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2016/01/08

梅崎春生「幻化」附やぶちゃん注 (20)

 

 そこには昔の面影は、全然なかった。かつては畠もあったし、樹も生えていた。家もあった。五郎がいた素人下宿は、一番奥で、その先は白川の河原になっていた。河原の水たまりから蚊がたくさん発生して、学生の彼をひどく悩ませた。

〈やはり洪水にやられたんだな〉

 ここらは割に土地が低いので、河原からあふれ出た泥水が、ものすごい勢いで家を歪めたり、押流したりしたのだろう。

〈道を間違えたんじゃないか〉

 その危懼(きく)はあった。だから何度も何度もふり返り、風物を確めながら、ここまで歩いて来たのだ。ほっとひらけた風景は、たちまち彼を拒否した。家も何軒か建っている。プレハブ住宅もある。庭に向日葵(ひまわり)が何本も揺れている。

 彼は一歩一歩、河原の方に歩く。途中でつき当った。護岸工事がほどこしてあり、河原には降りられない。気のせいか、川幅もずっと広くなった。護岸の上には、人が落っこちないように、コンクリートのガードがある。五郎はそこに腰をおろして、煙草を取出した。彼がいた下宿の場所も、向日葵が咲いているあたりだと思うが、はっきりは判らない。

「あの女将(おかみ)、まだ生きているだろうか?」

 六師団付の軍人に嫁ぎ、離縁されて、ここに下宿屋を建てた。どこか色っぽい感じの女で、生きていたらもう五十五か六になっている筈だ。五郎は一番いい部屋を占領し、毎日ノートと教科書をかかえ、インク瓶をぶら下げて登校した。学校では水泳部に入り、二百米平泳を三分十秒台で泳いでいた。早い方ではなかったが、当時としてはそれでインターハイの予選ぐらいには出場出来た。水泳の練習が済んで風呂に入り、上ると腕や胸の皮膚がぴんと湯を弾(はじ)いた。クラス会などで大酒を飲んでも、宿酔をしない。要するに、若かったのだ。彼も三田村も西東も小城も。

 五郎は女将から一度だけ誘惑されたことがある。元亭主の軍人が再婚して、披露宴の招待状が来た。そのやり口に腹を立てて、彼女は取乱した。今夜は眠れそうにないというので、彼は勧めた。

「催眠薬を上げようか」

 女将は催眠薬を酒といっしょに飲み、彼を誘惑した。彼は拒否した。

「小母さん。あんたはいつか僕のことを、中途半端な人間だと言っただろう。無理をしないで生きて行けとも言った。お説の通り、おれは無理をしたくないんだ」

 今にしてみれば、いくらか残酷で散文的な断り方だったと思う。しかし彼にも言い分はあった。級友の西東という男と、女将は関係を持っていたからだ。――

 煙草は乾いた口に不味(まず)かった。いがらっぽく、すぐに吸口が唇に貼りつく。川から吹いて来る風は、泥のにおいがした。

 西東はそのためかどうか、落第した。中傷の手紙が行き、西東は熊本に戻らず、私学に入る予定で、東京に赴(おもむ)いた。女将は下宿をたたんで、西東を追っかける。私学に入る前に召集が来て、中国で戦死した。女将は場末のバーの女給になった。その頃再会した。

「あの手紙を書いたのは、あんたでしょ」

 女将は酔って彼にからんだ。

「あのおかげで西東は、熊本に戻れず、結局戦死してしまったのよ」

「書きゃしないよ、そんなもの」

 彼は驚いて抗弁した。

「君等を引裂いて、おれがどんな得をする?」

 結局西東は、犯人が彼であるかないか、半信半疑で出征したという。彼は暗然とした。

〈あそこらの猫の額ぐらいの土地で、おれたちは何をじたばたしていたのか〉

 おれの青春はひねこびて小さく、華やかそうに見えて、裏には悪夢のようなものがぎっしり積み重なっている。向日葵の方向を眺めながら、五郎は考えた。

 同級に小城という男がいた。彼にこの下宿を紹介したのは、小城だ。紹介というより、慫慂(しょうよう)といった方が正しい。

五郎はそれに乗り、一番いい部屋をえらんだ。小城もその部屋を欲しがったが、ついに折れた。小城は言った。

「故郷(くに)から客が来た時、君の部屋を使わせて呉れ」

「どんな客だね?」

「身内のものだ」

 と小城は答えたけれども、実際にやって来たのは、身内のものでなかった。小学校の女教師で、五郎の部屋で情事がおこなわれた。五郎がそのこまかい経緯(いきさつ)や関係を知る前に、小城はふっと他の下宿に移ってしまった。五郎はその女の顔を見たことがない。障子のはめガラス越しに、紫色の袴(はかま)を見ただけである。

「入る時はあんなに頼んでおきながら、おれにあいさつもなく転居した」

 それが五郎には面白くなかった。信用出来ないという印象だけが、彼に残った。

〈信用出来ないのではなく、裏切られたという感じだったな〉

 五郎は煙草を捨て、ぶらぶらと歩き出した。ここを見る意味はなくなっていた。

 

[やぶちゃん注:「プレハブ」“prefab”は“prefabricated”の略だが、和製英語。予め工場で主要部材を殆んど作っておいて、現場ではただそれを組み立てるだけの建築構法を言う。

『「あの女将(おかみ)、まだ生きているだろうか?」「生きていたらもう五十五か六になっている筈だ』五郎は現在、四十五歳で、当時は旧制高校で十六~二十一(五郎は梅崎春生と同じく一年落第しているため。但し、春生は高校受験で一浪しており、入学時で既に十七)で、五つ六つ上であるから、その下宿屋の女将は二十一~二十七の頃となろう。

「六師団」大日本帝国陸軍第六師団。明治五(一八七二)年に設置された熊本鎮台を母体に明治二一(一八八八)年に編成された師団で、熊本・大分・宮崎・鹿児島の九州南部出身の兵隊で編成され、衛戍地(えいじゅち:大日本帝国陸軍の軍隊が永久に配備駐屯された地)を熊本とした師団である。総員約二万五千名。参照したウィキの「師団 日本軍によれば、太平洋戦争開戦後、昭和一七(一九四二)年十一月にソロモン諸島方面作戦担当であった第十七軍に編入され、『当初はガダルカナル島に派遣される予定であったが大本営はガダルカナル島からの撤退を決定、師団は』、昭和一八(一九四三)年初頭に『ソロモン諸島のブーゲンビル島(Bougainville)南部に進出』、同年十一月、『タロキナ地区に連合国軍が上陸し飛行場を建設したため』、第六師団を主力とした第十七軍は飛行場奪還を試みたが、昭和一九(一九四四)年三月の反攻を最後として組織的軍事力を失った。『その後、主戦場がサイパンからレイテ島へと移り、アメリカ軍主力の連合国軍は積極的攻勢には出なかったものの』、『ソロモン諸島の日本軍は兵站を絶たれ、長く兵器弾薬が欠乏し飢餓と疫病に苦し』、タロキナ攻防後の歩兵連隊現存数は四千九百二十三名(外、戦傷千七百八十七名)、終戦時には千六百五十四名になったという。昭和一九(一九四四)年十一月に『主力がオーストラリア軍に代わった連合国軍は攻勢に転じ、日本軍主力のこもるブイン(Buin)地区に迫ったが、壊滅寸前に』『終戦を迎えた』。同年九月、『オーストラリア軍タロキナ基地で降伏文書に調印、南部沖合いのファウロ島(Fauro)に収容され』たとある。生存率十五%。この女将の元旦那は「師団付の軍人」とある。この戦闘で生き残れたかどうか。

「学校では水泳部に入り、二百米平泳を三分十秒台で泳いでいた。早い方ではなかったが、当時としてはそれでインターハイの予選ぐらいには出場出来た」既注であるが再掲する。霜多正次氏の「学生時代の梅崎春生」によれば、『旧制の第五高等学校(熊本市)で、私は梅崎春生と同じクラスだった。そしていっしょに水泳部に入り、同じ平泳ぎをやり、タイムもふしぎに五分五分だった』と記されていると、江藤正顕氏の論文「梅崎春生『幻化』論――「幻化」と「火」をつなぐもの――」(PDF)にある。

「西東」「さいとう」と読んでおく。

「小城」これは姓としては「おぎ」「おじろ」「おしろ」「こじょう」「こしろ」「こじろ」など多様な読みがあるので特定出来ない。但し、春生がルビを振らないところからは「おじろ」「こじょう」の孰れかか。この男、実際のモデルがいたら、実に面白い。次のパートの冒頭をご覧あれ。穿鑿してみる気もないが、実在していて末期の春生を見舞っていたりして、さても、これを読んだら、地団駄踏んだに違いない。そうして怒ろうにも既に、春生は白玉楼中の人となっていたのだから。一面悪戯っ気の大いにある春生なればこそ、ちょっとやりかねない気もする。

「〈あそこらの猫の額ぐらいの土地で、おれたちは何をじたばたしていたのか〉/おれの青春はひねこびて小さく、華やかそうに見えて、裏には悪夢のようなものがぎっしり積み重なっている」……そんなもんだ……私も……同じだ……

「慫慂(しょうよう)」人が他の人に頻りに勧め、そうするように仕向けること。]

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