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2016/01/16

梅崎春生 『龍南』最終「編輯後記」

[やぶちゃん注:『龍南』第二三二号(昭和一〇(一九三五)年十二月十五日発行)には彼の作品は載らない。しかし、その『編輯後記』に彼の記載部分があり、それによってこの号が編集人としての梅崎春生の『龍南』最後の仕事であったことが判る。されば、ここに特に、同じく「熊本大学学術リポジトリ」内の232-025.pdfを視認、活字に起こして挟みおくこととする。底本では「」を附した柱行の次は総て一字下げである。

老婆心乍ら、第三条の「寥々たる」は「れうれう(りょうりょう)たる」と読み、ここは原義の「もの寂しいさま」ではなく、具体に「数の少ないさま」を示す形容動詞である。梅崎春生二十最後の宣言である。]
 
 
  

われわれの最後の所産として、龍南232號をおくる。いまよかあとは、われわれのよき後続部隊が、いまにもまして元氣で進軍ラツパを吹きつづけて呉れることだらう。龍南文藝復興もまぢかにちがひない。ともあれ、われわれは、ここに最後のピリオドを打つ。

詩歌句。いままでにない多數の投稿があつた。まことに喜ぶべき現象である。上田先生のは御批評は、都合上、當選作のそれのみを錄することにした。當選にもれた作の批評部室に保管されてゐること故、もし聞きたい人があれば來て頂きたい。

私の意見を概して言へば、此度の投稿に限らず、いつもさうであるが、龍南の詩歌句には、意欲が貧しい。小感情の完成をもとめ、逃避、感傷のうたをうたふことにこころざしはすれ、絶望の中から立ち上る強烈な意思を、疾風の中にひるまぬ決然たる風貌をうたひでるものは、まことに寥々たるものである。あらゆる文藝作品の底にのたうつものは、常に叛逆の精神でなければならぬ。われわれはまだ若いではないか。それ故われわれは野心的でなければならぬ。白く鮮やかなスタートラインを引け。末梢的な感性をとぎすますのを止め、巨大な鱶の如く牙をむいて、大いなるものへの待機の姿勢を取れ。

一年二年の新しい人たちにかはつて、われわれ舊人は龍南をおし出される。龍南生活もさして短くはなかつたが、何一つ足跡もこさす立ち去ることは淋しい。せめで来るべきひとびとの努力幸福をいのつておかう。

           (梅崎)

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