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2016/01/28

日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第二十六章 鷹狩その他 (17) モースの茶器鑑定眼畏るべし!

M760

図―760

 

 先夜私は面白い会へ招かれた。茶の湯の先生の谷村氏が毎月、古い日本の陶器に興味を持つ人々の会をする。それはあてっこする会で、各人が鑑別に困難な品を持って来る。これ等に番号をつけ、あてごと競争をやらぬ一人によって、表に記録される。その方法は、ちょっと変っている。参会者は蠟燭を中心に円くなって坐り、各人、底に自分の名を書いた漆塗の盃を持つ。茶入、茶碗、香合といったような陶器の標本が廻されると、各人はそれを調べ、そこで筆と墨を用いて彼の推察を、漆塗の盃の内側に記し、それを伏せて畳の上に置く。参会者が一人のこらず、彼の推察、或は意見を記すと、主人役は各の名前と意見とを、帳簿に記入する。このようにして我々は沢山の茶入、茶碗その他の検査をした。私が最も多数の正しい鑑定をしたことは、興味があろう。また私の間違が、私一人だけの間違でないことを知つては、うれしく思った。私が高取だといった茶人を、審判官は膳所(ぜぜ)だといった。この名が、それの入っていた箱に書いてあったからである。だが、その箱のもとの内容が破損したり、失われたりした時、その常に丁度具合よく入る代用品を入れることは、非常にちょいちょい行われるから、これは不安全な証拠といわねばならぬ。だが高取と膳所とは非常によく似ている。別の品で高田だといわれたのは、確かにそうでない。私はこの陶器に関しては、かなりしっかりした知識を持っているのだから。このような気持のいい人々に会うことは、興味が深かった。一人は学生、一人は医者、一人は日刊新聞の主筆、一人は有閑階級の紳士、そして主人は陶界鑑定の達人である。私が常に私の漆塗の盃をまっさきに伏せるので、彼等は皆私の決定の早いのに驚きの意を表した。他の人々はかわるがわる品を見、彼等の感情を奇妙な音で示し、変だとか、面倒だとかいい、うーんと唸り、最後の瞬間にきめたことを書く。図760はこの会を急いで写生したものである。

[やぶちゃん注:モースの陶器の鑑定眼、畏るべし!

「茶の湯の先生の谷村氏」この「先生」はモースの師の謂いではなく、広義の茶道の師匠の意味である。先に注したように、モース個人の茶道の師匠は古筆了仲であった。

「高取」既注の福岡の高取焼。グーグル画像検索「高取焼をリンクしておく。

「膳所」膳所焼。現在の大津市膳所で産する陶器。開窯は慶長年間(一五九六年~一六一五年)頃かとされ、寛永年間(一六二四年~一六四四年)に膳所城主石川忠総が命じて小堀遠州の指導の下に茶器生産が始まった。ウィキ膳所焼には、『茶陶として名高く、遠州七窯の一つに数えられる。黒味を帯びた鉄釉が特色で、素朴でありながら繊細な意匠は遠州が掲げた「きれいさび」の精神が息づいている』とある。グーグル画像検索「膳所焼」をリンクしておく。素人の私でも確かに似ているように見える。

「高田」これは「こうだ」と読む。熊本県八代市で焼かれる高田焼のことで、八代焼(やつしろやき)とも称する(但し、この当時はこうは呼んでいないものと思う。後述参照)。ウィキ高田によれば、『焼き物には珍しい象嵌を施すところが特徴』で、『文禄の役の後に加藤清正に従って渡来した尊楷(上野喜蔵高国)が、利休七哲の』一人で『茶道に造詣の深い豊前小倉藩主・細川忠興(三斎)に招かれ、豊前国上野で上野焼(あがのやき)を始めた』。寛永一〇(一六三三)年、『忠興が息子・細川忠利の肥後熊本転封に伴って肥後国八代城に入ったのに従い、上野喜蔵も長男の忠兵衛とともに八代郡高田郷に移って窯を築いた。これが高田焼の始まりで、その後は代々熊本藩の御用窯として保護された』。本記載より後の明治二五(一八九二)年には『窯を陶土の産地八代郡日奈久へ移した』とある。『初期は上野焼の手法を用いていたが、後に高田焼の特色でもある白土象嵌の技法を完成させた。現在もこの流れを汲む技法を堅持しつつも、新たな彩色象嵌を開発するなどして発展を遂げている』。高田焼の特徴は白土象嵌(はくどぞうがん)にあり、『高田焼は一見、青磁のように見えながら陶器であるのが特色。また、白土象嵌とは成形した生乾きの素地に模様を彫り込み、そこに白土を埋め込んで、余分な部分を削り落とした後に透明釉をかけたもので、独特の透明感と端正さがあり、かの高麗青磁を彷彿させる』とある。]

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