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2016/02/25

生物學講話 丘淺次郎 第十八章 教育(2) 三 獸類の教育

 

    三 獸類の教育

 

 智力を標準として論ずると、獸類の中には非常に程度の異なつたものがあつて、或るものは遙に鳥類に優つて居るが他のものは到底鳥類に及ばぬ。隨つて教育の行はれる程度にも著しい相違があり、「かものはし」や「カンガルー」などが如何程まで子を教育するかは頗る疑はしいが、食肉類・猿類の如き高等の獸類になると、子の教育に力を注ぐことは決して鳥類に劣つては居ない。獸類の普通の運動法である歩行は、鳥類の飛翔に比べると遙に容易で、親が特に世話を燒かずとも、子の發育の進むに隨つて自然に出來るやうになるから、わざわざ教育する必要のある事項が鳥よりは一つ少いことになる。その代り或る獸類では大腦の發達が非常に進んで居るために、所謂智的方面の練習を要することは鳥類よりは一層多くなる傾が見える。

Toranokyouiku

[虎の教育

虎は猫と同じく幼兒を長く養ひこれに餌を捕へ殺す法を教へ子が十分に自活し得るまでに進んだ頃初めてこれを放ち去らしめる]

[やぶちゃん注:以上の図は底本の国立国会図書館国立国会図書館デジタルコレクションの画像からトリミングし、補正を加えたものである。]

 

 子持ちの牝猫が鼠を捕へた場合に、如何なることをするかを注意して見るに、決して直に殺して食つてしまふ如きことはせず、まづ鼠を輕く傷けてこれを放し、その逃げて行く所を小猫に捕へさせる。これは即ち鼠を捕へる下稽古で、度々かやうなことをして居る間に鼠を見れば必ずこれを追ひ掛けずには居られぬやうになり、また追ひ掛ければ大概これを捕へ得るまでに熟達する。飼猫でも常にかやうな方法で子を教へるが野生の食肉獸になると、更にこれよりも念を入れて我が子に渡世の途を仕込む。狐などは幼兒が生れて二十日過ぎになると、已に鳥類を殺す稽古を始めさせ、少しく大きくなると、夜出歩くときに一所に連れ廻り、餌を取ることを手傳はせ、次第次第に自分の餌だけは獨力で取れるやうに仕込み、しかる後に手放してやる。獅子などはかくして教育し終るのに約一年半もかかる。その間に初は親は子に見物させ、次に子を助けて實習させ、後にはたゞ監督するだけで全く子に委せ、少しづつ骨の折れる仕事に慣れさす具合は、前に鳥類に就いて述べた所とはほゞ同樣である。虎の食ひ殘した牛の骨などを見るに急處には親虎の大きな牙の跡があり、間の處には子虎の小さい牙の跡が澤山にあるのは、虎も猫と同じく子に肉を引き裂いて食ふ稽古をさせるからであらう。

Sarusakumotunusumu

[猿が作物を盜むところ]

[やぶちゃん注:以上の図は底本の国立国会図書館国立国会図書館デジタルコレクションの画像からトリミングし、補正を加えたものである。この挿絵は学術文庫版にはない。]

 

 猿の類も多くは子を教育する。昔から猿の人眞似というて猿程何でもよく眞似をするものはないが、兒猿にこの性質があれば教育は自然に出來る。動物園などで見てゐても、母猿は殆ど世話を燒き過ぎると思はれる程に絶えず熱心に兒猿に注意し、危險を恐れて瞬時も側から離さず、もし兒猿が客氣に委せて遠方へでも走り行けば、直に追ひ附いて捕へ歸り打擲して懲らしめる。かく絶えず親の傍に置かれるから兒猿は何でも親のすることを見てこれを眞似する。親が果物の皮を剝いて食はせてくれゝば、自分で食ふときにも必ず皮を剝き、親が箱の蓋を明けて人參を盜めば、子も同じく箱の蓋を明けて人參を盜む。また團體を造つて生活する種類ならば種々の相圖を覺え、一々これを聞き分けて同僚の仕事と衝突せぬやうに注意する。かくして猿の生活に必要な仕事をすベて眞似し覺え、熟練して終に一疋前の猿となるがこれ皆教育の結果である。

[やぶちゃん注:「客氣」は「かくき(かっき)」或いは「きやくき(きゃっき)」で、老婆心乍ら、物事にはやる心、血気であって、動物園の観客にのぼせての謂いではないのでご注意あれ。

「一疋前」丘先生、気配り、御見事!]

 

 獸類の幼兒は、犬や猫の例でも知れる通り、頗る活潑に戲れ廻るものであるが、遊戲も教育の一部である。獸類の兒は如何なることをして遊ぶかといふに、無論種類によつて違ひ、猿ならば木に登つて遊び「をつとせい」ならば水に泳いで遊ぶが、廣く集めて分類して見ると、主として追ふこと、逃げること、捕へること、防ぐことなどであつて、いづれも生長の後には眞劍に行はねばならぬことのみである。中には戲に交尾の眞似までするが、これも生長の後には眞劍に行はねばならぬ。されば遊戲なるものは單に元氣のあり餘るまゝに身體を活動させて、時間を浪費して居るのではなく、生長の後に必要な働を豫め練習して居るのである。そして父親がこれに加はることは決してなく、母親はときどき仲間に入つて共に戲れることもあれば、また側に靜止して横著な媬姆の如くに横目で監督して居ることもある。とにかく親が保護しながら、かゝる有益な練習をさせるのであるから、これは立派に教育と名づくべきものであらう。

[やぶちゃん注:「媬姆」保母のこと。中文サイトに出るので国字ではない。学術文庫版では『保母』と替えられている。]

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