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2016/02/03

柳田國男 蝸牛考 初版(22) 物の名と智識(Ⅲ) / 物の名と智識~了

 

 川蜷を又或はカハダニシといふ處がある。海とは緣のない奈良縣などがそれである。タニシは九州の全土に亙つて、田蜷といふ方が通則である。壹岐でも鹿兒島宮崎でも共にタミナ、奄美大島ではタンマとなり、沖繩諸島は概してタァンナになつて居る。さうして日本の東半分がタツブまたはツブであることは前にも言つた。何れも皆田に棲む卷貝といふ趣旨は一樣であつて、特にタニシが他のミナ又はツブよりも精確だといふことは無かつたと思ふのであるが、各地現在の用例に就いて見るとミナの方は幾分かその範圍が廣くなつて居る。例へば奄美大島では法螺貝はハラァナ或はブラミナと呼ばれて居るが[やぶちゃん注:底本は「呼ばはて居るが」。誤植と断じて改訂版で訂した。]、貝は卷貝に限らず全體がすべてニャである。沖繩本島でも絲滿人などは鰒(アワビ)のことをカタゲンナといつて居る。即ち片貝蜷の意である。此人たちは貝殼のことをンナガラと謂ひ、八重山の石垣島では之をンナグルと謂つて居る。大島の古仁屋では貝の柱をさへもミナハアラ(みな柱)と呼んで居るのである。それが果して後代の不當なる擴張であつたか。但しは又最初には何でもかでも、貝類は皆ミナであつたのが、追々に外から狹められて、適用の範圍を「蜷」のみに限ることになつたものか。それを決して置いてからで無いと、語原の攷定などは不可能であるのみならず、マイマイとの關係もまた不明を免れぬのであるが、實際はまだ十分なる證據が雙方共に無い。只幾分か後の解釋に有利なのは、貝の總稱をミナ・ミナンなどといふ風は、北は道の島から南は終端の波照間島まで、今尚廣大な地域を控へて居ることと、この日本語のカヒといふ言葉が、古く器物を意味したケといふ語と通用して行はれて居て、必ずしも貝を利用し始めてから後に、出來たものでは無いらしきことである。それが若し確かめられたならば、ミナの中でもカヒ即ち器物に應用することの出來る形のものだけをカヒと呼び、其殘りを元のままにミナといつて居るものとも解し得られる。但しその貝を意味するキウといふ語は、現に八重山の諸島にもあつて、それを後に入つて來たものとも斷定することが出來ぬのである。

[やぶちゃん注:「鰒(アワビ)」の「(アワビ)」は本文であってルビではない。

「ミナハアラ」改訂版では『ミナハァラ』。

「攷定」「かうてい(こうてい)」と読む。考え定めること。]

 

 そこで再び前の問題に立戻つて、ツダラメ・シタダミが果してツグラミナ、又シタダリミナなどの、複合形では無いか否かを考へて見る。南方諸島の類例を援用することは、馴れぬ人にはまだ不安の種であらうから之を略し、單に九州一帶のツグラメと、鹿兒島縣内の山蜷垣蜷等とを比べて見ると、前者が後れて發生したことだけは、深く論究する迄も無く明白である。即ち形さまざまなる水陸のミナの中で、特に圓らなる一種を指定したツグラメの語のある以上は、今さらミナムシの名を設けて、是に色々の差別の語を附添するの必要は見ない筈である。しかも目に觸れる物があつて之を呼ぶ言葉が無かつたといふ時代は想像し得られぬから、既に何とかいふ蝸牛の名があつた處へ、新たに次の語は持込まれたのである。それが或年月の間併用せられて居たか、又は稍急劇なる新陳代謝が行はれたかは、場合毎に必ずしも一樣で無かつたらうが、假に著しい人望の差等はあつた迄も、耳で聽いてもわからなくなつてしまふには、少なくとも人の一代はかゝつた筈であつて、是が私の音複合乃至は語形複合の完了したらうと思ふ期間である。曾て存立して次のものに打倒された語が、果して何であつたらうかは誠に定め難い。しかも話主の新語に對する態度は區々であつたものとすれば、新舊の方言領域は往々にして食ひちがつて居たと考へ得られる。即ち最も多くの場合に於て、一つ以前の方言を其周邊の地に見出し得べしとする所以である。奧州のタマグラはより簡單なる隣の語を持たぬに反して、九州のツグラメには其外側にミナがあつた。蝸牛をミナとは謂はぬ土地にも田ミナがある。さうして他の一方には中部以東に、今尚ツブラといふ形が色々と傳へられて居るのを見ると、ツグラメは即ち一種の邊境現象ではなかつたかと思はれるのである。シタダミの方には、まだ十分なる比較の資料が得られぬから、是にも同樣の過程があつたことを推測するに止まるのであるが、少なくともカサツブリとマイマイツブロだけは、事情が全く此通りであつて、たゞ其時期のみ異なつて居たことを見れば、私の推定は必ずしも粗暴でないと思ふ。

[やぶちゃん注:「區々」ばらばらでまとまりのないこと。まちまち。]

 

 是等の事例を綜合して見ると、前からあつた語は古臭いといふだけで無く、又單に意味が把へにくいといふに止まらず、概して其範圍が不精確であつた。物の名は符號だから意味などは構はぬやうなものだが、前代人の智識の修得には、今日の如き教科書も無く、文字も無く又繪も無かつた。現實に其物を手で押へて居る場合を除くの外、名を知ることが唯一つの物を支配する手段であつた。それ故に人は各自の實名を隱し又は諱んだのである。それ故に又甲乙人の交通に際しては、少しでも具體的に又印象の深い名を知つた方が、常に有利な地位を占め得たのである。人に綽名が付くとたちまちにそれが流布したり、土地には誰がきめるとも無く、次々に細かな地名が付くと同じ樣に、人と物との關係が濃厚又密接になる程づゝ、いよいよより適切なる名が求められることになつたのである。蝸牛は内地に於てはいつ迄も單に兒童の造び相手に過ぎなかつた爲に、其名の變化も幾分か氣まぐれな方向を取つたが、同じ法則は更に農作物や農具、乃至は漁獵の目的たる魚鳥獸にも及んで、たとへば鍬ならば唐鍬備中鍬等、鯛ならば小鯛とか黒鯛とかいう風に、だんだんに聽いて直ちに性能を知り得るやうな、複雜なる新名と代つて行かうとしたのであつて、小兒が蝸牛に對する場合も亦、大人は省みないがやはり言語の最も活き活きとしたものを、常に選擇して行く念願はあつたのである。それを後世の長者の立場から、彼是批判することは到底出來ない。故に概括して之を「生活の要求」といふことは少しも差支が無く、過去も將來と同じやうに、世の中の事情が進展する以上は、言語は結局いつも變遷しなければならなかつたわけである。

[やぶちゃん注:「諱んだ」「いんだ」と読む。「諱(い)む」は「忌む」で、身分の高い人の実名を口にすることを敬してひかえる、という意味である。中国では本名は神聖で生存中は呼ぶことを憚り、言葉に出して言えたのは本人と両親及び師ぐらいなものであった。現行では「諱(いみな)」という名詞でのみ専ら用い、それは本名以外に生前の徳行によって死後に贈る称号である「諡(おくりな)」と同義で用いる。

「唐鍬」「とうぐは(とうぐわ)」或いは「とうが」とも読む。頭部全体が鉄で柄は木製の一般的に我々が「鍬」と聴いて想起するタイプの根切りや開墾などに使うところの打ち鍬のこと。平鍬。

「備中鍬」深く耕したる水田の荒起こしに用いる鍬を改良した農具。弥生時代から存在していた股鍬が改良されたもので、歯は平鍬のような板状ではなく、鉤型に抉れてフォークのようになっている。弥生時代のものは全部が木製であったが、古墳時代になると歯の部分を鉄製にしたものが生まれた。刃の先が二本から六本に分かれているものを江戸時代から特にかく呼称した。他にも「万能(まんのう)」「まんが」などとも呼ぶ。参照したウィキの「」によれば、『備中鍬は文化文政時代に普及』し、『平鍬と違い、湿り気のある土壌を掘削しても、金串状になっている歯の関係で歯の先に土がつきづらいのが利点』で、『粘土質の土壌や、棚田を耕すために使われ』、『また、馬や牛を所有することが出来ない小作農にもよく使われた』とある。

「性能」前に「鯛ならば小鯛とか黒鯛とかいう風に」とある以上、ここは――性能種類(種別)――とすべきところである。]

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