フォト

カテゴリー

サイト増設コンテンツ及びブログ掲載の特異点テクスト等一覧(2008年1月以降)

The Picture of Dorian Gray

  • Sans Souci
    畢竟惨めなる自身の肖像

Alice's Adventures in Wonderland

  • ふぅむ♡
    僕の三女アリスのアルバム

忘れ得ぬ人々:写真版

  • 縄文の母子像 後影
    ブログ・カテゴリの「忘れ得ぬ人々」の写真版

Exlibris Puer Eternus

  • 吾輩ハ僕ノ頗ル氣ニ入ツタ教ヘ子ノ猫デアル
    僕が立ち止まって振り向いた君のArt

SCULPTING IN TIME

  • 熊野波速玉大社牛王符
    写真帖とコレクションから

Pierre Bonnard Histoires Naturelles

  • 樹々の一家   Une famille d'arbres
    Jules Renard “Histoires Naturelles”の全挿絵 岸田国士訳本文は以下 http://yab.o.oo7.jp/haku.html

僕の視線の中のCaspar David Friedrich

  • 海辺の月の出(部分)
    1996年ドイツにて撮影

シリエトク日記写真版

  • 地の涯の岬
    2010年8月1日~5日の知床旅情(2010年8月8日~16日のブログ「シリエトク日記」他全18篇を参照されたい)

氷國絶佳瀧篇

  • Gullfoss
    2008年8月9日~18日のアイスランド瀧紀行(2008年8月19日~21日のブログ「氷國絶佳」全11篇を参照されたい)

Air de Tasmania

  • タスマニアの幸せなコバヤシチヨジ
    2007年12月23~30日 タスマニアにて (2008年1月1日及び2日のブログ「タスマニア紀行」全8篇を参照されたい)

僕の見た三丁目の夕日

  • blog-2007-7-29
    遠き日の僕の絵日記から
無料ブログはココログ

« いなびかり   梅崎春生   附やぶちゃん注 | トップページ | 午砲   梅崎春生   附やぶちゃん注 »

2016/01/01

梅崎春生「幻化」附やぶちゃん注 (3)

「さあ。そろそろ出かけましょうか」

 丹尾は盃を伏せて立ち上った。徳利の三分の一は、五郎が飲んだ。勘定は丹尾が払った。その勘定を払う手付き、札入れの厚さなどを、五郎はじっと見ていた。丹尾は腕時計をちらと見た。

「汽車の時間はどうかな。駅で待たせられるかな」

「おれは車で行くよ」

 五郎はそっけなく答えた。

「待たせられるのは、いやだ」

 五郎は先に外に出た。航空事務所の隣が、ハイヤーの営業所になっていた。そこに入って行った。空港から乗って来た車の運転手が、車体をぼろ布で掃除していた。五郎の姿を見て、細い眼で笑いかけた。

「枕崎まで行くかね」

「行きますよ。どうぞ」

 運転手はドアをあけた。五郎は座席に腰をおろした。丹尾は店からまだ出て来ない。運転手が乗り込んで来た。

「一人ですか?」

 うなずこうとしたとたん、のれんを分けて丹尾があたふたと出て来て、五郎の傍にころがり込んだ。

「ぼくも乗せてもらいますよ。汽車は時間的に都合が悪いらしい」

 丹尾は運転手の横にトランクを投げ込んだ。運転手が答えた。

「あれは開通したばかりで、日に何本も出ないのです」

 抑揚に訛(なま)りめいたものがあるが、一応標準語であった。運転手という職業の関係もあるが、ラジオやテレビのせいもあるらしい。さっきの空港の受付の女の口調もそうであった。

〈戻るのか〉

 と五郎は思った。車はさっき乗って来た街衢(がいく)を、逆にしごいて走る。五郎は忙しく地図の形を頭に浮べていた。二十年前のここらは、すっかり爆撃にやられて、骨組みだけの建物と瓦礫だけの町であった。電線は地に垂れ、水道栓が音を立てて水を吹き上げていた。人通りは――暗闇で長いこと据(す)え放しにしたカメラの影像のように、動かないものだけが残り、人間の姿は全然消失していた。今自動車が押し分けて行く風景は、人がぞろぞろと通り、建物も整然として、道はきちんと舗装してある。あの時も人通りはあったのだろう。しかしそれは五郎の印象に残っていない。廃墟(はいきょ)の姿だけだ。五郎は背をもたせたまま、窓に移る風物を眺めていた。

「さっきね、何か這い出していると言いましたね」

 丹尾が言った。

「ほんとにそう思ったんですか?」

「そう」

「ふしぎだとは思わなかったんですか?」

「ふしぎ? いや」

 五郎は居心地悪く答えた。

「見違いかと思ってたんだ。君が気がついたから、見違いじゃないと判ったけれどね」

 丹尾は黙っていた。

「もっともあそこから虫が這い出しても、ふしぎだとは思わない。世の中にそんなことは、ざらにあると思う」

 車は市街を通り抜けた。しだいに家並がまばらになり、海岸通りに出た。桜島が青い海に浮び、頂上から白い煙をはいていた。

「ところで――」

 五郎は視線を前路に戻しながら言った。

「君は東京から飛行機に乗ったのかね?」

「そうですよ。気がつかなかったんですか?」

 丹尾は答えた。

「羽田からずっとあんたの横に坐っていましたよ。二度話しかけたけれど、あんたは返事しなかった」

「二度も?」

「ええ。初めは瀬戸内海の上空で、二度目は大分空港の待合室で。待合室では煙草の火を借りた。あんたは肩布をかけた代議士らしい男の方を見ていたね」

「ああ。そんなのがいたね。迎え人がたくさん来ていた。あれ、代議士か」

「そうでしょうね。大分からは、五人になってしまった」

 待てよ、と五郎は考えた。五人ならもう座席指定でなく、どこにも腰かけられる筈だ。それなのに横の座席に執(しゅう)したのは、何故だろうか。

「たかが五人乗せて、商売になるもんですかねえ」

「わたしはぼんやりしてたんだ。久しぶりに娑婆(しゃば)に出たんで、感覚が働かない。話しかけられても、聞えなかったんだよ。きっと」

「娑婆? するとあんたは――」

 丹尾は言いにくそうに発音した。

「それまで留置場かどこかに、入ってたんだね」

「留置場?」

 五郎は丹尾の顔を見た。

「留置場、じゃないさ。君は知っているんだろ」 

 丹尾は首を振った。

「何も知らないよ。ちょっと様子がへんなんで、注意していただけです。いけないですか?」

 五郎は急に頭に痛みを覚えた。痛みというより、たがのようなものでしめつけられるような感じであった。彼は両手をこめかみに当てて、揉みほぐすような仕種(しぐさ)をした。痛みは三十秒ほどでおさまった。

「ひどく頭が痛いことがありますか?」

 入院する前に医師が訊ねたことがある。その医者は三田村(碁を打っていた友人だ)の知己で、彼に伴われて私宅を訪ねたのである。面談した応接間はこぢんまりして、壁には風景画がかけられ、隅の卓には花が飾られていた。壁は布張りで、特殊の加工がしてあるらしく、声は壁に吸い取られて反響がなかった。

「いいえ」

 五郎は答えた。

「痛くはないけれど、悲しいような憂欝な感じがあるんです」

「ずっと続けてですか?」

「いえ。続けてじゃない。時々強く浪のように盛り上って来るのです。いや、やはり続いているのかな」

 五郎は首をかしげて、ぽつりぽつりと発言した。

「漠然とした不安感がありましてね、外出するのがいやになる。顔が震えそうだし、皆がぼくを見張っているようで、うちに閉じこもってばかりいます」

「閉じこもって、何をしているんですか」

「寝ころんで本を読んだり、テレビを見たり、歌をうたったり――」

「歌を?」

 医者は手帳を出して、何か書き込んだ。

「どんな本を読むんです?」

「おもに旅行記とか週刊誌のたぐいです。むずかしいのはだめですね」

「旅行記ね」

 医者は探るような眼をした。

「テレビはあまり見ない方がいいですよ。眼が疲れるから。眼が疲れると、精神もいらいらして疲れます」

「そうですか。そう見たくもないんです」

 五郎はテレビを見る。おかしい場面が出て来る。五郎は笑わない。おかしくないからだ。感情が動かないのではない。むしろ動きやすくなっているのだが、それは悲哀の方にであって、笑いの方には鈍麻している。五郎から笑いはなくなった。妙に涙もろくなって来た。テレビはスタジオから電波で送られ、映像となる。そう頭では判っているが、実感としてはそらごととしか思えない。影が動いているだけじゃないか。耐えがたくなってスイッチを切り、酒を飲む。そして歌をうたう。三田村が傍から口を出した。

「幻覚があるんじゃないか」

「幻覚? テレビのことか?」

「いや。ブザーのことだ」

「ブザーのことって、何ですか?」

 医者が質問した。

「いや。時々、時ならぬ時に、玄関のブザーが鳴るのです。出て行っても誰もいない」

「時ならぬ時というと?」

「真夜中なんかです。どうも誰かがいたずらをするらしい」

 五郎は幻覚のことを、たとえばブザーのことや壁に這う蟻(あり)のことを、あまり語りたくなかった。自分は正常である。その方に話を持って行きたかった。医師の門をくぐるのと、それは矛盾しているようであったが、本能的な自己防禦(ぼうぎょ)が働く。自分の症状を軽く見せたいという気持が強かった。

 それにもう一つの疑念があった。

〈この男は贋(にせ)医者じゃないのか〉

 実際に病院の中で、白い診察衣を着て、聴診器でも持っていれば、一応信用出来る。でも今の場合、この医師は和服を着て、ゆったりとソファに腰をおろしている。医者らしくない。医者であるという証拠は、何もない。ここに来るまでは、医者の家に行くんだと思っていたが、応接間で応対している中に、その疑念がきざし、だんだんふくれ上ってくる。

〈あなたはほんものの医者ですか?〉

 と聞きたい衝動が起きる。しかしもしほんものだった場合、こちらがほんものの気違いだと思われるおそれがある。それではまずいので言葉にしない。

 医者の質問はなおも続いた。そして結論みたいに言った。

「やはり抑圧があるようですな」

「抑圧と言いますと?」

「いろんなものが、重いものが、頭にかぶさっているのです。それを取除かねばならない」

「重いものがね」

 美容院の前を通ると、女たちが白い兜(かぶと)のようなドライヤーをかぶっている。五郎はすぐにそれを連想した。

「ああ。つまり脱げばいいんですね」

「まあそういうことです」

「なるほど。しかし――」

 兜をかぶっているのが常人で、今のおれの場合は兜を脱ぎ捨てた状態じゃないのか。頭がむき出しになっているから、普通人が持たない感覚を持ち、感じないものを感じているのではないか。生きているつらさが、直接肌身に迫って来るのではないか。その点おれが正常人の筈だ。瞬間そう考えたけれども、五郎は口に出さなかった。

「健康と不健康との境目は――」

「健康といいますとね、緊張と弛緩(しかん)、亢奮と抑制などのバランスがとれている状態です」

 医者は自信ありげに、煙草に火をつけた。

「大体人間というものはね、自分の心の尺度をもって物事をおしはかるもんです。疲れた時の心に写る世界と、活気に充ちた時のでは、同じ対象に接しても、まったく感じ方が異なるんですな。それにまたその人の性格がからんで来る。ますます複雑になって来るんですよ」

「すると抑圧をとるには?」

「いろいろ方法があるわけですね。電気ショックとか持続睡眠療法とか――」

「電気ショック?」

 五郎は思わず声を高くした。

「やはり椅子に腰かけてやるんですか?」

「死刑台じゃないんだよ」

 三田村が横から口を出して笑った。

「こいつはね、電気をこわがるんだ。昔から」

「いや。こわいとか、こわくないとかは、関係がない」

 五郎は抗弁した。

「電流は体には作用する。しかし、心や感情に作用するかどうか――」

「じゃ酒はどうだね。酒はただの物質だが、感情を左右するよ」

「では睡眠療法の方がいいでしょう」

 医者は煙草を揉(も)み消しながら、とりなすように言った。

「いつでもいいですよ。病室の用意をしておきます」

 

[やぶちゃん注:「あれは開通したばかりで、日に何本も出ないのです」これは当時の日本国有鉄道指宿(いぶすき)枕崎線で(昭和六二(一九八七)年四月一日附で国鉄が分割民営化されて九州旅客鉄道に変更)、本作発表(昭和四〇(一九六五)年六月・八月)の二年前の一九六三年十月三十一日に開聞岳の西方海岸線の西頴娃(にしえい)駅から枕崎駅までが延伸開業している。既に考証した通り、私は本作の作品内時間を昭和三九(一九六四)年の九月上旬と推定しているから、措定時間が正しいとすれば、枕崎までの延伸開業から一年弱で、本数も少ない以上、運転手自身も走行する車両を見ることが少なく、運転手の言葉は如何にも自然である。

「〈戻るのか〉」この心内語によって読者は、五郎の目的地が正しく枕崎方面であることを認知する。そしてそれは直ちに梅崎春生の「桜島」の始まりのロケーションを想起させる。梅崎は読者のその感じをぐいと摑んで直ちに繋げるのである。

「街衢(がいく)」「衢」は「ちまた」と訓じ、辻・四方に分岐した道・そのように人為的に整序された市中の路の意で、人家などの立ち並ぶ町、市街の意である。

「しごいて走る」長いものを片方の手に握り締めて持ち、もう一方の手でそれを引き抜くように強く手前に引いて布などの皺を伸ばしてパンとさせる謂いの「扱(しご)く」で、ここは街路を相当なスピードでストレートに走り抜ける感じを示す隠喩(メタファー)である。

「二十年前のここらは、すっかり爆撃にやられて、骨組みだけの建物と瓦礫だけの町であった。電線は地に垂れ、水道栓が音を立てて水を吹き上げていた。人通りは――暗闇で長いこと据(す)え放しにしたカメラの影像のように、動かないものだけが残り、人間の姿は全然消失していた。今自動車が押し分けて行く風景は、人がぞろぞろと通り、建物も整然として、道はきちんと舗装してある。あの時も人通りはあったのだろう。しかしそれは五郎の印象に残っていない。廃墟の姿だけだ」、前掲通り、私は本作の作品内時間を昭和三九(一九六四)年の九月上旬と推定しているから、その措定時間が正しいとすれば、その「二十年前」で、厳密には昭和十九年となる。但し、ここでは寧ろ、厳密な意味での措定逆算時間よりも、読者は反射的に読んでいる現在時間から二十年遡るはずであるから、発表された昭和四〇(一九六五)年から「二十年前」、即ち敗戦の昭和二十年の同季(作品内では九月上旬の夏の終り)の夏へと自ずと戻ってゆくことになると私は思う。それにしてもこのシークエンスの映像的鮮烈さは譬えようもない。タクシーの中からハンディ・カメラで揺れもそのままに今の枕崎の賑やかな平和な街路や道行く人々を映している。そこにフラッシュ・バックする焼け落ちた鹿児島市街の映像。春生が確信犯でそうした映画的効果を確かに狙っている証拠は「暗闇で長いこと据え放しにしたカメラの影像のように」という直喩が図らずも証明していると言えよう。そうして、これはかの昭和二一(一九四六)年九月発表の「桜島」で村上兵曹が、この枕崎を経て、谷山海軍基地(薩摩半島東側の旧谷山市内。現在は新制鹿児島市谷山地区で市南部に位置する)に寄り、鹿児島市街を抜けて桜島へ向かう船の波止場に向かうシークエンスで、村上が見る焼け崩れたその市街の描写(以下、太字化はやぶちゃん)、

   *

 鹿児島市は、半ば廃墟となっていた。鉄筋混凝土(コンクリート)の建物だけが、外郭だけその形を止め、あとは瓦礫(がれき)の散乱する巷(ちまた)であった。ところどころこわれた水道の栓が白く水をふき上げていた。電柱がたおれ、電線が低く舗道を這(は)っていた。灰を吹き散らしたような雨が、そこにも落ちていた。

   *

完全にオーバー・ラップするようになっていることに気づくのである。

「代議士」衆議院議員の俗称。これは旧帝国議会に於いて、非公選の貴族院議員に対して、国民から直接選ばれた公選の議員の謂いで用いられた語であるが、その名残りとして現在も衆議院議員だけを「代議士」と通称する。

「肩布」肩の線に沿って装着される細長い布或はモール紐等で出来た肩章、エポレット(Epaulette)のことではあるまいか? 九月でエポレット附きのコートというのもおかしいと思うが、この印象はこれ、私が、とあるおぞましい古い映像がフラッシュ・バックしてしまったせいである。戦後すぐのことではあるが、あろうことか、エポレット附きの旧海軍将校服で国会に初登院した衆議院議員がいたのを思い出したのである。昭和二二(一九四七)年の第二十三回衆議院議員総選挙で立候補し、初当選した、終戦時に海軍主計少佐であった中曽根康弘である。

「幻覚? テレビのことか?」精神変調をきたしている場合にありがちな、ちぐはぐな応答である。五郎は、三田村にはそれ以前に雑談の中で、直後に出る「玄関のブザーが鳴る」ことを語っていた(恐らくは「蟻」のこともである。ブザーは幻覚ではないとも言い張ることが出来るが、「蟻」は話の様子から三田村は幻視と捉えたに違いない)。そこで三田村は日常の中で最近、「幻覚があるんじゃないか」それとなく水を向けたのだが、五郎は医師の「テレビはあまり見ない方がいい」という言葉から頭の中で俄然、テレビというメディアの虚妄性幻影性を解析し出してしまい、「テレビはスタジオから電波で送られ、映像となる。そう頭では判っているが、実感としてはそらごととしか思えない。影が動いているだけじゃないか」と考えた瞬間に三田村から「幻覚があるんじゃないか」に対して、その脳内の思考で反応してしまって、かく答えているのである。

「いや。時々、時ならぬ時に、玄関のブザーが鳴るのです。出て行っても誰もいない」「真夜中なんかです。どうも誰かがいたずらをするらしい」「五郎は幻覚のことを、たとえばブザーのことや壁に這う蟻(あり)のことを、あまり語りたくなかった。自分は正常である。その方に話を持って行きたかった。医師の門をくぐるのと、それは矛盾しているようであったが、本能的な自己防禦が働く。自分の症状を軽く見せたいという気持が強かった」「それにもう一つの疑念があった」「〈この男は贋(にせ)医者じゃないのか〉」病的な関係妄想の片鱗が見えるようにも思われる。ただ、ここで三田村が精神科医の私邸で五郎を診察させたのは寧ろ、間違いだった。精神科医に対する「〈この男は贋(にせ)医者じゃないのか〉」といった初期妄想疑念は精神疾患に罹患した患者でなくとも、健常者でも初診時に概ね感ずる印象である。それが、このシチュエーションではより疑惑度を増してしまうからであり、五郎の疑念も必ずしも病的と言えなくなるからである(実際の患者の場合は病院で白衣を着ていても贋医師だということがしばしばある)。幻聴・幻視は精神疾患でなくとも発生するものであり、これを以って病気だとは断定出来ない(但し、「蟻」の方は前に述べた通り、多くの精神疾患の初期中期症状にはしばしば見られるものではある)。因みに、私は精神科を受診したことが残念なことにないのであるが、若い頃、とある精神科医と知り合い、よく酒を飲んだことがあるけれども、そのとき、普通の他の科の医師とは印象が異なり(正直、医師の一般的イメージからは微妙ずれる)、会話のキャッチボールも何かどこか異様に軽いものを感じた。これは私に対して彼が不快感情を持ったからかとも思ったのであるが、後に複数の精神科医のエッセイ等で、精神科医自身の精神状態について書かれた内容を見るにつけ、精神科医はやはり精神疾患を病む患者との接触や治療に於ける患者とのラポートの経験などによって、ちょっと普通の人とは対人接触の感じがかなり違ってきてしまうと彼等自身が語っているのを読んで大いに腑に落ちたことがある(いや、やはりその彼は実は単に私が嫌いなだけだったのかもしれないが)。また、「医師の門をくぐるのと、それは矛盾しているようであったが、本能的な自己防禦が働く。自分の症状を軽く見せたいという気持が強かった」というのも、少しも異常ではない。精神疾患ではなく、明らかに病気であるのに、明らかに身体が不自由で不都合があるのに、医師に対した途端、健康を装い、不具合を語らず、若ぶり、知能明晰であることを語らんとして医師の質問とは無関係なことを滔々と語る患者や老人をよく知っている。また、「五郎は幻覚のことを、たとえばブザーのことや壁に這う蟻のことを、あまり語りたくなかった」というところにも注意されたい。彼は実は心の中でどうもブザーは「幻聴」であるようであり、蟻は確かに潰そうとしてもいないのだから「幻視」であると認識していることを示している、即ち、彼には「ブザー」の音は「幻覚」である可能性が高い、「蟻」は「幻覚」であるという「病識」があるということを示している。一般に「病識」のある精神疾患は決して重篤なものではない。因みに、この「時ならぬ時に、玄関のブザーが鳴る」「出て行っても誰もいない」「真夜中」で「どうも誰かがいたずらをするらしい」という幻聴は、既に注しているが、春原・梶谷共著「パトグラフィ叢書 別巻 昭和の作家」の「梅崎春生」(梶谷氏担当)によって、本「幻化」を『書きはじめる半年位前から、不安に襲われたり、玄関のベルの音を聞いている』と明記されており、梅崎春生自身の共時症状であったことが判る。

「いろんなものが、重いものが、頭にかぶさっているのです。それを取除かねばならない」「重いものがね」「美容院の前を通ると、女たちが白い兜のようなドライヤーをかぶっている。五郎はすぐにそれを連想した」「ああ。つまり脱げばいいんですね」「まあそういうことです」「なるほど。しかし――」「兜をかぶっているのが常人で、今のおれの場合は兜を脱ぎ捨てた状態じゃないのか。頭がむき出しになっているから、普通人が持たない感覚を持ち、感じないものを感じているのではないか。生きているつらさが、直接肌身に迫って来るのではないか。その点おれが正常人の筈だ。瞬間そう考えたけれども、五郎は口に出さなかった」この一連の会話と描写は、梅崎春生の他の多くのユーモラスな小品群の一場面をも想起させるような、往年の春生節が美事に成功している部分である。しかもこの軽快な思考のフット・ワークを読者に示すことで五郎は実は精神病ではないのではないか、抑鬱気分は濃いけれども、所謂、軽いノイローゼ程度のものではなかろうか、という印象を読者の半数以上は持つように私には思われ、春生のここの筆致もそうした狙いを感じさせる

「電気ショック」頭部(両前頭葉上の皮膚に電極をあてる)に通電することで人為的に痙攣発作を誘発させる、精神科の現在も行われている治療法で、「電気痙攣療法(ECT electroconvulsive therapy「電撃療法」「電気ショック療法」(ES)などと呼称する。ウィキの「電気けいれん療法」から引く。『ECTには大きく分けて、四肢や体幹の筋にけいれんを実際に起こすもの(有けいれんECT)と、筋弛緩剤を用いて筋のけいれんを起こさせないもの(修正型ECT、無けいれんECT)に分類され、用いる電流も「サイン波」型と「パルス波」型に分類できる』。一九三八年に『イタリア・ローマのウーゴ・チェルレッティ‎とルシオ・ビニLucio Bini)によって創始された、元々精神分裂病(現在のほぼ統合失調症に当たる)に対する特殊療法として考案されたものである。日本では』昭和一四(一九三九)年に『九州大学の安河内五郎と向笠広次によって創始された。その後、他の疾患にも広く応用されて急速に普及し、精神科領域における特殊療法中、最も一般化した治療法である』が、『作用機序は不明である』。『多くの場合、ECTはインフォームド・コンセントを得たうえで』大鬱病(現行の「大鬱病性障害」(Major depressive disorder)のこと。一般に言う鬱病(Clinical Depression)と基本的に同じい)・躁病(Mania気分が異常に高揚して支離滅裂な言動を発したりする病態を主症状とする精神病であるが、躁状態は他の精神疾患でも見られるため、鬱状態やこの躁状態を含む広範な気分障害は現行では「双極性障害」で括られている)・統合失調症の『最終治療手段として用いられている』。『日本国内では、うつ病、躁うつ病、統合失調症などの精神疾患(まれにパーキンソン病などにも)の治療に用いられて』おり、鬱病では『重症で自殺の危険が高く緊急を要する場合や、薬物療法を充分行っても症状が改善しない場合、薬物療法の副作用が強い場合など』に、「躁うつ病」では『うつ状態で上記したような問題がある場合や、躁状態で興奮が強く緊急を要する場合など』に、「統合失調症」では『難治性の場合や、抑うつを伴い自殺の危険が強い場合、緊張型の昏迷状態など』に、「パーキンソン病」の場合は、『気分症状と運動症状の両方にしばしば効果が認められる。薬物抵抗性がある場合、あるいは抗パーキンソン病薬が副作用により使えない場合など、疾患の末期に用いられるのが典型的である』とある。「副作用」の項。『術前の全身状態の評価を適切に行い、電気けいれん療法を行った場合、安全で有効な治療法である。死亡または重度障害の危険は』五万回に一回程度『であり、出産に伴う危険よりもはるかに低いと報告されている』。『米国精神医学会タスクフォースレポートによれば、絶対的な医学的禁忌といったものも存在しない』とするが、『ドイツのゲルト・フーバーによると器質性の脳傷害と重傷の一般的な身体疾患』(特に心臓及び循環器疾患)『を禁忌としている』。『水野昭夫によれば絶対的禁忌として頭蓋内圧亢進症を挙げている』が、それでも『心血管系の障害』や『認知障害』(『通電直後に生じ、見当識障害、前向性健忘(以前の記憶はあるが、ECT後の出来事などが覚えられなくなる)や逆行性健忘(新しいことは覚えられるが、以前の記憶、特にECT施行直前の記憶がなくなっている)が見られることがある』。『老人に頻度が高い。多くは時間とともに回復する。失見当識・前向性健忘は比較的短時間に回復し、逆行性健忘は回復が緩徐である。また、そのまま認知機能の低下が遷延するという例も少数だが報告されている』)・『躁転』(『時に多幸的・脱抑制・易刺激性を伴う。双極性障害患者において特に躁転する頻度が高い)』・『頭痛』(四十五%程度の『患者が自覚するとされている。拍動を伴う前頭部痛を示す事が多い。電極配置や刺激強度などとは関連しない』)とあり、『妊娠女性、高齢者、若年者については合併症リスクがより高い』『ため、注意深くECTを実施すべきだ』と言われている。二〇〇一年には、年間で世界では約一千万人が『ECTを受けたと推測されている』。『事前に処方薬の調整を行う。リチウムは脳内濃度が上昇する可能性があるので中止、抗てんかん薬はけいれんを生じにくくするので中止、ベンゾジアゼピン系薬物もけいれんを生じにくくさせるので減量、抗うつ薬は術中不整脈を起こす危険性を高める可能性があるので中止。なお抗精神病薬は原則として中止する必要はない』。『患者が短時間麻酔剤の注射により入眠すると、筋弛緩剤が注射され』、約三十秒から一分後に九百ミリアンペア・パルス幅〇・二五から一・五ミリセコンド(一ミリセコンドは一千分の一秒)のパルス波電流を一秒から八秒間『こめかみまたは前額部などに通電する。通電条件は、従来までは投与電気量を指定する以外は装置の内蔵プログラムに従っていたが、最近では患者個々の生物物理学的な特性にあわせて設定を変更する試みもなされるようになった』。『なお、一般にECTを繰り返し行うとけいれん波は生じにくくなり(しばしば「けいれん閾値が上昇した」と表現される)、投与電気量を多くしなければならないと考えられている』。少数の患者は六セッション以下でも治療に反応するが、大部分の患者は六~十二セッションの範囲である。大抵は週に二セッションが実施される。『各セッションの終了後には、毎回必ず再アセスメントを実施すべきで』、『副作用が発生した場合、または患者が治療離脱を申し出た場合には、ただちに治療を中止すべきである』とある。但し、この療法自体を勧めない、或いは『廃止を訴える精神科医もいる。時間の流れに沿った治療プロセスを省略し、または薬物療法で行き詰まり、その内容の是非を医療者として検証しないうちに安易にこの療法を選択する可能性がありえる。それが医療現場の荒廃につながり、結果として治療を受ける者を苦しめるからとの理由で勧めていない場合がある』。『薬物療法との比較する形でこの療法を治療手段として行わない理由が「懲りない精神医療電パチはあかん!!(前進友の会 2005)」にて中井久夫の論文を抜粋する形で光愛病院の黒川能孝によって紹介されている』(以下、改行部を全部繋げた)。

『真に必要な症例に出会わなかった。体験の連続性を破壊する。服薬はそれ自体が体験であり、しばしば好ましい体験であり、関与的に観察できる電撃は当人の体験とはなりえない。薬物は納得ずくで服用し、治療者が微調整でき、患者が異議を申し立て、両者間に相互のフィードバックができる。患者と治療者も進歩しうる。電撃は悉無律(しつむりつ;全か無かの法則)に従い、かつ患者からのフィードバックは通常無い。薬物は本人および家族に治療への参加感を与える。電撃は彼らを蚊帳の外に置く。電撃は精神科医の人格に影響を与える。無感覚になるか神経衰弱になるかは別として。看護師についても同様。創始者自身であるはずのウーゴ・ツェルレッティも廃止を訴えた』。『こうした見解は一般化できるものではないが、ECTは頻回の全身麻酔を伴うリスクもあり費用も高い。昏迷状態やがん末期の抑うつ状態で経口服用できない場合など、重症例や緊急性の高い症例に適応を限定している医師は多い』。『アメリカの例を出せば』、2000年代になっても年間十一万人に施術され、実に三十億ドルもの『多額の費用が税金や保険会社から精神科医へ支払われている。その割には治療法支持者のハロルド・A・サッケイム博士の研究をみても』三百四十万人の鬱病患者のうち、『この治療法で継続的効果が得られた人が一人もいなかった。これらの治療を施された患者に実際に効果があったという証拠はない。アメリカ人精神科医の中には「(副作用である)知能の減衰は治療の重要な要素である」という者までいる』。『患者の一部は「電パチ」と隠語で呼んでいる。拷問とされている』とあるが、実際に精神病院内では古くから懲罰として、電気ショックが日常的に行われいてたことは、種々のルポルタージュによって知られている(ここは私の附言)。ただ、実は近年、精神科では『薬物療法に対して電気けいれん療法の利点(比較的即効性であることなど)が徐々に明らかになり、また無けいれん電気けいれん療法の開発、パルス波通電装置の開発などの電気けいれん療法自体の改良が行われたことにより、現在では再び治療において重要な地位を占めるようになっている』とあって、現行のそれは『電気けいれん療法は、脳内でてんかん発作の電気活動を起こすことによって効果を得るのが本質である。それに伴って起こる全身の筋のけいれんは、患者の状態によっては血圧を上昇させるなどの循環状態への影響、骨折の危険を伴うことがある。そのため、循環器に疾患のある患者や、高齢その他の理由で骨折する虞がある患者には筋弛緩剤で筋を弛緩させて、麻酔科医が人工呼吸等を含めた呼吸管理、循環動態の観察を行いながら頭部に通電する「無けいれん電気けいれん療法」が行われることもある』。『ただし、精神科だけの単科の病院では、麻酔科医の確保が不可能に近いので、現在のところ実施が困難である。だが、例えば東京都の成仁病院は麻酔科医からトレーニングを受けた精神科医が麻酔を施行することでこの問題を解消することを提案している』。『一方、大学病院など総合病院では、各診療科医がいてすぐに緊急時の対処が可能な条件下で、手術に準じて手術室もしくは専用の処置室で行われている。薬剤や人員が必要になるため通常の電気けいれん療法よりもコストが高くなる欠点がある』。また、『以前より、日本においては「サイン波」(送電線を流れている電流を変圧しただけのもの)による通電が行われていたが、これは日本国外で用いられていた「パルス波」の電流に比べて認知障害などの副作用が大きいことが知られている。そのため』、二〇〇二年に『パルス波型の通電装置「サイマトロン」が日本でも認可された。パルス波の方が必要なエネルギーが少なくて済むため、認知障害などの副作用が少なく安全性も高い。なお、現在、サイン波刺激装置は本邦では生産中止となっている。その後もメーカーによるサポートは継続していたが、近々、打ち切りになることが確定している。これまで、副作用の点ではパルス波に軍配があがるが、けいれん誘発性の点ではサイン波の方が勝っているとされてきた。ガイドラインでもパルス波でけいれん誘発に失敗したとき、サイン波を使うというアルゴリズムになっていた。現状でいくとこのアルゴリズム自体が破綻することになるが、これを回避する方法論が本邦の精神科医によって提案されている』

さてもこの記載を見る限り、電気ショックによる機序やその効果の論理的解明は今も全く不明で、対症療法で、最後は如何にも怪しさがプンプンするのは私だけであろうか? 少なくともこれらを読む限り、私は受けたくない治療法だ。なお、昭和三九(一九六一)年『当時の厚生省保険局通知「精神科の治療指針」によると適応症として『精神分裂病、躁うつ病、心因反応、反応性精神病。神経症、神経衰弱、麻薬中毒、覚せい剤中毒、酒精中毒性、精神病等』があげられていた』(途中の句読点はママ)とある。本作の発表年は昭和四十年である(下線やぶちゃん)。これを見る限り、梅崎春生もこの電気ショック療法を勧められた或いは受けさせられた可能性は十分にある

「じゃ酒はどうだね。酒はただの物質だが、感情を左右するよ」五郎はこれに答えていない。答えたのかも知れないが、春生は記していない。これが気になる。何故なら、既に述べた通り、私は梅崎春生はまず間違いなく、アルコール依存症であり、しかもそれは死因の肝硬変の原因の有力な一つであり、それがアルコール性精神病或いは抑鬱症状を引き起こしたとも考えられると認識しているからである。但し、ここで五郎が述べるように、酒の過飲以前に春生に何らかの別な精神疾患があった可能性は否定は出来ないものの、私は春生の精神変調の主因はアルコール性精神病様の病態と考えているのである。されば、このシーンは春生自身が是が非でも心理的に否定したい、無視したい部分である。だから、ここで会話が途切れているのだと私は思うのである。「パトグラフィ叢書 別巻 昭和の作家」の「梅崎春生」(梶谷氏担当)には『恵津夫人は、アルコール中毒を否定しているが、やはりアルコール中毒症状とみるべきであろう』(下線やぶちゃん)とあるが、私は恵津夫人の否定は、ある意味、夫春生から繰り返し、アルコール中毒ではない、俺の心の不安や変調は酒によるものなんかではない、という絶対否定を何度も語られたことによる発言のように思われるのである。]

« いなびかり   梅崎春生   附やぶちゃん注 | トップページ | 午砲   梅崎春生   附やぶちゃん注 »