フォト

カテゴリー

サイト増設コンテンツ及びブログ掲載の特異点テクスト等一覧(2008年1月以降)

The Picture of Dorian Gray

  • Sans Souci
    畢竟惨めなる自身の肖像

Alice's Adventures in Wonderland

  • ふぅむ♡
    僕の三女アリスのアルバム

忘れ得ぬ人々:写真版

  • 縄文の母子像 後影
    ブログ・カテゴリの「忘れ得ぬ人々」の写真版

Exlibris Puer Eternus

  • 吾輩ハ僕ノ頗ル氣ニ入ツタ教ヘ子ノ猫デアル
    僕が立ち止まって振り向いた君のArt

SCULPTING IN TIME

  • 熊野波速玉大社牛王符
    写真帖とコレクションから

Pierre Bonnard Histoires Naturelles

  • 樹々の一家   Une famille d'arbres
    Jules Renard “Histoires Naturelles”の全挿絵 岸田国士訳本文は以下 http://yab.o.oo7.jp/haku.html

僕の視線の中のCaspar David Friedrich

  • 海辺の月の出(部分)
    1996年ドイツにて撮影

シリエトク日記写真版

  • 地の涯の岬
    2010年8月1日~5日の知床旅情(2010年8月8日~16日のブログ「シリエトク日記」他全18篇を参照されたい)

氷國絶佳瀧篇

  • Gullfoss
    2008年8月9日~18日のアイスランド瀧紀行(2008年8月19日~21日のブログ「氷國絶佳」全11篇を参照されたい)

Air de Tasmania

  • タスマニアの幸せなコバヤシチヨジ
    2007年12月23~30日 タスマニアにて (2008年1月1日及び2日のブログ「タスマニア紀行」全8篇を参照されたい)

僕の見た三丁目の夕日

  • blog-2007-7-29
    遠き日の僕の絵日記から
無料ブログはココログ

« 梅崎春生「幻化」附やぶちゃん注 (25)~梅崎春生「幻化」附やぶちゃん注 完 | トップページ | 山本松谷「七里ヶ濵より江の嶋を望むの圖」 »

2016/01/10

柳田國男 蝸牛考 初版(15) 語音分化

        語音分化

 

 單語には此くの如く、至って僅かの語音の變化を以て、後々相互の差別を附けて行かうとする傾向のあつたことは、實例が略明らかに之を認めしめる。これは蝸牛などの如く次々に新名の案出せられた實例と比べて、どうやら兩立し難い事實のやうであるが、何れにしても人の物言ひ考へ方の精確になると共に、少しでも言葉の數を豐かにしたいといふ希望の現はれであつたことは一つである。コトといふ一語が餘りに包容する所廣汎なる爲に、之を「事」とし「如」とし「形」とし「異」としたなども、其例の中に私は算へて居るのだが、其分化の起つたのが甚だ早いので、ちよつと同意を得にくいかも知れぬ。それよりも卑近な一例はスクモといふ名詞で、これは本來火に焚ける限りのあらゆる塵芥を意味したかと思ふが、多くの田舍では出來るならば之を籾糠だけに限らうとして居た。だから常陸などではスクモは米の外皮、スクボは糠の燃えたものまたは塵芥、ゾクモは大豆桿のことであり、利根川兩岸では或は後者をゾツカラと謂つて居る。奧州と九州とではサクヅは粉糠であり、飛驒や遠州等ではスクべは藁の袴を意味する。奧州の外南部で籾糠のサクズに對して、藁の屑をクサダといふのは別の語の樣に聞えるが、松の落葉や其他の枯葉をスクドといふ地域は弘く中央部にあつて、それを山口縣ではスクヅとも謂ひ、伊勢ではスクダともいふ上に、遠州見附邊では絲などの結ばれることをスクドになるともいふから、是もナメクジをマメクジと區別する程度の語音分化の例に算へてよからうと思ふ。人が第二指を使用してこのツブラ、彼處にあるツブラといふ風に、聽き手の眼を引いて話をする習慣から、夜中に爐の火の周圍などに於て、現在其場に無い物を想ひ浮べさせ、又は突如として胸に新奇なる物の形を描かせようとするまでに進んで來れば、單語は當然に細かく配當せられねばならぬから、發音も亦之に伴なうて確實になり、時としては又異常に複雜にもなつたのである。併しさういふ中にも我々は、存外にその同音の混亂を苦にせずして、久しく過ぎて來た國民であつたことは、今でも四聲の辨別も無くこの數多き漢語を使ひこなし、又はどういふ字を書きますかなどゝ問ひ返して、何かといふと直ぐに眼の助勢を賴まうとするのを見てもわかる。それが斯邦の地方言語の上に、如何なる特徴を付與したかといえば、前に胡坐の例でも説いた如く、土地毎に思ひ思ひの變化ばかり多くなつて、其間の聯絡を見つけ出すことが面倒でもあれば、又興味も多い結果を呈するに至ったのである。等しく人間の地上にいることが、ヰタグラにもなれば、アズクミにもなり又オタビラにもなるといふこと、又はたつた一つの「擽ぐる」といふ行爲が、コチガス(陸前登米郡)ともなればクツパカス(飛騨高山)ともなり、また形容詞としてモソポツタイ(遠江小笠)・ムグツテイ(上州利根)・クツバタイ(佐渡)・クツワイイ(安藝安佐)・チヨコバイイ(日向折生迫)等々と、變つて行かねばならなかつたとふのも、言はゞそれぞれの移住地へ別れて行く前までは、まだ今日のやうな嚴格なる約束が無くとも、十分に用の足りた時代であつたからである。しかも其間には都鄙雅俗の説があり、相互の感化模倣は亦錯綜して居る。是が一個の島帝國の歷史であつて、世界人類の通則で無かつたことも想像し得られるので、若し民族の言語の成長が、どれだけ迄の可能性を有つものかといふことを、仔細に實例に據つて究めて見ようとする人があるならば、日本は寧ろ來たり就いて學ぶべき國である。だから其國の學者は、徒らに國外人の研究の成果を、山椒魚の如く口を開けて待つて居ることは出來ぬと、私などは思つて居る。

[やぶちゃん注:「籾糠」改訂版ではこれを『籾殻』とするが、「籾糠」と「籾殻」は同義であるから、後の部分を初版と同じ「籾糠」にしているのはおかしく、あたかも「籾糠」と「籾殻」を別物と誤解させる改悪であって変更すべきではなかった(或いは総て「籾糠」を「籾殻」とすべき)。

「大豆桿」「だいづがら」と読む。

「ゾツカラ」改訂版は『ゾッカラ』。

「粉糠」「こぬか」と読む。

「藁の袴」稲などの茎の部分を包む下葉のこと。藁細工を行うにはこの「ハカマ」を除去するのが下拵えとなり、一般にはこれを「藁選(すぐ)り」「藁扱(こ)き」などと呼んだ。その後に「藁切り」「藁打ち」といった工程を経、黴と腐敗を防止するための囲炉裏端での乾燥と燻煙となる。

「奧州の外南部」陸奥湾岸の外ヶ浜(現在の青森市と東津軽郡の地域)の南部。

「遠州見附」旧東海道五十三次の第二十八番目の宿場で、現在の静岡県西部の磐田(いわた)市中心部。

「擽ぐる」「くすぐる」と読む。

「陸前登米郡」登米(とめ)宮城県北部の岩手県との県境にあった旧郡。ほぼ現在の登米市に相当する。

「クツパカス」改訂版『クッパカス』。

「モソポツタイ」改訂版『モソポッタイ』。

「遠江小笠」静岡県にあった旧小笠(おがさ)郡。現在のほぼ掛川市と菊川市の全域及び御前崎市の大部分と、袋井市及び周智(しゅうち)郡森町(もりまち:静岡県内の行政上地名で唯一「町」を「まち」と読む)の一部に相当する(以上はウィキの「周智郡」及び「森町(静岡県)」に拠る)。

「ムグツテイ」改訂版『ムグッテイ』。

「安藝安佐」「あきあさ」と読む。広島県の旧安佐郡。安佐南区の全域と安佐北区の大部分、広島市東区と西区の一部に相当する。

「チヨコバイイ」改訂版『チョコバイイ』。

「日向折生迫」「ひうがをりふざこ(ひゅうがおりゅうざこ)」と読む。現在の宮崎県宮崎市大字折生迫。「鬼の洗濯板」で知られる、国天然記念物「隆起海床と奇形波蝕痕」の青島の南直近の青島港の東岸部から南及びその内陸にかけての地域で、東の日向灘沿岸が所謂、「日南海岸」である。

「だから其國の學者は、徒らに國外人の研究の成果を、山椒魚の如く口を開けて待つて居ることは出來ぬ」いい気概だ! これでなくちゃいけねぇな!]

 

 話は少しばかり横路へそれたが、立戻ってツブラといふ一つの語が、ほんの僅かづゝの語音の變化をもって、北の端の淵の渦卷から、南の果ての胡坐の名詞までに、行亙つた理由の訛誤で無いことを考へて見たい。錘といふ器が新たに入つて來れば、是にツム又はツンブリと命名すべかりし人間の動機は、決して推究し難いものでは無いと思ふ。富山の附近では荷物を頭に戴く者が、其枕に使ふ圓形の臺をツンブリと呼んで居る。壹岐で松毬のことをツングラと謂ふのは、疑ひもなくマツフグリの訛音ではあるが、是とても前に圓い物をツグラといふ風が存在しなかつたら、そんな誤りは起り得なかつたのである。駿河の富士郡では、藁を積み貯へる所謂稻村のことをミョウツンブラと謂つて居る村がある。ミョウは即ちニホの變化であるから、此のツンブラも亦圓い形から出て居る。それから心付くと私たちの生れた村で、此藁塚のことをツボキと呼んで居たのも是であつた。伊豆はマイマイツブロをカサパチといふ半島であるが、一方にこの稻のニホをばイナブラと謂つて居ることは前にも謂つた。それも稻村の訛音とも説明し得ぬことはあるまいが、その文學語の稻村とても、實はやゝ宛て字の嫌ひがある。是もツブラといふ語の複合によつて、保存せられて居る例かも知れぬのである。

[やぶちゃん注:「訛誤」「くわご(かご)」と読み、誤謬(ごびゅう)と同じい。間違いの意。

「荷物を頭に戴く」頭上運搬は本邦の民俗学で古くから考証されてきた。昭和五〇(一九七五)年東京堂出版刊(四十七版/初版は昭和二六(一九五一)年刊。この版でも漢字が正字であるのは、本文が殆んど初版時から書き直されていないトンデモ辞典であることが判る。この辞書、大学一年の春、生協の売り子に「国学院に入ったらこれは買わないと」と騙されて買った。それから四十年経った今の野人になってからやっと使い始めた点でも私の中のトンデモ本である)の柳田國男監修「民俗学辞典」の「頭上運搬」によれば、『北は宮城縣江の島から南は沖繩の島々まで點々として廣い分布を示している』が、『今日伝承されているところの大部分は海村である。いずれも男性にはなく、女性のおこなうものである』。『以前家々の水汲み場所が遠く離れ、手桶という便利な道具の普及しなかったころは、頭上運搬が最も便利な運搬法であつた』。それ以外の多様なものや重い物を乗せ、『肥桶までも頭上にのせるところがある。こうして米一俵を運ばねば一人前の女でないと言われるところが多い』ともある(因みに、昔の米一俵は何と六十キログラムある)。

「松毬」「まつかさ」「まつふぐり」「まつぼつくり(まつぼっくり)」と読める。改訂版は『まつかさ』とルビを振るが果たしてそうか? 私の言う改訂版とはちくま文庫版であるが、これは編者が勝手にルビを附しており、これは柳田國男のあずかり知らぬルビである可能性がすこぶる高いのである。後に続く柳田の叙述を見る限り、私は「まつぼつくり」と訓じているような気がしてならない。因みに、お判りになっているとは思うが、「ふぐり」とは睾丸のことである。少女が「まつぼっくり」と言っていると可愛らしく聴こえるが、「松の金玉」の謂いだと知れば、その映像は忽ちシュールとなる。脱線序でに記しておくと、先だって、「青空文庫」の知里真志保の「ホッキ巻」を読んだら、北海道名産の北寄貝(斧足綱異歯亜綱バカガイ科ウバガイ属ウバガイ Pseudocardium sachalinense)について以下のように記しておられるのに出くわした。『標準和名はウバ貝であるが、今はホッキ貝というのが通り名になってしまった。この名の語源については、北の海にしかない貝だから北寄貝だと思っている人もある様だが、北方特産の動植物の名称によくある様に、これももとはアイヌ語から来た名称である。アイヌ語ではこれをポッキセイ(pok-sei)と云い、ポッキは女性の象徴、セイは貝のことである。半開きになった貝殻の間から俗にサネと称する舌状物を突き出している時の様子がすこぶる女性の何かを思わせるものがあるというのでこの名がある。そう云えば日本語のウバ貝なども案外語原はその辺に胚胎しているのかもしれない。この貝は罐詰になって東京辺のデパートにも出ている様だが、ホッキの味は何と云っても生肉の刺身が一番だということになっている』とあって目から鱗、股間から北寄ならぬ勃起といった塩梅で、思わず、たまらなくなって、行きつけの寿司屋の大将に薀蓄してしまった。自死の二ヶ月前の五月、芥川龍之介が改造社の「現代日本文学全集」宣伝のために里見弴とともに東北・北海道に講演旅行した際(帰路は単独で新潟に回って新潟高校で講演を行っている。なお、その後……実は私は……そこに――とある疑惑――を感じている。それはそれ……私の古い電子テクスト『芥川龍之介「東北・北海道・新潟」』の私の冒頭注を参照されたい。ふふふ♪……)、北海道で毎食のように出、佐佐木茂索宛(新潟発信・昭和二年五月二十四日附・旧全集書簡番号一六〇五)の手紙で『このほつき貝と云ふ貝は恐るべきものだ』と言った真の意味が(前々からそうだとは踏んではいたが)これでようやく腑に落ちたのである。なお、この言葉の前に龍之介は一句を認めている。

 

   憶北海道

 

 冴え返る身にしみじみとほつき貝

 

「訛音」今まで出て来ていないのが不思議なくらいだが、音で読んで「くわいん(かいん)」或いは「くわおん(かおん)」で、訛(なま)りのある発音・訛った音声・訛りの意。]

 

 之を要するに土器の製法に大いなる進化があつてから、ツブラ・ツグラの意味が不明になり、殊に卷貝をツボと名づけたる理由を、見出すことが六つかしくなつたが、幸ひにしてまだ其跡が、今も尚色々の方面から、我々の生活經驗を蘇らせてくれるのである。これを海陸の二系統と目することは、あるいは速斷に失するであらうが、一方に蝸牛を蛞蝓と同じ名に呼んだ土地が、相應に弘くあつたに對して、他の一方には亦すべての卷貝を、ツブラと呼んでいたかと思ふ事實は確かにある。獨り蝸牛がツブロであつたばかりで無く、三浦三崎などでは榮螺をツボッカヒと謂ひ、又ツボ燒きといふ複合形に至つては、現に我々の標準語でさへもあるのである。田螺をツボといふ地域は、大體に東海道のマイマイ領と同じく、その外側は伊勢の南端及び關東の海に近い各地も、すべてタツボまたはタツブと謂はなければ通じなかつたのは、要するに田に住まぬツボ・ツブがあつたからであらう。それから北に進んで東北六縣の大部分、越後の全部、信濃・越中の半分ほどが、再び又ツブと謂つて居るが、是も海に近い處のみは特に田の字を付して、他の多くの蜷や螺と差別を立てゝ居る。タニシといふ名稱の支配しているのは、瀨戸内海の水系と其近隣、即ち略デデムシの領分と一つであつて、それも周邊の地に行けば、夙くもタヌシ・タノシ・タノイシ・タネシなどゝ變化して居り、九州では更に其外側に、壹岐でも薩摩でも共にタミナの語がまだ行はれて居るのである。壹岐では田螺の名がタミナであって、別に奧州の八戸などゝ同じく、一種食用の海の蜷のみをツブと謂つて居る。漢語抄には海蠃を都比、字鏡にはを海都比ともあって[やぶちゃん字注:「」=「虫」+「丞」。]、ツビと發音する例も古くからあつたやうだが、要するにツブもミナもニシも、皆對等の地方語であつた。特に其半分以内の地域に割據するタニシを正しとし、タツブ・タミナを方言として排除しなければならぬ規則には、是といふ文學の背景があつたからでも無い。單に京都が偶然にニシの領内であり人が京都の語を珍らしく思つて、少しづゝ眞似をしようとした結果であつた。物類稱呼を見ると、百七八十年前に既に隅田川左岸の田舍に、蝸牛をヤマタニシといふ新語があった。越中にも一部分ヤブタニシといふこの蟲の異名が行はれ、常陸は新治郡に單に蝸牛をタヌシといふ土地もあつたが、是などは上總の山武郡で蝸牛をタツボといふと同じく、元は何とかいふ歌の詞があつたのが上の半分を略しても混同の虞は無かつた爲に、再び簡單になつたものと見てよからう。兎に角に昔の人たちの命名法は、餘りにも大まかであり又概括的であった。それが食用となり若しくは遊戲の相手方に任命せられるに及びて、始めて差別の名を必要とするに至り、殊に後者に在つては面白い名、又耳に聽いて容易に思ひ出すのみで無く、いつでも口にし得るやうに一人で記憶し得る名を必要としたのである。單なる符號だけでは足りなかつたのである。即ち蝸牛の名の世を追うて複雜化したのも、言はゞ此國此社會の至つて自然なる言語の進化であつた。

[やぶちゃん注:遅きに失したが、まず、ここに出る生物種を生物学的に規定しておく。

「蝸牛」一般には「かたつむり」と言った場合は、

腹足綱有肺目 Pulmonata 或いは、その下位分類の真有肺亜目 Eupulmonata

に属する陸生貝類の中で、殻が細長くない(煙管状・尖塔状ではない)種群を広範に指すが、ここで柳田がイメージしているそれは、本邦に於いて最も見かける種、本邦のほぼ全土(厳密には北海道南部から九州までであるが、標準種や亜種が南西諸島にも棲息するので「ほぼ全土」と言ってよいであろう。しかも人家近くの陽の射すような明るい環境を好むことから最も目につきやすい)に広汎に棲息する、

真有肺亜目柄眼下目マイマイ上科オナジマイマイ科ウスカワマイマイ属オキナワウスカワマイマイ亜種ウスカワマイマイ Acusta despecta sieboldiana

を挙げておく(同程度に現在、広汎に棲息している種に、オナジマイマイ科オナジマイマイ属オナジマイマイ Bradybaena similaris がいるのであるが、これは厄介な外来種であるので、正直、挙げたくない、と言いつつ、示してしまったが)をお馴染みの「かたつむり」の標準的な生物種の代表として掲げておいて構わないと私は判断する。

「蛞蝓」腹足綱有肺目 Pulmonata の陸生貝類の内(有肺類はほとんどが陸生。馴染みの「かたつむり」を含む、有肺類の約九十五%を占める柄眼類(柄眼下目 Stylommatophora)は全てが陸生である)で、殻(貝)が退化しているグループを指す。以下、現生と思われる和名に「ナメクジ」を持つ(からといって本邦に棲息しているとは限らないので注意)ナメクジ類の全科(東京大学理学系研究科地球惑星科学専攻・理学部地球惑星環境学科佐々木猛智(たけのり)氏の「腹足綱の上位分類体系と科のリスト (Bouchet & Rocroi, 2005) Wikipedia日本語版」から拾って整序した)。

収眼目アシヒダナメクジ科 Vroniceliidae

柄眼目コウラナメクジ上科ニワコウラナメクジ科 Milacidae

柄眼目コウラナメクジ上科コウラナメクジ科 Limacidae

柄眼目コウラナメクジ上科ノナメクジ(ノハラナメクジ)科 Agriolimacidae

柄眼目オオコウラナメクジ上科オオコウラナメクジ(クロコウラナメクジ)科 Arionidae

柄眼目オオコウラナメクジ上科ナメクジ科 Philomycidae

柄眼目ホソアシヒダナメクジ科 Rathouisiidae

柄眼目Oleacinoidea上科カサカムリナメクジ科 Testacellidae

柄眼目アシヒダナメクジ上科アシヒダナメクジ科 Veronicellidae

柄眼目アシヒダナメクジ上科ホソアシヒダナメクジ科 Rathouisiidae

柄眼目 Testacelloidea 上科カサカムリナメクジ科 Testacellidae

この中でも、馴染みの「なめくじ」は恐らく、日本全土に棲息する、

ナメクジ科ナメクジ属ナメクジ Meghimatium bilineatum

或いは、中部日本以西の人家周辺で普通に見られる、

コウラナメクジ科 Lehmannia 属チャコウラナメクジ Lehmannia valentiana

であろう。

「榮螺」腹足綱古腹足目サザエ科リュウテン属サザエ亜属サザエ Turbo cornutus 

「田螺」通常の「たにし」は、腹足綱原始紐舌目タニシ科 Viviparidae に属する巻貝の総称であるが、ウィキの「タニシ」によれば、本邦にはアフリカヒメタニシ亜科 Bellamyinae(特異性が強く、アフリカヒメタニシ科Bellamyidae として扱う説もある)の以下の四種が棲息する(なお、現在有害外来生物として「ジャンボタニシ」の名で主に西日本で繁殖し観察されるものは、台湾からの人為的移入種である原始紐舌目リンゴガイ上科リンゴガイ科リンゴガイ属スクミリンゴガイ Pomacea canaliculata で全く縁のない種である)とあるので、四種総てを示しておく。

マルタニシ Bellamya (Cipangopaludina) chinensis laeta

(独立種として Cipangopaludina 属のタイプ種であったが、その後、中国産のシナタニシ Bellamya chinensis chinensis の亜種として扱われるようになった。殻高約四・五~六センチメートル。分布は北海道から沖繩。)

オオタニシ Bellamya (Cipangopaludina) japonica

(殻高約六・五センチメートル。分布は北海道から九州。)

ヒメタニシ Bellamya (Sinotaia) quadrata histrica

(殻高約三・五センチメートル。分布は北海道から九州。)

ナガタニシ Heterogen longispira

(一属一種の琵琶湖水系固有種で現在は琵琶湖のみに棲息。殻高は最大七センチメートルにまで達し、他種よりも殻皮が緑色がかったものが多い。)

「ツボ燒き」結果オーライではいけないんだ! 気がつかれたか? ここで柳田は確信犯で「栄螺のツボ焼き」とは、殻そのままを「壺」にして焼くから「壺焼き」と称するのではなく、栄螺の呼称が、その「壺」のような形状であるから「壺っ貝」と呼び、それを獲ったその貝のまんま焼くから「壺っ貝焼き」、略して「壺焼き」なのだと言っているのである。私は実は「栄螺の壺焼き」をなぜ「壺焼き」というのかずっと不審だったのだ。「あれは壺じゃあない! 貝殻だよ!」というのが頑是ない少年の私の不満であったから。私はこの年になって、初めて幼年期の目に飛び込んだ「つぼっ焼き」の破片が取れたおもいがしたのである。

「ツボ」「ツブ」「ニシ」「蜷」「螺」(後の二つは孰れも「にな」と訓じていると思う)すべて広く腹足類(巻貝)を指す。因みに、柳田は全く触れていないが、「ツブ」は「ツビ」を語源とする解釈もあえい、「ツビ」とは女性生殖器やそれを象った石などを指す古語である。こうしたことを言わないのは、脱線するからではなく、実は意識的なものと思われる。大学時分、友人と議論をした中で、どうも柳田國男と折口信夫の間では、民俗学上の性的なトーテムやその解釈はそれぞれの研究の中では、なるべく目立つようには行わないようにしようという、学問にあるまじき糞倫理規定、民俗学研究上の事前談合があったという意見で一致を見たことがあった。長じて南方熊楠と柳田の往復書簡を見ると、それが見え見えであって、クマグスがまたそれに敢然と対峙して、嚙みついているのがすこぶる痛快であった。

「漢語抄」八世紀の奈良時代の成立とされる字書「楊氏漢語抄」(散逸)の逸文を指す。

「海蠃を都比」それぞれ「かいら」「つび」(こちらは改訂版に同ルビ)と読んでおく。「蠃」は巻貝を意味する。「和名類聚抄」の「甲蠃子」(「かうらし(こうらし)」であるが、これで「カセ」「ガセ」と読み、現行ではウニを指すと考えられているが、源順はこれをアカニシのような固い蓋を持った巻貝と注している)の項を見ると、そこに割注で、

 

 今按蠃即螺字也音羅楊氏漢語抄海蠃豆比

 

とある。……柳田先生……「都」と「豆」の違いがありますが……これってもしかして……「和名類聚抄」からの孫引きなんじゃ、ありませんかねぇ?……

「字鏡」「新撰字鏡」。平安時代の昌泰年間(八九八年~九〇一年)に僧侶昌住が編纂したとされる現存する最古の漢和辞典。

」[「」=「虫」+「丞」。]この漢字は不明。但し、改訂版を見ると、ここは《「虫」+「函」》という漢字(同じくユニコードでも表記不能)になっている。国立国会図書館デジタルコレクションの画像を視認したところ、改訂版の《「虫」+「函」》で正しいことが確認出来た。これは「廣漢和辭典」に載っており、音「カン・ゴン」で、一番目に『にな。にし。小さい蠃(ラ)』、二番目に『水中にいる貝』とある。

「海都比」「うみつび」と読んでおく(改訂版に同ルビ)。国立国会図書館デジタルコレクションの画像を視認したが、影印で全判読が出来ない(当該頁をリンクしてある。読める方、是非、割注の全文活字起こしをお願いしたい)。それでも、大きな蠃(巻貝)で、『海豆比』と書いてあるように見える。それにしても……柳田センセ……また、「都」やのぅて……「豆」どっせ……

「物類稱呼」越谷吾山(こしがやござん)著の方言辞書。既注。

「百七八十年前」本書は昭和五(一九三〇)年刊であるから、単純に逆算すると、一七六〇~一七五〇年、寛延三年から宝暦十年に相当する。「物類称呼」の刊行は安永四(一七七五)年であるが、ある地域での新言語の定着に要する時間を考えるならば、十年以上前にそれを置くのは自然であると言える。

「隅田川左岸の田舍」現在の東京都墨田区。

「新治郡」「にいはりぐん」と読む。近代、茨城県にあった旧郡。既注。

「山武郡」「さんぶぐん」と読む。既注。現在も千葉県に存在する郡であるが、当時は既注の通り、広域。]

« 梅崎春生「幻化」附やぶちゃん注 (25)~梅崎春生「幻化」附やぶちゃん注 完 | トップページ | 山本松谷「七里ヶ濵より江の嶋を望むの圖」 »