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2016/01/01

梅崎春生「幻化」附やぶちゃん注 (4)

「様子がへんかね?」

 五郎は丹尾に言った。ハイヤーは海岸道から折れて、山間に入っていた。折れたところから道がでこぼこになり、車は揺れた。

「どんな風にへんなのか」

「ええ。足がふらふらしているようだし、初めは酔っぱらってるのかと思いましたよ。話しかけても返事をしないしね」

「ああ。まだ薬が体に残ってんだ。それにしばらく歩かなかったもんだから、足がもつれる」

「病院ですか。留置場じゃなかったのか?」

「うん、病院で寝ていた。睡眠剤を服(の)んでね」

 丹尾はしばらくして言った。

「自殺をくわだてたんですか?」

「いや。病院に入ってから、毎日服んだ。治療のために服まされたんだ。毎日のことだから、だんだん蓄積して、酩酊(めいてい)状態になるんだね」

 さっき飲んだ焼酎が、車体の震動につれて、体のすみずみまで廻って来るしゃべり過ぎると思いながら、五郎はしゃべっていた。

「なぜ酩酊させるんですか?」

「不安や緊張を取除くためさ」

「なるほど。酔っぱらうと、そんなのがなくなるね」

 丹尾は合点合点をした。

「それでもう醒めたんですか?」

 五郎は首を振った。睡眠薬の供給は中止されたと、五郎は思う。白い散薬、ズルフォナールという名だが、それが全然来なくなった。しかし服用中の昏迷状態は、だんだん弱まりながらも続いているようだ。退院しても半年ぐらいは正常に戻らないだろうと、医者も言っていた。しかもまだ正式に退院したわけではない。途中でふっと飛び出して来たのだ。朝そっと背広に着換えていた時、大正エビが彼に言った。大正エビというのは、テンプラ屋の息子のあだ名である。

「どうかしたんですか?」

「いや。何でもない」

 五郎はネクタイを結ぼうと努力しながら答えた。ネクタイの結び方を忘れて、すぐにずっこける。抑圧がとれると、物忘れしやすくなるのだ。と同時に、色情的になる。酔っぱらいが酒場で醜態を見せると同じことだ。その点ではズルフォナールは酒よりも強く作用する。やっとネクタイが結べて、彼は脱出した。

「いや。まだ醒めていないんだ」

 五郎は丹尾に答えた。

「しかし不安や緊張は幾分解けたようだ。飛行機に乗る時、気分がへんになりやしないかと思ったんだが、別にその徴候はなかったね」

 飛行中はぼんやりした無為しかなかった。潤滑油が洩(も)れ始めた時も、不安も驚愕もなかった。この旅客機に乗っている目的は自分にも判っているつもりだったが、それが墜(お)ちるとか炎上するという実感は全然なかった。

「へんな病院ですね」

 丹尾がいった。

「そんな療法、聞いたことがない。どこの病院です?」

「もうここらが知覧(ちらん)です」

 運転手がぽつんと言った。

「葉煙草の産地でね、昔は陸軍特攻隊の基地でした」

 それきり会話が跡絶えて、車内はしんとなった。丹尾は洋酒の小瓶をポケットから出して、残りを一息にあおった。窓ガラスをあけて、道端にぽいと放る。ちらと見た丹尾の掌は異常に赤かった。

「ぼくは昔、戦時中に知覧に来たことがある」

 レインコートの袖で口を拭きながら、丹尾は誰にともなくいった。

「おやじと兄嫁に連れられてね」

「なぜ知覧に来たのかね?」

 五郎は訊ねた。

「兵隊としてか?」

「いえ。兄貴がね、飛行機乗りとして、ここにいた。別れを告げに来たのさ」

 丹尾は眼を据えて、窓外の景色を眺めていた。いぶかしげに言った。

「運転手君。これが飛行場か?」

 舗装されたかなり広い道が、まっすぐに伸びている。両側は一面の畠で、陽光がうらうらと射し、遠くに豆粒ほどの人々が働いていた。

「ええ。そうです」

 運転手は車を徐行させながら答えた。

「この道が昔の滑走路だったそうですよ。私は戦争中のことは知らないが」

「もっともうっと広かった。畠などなかった」

 丹尾は両手を拡げた。あまり拡げ過ぎたために、丹尾の右腕は五郎の胸に触れ、圧迫した。それから両手を元におさめた。

「こんな畠なんか、なかった。一面の平地だった!」

 丹尾の声は怒っているように聞えた。五郎も漠(ばく)たる平蕪(へいぶ)や並んでいる模型じみた飛行機が想像出来た。それは古ぼけたフィルムのように、色褪(あ)せている。しかし丹尾の風貌を、うまくそこにはめ込むことが出来なかった。やがて五郎は言った。

「その時、君はいくつだった?」

「十三、いや、十四だった」

「義姉(ねえ)さんはきれいなひとだっただろう」

 まだ若い、化粧もしない顔、もんぺに包まれたすべすべした姿体、それだけが幻の風景の中に動いて、五郎の内部の病的な情念を刺戟(しげき)した。丹尾はそれに答えず、運転手に声をかけた。

「ちょっとここらで停めて呉れないか」

 車が停って、二人は降りた。つづいて運転手も。丹尾は掌をかざして、あちこちを見廻した。やがてカメラを取出した。映画などで見た特攻隊の若い未亡人の姿を想像しながら、五郎は訊ねた。

「その時義姉(ねえ)さんは、いくつだった?」

 

[やぶちゃん注:「ズルフォナール」持続性熟眠剤スルホナール(Sulfonal)であろう。この綴りだと、近年まで医事で使用されたドイツ語では発音が「ズルフォナール」に酷似するのではないかと思う。平凡社「世界大百科事典」(第二版二〇〇六年刊)の「催眠薬 hypnotics」には「スルホナール」を挙げ(コンマを読点に代えた)、『バルビツレート以前に使用されているが、現在は特殊な場合以外には使わない。安全域が小さく、排出が遅い。精神科疾患に一回』〇・五グラムとある(この「バルビツレート」(barbiturateは不眠症や痙攣の治療、手術前の不安や緊張の緩和のために用いられる中枢神経系抑制薬物で、向精神薬群を総称する「バルビツール酸系」薬物とは同義同語である。ウィキの「バルビツール酸系」によれば、『構造は、尿素と脂肪族ジカルボン酸とが結合した環状の化合物で』、『それぞれの物質の薬理特性から適応用途が異なる』。『バルビツール酸系の薬は治療指数が低いものが多く、過剰摂取の危険性を常に念頭に置かなければならない』。一九六〇年代には、『危険性が改良されたベンゾジアゼピン系が登場し用いられている。抗てんかん薬としてのフェノバルビタールを除き、あまり使用は推奨されていない』。『乱用薬物としての危険性を持ち、向精神薬に関する条約にて国際的な管理下にある。そのため日本でも同様に麻薬及び向精神薬取締法にて管理されている』とあり、以下にチオペンタール・ペントバルビタール・アモバルビタール・フェノバルビタールといった薬剤名が示されている)。また、同じく「世界大百科事典」の、五郎が受けたところの「持続睡眠療法 continuous sleep treatment」の項に、『鎮静・催眠性の薬物を投与して持続的な傾眠ないし睡眠状態にすることによって精神障害を治療する方法。ウォルフ O. Wolff』(一九〇一年)『がトリオナールを用いたことに始まるが,さらにクレージ J.Kläsi(一九二一年)『がソムニフェンを使用して早発性痴呆や錯乱状態の患者を治療したことで精神病に対する一つの治療手段となった。日本でも下田光造』(一九二二年)『によって躁鬱(そううつ)病患者の治療にスルホナールが用いられ,これが盛んに行われた時期がある。治療期間は』十日から二十日前後で、『主として鬱病や躁病,精神分裂病の興奮状態などがその治療対象となった。しかし,精神障害の治療に向精神薬が導入されてからは定式的なこの療法が行われることはなくなっている』ともある(下線やぶちゃん)。ネット上の信頼出来る現在の精神医学・薬学系サイトなどでは、スルホナールは睡眠導入剤(睡眠薬)としては現在は全く使用されていないと断言している記載が多い。因みに、梅崎春生の小説を読んでいると、こうした「ズルフォナール」のような薬剤名や、前に注した「ヴァスキュラー・スパイダー」(vascular spider:クモ状血管腫)、「ハビバット」(halibut:ハリバット。春生は確か「鰈」の英語としているが、これは厳密には北洋産の超巨大(全長一二メートル、大きい個体では三メートルを越えるものもざらである)カレイである条鰭綱新鰭亜綱棘鰭上目カレイ目カレイ科オヒョウ属 Hippoglossus のオヒョウ類を指す)等の、一般的でない外来語の特定単語の発音に対する、一種のフェティシズムを私は強く感じる。これは彼を病跡学的に検証する際の特異点であるように思う。

「大正エビ」甲殻亜門軟甲(エビ)綱十脚(エビ)目根鰓(クルマエビ)亜目クルマエビ上科クルマエビ科コウライエビ属コウライエビ Fenneropenaeus chinensis の別名。高級食材であるクルマエビ科クルマエビ属クルマエビ Marsupenaeus japonicus に似るが、クルマエビの成体が概ね体長十五センチメートル程度(但し、クルマエビのの中には三十センチメートルに達する個体もいる)であるのに対し、コウライエビは二十センチメートルほどで大きい。クルマエビには黒い縞が頭胸甲には斜めに、腹部には横に入るが(これは概ねクルマエビのみに見られる特徴であって多種との識別は容易である)、コウライエビの体には模様はなく、尾だけが黒みを帯びる。かつては日本でも多く漁獲されたが、主に黄海・渤海・東シナ海の朝鮮半島沿岸に分布し、秋から冬にかけて獲られ、現在はその殆んどが輸入物である。安価なためにクルマエビの代用品として人気が高かったが、近年は高めに推移している。この「大正海老」という異名は、以上で主に参照したウィキの「クルマエビ」の中の、近縁種「コウライエビ」の項には、『日本では大正時代から多く漁獲されるようになったが、当時は商品名が複数あったため、主な水産会社が協議して「タイショウエビ」の商品名となった』とするが、ウィキ単独ページコウライエビの方には、輸入物が増えた頃の『輸入業者である林兼商店(後の大洋漁業)と日鮮組(後の日本水産)の共同事業「大正組」に由来する』とある。後者の方が真相らしく読める。
 
「知覧」「葉煙草の産地」鹿児島県薩摩半島の南部中央の当時の鹿児島県知覧町(ちらんちょう)。現在は合併して南九州市内で、武家屋敷が残っていることから「薩摩の小京都」と呼ばれる。茶の名産地として認識しているものの、現在の知覧は調べて見ても国産葉タバコの名産地ではないように思われる。しかし、国産の葉タバコ(ナス目ナス科タバコ属タバコ
Nicotiana tabacum)の買入実績では、一位が熊本県、二位が宮崎県、三位が青森県、四位が岩手県、そして五位に鹿児島県がランクしており、知られた「鹿児島おはら節」では、「花は霧島 煙草は国分 燃えて上がるは オハラハー 桜島」とあるぐらいだから(国分は鹿児島県の薩摩地方と大隅地方の中間にあった旧市で現在は合併して霧島市となった)、禁煙、基、「葉煙草」がここまで嫌われる近年までは知覧も名「産地」であったものとは思われる。

「陸軍特攻隊の基地」これは亡き母からもよく聴いた。ウィキの「知覧特攻平和会館」によれば、太平洋戦争直前の昭和一六(一九四一)年十二月に『知覧町に陸軍の飛行場が完成。飛行場は直ちに太刀洗陸軍飛行学校の分教所』が設けられた。『当初こそ九州島内や朝鮮(現・韓国)の各地に設けられた分校と同じく少飛や特幹の教育・訓練を行うことが目的とされていたが』、昭和一九(一九四四)年『夏以降、陸軍航空隊の戦術が艦船への体当たりを柱とする特攻を主軸とするものに転換。この過程で近い将来の本土決戦(決号作戦)に備えた航空関連軍学校の軍隊組織化が進められた』。以下、ウィキの「特別攻撃隊」から引くと、特攻作戦は『知覧・都城などを基点に作戦が遂行され』、『陸軍航空隊の特攻隊「振武隊」の知覧基地では知覧高等女学校の女生徒が勤労奉仕隊として振武隊員の寝床作りから食事、掃除、洗濯、裁縫、などで身の回りの面倒を見ていた』。『彼女らは「なでしこ隊」と呼ばれ、当初は』十八人で『あったが、振武隊員が増えるに従って順次増員され延べ人数は』百人に『なったという。打ち解けるに従って隊員は彼女らを妹の様にかわいがり、彼女らも隊員と一緒に談笑したり、手作りのマスコットを送ったりと隊員の心の支えになっていた。彼女らに家族への遺書を託したり、自分の夢や本心を打ち明けたりする隊員もいたという』。『海軍にはなでしこ隊の様な女性の勤労奉仕隊はいなかった為、特攻出撃しながら機体の不調で知覧基地に不時着した海軍の江名武彦少尉は、なでしこ隊ら女性が知覧基地で働いているのを見て部下と「陸軍はいいな」と驚いたと言う』。『知覧には鳥濱トメが営む陸軍指定の食堂「富屋食堂」があり、多くの特攻隊員が食事に来店していた。トメはできうる限り特攻隊員の面倒を見ようと思い、家財を処分してまで食材を仕入れて隊員のどのような注文にも応えようとし、多くの隊員も足繁く富屋食堂に通っていた』。『また隊員もそんなトメを慕っており、いつしか「特攻の母」と呼ばれる様になった。特攻隊員は富屋食堂で出撃の数日前から盛大な酒宴を催したが、トメに家族への遺書や言付けを預ける隊員も多かった』。『トメは、戦後に放棄された知覧基地跡に知覧特攻平和観音堂の建立の旗振り役となったり、遺族へ特攻隊員の言付けを伝えたり、生前の姿を聞かせたり、知覧を訪れる遺族の為に旅館を買い取って宿泊させたり、知覧基地の語り部になったりと特攻隊員の慰霊に尽力している』とある。

「ちらと見た丹尾の掌は異常に赤かった」手掌紅斑。掌全部、特に周辺部や親指の付け根の脹らみの部分に生ずる顕著な血管拡張性紅斑を言う。アルコール依存症や中毒症、肝臓病患者(中でも慢性肝炎や肝硬変)の顕在症状としてごく普通に現れ、しばしば先に掲げたクモ状血管腫(vascular spider:顔面や前胸部などの上大静脈領域等に、蜘蛛が足を広げたように、血管が拡張する症状。観察すると中心部の血管が拍動しているのが判る。肝硬変などの信仰した肝疾患で顕著に見られる。梅崎春生の小説にも、このヴァスキュラー・スパイダーのことがたびたび登場する)を合併する。肝臓障害や不全によって血中のエストロゲン(卵胞ホルモン・雌性ホルモン・発情ホルモンとも呼ぶ)が増えるために毛細血管が拡張して起こると考えられている。丹尾はすでにアルコール中毒者風に描かれており、何度も述べる通り、春生もアルコール依存症であったと推定され、春生の死(本作はその直前に書き上げられた)も肝硬変であった。トリック・スターたる丹尾の明示部分と言える。

「十三、いや、十四だった」既に私は丹尾章次の生年を昭和三九(一九六四)年当時三十四歳の丹尾章次は凡そ昭和五(一九三〇)年とした。満で十四ならば昭和十九年である。この丹尾の兄訪問が夏以降と想定するならば、前注にある通り、「別れを告げに来た」彼の兄は特攻隊員であった可能性がすこぶる高くなり、五郎の推測もそれであり、次の段で直ちにそれが事実としても正しいことが明らかにされるところが、そこでは鮮やかに、五郎もそして我々も、あっさりすくい投げを喰らわされることになる。

「もっともうっと広かった。畠などなかった」「丹尾は両手を拡げた。あまり拡げ過ぎたために、丹尾の右腕は五郎の胸に触れ、圧迫した。それから両手を元におさめた」「こんな畠なんか、なかった。一面の平地だった!」「丹尾の声は怒っているように聞えた」老婆心乍ら、最初の台詞は「もっと//も/うっと(!)広かった(!)」で、梅崎春生のシナリオ的な演出の上手さが台詞書きによく出ている。丹尾の生(なま)の凄絶なキャラクターが初めて読者に初めて開示される。ここで読者は五郎などよりも、この丹尾――五郎のトリック・スターとしての丹尾――に異様に惹かれてゆくようにセットされてある。そうして、その――人生の痛々しい聖痕(スティグマ:stigmaに相当するもの――が丹尾に「ある」ことは確かに事実であった。がしかし、それは――五郎も我々も推し測りも、想像もし得なかった全く別な事実――であることが、次の段で突如、明らかにされ、その意外性に読者はまたしても驚愕させられるのである。

「平蕪」雑草の生い茂った野原。

「義姉(ねえ)さんはきれいなひとだっただろう」「まだ若い、化粧もしない顔、もんぺに包まれたすべすべした姿体、それだけが幻の風景の中に動いて、五郎の内部の病的な情念を刺戟した」「映画などで見た特攻隊の若い未亡人の姿を想像しながら、五郎は訊ねた」「その時義姉さんは、いくつだった?」梅崎春生の強烈な確信犯の伏線構造が見て取れる。これらは明らかに前の「ズルフォナールは酒よりも強く作用」し、「抑圧がとれる」「と同時に、色情的になる」部分に明らかにフィード・バックするように、一見、五郎の病的な猥雑性を執拗に強調するように描かれてある春生は一見、意地悪く読者に問いかけているように見えはしないか?

――あなたは五郎を正常だと思っていますね……

――そうです。無論、彼は正常なのです……

――そうです。正常な人間なら「性欲」を持ちますね……

――そうして、「性」への欲求は同時に……

――「生」への欲求なんですよ……

――「性」的な執拗な想像は治療薬物による妄想なんかではないんだ……

――「生」の欲求なんだ……

と、でも。……しかしそれも実は次の段で体(てい)よくひっくり返されてしまうのである(こうした一見滑稽などんでん返しは春生の他作品で極めてよく見られる手法ではある)。――いや! 実は核心はそんなところにあるのではあるまい。ここで五郎が、殊更にかくも性的なイメージの妄想的再現に拘るのは、「五郎も漠たる平蕪や並んでいる模型じみた飛行機が想像出来た」が、しかし、「それは古ぼけたフィルムのように、色褪せて」おり、しかも当の、怪しくもどこか自分の世界と、あるのっぴきならない共有部分を持っているかも知れぬと無意識に感じ始めたところの、当の「丹尾の風貌を、うまくそこにはめ込むことが出来なかった」からこそ、異様な感覚的共時性を強引に創り出すために、ここで妄想しているのだと私は思うのである(しかも、その性的妄想は次段で極点を示す)。そうして「うまくそこにはめ込むことが出来なかった」予感は、前の注何度も仄めかした通り、次の段で五郎と読者を裏切りつつ、べろりと明らかにされるのである。]

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