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2016/02/05

柳田國男 蝸牛考 初版(24) 最終章 方言周圏論(全) / 「蝸牛考」~本文終了

 

       方言周圏論

 

 さて結論として改めて言ふべきことは無いが、餘りに複雜した私の論證であつた故に、今一應これまでの假定を要約して、豫め後の批評家の親切に報いて置きたいと思ふ。

 蝸牛はこの日本の島に、多分は日本人が渡つて來るよりも前から、住んで居た動物であつた。其遭遇の最初の時から、既に何かは知らず名があつた。今日知れて居るものゝ中ではミナといふ語が一番古いらしいから、假に我々は前の故郷に於て、斯ういふ動物をミナと呼ぶ慣習を持つて居たと想像して置くが、此想像は事によれば破れるかも知れぬ。さうすると少なくも蝸牛だけに於ては、語音の親を辿つて遠方の同族を探すことが出來ない。何となれば他は悉く此國に上陸してからの發生だからである。

[やぶちゃん注:「親」改訂版では『親近』。このままでも意味は通らぬこともないが、どうも「親近」の方が腑に落ち、初版の誤植ともとれるが、暫くママとする。]

 

 例へばナメクジを以て二種の蟲を併せ呼ばうとする風なども古いかも知れぬ。一旦蝸牛に別の名があつた場合に、それを廢罷して他の物の名を借用するといふことは、想像し難いことだからである。しかも此風は全國に弘く行渡り、又現在も相應に強い根をさして居る。どちらが本の主であつたかは容易に決し難いが、とにかくに其中の一方しか知らなかつた土地から、遣つて來た人があるのかとも考へられる。但しさういふ場合が假にあつたとしても、それはたゞ同時に二通りの名を知る者が、相隣して住んで居たことを意味する迄で、ナメクジ後改めてミナと爲すと、推斷することはどうしても出來ない。海に働き海の渚に住む人々は、現に蝸牛以外の多くのミナを知つて居て、追々に之を差別しようとして居たのである。或は相參酌してミナナメクジ、若しくはナメクジミナといふ名は作り得たかと思ふが、さういふ形はもう何處にも殘つて居らず、僅かにツブラの語が始まつてから後に、一二の是と複合したらしい痕跡を見るだけである。事によると是は異なる職業又は信仰を持つ者が、互ひに他方の用語を避けなければならなかつた結果かも知れぬが、さういふ事實を明らかにしようとするには、勿論尚幾つもの同種の例を見付けてかゝる必要がある。差當つては只この奇異の事實を注意して置くより他は無いのである。

 

 ミナと名けてよい貝は非常に多かつた。或はもと一切の貝類がミナであつた時代さへ想像せられるが、そのうちにカイと呼ばるゝものが先づ分れて、蜷即ち卷貝のみをミナといふ樣になつた。我々の生活交渉が特にその或一種に向つて深く進むと共に、次々に之を他のものと差別する必要が生じた。蝸牛は其中のシタダミといふ蜷の名に統括せられ、さらに他の普通のシタダミと區分する爲に、山シタダミなどの名を付せられたこともあつた。其新名がどれだけの地域に及んだかは、素より現在の分布によつて推察するわけに行かず、又今後の採集が更に資料を附加へるかも知れぬのであるが、一方にミナの單名も猶行はれて居るのであるから、この方言は大體に於て弘く展開せず、結局は多分純然たる地方語として終始したことゝ思はれる。

[やぶちゃん注:以前に「シタダミ」について柳田の仮説の可能性について私は反論を申し立てたが、この箇所の見解は、ほぼ諸手を挙げて私は賛同出来るものである。]

 

 之に反してその次に起つたツブラの方は、一旦は全土を席卷したこともあつたかと思ふ。人がこの物を話題とする場合が意外に多くなつて、先づその形狀について興味を感じた者が、これに付與するにツブラ亦はツグラの名を以てした。この形容は土器の以前の製法に親しむ者に、殊に適切なりと認められ、又その語音の新らしさを愛づる者が多くなつて、程無く國中の大部分に亙つて、シタダミ其他の何蜷を不用にしたのであつた。

[やぶちゃん注:「何蜷を」改訂版では『何蜷といふ名を』。]

 

 このツブラの優勢なる名望が、一朝にして覆へし得べきもので無かつたことは、今日も尚幾多の證跡を指示し得られる。しかも世上には既に日用以上の言語を、貯へて置かうとする氣風が現れて來た。時と目的に應じて少しでも自由に、用語の選擇をしようといふ希望が強くなつて居た。方言といふ言葉がもし同時に二つ以上の單語の併存することを意味するならば、それが明確に國民によつて意識せられたのは、恐らくは此時から後のことであらう。しかも其選擇には殆ど以前と同じ樣に、實際は可なり強烈なる偏頗と模倣とが働いて居た爲に其一つ以外の語は久しからずして忘却せられ、結果に於ては頻々たる地方語の、榮枯盛衰を見ることになつたのである。此意味から言ふと近世の俗語の大部分は、其成立ちが可なり以前のものと違つて居た。即ち最初は必ずしも舊語を改訂しようといふ迄の趣旨では無く、單に一異名として斯うも謂はれるといふ心持で、用ゐ始めたかも知れぬのであつた。しかも結局はその一つのみが大に行はれ、次第に他の多くを死語老語に押しやつた事實は同じである。

 

 世には方言のあまりにも區々なる變化を見て、驚き恠まうとする人が多いけれども、一たび此事實を知れば此方は寧ろさもあるべしとも言へる。それよりもこの各地思ひ思ひの、しかも豫定の計畫でも無かつた言葉遣ひが、永く是だけの端々の一致を保つて居た理由こそ、説明せられなければならなかつたのである。たとへば小兒の物を愛するの情が成長し、天然を觀察する力が精細になつて、假に私などの想像して居るやうに、蝸牛の卷き目を笠縫ひの手業に思ひ寄せ、新たに又一つのあどけない名を付與する者があつたとしても、若し單なる各自の趣向であつたならば、到底斯くまでの偶合は見ることが出來ぬ筈であり、又一旦は之を採用するにしても、それが若干の轉訛を經て後まで、保存せられて居るわけは無かつたのである。だから發生の機緣はどんなつまらぬ事であつたにせよ、必ず或期間それが略全國中の生眞面目なる人たちにも、一度は最も正しい日本語なりとして、公認せられて居た時代があつて、程無く又次に現れたものに、其地位を讓つたと解するの他は無いのである。近代の言語生活に於ては、小兒の發案などは通例は省みられず、殊に漢字が教育の唯一つの手段となつてからは、一種新式の「成年用語」の如きものが出來て、追々に彼等を疎隔することになつたが、此點にかけては前代人はより多くの「子供らしさ」を持つて居た。子供が大人となる境に、改めて採用しなければならぬ語は限られて居て、其他は在り來たりのものを踏襲することを便としたのであつた。始めてツブラがツブリと化し、乃至はカタツブリと呼ばるゝを耳にして、許し難く感じた人々の感覺は、恐らく中一代を隔てて容易に忘れられたことゝ思ふ。正しい正しく無いは要するに時代のものであつた。假に古今を一貫する正語なるものがありとしたら、ミナやツブラは消滅するはずもなく、加太豆布利とても亦今日の零落を見なかつたであらう。

[やぶちゃん注:「時代のものであつた」は改訂版では『一時代限りのものであつた』とある。改訂版の方がよい。]

 

 しかも新語の流傳に關しては、頗る著しい速度の差があつた。同じく日常の物の名の中にも、確かに生活の必要の上から、今一段の修正をしなければならぬもので、元のまゝに打棄てゝあるのもある。たとへば玉蜀黍は奧羽ではキビ、九州ではトウキビと謂ふ者がまだ多いが、それは中央部でいふ黍でもなく又唐黍でも無いのだから、全國交通の爲にはとくにも統一の必要があつたのを、今に雙方が知らずに居る有樣である。是とは反對にカタツムリやマイマイは、其前に既に共通のものがあつたと思はれるから、是は幾分か事を好んだ改訂であつた。然るにも拘らず、再び又國の端々にまで行き巡つたといふことは、全く單語の一つ一つが持つて生れた特別の力、運とも境遇とも名くべきものであつて、言語の一般の法則のみを以て、説明することの出來ぬ現象であつたやうに思ふ。蝸牛に就いては我々は幸ひにデエデエ蟲の如きことに適切なる例を知る故に、比較的容易に此推測を下し得るのであるが、他の多くの變化ある事物の名に於ても、恐らくは亦是と同樣に、今まで氣づかれなかつた個々の原因の、之を促したものがあるのであらう。後日幾會が有つたら考へて見たいと思ふ丁斑魚なども其一つで、是には確かに童歌の關係は無かつた。獨り動植物などの稱呼には限らず、動詞にも形容の詞にも、はた又今少しく込入つた物の言ひ方にも、人が頻りに變へたがり、實際また何度と無く變つて居たものと、一方には出來るだけ改めずに濟まさうとしたかと思はれるものと、二通りの區別が有るやうであつて、それが若し自分だけの空想で無いと決するならば、今後の方言調査は豫めその問題を限ることが出來て、或は思つたよりも簡單な仕事になるかも知れぬ。

[やぶちゃん注:「デエデエ蟲」改訂版は『デェデェ蟲』。

「丁斑魚」「めだか」と読む。条鰭綱新鰭亜綱棘鰭上目ダツ目アドリアニクチス亜目アドリアニクチス科メダカ亜科メダカ属スメグマモルフ系トウゴロイワシ亜系ミナミメダカOryzias latipes 及びキタノメダカ Oryzias sakaizumii の二種の総称。「丁斑」の意は不詳であるが、「斑」は背の暗褐色の筋や色素変異体に斑点が見られることに由来するかと思われ、「丁」には魚の頭部の骨の意があり、メダカの頭部が有意に大きいこと、或いは頭部が大きく、尾を長く引くことから「丁」の字に見立てたとも考えられる。以上は私の勝手な妄想であるので、くれぐれもご注意あれ。]

 

 少なくとも一切の地方用語を採錄してしまつた上で無ければ、方言の學問は前進し得ないかの如き心配は、私のこのたつた一つの蝸牛考からでも、取除くことが出來ると信ずる。今ある諸國の蝸牛の歌によつて、我々は先づ童兒の唱へごとが、國語を新たにする一つの力であることを知つた。今まで無視せられて居た大切なる社會的因子であることを發見した。さうして其力が、止む時も無く展開して居たことに心づいたのである。子供がこの小さな蜷蟲を指に持つて、いつ迄も其擧動を熟視して居ようとしたのは古いことであつた。その最も簡單な興味が童詞となり、澤山の思瓣を費すこと無くして、七つの音節をもつメエボロツボロとなり、あるいはヲバヲバとなり、ヂツトーバツトーとさへなつて、しかも周圍に若干の同志を得たことは新らしい例であつた。デエデエやデエロが必ずしも其最初のもので無かつたことは、二語が地域の拘束を受けて居るのを見ても、容易に想像し得られることである。蝸牛を大小の隔絶した笠などの卷き目と比べることは、成人には實は出來ぬことであつた。四つある小さな角を棒とか槍とか見立てることも、やはり子供で無くては六つかしい藝であるが、その二つのたとへを組合せて見ると、そこに面白い誰かのやうな姿が浮んで來る。殊に歌言葉となつて雨降る日毎にくり返されると、その適切なる印象が、靑年壯年から老年の者までをも支配して、自然に前から有る語を疎んぜしむるに足りたであらう。乃ち今日は既に變化してしまつた樣な、たわいも無い歌がもう恐らくは其頃からあつたので古い語なるが故に必ず面白き碩學たちが、衆議を以て決したものとも見るわけには行かぬのであつた。

[やぶちゃん注:「メエボロツボロ」改訂版では『メェボロツボロ』。

「ヂツトーバツトー」改訂版では『ヂットーバットー』。

「デエデエ」改訂版では『デェデェ』。

「デエロ」改訂版では『デェロ』。

「たわいも無い歌がもう恐らくは其頃からあつたので」改訂版では『たわいも無い歌が、もう恐らくはカサツブリ以前からあつたので』となっている。]

 

 歌詞の影響が新語の語形の上に著しいことは、別に幾つかの例を擧げなけれは、まだ一般の賛成を得難からうと思ふが、少なくともカサツブレなどの複合の早く起つたのは、外にこれを促すものがあつたからだらうとまでは言へる。中世は歌の句に五言の今よりも遙かに多く要求せられた時代であつた。それが七言の句の增加につれて、マイマイには殊に無數の複合形を生じたのだとも、考へられぬことは無いのである。マイマイがカサのたとへより後に現れたといふことは、實は記錄に見えないからといふ以上に、確かなる根據もまだ無いやうであるが、私に取つては此事實が一つの見所である上に、それが京都を中に置いて東西に分布し、しかもツブラに接し又カサよりは内側の層であるが故に、其支配の此等より次であつたことを推定するのである。其後更に「出え出え」の歌言葉に、特に心を引かれるやうな事情が起つて、是も亦多くの土地に於ては、過去の一つの形になつて行かうとしたけれども、新たなる都市が偶然に其支柱の役を勤めてくれた爲に、尚東方の一角に在つて、對立の勢ひを保つことが出來た。さうして其代償としてたゞ一個の複合形を以て、正統と認めなければならぬやうになつたらしいのである。興味ある一の問題は、時勢が假に中央文化の優越を承認せず、各地に依然たる小標準語を擁して、割據する者があつたらどうなつたかである。最近の子供唄は、蝸牛に貝を出よなどゝいふ無理な注文をせず、或はあの角を太鼓の撥と換えてやらうと謂つたり、又は二つの貝を向ひ合せて、勝負を爭はせようとしたりするものが多くなつた。その爲に加賀と北武藏と奧州の北端に、ツノダシといふ名稱も既に起り、ベコとか小牛とかいふ類の語も、そちこちに出來かゝつて居た。若しも調子の面白いよい文句が唱へ出されて居たならば、それが又新たに職業を成就したかも知れぬのであつたが、其折しも近頃の所謂匡正運動が漸く盛んになり、一方には又小學校の教科書に、デンデンムシムシカタツムリの歌などが、ほんの何心も無しに採り入れられた爲に、端無く爰に三國鼎立の如き形勢が定まつて、その他の地方語は古きと新しきとを問はず、誠に肩身の狹いものとなつてしまつた。今後の文藝が更にこの用語の窮屈を突き破つて、もう一度自由なる言葉作りの時代を現出する爲には、我々は稍長い間、考へ且つ待たなければならぬことになつた。是が最も要約せられたる日本の蝸牛の文化史である。

[やぶちゃん注:「是も亦多くの土地に於ては、過去の一つの形になつて行かうとしたけれども、新たなる都市が……」の箇所は改訂版では、『そのマイマイも亦多くの土地に於ては、過去の一つの形になつて行かうとしたけれども、新興の都市が……』となっている。

「三國鼎立」中国に於いて漢が滅んだ後、覇権を争った魏(初代皇帝/曹丕)・蜀(蜀漢:初代皇帝/劉備)・呉(初代皇帝/孫権)の三国が一時的に同盟友好関係を結んだことを指す。]

 

 自分がこの方言周圈論を奉じて居る態度は、他の今までの多くの信仰慣習に關する意見と同樣に、見る人によつては定めて心弱く又遠慮に過ぐとも評せられるかも知れぬ。併し今尚斯ういふ法則の存在を認めない人々を強ひて説き伏せようとすることは、日本では誠にえらい事業である。私は若しそんな力が殘つて居るならば、寧ろ之を轉用して今少し弘く材料を集めて置く方がよいと思つて居る。實際あまり久しくこの問題に携はつて居ると、日當りで働いて居た者が家の中に入つたやうに、果してもう此位で證據は十分なのか、又どの點に於て證明が足らぬのかが、自分でははつきりとわからない。だからどうしても一度は稍冷淡な人々の、批評を乞はなけれは濟まぬのである。其上に我邦の方言採集は、今でもまだ國の三分の一以上には及んで居らず、國家又は地方團體が、自ら必要を認めて手を下すのは是からである。故に今までの資料ばかりで十分であらうがはた無からうが、兎に角に今後尚無數の採集と新事實とが、追加せられることだけは疑ひが無い。さうして私はその將來の自然の裁判が必ず蝸牛考の著者に有利なるべきを期待する者である。たゞ最終に一つ、辯護しておく必要のあることは、國の一隅のみに孤立して、尚幾つかの異例の存するものが、至つて古きものゝ破片であるか、又は甚だ新しいものゝ苗にして秀でざるものか、比較が不可能であつてまだ決し得なかつたといふ不幸である。是がこの兩端の想像の何れに屬するかによつて、私の假定も亦若干の變更を加へらるべきであつたが、現在の事情に於ては是を全く無かつたものと同一視して、一旦の意見を述べて置くの他は無かつたのである。弱點は或はこの側面から暴露するかも知れぬ。例へば日向の宮崎市附近のジュンゴロは、果して秋田縣北部のチンケ若くはツンケマゴシロ、或は加賀國の田舍に在るチチマタや、尾張知多郡のマシジロなどと、何等の脈絡が無かつたものかどうか。北陸道各地のカエツブレ、若くはカエカエツモルの類は、羽後田澤湖畔にあるといふケエブロ、又は豐後竹田附近のイエカエルやイエカル(家負ひ)と、單に偶然に併發した新語であつたか。但しは又蝸牛をカヒといふ風が可なり古くからあつた名殘であるか。斯ういふ幾つかの特殊の例に對しては、わざとまだ自分の推測を掲げて置かうとしなかつた。さうして是をも將來の學問の、愉快なる目標の中に算へて居るのである。蝸牛の問題は甚だ小さいけれども、私はまだまだ今日の學問だけでは、完全に解決し得るものでないと思つて居る。

[やぶちゃん注:以下は底本では一行空けで六字下げのポイント落ちである。]

 

ちやうど今から三年前の人類學雜誌に、四ケ月に亙つて連載した論文を、殆ど全部に亙つて書き改めて見た。兩方の意見に差がある點は、即ち後の資料によつて改訂したものである。   昭和五年四月

 

[やぶちゃん注:以上で「蝸牛考」本文は終り、以下、「蝸牛異名索引」となる。]

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