし、その鎮圧後も古乙姥(くいつば)は夫に従って反抗したために処刑されてしまう。それに対し、一方の真乙姥(まいつば)は、ノロ(祝女:現在の沖繩県と鹿児島県奄美群島の琉球信仰における女性シャーマン)となって首里王府軍のために武運と航海の安全を祈り、その功績によって地元のノロの高位である永良比金(いらびんがみ)の神職に任ぜられた。その後、この島民の尊崇厚かった真乙姥(まいつば)が亡くなって墓を建てるという話になるのであるが、そこにはなんと(以下、「赤蜂の妻古乙姥(クイツバ)をめぐる話」より)、『クイツバをマイツバの墓地の片隅につだみ墓(かたつむり墓)として葬ったという続編がある。(牧野清著「八重山のお嶽」)つだみ墓にした目的は意図的に墓地を訪れる人々に踏みつけさせようという見せしめ以外の何ものでもなく、クイツバを逆賊の象徴としたのである』。『見せしめとはいえ、つだみ(かたつむり)にするというのは余りにも酷で哀れに思えてならない。この後、首里王府の目論みは成功し八重山を完全に掌中に治めるのである』とある。だからこそ柳田の言うように、異様にも「石棺が露出し」ているのである。柳田ともあろう者がその伝承を語らずにここにこんなものの例示として出すのは、不十分どころかすこぶる不適切、それこそ古乙姥(くいつば)の墓を知らずに踏んずけているようなものと思うのであるが、如何? 大方の御批判を俟つ。

「貝の殼」底本では「貝の穀」となっているが、改訂版と校合、誤植と断じて、特異的に訂した。

「蛇が此蟲を食物にして居るといふ話は、他の地方でもよく聽く」蛇は普通にカタツムリを餌にする(ウィキの「ヘビ」には、『食性は全てが動物食で、主食はシロアリ、ミミズ、カタツムリ、カエル、ネズミ、魚類、鳥類など種類によって異なる』たる)。また、まさに南西諸島にはカタツムリ食に特化した蛇類もいると聴いたことがあり、今回、それを調べてみたところが、サイト「WAOサイエンスパーク」内の京都大学白眉センター特定助教細将貴氏のインタビュー記事に「右利きのヘビと左巻きのカタツムリ「右」と「左」から迫る生物進化の謎」というのがあり(文は『WAOサイエンスパーク』編集長松本正行氏)、そこでカタツムリ食の当該ヘビの一種が有鱗目ヘビ亜目セダカヘビ科セダカヘビ属イワサキセダカヘビ Pareas iwasakii と判明した。ウィキの「イワサキセダカヘビによれば、無毒蛇で『南西諸島の石垣島と西表島にのみ棲息する。日本固有種』とあり、『その特殊な生態から「右利きのヘビ」と呼ばれることがある』記されてある。体長は五〇~七〇センチメートル、『体はかなり細く、地色は褐色ないしは淡褐色で、頭部から尾にかけては波状の暗褐色の縦縞が見られる。ただしこの縞は尾部に近づくほど不明瞭になる。他の多くのヘビと異なり、背が盛り上がって断面が三角形状をなしていることがセダカヘビ(背高蛇)の名の由来となっている』。『頭部は吻部の詰まった楕円形をしている。眼は大きく、瞳孔はやや縦長で、虹彩はオレンジ色もしくはやや赤味がかった黄土色』。『後述する食性との関係から、上あごの歯は一部が消失し、いっぽうで下あごの歯には高度な特殊化が見られる』。『夜行性で』、『樹上性と考えられているが』(生態研究が進んでいない)、『地上を匍匐していることもある。近年、石垣島ではサトウキビ畑やパイナップル畑などでよく見つかっている』。『ほぼカタツムリしか食べないことで知られている。このような陸貝専食性のヘビは日本では本種のみである。野外では』腹足綱有肺目真有肺亜目柄眼下目マイマイ上科ニッポンマイマイ科『イッシキマイマイ Satsuma caliginosa caliginosa を捕食していた事例が知られている』。別種のセダカヘビ(Aplopeltura boa)ではヤマタニシのような蓋のあるカタツムリを捕食する様子が観察されているが』、『本種はそのようなカタツムリを与えても捕食することがない。ヤエヤマアオガエル Rhacophorus owstoni を捕食していたという野外観察例があるとされていたが、これは、イリオモテヤマネコ Prionailurus bengalensis iriomotensis の調査報告書』『に書かれた憶測がもととなって流布された誤解と考えられる。かなりの大食であり、飼育下では』一日に四~五個体の『カタツムリを捕食する。 カタツムリを捕食するときには、上あごを殻に引っ掛け、下あごの歯をカタツムリの軟体部に挿し込み、殻から軟体部を器用に抜き出す』(引用元に動画リンク有り)。『殻を割って食べることはない。本種の下あごの歯は本数が左右で異なり、右側が平均』二五本なのに対し、『左側は』十八本で、『この非対称性は、左巻きに比べて圧倒的に多数派である右巻きのカタツムリを効率よく捕食するための特殊化だと考えられており、セダカヘビ科のヘビほぼ全種で確認されている』。『実際、左巻きのカタツムリの捕食にはしばしば失敗する』(同じく動引用者に動画有り)。『そのため、左巻きのカタツムリの進化がセダカヘビ類によって促進されたのではないかと考えられている』とある。そうなんである! なんと! 少数派の左巻きのカタツムリ類の発生はこの蛇の捕食圧であったというのである! それを語っているのが、前にリンクした細氏の記事なんである! 注で引くには脱線となるのでぐっとこらえるが、とても面白い。必読である。

「筑後吉井邊」現在の福岡県うきは市吉井町附近。「うきは市」は福岡県の南東部に位置する市で旧浮羽郡吉井町と浮羽町が合併したもの。]

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