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2016/02/13

柳田國男「蝸牛考」昭和一八(一九四三)年創元社版「改訂版の序」 「蝸牛考」電子化注完遂!


柳田國男「蝸牛考」昭和一八(一九四三)年創元社版「改訂版の序」

 

[やぶちゃん注:以下は、一九九〇年ちくま文庫刊「柳田國男全集19」を底本としたので、今までの『初版「蝸牛考」』とは異なり、新字体現代仮名遣となる。底本は全集編者によって一部の漢字に読みが附されてあるが、それのどれが原本のものであり、どれが新たに編者が附したものかは判別がつかない(改訂版原本は私は所持しない)。

 「初版序」と比較されたい。柳田の学会への倦厭感及び時代を反映した陰鬱たる気分が殊更に際立っていることが判る。また、先に電子化した柳田國男「蝸牛考」昭和一八(一九四三)年創元社版「蝸牛異名分布表」の冒頭注で引用した底本巻末の真田伸治氏の解説も是非合わせてお読み戴きたい。

 一つだけ注しておくと、「仏蘭西方言図巻」というのは、スイス生れのフランスの言語地理学の創始者である言語学者ジュール・ルイス・ジリエロン(Jules Louis Gilliéron 一八五四年~一九二六年)が、助手エドモン・エドモン(Edmond Edmont)を調査者として六百三十九地点を調査した結果を纏めた Atlas linguistique de la France(「フランス言語地図」。一九〇二年から一九一〇年にかけて刊行)のことであろう。ウィキジュール・ジリエロンによれば、『ジリエロンの研究は「のこぎり」「ミツバチ」などを意味する語の分布という一見きわめて些細な問題を取り扱っているように見えるが、そこから大きな問題を引き出した。ジリエロンによれば語の多様性は青年文法学派の言う例外のない音変化では説明できず、語形の摩滅による同音異義語を避けようとする話者の意図的な言い換えが原因であるとした。また他の語の混交や民間語源の作用に大きな価値を認めた。「語にはそれぞれ歴史がある」(Chaque mot a son histoire)は、言語地理学の立場を代表する言葉となった』とある。

 

 

 

  改訂版の序

 

『方言覚書』を、一冊の本にした機会に、しばらく絶版になっていた「蝸牛考(かぎゅうこう)」を、今一度世に問うてみようという気になった。説明が拙(つた)なかったと思う個所に少しく手を入れ、また附表の地図をやめて、やや排列(はいれつ)の形式を変えてみた。そのために意外に時日がかかったが、もうこれでよろしいとまでは言うことができない。あるいは幾分か前よりは判(わか)りやすくなっていると思うがどんなものであろうか。本の内容とともに、新たなる読者の腹蔵なき批判を受けてみたい。

 国語の改良は古今ともに、まず文化の中心において起るのが普通である。ゆえにそこではすでに変化し、または次に生れている単語なり物の言い方なりが、遠い村里にはまだ波及せず、久しく元のままでいる場合はいくらでもあり得る。その同じ過程が何回となく繰り返されて行くうちには、自然にその周辺には距離に応じて、段々の輪のようなものができるだろうということは、いたって尋常の推理であり、また眼の前の現実にも合していて、発見などというほどの物々しい法則でも何んでもない。私は単に方言という顕著なる文化現象が、だいたいにこれで説明し得られるということを、注意してみたに過ぎぬのである。この国語変化の傾向は、わが邦(くに)においては最も単純で、これを攪(か)き乱すような力は昔から少なかったように思う。たとえば異民族の影響が特に一隅に強く働くとか、または居住民の系統が別であったために、同化を拒んだり妥協を要求したりするという、『仏蘭西(フランス)方言図巻』の上で説かれているような原因というものは、探し出そうとしてみても、そう多くは見つからないのである。しかるにもかかわらず、ある若干のもの、とりわけても蝸牛の単語のごときは、この附表に載せただけでもすでに三百種、種類を分けてみると六つ七つの異なるものがあり、地方によってはそれがまた入り交って、時としては部落ごとにというほどもちがっている。一方には『古事記』や『万葉集』の編纂(へんさん)よりも前から、今に至るまで一貫して同じ語を用いている例もたくさんあるのに、これはまた何とした錯雑であろうか。考えてみずにはおられぬ問題であった。単語や表出法のある特定のものだけに、他と比(くら)べてことに急激に変化し、かつその流伝と模倣とを促すような性質が具(そな)わっていたものであろうか。ただしはまたそれを迅速ならしめるような外側の事情が、偶然に来たってこれに附随することになったものであろうか。こういう特別の事情に至っては、むしろここにいうところの周圏説(しゅうけんせつ)ばかりでは、解説しあたわざるものであった。方言すなわち一つの国語の地方差が、どうして発生したかを知った上でないと、国語の統一は企てがたいものであるのみならず、かりに一度は無理に統一してみても、やがてまた再び区々(まちまち)になることを、防止する望みも持つことができない。そうして方言の成立ちを明らかにしようというには、こんなやや珍らしきに過ぎた一つの実例でも、これをただ不思議がるばかりで打ち棄(す)てておくというわけには行かぬのである。それゆえに自分は、国語に影響したと思う数多(あまた)の社会事情の中から、まず児童の今までの言葉を変えて行こうとする力と、国語に対する歌謡・唱辞の要求と、この二つだけを抽(ぬ)き出して考えてみようとしたのである。言葉は年数よりも使用度のはげしさによって早く古び、そのまた新らしい方の言葉の好ましさというものは、利用者の昂奮(こうふん)心理とも名づくべきものによって、一段と強く鋭どくなるのではないかということを、問題にしてみようとしたのである。児童と民間文芸と、この二つのものに対する概念が、わが邦ではどうやら少しばかりまちがっていた。それを考え直してもらいたいという気持もあって、ちょうどこういう頃合(ころあ)いの話題が見つかったのを幸いに、私は力を入れてこの蝸牛(かたつむり)の方言を説いてみようとしただけである。いわゆる方言周圏説のためにこの書を出したもののごとくいった人のあることは聴いているが、それは身を入れて『蝸牛考』を読んでくれなかった連中の早合点である。なるほど本文の中には周圏説というものを引合いに出してはいるが、今頃あのようなありふれた法則を、わざわざ証明しなければならぬ必要などがどこにあろうか。

 それよりもさらに心得がたいことは、この周圏説と対立して、別に一つの方言区域説なるものがあるかのごとき想像の、いつまでも続いていることである。方言はその文字の示す通り、元来が使用区域の限られている言葉ということなのである。区域を認めない方言研究者などは、一人だってあろうはずがない。ただその区域が数多くの言葉に共通だということが、一部の人によって主張せられ、他の部分の者が信じていないだけである。今からざっと四十年前、まだ方言の実査の進んでいなかった時代に、中部日本のある川筋を堺(さかい)にして、東と西とでは概括的な方言のちがいがあると、言い出した人たちが大分あった。これがもしその通りなら大きなことで、あるいは方言以上、もとは相似たる二つの言語というような結論にもなりかねぬのであったが、その推定を支持するような資料は、今になっても格別増加しておらぬのみか、むしろ反対の証拠ばかり現われている。動詞打消しのユカヌ・イワヌを、イワナイ等の形容詞風に改めてみたり、命令形に添附するヨをロに変えたり、さては観音・喧嘩等をカンノン・ケンカと発音したりするのは、それぞれに一つの好みまたは癖であって、従ってしばしば一地方に偏してはおろうが、東にも元の形は併存しているばかりか、西にもその変え改めた形のものが、毎度のように拾い出されている。甲乙丙丁幾つかの言葉の、一つが変っておればその他もこれに伴のうて、必然に改まって来るということは、絶無とまではまだ言い切るだけの根拠はないが、そうなる原因もわからず他に類例もない以上は、まず当てにはならぬと見る方が当っている。とにかくにそうなって来てもよい理由が、現在はまだちっとでも説明せられず、しかもまた事実もその通りではないのである。どうしてこのような想像説が、いつまでも消えずにあるのかすらも我々には不審なのである。これと方言周圏論とを相対立するものと見るというような、大雑把(おおざっぱ)な考え方が行われている限りは、方言の知識は「学」になる見込みはない。きっとそうだという事実も立証せられず、またそうなって来た経過も追究せられていないのに、それでも一つの学説かと思うなどということは、おおよそ「学」というものを粗末にした話であった。今や国語の偉大なる変遷期に際会しつつ、果してその変遷には法則があるのか、もしくはただ行き当りばったりに、乱れて崩れてこうなってしまったのか、どちらであるかということさえ、まだ学界の問題になっていない。それが私などの考えているように、個々の小さな表現の生老病死、一つ一つの言葉の運命とも名づくべきものを、尋ね究めて比較し綜合してみることによってのみ、かろうじて近より得る論点であるということを、学者に認めてもらうだけでも、また大分の年月がかかることであろう。争ってみたところでしかたのないことはよく知っているが、さりとてただ茫然(ぼうぜん)と時の来るのを待っているわけにも行かない。旧版の『蝸牛考』が久しく影を隠して、いよいよいい加減な風評ばかりが伝わっている折から、少しでも判りやすく文章のそちこちを書き直して、今度はもう一ぺん専門家以外の人の中から、新らしい読者を得たいと念ずるようになったのも、言わば近年の味気ないいろいろの経験がそうさせたのである。しかも一方において、国語が国民の生活そのものであり、人に頼んで考えてもらってよいような、気楽な問題ではないということが、このごろのように痛切に感じられる時代も稀(まれ)である。今まで我々が考えずに過ぎたのは、一つには刺戟が鈍かったためということもあろう。それには少なくとも『蝸牛考』などは、一つの新らしくまた奇抜なる話題を提供しているのである。最初から単なる物好きの書ではなかったのである。

             柳 田 國 男






これを以って昨年の2月に開始した柳田國男『蝸牛考」初版電子化注の予定していた全作業を終了した。

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