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2016/02/17

柳田國男「一目小僧その他」 附やぶちゃん注 一目小僧(十)

     十

 

 神樣が何々の植物をお嫌ひなさると云ふ類の言傳へは、多くは忌(いみ)と云ふ語の意味の取違えに基くものと思はれる。神聖な祭の式に與る人々は、一定の期間喪を訪ひ病を問ふ等の不吉な用向は勿論、世間普通の交際にも携はつてはならぬ。或村に於ては此れが爲に一切の外來者を謝絶し、又或社では妻子眷屬までも遠けて所謂別火と云ふをする。是は今日でも物忌と稱へて通用して居る。其と同じ理由で、祭の爲に用いられる靈地は注連を張り或は齋垣(いがき)を繞らして、平日でも人の之を常務に使ふことを禁じ、又祭の供物や用具の類は、特に神物であることを表示して他の品との混同を戒める。其規則をも亦忌と名づけて居たことは、今では忘れて了つた人が多い。

[やぶちゃん注:「訪ひ」「とぶらひ(とぶらい)」で、ここは「弔う」「追善する」の謂い。

「別火」通常は「べつくわ(べっか)」と読む。古代民俗社会に於いては「けがれ」は特に日常に欠かせぬ「火」を介在として「感染するもの」と考えられていたため、神聖な神事を行うための「非日常」たる「はれ」の時空間(祭りの前から後まで)に「けがれ」が侵入感染することを防禦するために、あらゆる場面に於いて「日常」の「けがれた火」を避ける。そのために用いる火は総て新たに「火鑽(ひき)り」によって「清浄なる火」を起こし、「けがれた日常の火」とは「別」の「火」を用いることが厳格に行われる(死穢(しえ)などによって当事者が「けがれている」場合も逆の意味で同様の行為で「けがれた自己」側から外部を守ることは言うまでもない)。私の『小泉八雲 落合貞三郎訳 「知られぬ日本の面影」 第十一章 杵築のことゞも (六)』も是非、参照されたい。]

 忘れる位であるから忌の制裁は甚だしく弛んで居る。併し僅々八十年か百年の前に戻つて考へて見ても、所謂宵宮(よみや)の晩の嚴重さ加減は中々一通りでは無かつた。況や其又昔の世に、由緒有つて神の祭の最も緊要なる部分に用ゐられ來つた草なり木なりが、至つて重い忌の一つに算へられて居たとしても、ちつとも不思議は無いのである。

[やぶちゃん注:「宵宮」「よいみや」とも読む。宵宮祭(よいみやまつり)のことで「夜宮(よみや)」或いは「よど」等とも呼ぶ。一般には祭りの前日に行われる神事祭典或いは普通に公開され人々の参集する前夜祭をかく言うが、現在でも「よみや」と呼称する場合、地方によってはここで柳田が謂うところの、翌日の本祭前夜という特別に神聖な時空間に於ける「忌み籠り」をごく限定的に示すケースも残っている。恐らく古いある時期から神は祭りの前夜に来臨すると信じられるようになったからである。

「緊要」「きんえう(きんよう)」は非常に重要なこと。差し迫って必要なこと。]

 然るに漢字の忌と云ふ語が、日本のイミと云ふ語に、ぴたりと合つて居らぬ爲でもあらうが、忌むと謂へば避ける嫌ふと云ふのと似た意味に取られ、何か緣起の惡い物ででもあるかの如く言ふやうにもなつたが、其は明らかに本の趣意では無い。神樣の方から見れば、忌は即ち獨占である。あまりに有難くあまりに淨いから、只の人の用には使はせぬのである。忌を犯せば犯した人に罰が當るのを、始から有害であるから障らぬものゝやうに考へ出した。其からして神もお嫌ひだと云ふ想像が起り、終に御怪我などと云ふ説明が捻出せらるゝに至つたのである。

[やぶちゃん注:「漢字の忌と云ふ語が、日本のイミと云ふ語に、ぴたりと合つて居らぬ」漢語としての「忌」(解字は「己」が糸筋を整える糸巻きの象形で元は「かしこまる」の意)は動詞としては「憎む」・「妬む」・「恐れる/畏れる」・「憚り嫌う/忌避する」・「避けて行わない/禁ずる」・「畏れ敬う」・「戒める/制限する」・「怨む」で、名詞では「おそれ避けること/行ってはならないこと」・「陰陽道で方位日時などに於いて凶とされて避けるべきこととするもの」・「祖霊の命日」・「戒め/制限/禁制」の意で、以上は大修館書店「廣漢和辭典」を参考にしつつ纏めたものであるが、同辞典には国訓としては『き。親族の死後、一定の期間、心身を慎むこと、また、その期間「忌中」』としかない。即ち、死穢の禁忌による物忌み・忌籠りのみの意を掲げるだけで、正直これは、柳田國男ならずとも「一寸待てぃ?!」と突っ込みたくなる代物である。]

 此類の祭式に或一種の植物のみが限つて用ゐられるのは常の事である。御一物(おひとつもの)と名づけて戸童が手に持ち又は腰に挿すものは、屢々笹薄又は葦であつた。又眼を突くと云ふ風習と何かの關係が有らうと想はれる初春の歩射(ぶしや)の神事に、的を射た矢は梅桃柳桑などの枝を用ゐた社が多く、又葦の莖で作るを例として居たものもあつた。必ず一種の植物と定めてあつた所を見ると、其初に當つては深い理由のあつたことゝ思ふが、遺憾なことには、何れも不明に歸して居るのである。

[やぶちゃん注:「御一物(おひとつもの)」「よりまし」(尸童)の唯一佩く或いは所持する「物」の謂いでるが、実はこれは同時に「よりまし」そのものをも指す語である。現在でも「一物(ひとつもの)」と称し、神社の祭幸の行列の中心に特に粉飾を凝らして美しく装わせ、馬などに乗せた童子を配するが、これは明らかに「よしまし」そのものを指している(この例は東京堂出版の柳田國男監修「民俗学辞典」に拠る)。

「歩射」確かにこうも書くが寧ろここでは当て字である「奉射」(ぶしゃ)の方が分かりが良い。これは言わずもがなであるが、徒歩立ちの弓射なんぞの謂いではなく、魔を祓って豊作を祈るなどの神事祈禱のために、潔斎した射手(本来は神社の神主や神官)が社頭で梓弓で大的を射抜き、その射抜かれた状態を読んでその土地の一年の豊作を占った、正月の予祝行事である御弓(おゆみ)神事を指す。後には武芸奉納へと変化した。御弓始め・御奉射(おびしゃ)・御結(みけつ)・弓祈禱(ゆみぎとう)・蟇目(ひきめ)神事などとも呼ぶ。「騎射」(流鏑馬(やぶさめ)神事)の対語。

「的を射た矢は梅桃柳桑などの枝を用ゐた」老婆心乍ら言い添えておくと、通常の和弓の矢の「箆(の)」(主要本体の棒の部分)は竹製である。]

 但し是等の社に於て、假に氏子が柳なり桑なりを栽ゑぬ風習が有つたとしても、恐らくは神も御嫌ひと云ふ説は起り得ないと思ふ。現に或二三の神社では御神體を刻んである材が桑である爲に、桑樹を栽ゑぬと云ふものがある。此なども固より同じ忌であるが、間違ひの種が無いので單に恐多いからと云ふ風に説明して居る。山城伏見の三栖(みす)神社などは、昔大水で御香宮(ごゝうのみや)の神輿が流れた時、此神之を拾はうとして葦で目を突かれたと傳へて居る。しかも其理由を以て今も十月十二日の御出祭(おいでまつり)の夜は、葦を以て大小二本の大松明を作つて、御出の路を照すのを慣例として居る。神御自身の用には全く忌まなかつた明白なる一證である。

[やぶちゃん注:本文中で三栖神社の御出祭を底本では「十二月十二日」としているがこれは誤りで、全集版でも『十二月十二日』となっており、これ、恐らくは基礎底本以降ずっとの誤記か誤植と思われる。そもそもが本書の後に出る「人丸大明神」の中にここと全く同じ内容を述べている箇所で、三栖神社の『十月十二日の御出祭』と柳田國男自身が正しく記しているからである。現行でもこの祭りは十二月ではなく十月に行われている(後注参照)。特異的に本文を訂した。

「三栖(みす)神社」実は現在はこの神社は二ヶ所ある。個人ブログ「京都を感じる日々★古今往来Part1・・・京都非観光名所案内」の『「炬火祭」前の金井戸神社(三栖神社御旅所)』に以下のようにある。『伏見には、三栖神社と呼ばれる神社は』二つあり、『一つは伏見区横大路下城ノ前町にある本社です。もう一つはそこから東、京阪電車の「中書島」近くにある伏見区三栖向町の金井戸神社で、こちらは三栖神社の御旅所になります。三栖神社は、創建等が不明な旧村社ですが、江戸時代の元禄時代から「炬火祭」を行い、三栖一帯の産土社として祀られてきました』。後者の『神社も扁額に三栖神社と記されているように、通称「三栖神社」と呼ばれています。近年、中書島をはじめ周辺の発展により氏子地域が広がったために本社から分離して、南の桃山町金井戸島にちなんで金井戸神社と改名したということです』とある。調べたところ、現在の祭神は天武天皇の他、伊弉諾尊(いさなきのみこと)・応仁天皇である。この「炬火祭」(きょかさい/たいまつまつり)の謂われは、壬申の乱の際に大海人皇子が近江朝廷との決戦に向かう途中でこの三栖の地を通りかかった際、土民らが松明(たいまつ)を灯し、暗夜を照らして歓迎したことに由来するとされている。一時途絶えていたが一九八九年に復活している。現行では例えば昨年二〇一五年の場合は十月十一日(日曜日)に神幸祭(炬火巡行)で始まり十月十八日(日曜日)に還幸祭が行われている。私はここに行ったこともないが、この松明! 恐ろしくでかい! 先に引用させて戴いた方の画像入りの三栖の炬火祭をご覧あれ! それによれば(アラビア数字を漢数字に代え、記号の一部を変更させて戴いた)、『炬火(たいまつ)作りは、祭の一年前に宇治川の河川敷で葦(ヨシ)を六、七千本刈り取って保存することから始まります。これらは点火部分に使うもので、一年の間、寝かして置くことで穂先が開いていくということです。祭の一ヶ月前には、芯の部分となる葦(ヨシ)を刈って炬火(たいまつ)の芯作りが行われます。さらに化粧葦を編み込む等の数回の行程を経て、直径一・二メートル、長さ五メートル、重さ一トンにもなる巨大な大炬火(おおたいまつ)と手炬火(てだいまつ)が完成します』とある。今もちゃんと「葦」が使われているのである。

「御香宮(ごゝうのみや)」現在の京都府京都市伏見区御香宮門前町にある御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ/ごこうぐうじんじゃ)で伏見地区の産土神。主祭神は神功皇后。先の三栖向町の方の三栖(金井戸)神社は西南に一・三七キロメートルである(本社の横大路下城ノ前町の三栖神社は西南西一・九キロメートル)。因みに、ここで柳田が言っているここの神が御香宮の神輿を拾おうとしたのは宇治川と思われる。現在の宇治川は御香宮神社からは南へ八百メートル強、三栖(金井戸)神社は南に四百五十メートル(しかも支流(運河?)が西直近を流れる)、本社三栖神社からは南へ七百五十メートルである。]

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