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2016/01/07

梅崎春生「幻化」附やぶちゃん注 (17)

 

 朝早く伊作を発ったので、昼前に熊本に着いた。駅は人の動きや汽笛やスピーカーで騒々しい。駅の構内に入ると、どうして人間はこのように足早になるのだろう。そう思いながら、五郎の足もしだいに早くなる。皆せき立てられた鶏のようだ。肩と肩とが時々ぶつかり合う。

 改札を出ると、案内所に寄り、旅館の名を確める。次いで郵便局に寄り、東京の三田村に電報を打った。

『東京に戻るから旅費を送って呉れ』

 という意味のもので、旅館の町番地を書き、そこの気付にした。東京に戻る気持は、昨日からきざしていた。この電報を打てば、決定してしまう。それが一瞬彼をためらわせた。

〈しかし電報を打たなきゃ、金はどうする?〉

 エイという気合で、彼は窓口に頼信紙を差出した。その足で薬屋に寄り鎮痛剤を買い、駅前のレストランに歩み入る。ビールと料理を注文する。待っている間も、体を動かすとあちこちの筋肉が痛む。昨夜のあんまのせいだ。ビールが運ばれてくる。

「揺り返しか。地震みたいだな」

 鎮痛剤を一錠、ビールとともに飲み下しながら、彼は呟(つぶや)いた。

「やはり怒ったのがいけなかったのかな」

 怒ると筋肉が緊張する。それが凝(こ)りの原因になる。それに今朝から何時間も、汽車の座席に体を固定させて来た。そのせいもあるのだろう。昨夜の怒りはまだ完全に収まってはいなかった。レストランの椅子は小さく、安定感がなかった。彼は自分の怒りを確めるように、わざと体の重心を動かしてみる。椅子がそれにつれて、がたりと動く。卓もそうだ。三本脚で立ち、一本脚は浮いている。皆がたがただ。

「つまりおれは、怒りという媒体がないと、世の中に入って行けないのだな」

 この論理は間違っていた。世の人間関係に巻き込まれたから怒ったのであって、彼が怒りを持って参加したのではない。五郎はうすうすとそれを知っていたが、前者には眼を閉じ耳をふさぎ、後者に執(しゅう)しようとしていた。

 ポークカツを切り刻み、ソースをだぶだぶかける。ビールと交互に口に運びながら、大きな窓ガラス越しに、外を眺めていた。駅舎には相変らず人々が忙しげに出入りし、駅前にはタクシーやバスが着いたり、走り出したりしている。五郎は昔から、駅の雰囲気は好きであった。各人がお互いにつながりを持たず、自分の目的に向って、ばらばらに動き廻っている。総体的にはまとまりがない。盲目の意志とでも言ったものが、人間をちょこちょこと動かしている。それが彼の気に入っていた。

〈電報を打つのは、早過ぎたかな〉

 その考えがちらと頭を通り過ぎる。フォークを皿に置き、コップの残りを飲み干す。ゆっくりと立ち上った。

 広場を横切り、駅の前でタクシーを拾った。

「東京屋にやって呉れ」

 今夜泊る予定の宿屋である。鎮痛剤がきいて来たのか、節々(ふしぶし)の痛みはよほどやわらいで来た。大通りからちょっと横町に入って、車は停る。降りて宿屋の門をくぐる。帳場に行って案内を乞う。四十前後の番頭らしい服装の男が出て来た。

「今夜泊りたいんだがね」

 五郎は言った。

「お内儀(かみ)さん。元気かね?」

「お内儀さんって、何じゃろ?」

「そら。ここは昔、そば屋だっただろう。その時の女将(かみ)さんさ」

 男は黙って、五郎の頭から足先まで眺めた。職業的な視線でなめ廻した。

「ぼくは久住五郎というものだ。お内儀さんに聞けば、判ると思うが――

「そりゃムリたい」

「なぜ?」

「うちにゃこれまで何千何万のお客さんが、出入りしなさった。あんたが覚えとっても、お婆さんが覚えちょるとは限らんばい。そぎゃんじゃろ。あんたさんはいつ頃のお客さんな?」

「二十七、八年前、学生時代だ」

 五郎はハンカチで額を拭いた。

「会えば判ると思うんだがね」

「そぎゃんいうち来るお客さんも、時々おらすばってん、なかなか会えんばい」

 眺め廻すのをやめて、男はまっすぐ五郎の顔を見た。どの程度の客か、判定し終ったらしい。

「なぜ? 病気なのかい?」

「うんにゃ。死んなはった。十年ばかり前ですたい」

 額をぐいと押された感じで、五郎は黙った。こめかみがびくびく動くのが判る。何で早くそれを言わないのか。やがて男が心配そうに言った。

「気分がわるかと?」

「いや。別に」

「そればってん、顔が――

「この旅館気付に、東京からわたしに金が送って来る」

 ハンカチをしまいながら、五郎はかすれた声を出した。

「それまでここに泊りたいんだ。泊れるだろうね」

「ん。まあね」

 気のなさそうな返事をした。

「泊めんのが、商売だもん」

 男は手を打って女中を呼んだ。

「お荷物は?」

「あ。今はいいんだ。市内見物をして来るから、部屋だけ取っといて呉れ」

「そぎゃんですか。そんならお待ちしとりますけん」

 五郎は横町を出て、街路に出る。やはり顔がこわばっている。荷物は持たないし、服もきちんとしていないし、靴もよごれている。上客ではない。言われなくても、自分で知っている。しかしあの番頭の客あしらいは、横柄だ。まるで泊らせないために、応対しているようではないか。

〈金はいくら残っているのかな〉

 五郎は感情を制しながら、ポケットに手をつっ込み、指先で勘定した。眼で見ないで、指で数えられるほどの少額である。老練な客引や番頭になると、顔や服装を見ただけで、客の持ち金をほぼ正確に言い当てるという。

「ふん」

 五郎は肩を落し、三分間ほど曲り角に佇立し、街の様子をにらんでいた。昔よく出歩いた街だが、その頃の雰囲気が残っているような、また見覚えのないような感じがする。度の合わない眼鏡をかけた時の違和と不快がある。これが初めての風景なら、旅情もあるだろうが、過去に翳(かげ)を引いているので、具合が悪いのだ。

〈イヤだな。歩き廻るのはよそうか〉

 と思っても、今宿屋に戻る気はしない。

 天気はよかった。空気は乾いていた。光はあまねく街に降っていた。

 ここを離れて、五郎は時々この土地のことを思い出し、また夢にまで見た。それはいつも青春の楽しさや愚行につながっていた。楽しさや愚行に都合のいいように、街の相は彼の頭の中で、修正されているかも知れない。その修正と、現実の街の変貌が一致しない。それが五郎には面白くない。

 

[やぶちゃん注:「東京屋」不詳。現存はしない。同名の「東京屋旅館」というのをアンティーク絵葉書販売サイトの写真で現認出来たが、それには『熊本 武雄町』とあり、現行の地名には「武雄町」はなく、位置を特定出来ない。

「これが初めての風景なら、旅情もあるだろうが、過去に翳(かげ)を引いているので、具合が悪いのだ」とあるが、これは直後の「ここを離れて、五郎は時々この土地のことを思い出し、また夢にまで見た。それはいつも青春の楽しさや愚行につながっていた。楽しさや愚行に都合のいいように、街の相は彼の頭の中で、修正されているかも知れない」という部分と微妙な意識のズレを見せている。都合よく修正されているという仮定を真とするならば、その忌まわしい「翳を引いている」「過去」も都合よく修正されているはずであって、「具合が悪い」などと感ずるはずがないからである。但し、これは春生の文章構造の破綻と言うよりも、五郎のアンビバレントな意識構造の表出と見た方が腑には落ちる。なお、「翳を引いている」「過去」というのは顕在的にはここまででは、先に語られた女郎屋絡みの留年しか読者には提示されていないのであるが、実際には、この後でそうしたここでは読者に「修正」して隠してある「翳を引いている」「過去」が語られる仕掛けになっている。本作の妙は、アンドレイ・タルコフスキイの「鏡」のように、時系列を意識的にバラバラにし、しかもそれをパッチ・ワークのように綴り直し、カラーもモノクロームも時空間の識別にならぬように配されてあるところにこそある、と私は思っている。しかもそれを切り抜いて心の中で時系列通りに並べ換えて見ても、一向に作者の意図は見えてはこないよう、仕掛けが施されている。この「幻化」とはまさに――「桜島」の村上兵曹――この久住五郎――実際の梅崎春生という三人の日本帝国海軍の暗号兵によって作成された解読が極めて困難な暗号文――なのである。

「ここを離れて、五郎は時々この土地のことを思い出し、また夢にまで見た。それはいつも青春の楽しさや愚行につながっていた。楽しさや愚行に都合のいいように、街の相は彼の頭の中で、修正されているかも知れない。その修正と、現実の街の変貌が一致しない。それが五郎には面白くない」梅崎春生の小説世界に頻繁に出現する、一つの偏執的特質であるところの、外界と自分との間の膜が張ったような強い違和感の表出である。精神疾患症状としては解離性障害なんどとカルテには記されてしまうのであろうが、梅崎春生にとってそれは、彼の「疾患」や「病的精神状態」なのではなく、彼自身の小説家としての大きな表現対象としての「世界と自分との関係の感覚性」に外ならなかったそれは常時、春生の意識の中心にあって、時に恐ろしいまでに苛烈な圧迫となり、時に囁くように甘い囁きにも変じた。そうしたものの中に多くの読者は滑稽と見た。面白いと読んだ。そういう裏切られた見当違いの評価はしかし、彼の小説がもて囃される一つの大きな後押しともなった。なってしまった。そうして春生自身も意識的に、そうした売れるための滑稽のポーズを小説の中に、積極的に描こうとするようにもなってしまったのではなかったか? しかしそれは同時に、彼の真摯な哲学的探求への彼自身の許すべからざる裏切り行為ではなかったか? さればこそ、彼は憂鬱にならざるを得なかった、酒を飲まざるを得なかったのではなかろうか?

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