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2016/02/18

柳田國男「一目小僧その他」 附やぶちゃん注 一目小僧(十二)

      十二

 

 就ては此より右の一目の魚と云ふ小恠物の正體も、序にざつと調査して置きたいと思ふ。

 池の中の魚どもが、目の傷を洗つたと云ふ神佛にかぶれて、永遠に片目になつて了つたと云ふのは、いかにも奇恠なる取沙汰には相違無いが、是が亦よく聞く例である。斯う云ふ場合には社家社僧輩の舊記には、普通「其因緣をもつて」とか「此の如き謂れあれば也」とか書くのであるが、考へて見れば其は至つて不精密なる語で、神道佛法何れの教理から推論しても、そんな變妙なる傳染作用が起り得る餘地は無い。強ひて言へば昔の大事件を記憶せしめんが爲に、さう云ふ噂を遺して置いたとでも見られようか。兎に角空な話であるだけに、始めて是を言ひ出した人々の心持が、如何にも面白く且つ意味深く想はれる次第である。

 岡山縣勝田郡吉野村大字美野の白壁の池に、片目の鰻と云ふのが住んで居たことは、東作誌と云ふ地誌に出て居る。昔一人の片目男があつて、馬に茶臼を附けて池の側を通るとて、水中に墜ちて死んだ。その因緣で池の鰻の目は一つとなり、猶雨の降る日などは水の底に茶臼の音が聞えたと云ふ。但し是だけではどうして水に落ちたかと云ふ點が不明になつて居る。

[やぶちゃん注:「岡山縣勝田郡吉野村大字美野」現在の岡山県勝田(かつた)郡勝央町(しょうおうちょう)美野(みの)。

「白壁の池」地図上では同美野地区に複数の池を現認出来るものの、比定は出来なかった。

「東作誌」「とうさくし」。津山藩軍学師正木輝雄(まさきてるお ?~文政六(一八二四)年)が個人的に調査・著述・編集を行った、先行する森家津山藩の公的地誌「作陽誌」が扱わなかった美作国の東部六郡(東南条郡・東北条郡・勝南(しょうなん)郡・勝北(しょうぼく)郡(この二郡は後の明治三三(一九〇〇)年の郡制の施行で勝田郡となった)・英田(あいだ)郡・吉野郡)を対象とした地誌。ウィキの「東作誌」によれば、原型は文化一二(一八一五)年に出来たが、文政六(一八二三)年の死の直前まで編著を行っていたと推定される。正木の死後、『津山藩に献上されたが、複写・活用されることなく死蔵されてしまう』。嘉永四(一八五一)年、『江戸藩邸で儒官昌谷精渓(さかや せいけい)が死蔵されていた『東作誌』を発見。欠本散佚があったため修復して編集し直し、これが現在伝わる『東作誌』の元となっている』。『当時の津山藩は正木の活動に御内用として補助金を支給していたが、あくまで『東作誌』は正木の個人事業であり、費用の多くは自弁で公的許可もなかった。その為、正木は廻村時の他領調査を「潜行」と称している』とある。]

 江州伊香(いか)郡での古い言傳へに、昔郡内の某川に大きな穴が出來て川の水を吸込み、沿岸の農村悉く田の水の缺乏を患ひて居たとき、井上彈正なる者の娘、志願して其潭に飛び込み、蛇體となつて姿を隱すや、忽ち岸崩れて、其穴を埋め、水は豐かに田に流れ入るやうになつた云々。即ち弟橘媛の物語以來久しく行はるゝ、水の神に美しい牲を奉つたと云ふ話の部類ではあるが、猶此地では其娘が片目であつたと言ひ、其故に此川の鯉には今でも一尾だけは必ず一つしか目が無いと言うて居る。一尾だけと言はれては、全部捕り盡してみるまで證據が上らぬから、少しく始末が惡い。

[やぶちゃん注:「伊香郡」「いかぐん」と読む。滋賀県北端にあった旧郡で、現在の長浜市の一部(高月町(たかつきちょう)各町・木之本(きのもと)町各町・余呉(よご)町各町)に相当する。

「潭」全集版は『ふち』と訓じている。

「弟橘媛」老婆心乍ら、「おとたちばなひめ」と読み、記紀に出る日本武尊(やまとたてる)の妃。武尊東征の途中、相模海上(現在の浦賀水道附近)に於いて風波により船が行き悩んだ折り、海神の怒りを鎮めるため、自ら生贄となって入水した。

「牲」全集版は『生牲』となっており、『いけにえ』のルビを振る。こちらは一字であり、私は「にへ(にえ)」(神に供える捧げ物の意)と訓じておく。]

 越後中頸城郡靑柳村の星月宮、俗に萬年堂とも謂ふ社の池にも、片目の魚が居ると云ふ話がある。昔此池の主が艷かなる美女に化けて、月次の市へ買物に出た處を、此國安塚の城主に杢太と稱する武士あつて之を見染め、戀慕止み難くして其跡を追ひ、終に己も此池に入つて了つた。杢太は片目であつた故に、他の群魚今も猶片目であると云ふ。但し此分は誰か實驗して見た人でもあつたものか、越後國式内神社案内と云ふ書に此事を記して後片目では無くして一方の眼に曇りがあるのだと訂正して居るが、さうすると杢太の悲劇はとんと冱えぬものになつてしまふ。

[やぶちゃん注:「越後中頸城郡靑柳村」「靑柳」は「あをやなぎ(あおやなぎ)」と読むようである(後注参照)。現在の中頸城(なかくびき)郡清里(きよさと)村内。

「星月宮、俗に萬年堂とも謂ふ社の池」不詳。取り敢えず「ほしつきぐう」と訓じておく。この一つの候補として現在の上越市清里区青柳にある「坊の池」を池の候補に、現在その湖畔にある、近辺にあった青柳社や辨才天社などを合祀した「青柳(あおやなぎ)神社」をこの宮堂の末裔候補としておく。個人サイト「諸国神社めぐり」の「青柳神社(上越市清里区青柳〈きよさとくあおやなぎ〉)」をリンクしておく。それによれば、この池は古い溜め池であり、龍神伝説も残るとある。リンク先の写真を見ると、柳田が「社の池」と言うにはやや大きい感じはするが、湖畔にある「星のふるさと館」というのはこれ、如何にもこの「星月宮」に相応しい気はするのである。

「月次」「つきなみ」或いは「げつじ」と読む一般名詞(全集版は前者)。毎月。月例。

「安塚」「やすづか」と読む。新潟県南西に位置する旧東頸城郡安塚町(まち)。現在は上越市安塚区(地域自治区)。以下に「城主」とあるが、上杉謙信の生存時には三国街道の軍事的重要地として機能していたと参照したウィキの「安塚町」にある。この城とは恐らく山砦(さんさい)の謂いであろう。

「杢太」「もくた」と訓じておく(全集版も同)。

「越後國式内神社案内」藤原武重著天明二(一七八二)年刊で、「神道大系 神社編三十四」に所収する程度しか調べ得なかった。]

 大蛇が白羽の箭を立てゝ所謂人身御供(ひとみごくう)に美しい女を要求し、或は人の娘の所へ押掛け聟に遣つて來たなどゝ云ふ類の話は、殆ど古い池や沼の數だけく位あるやうだが、自分は必ずしも祭に人を殺した舊慣があつたと云ふ證據に、そんなものを援用せんとするのでは無い。たゞ祭の時神と人との仲に立つて意思の疏通を計つた特殊の神主が、農業に取つては一番利害關係の大なる水の神の祭に、比較的弘く且つ久しく用ゐられて居たらしいことゝ、飮食音樂以外の方法で神の御心を和げ申すと云ふ、今日の人には稍苦々しく感ぜられる思想が特にこの方面に永く殘つて居たらしいことゝは、先づ是で明かになつたやうに思ふので、此目的の爲に指定せられた男女の一目であつたことが只ではあるまいと思ひ、更に其話が魚の片目と若干の關係を有することを、意外な好材料と認めるのである。

[やぶちゃん注:「箭」「や」。

「飮食」「おんじき」と読みたい。]

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