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2016/03/21

進化論講話 丘淺次郎 藪野直史附注 第三章 人の飼養する動植物の變異(5) 四 植物の變種

     四 植物の變種

Kikuhensyu

[菊の變種]

Dariahensyu

[ダリヤの變種]

[やぶちゃん注:以上の二図は底本の国立国会図書館国立国会図書館デジタルコレクションの画像からトリミングし、補正を加えたものである。]

 

 次に植物は如何と考へるに、植物の方も全くその通りで、麥でも大根でも瓜でも林檎でも、凡そ我々の培養する草木には一種として多少違つた形を含まぬものはない。まだ農業の進歩しない半開國では、麥でも大根でも各々一種よりないが、農業のよく開けた文明國では同じ麥、同じ大根といふ中にも種類があること、恰も鳩や鷄と同樣である。今二三の例を擧げて見るに、大根にも細根といふて極めて細長いものがあり、宮重(みやしげ)・練馬(ねりま)などの如き太いものがあり、かの有名な櫻島の大根は太く圓くて、周圍が二尺以上にもなる。斯く大きなものがあると思ふと、また二十日大根といふ種類には、深紅色で金柑程な奇麗なものがある。通常西洋料理で生(なま)で附けるのは之である。西洋にはラヂヌワール即ち黑大根といつて、黑色を帶びたものまである。人參でも大阪邊のは金時人參といつて眞の紅色で先まで太いが、東京邊の人參は殆ど黃色で、長い圓錐形である。西洋では瓜の種類、林檎の種類、梨の種類、苺の種類などは、實に驚くべきほど澤山あるが、我が國ではまだその程度まで培養法が發達して居ないから、八百屋の店を見ても大抵林檎も一種梨も一種よりない。蜜柑などには雲州・紀州など多少著しく相違したものがあるが、併し最も變化の多い植物といへば、我が國では先づ植木屋の作る草花の類で、その中でも特に菊の類、朝顏の類等であらう。園藝の書物を開いて見ると、菊の變種は實に夥しいもので、五厘銅貨位の小菊から直徑七八寸の大輪まで色も白・黃・赤の間ならば、殆ど望み通りにあつて、瓣の細いもの、廣いもの、下ヘ反(そ)るもの、上へ卷くもの、兩面同色のもの、上下色を異にするものなど、到底枚擧することは出來ぬ程であるが、之に各々「龍田川」とか「蜀江の錦」とかいふ美しい名が附けて區別してある。また朝顏の方は花の色や形のみならず、葉の割れ方、縮み具合などまで、變化の多いこと誠に驚くべき程で、普通の白・赤・靑等の外に、小豆色もあり、黃色もあり、緣だけ白いのもあり、五瓣に分れたもの、五瓣が悉く細くて殆ど朝顏とは見えぬもの、また一方では八重咲の牡丹に似たものなど、之も到底その種類を數へ擧げることは出來ぬ。當時盛に流行して居るダーリヤの如きも、今では菊や朝顏に劣らぬ程に多くの變種がある。

[やぶちゃん注:「大根」アブラナ目アブラナ科ダイコン属ダイコン Raphanus sativus var. longipinnatus。一九八〇年の文献では日本全国で百十品種が記録されているとウィキの「ダイコンにある。詳しくはリンク先を参照されたい。

「宮重(みやしげ)」宮重大根は愛知県清須市特産の尾張大根の品種。ウィキの「宮重大根」によれば、『旧西春日井郡春日村宮重が発祥とされ』、『尾張大根を代表する品種であり、また全国的にも知られる主要品種であるという』。『青首大根の一種であり、京野菜の聖護院大根はここから発祥したものとされる』。『また、青首大根の多くは、この品種の系統に属するともされる』。『生産地である各集落名がつけられた系統として、五日市場・氏永・明治・蜂須賀・小日比野・西成・下津・九日市場などが存在し、それぞれ生食・切り干し・漬物と適する用途が異なるとされる』。『生産地ではおやつ代わりに、青首の部分を輪切りにし、皮をむき、生で塩をつけて食べる習慣があるくらい、首の部分の強い甘さが特徴である』。『第二次世界大戦後、病気による打撃や嗜好の変化による消費量の減少により、生産されなくなった』が、『平成時代に入り、「宮重大根純種子保存会」により復活している』とある。

「練馬(ねりま)」ウィキの「練馬大根」によれば、練馬大根は『東京の練馬地方で作り始めた大根をいい、練馬区の特産品にもなっている。この地域の土壌が関東ローム層であり、栽培に適していた』。『白首大根系の品種』。重さは通常で一~二キログラム前後、長さは約七〇~一メートルほどにもなる。『首と下部は細く、中央部が太』く、『辛味が強い』。『沢庵漬けに適している「尻細大根」と、その改良型で煮て食べたり、浅漬に用いられた「秋詰まり大根」の』二種類がある。但し、『現在、練馬区ではほとんど生産されて』おらず、十軒ほどの『契約農家によって小規模な生産は続けられている。現在の主な生産地は、神奈川県、群馬県、千葉県などの関東地方であるが、青首大根に押されている』。『現在生産量が少ない理由として、収穫時の重労働がある。練馬大根の特徴が、首と下部は細く、中央が太いということがあり、収穫で練馬大根を引き抜く際、非常に力が必要である。ある調査によれば、練馬大根を引き抜くには、青首大根の数倍の力が必要であるという。その為、高齢の農家への負担が大きいという』。『神奈川県特産の三浦大根は、三浦半島の地元の大根と練馬大根の交雑種である』とある。リンク先の「歴史」も参照されたい。

「櫻島の大根」ウィキの「桜島大根によれば、『鹿児島県の特産品でギネスブックに認定された世界一大きい大根である(世界最大種)。重さは通常で』約六キログラム前後、大きなものになると約三〇キログラムに達し、直径も約四〇~五〇センチメートルにもなる。『かつては桜島の特産品であったことからこの名が付けられた。地元では「しまでこん」とも呼ばれている』。『早生種と晩生種の』二種類が『あるが、栽培されているものはほとんどが晩生種である』。八月下旬から九月上旬に播種、十二月から二月にかけて『収穫される。大きな大根に育てるためには火山灰質の土壌を用いて多くの手間をかける必要がある』。『一般的な大根よりキメが細かく繊維が少なく甘味があり、大根おろしなどの生食や風呂吹きなどの煮物に利用される場合が多い。保存食として切り干し大根や漬物にも利用され、直径の大きな千枚漬けは鹿児島県の特産品として土産物店などで販売されている』。品種起源については』、『愛知県で栽培されていた方領大根』(ほうりょうだいこん:尻が細く間借りが強いのを特徴とする中部地方の伝統大根)『を起源とする説』、『もともと桜島にあった野生の大根を起源とする説』、『霧島市付近で栽培されていた国分大根(浜之市大根)』(こくぶだいこん/はまのいちだいこん:かつて霧島市隼人町浜之市付近で栽培されていた、薄い赤紫色をした大根)『を起源とする説』の三説があるが、文化元(一八〇四)年の『薩摩藩の文書に記載されており、少なくともそれ以前から栽培されていた。主産地は古くは桜島北西部であったが後に桜島北部へ移り、最盛期には』約千二百戸の農家で合計約二百ヘクタールもの『栽培面積があった。稲作に適さない桜島において貴重な商品作物の一つであり、鹿児島市市街地などに出荷されていた。また、毎年収穫期になると加治木町(後の姶良市)に「トイカエ市」と呼ばれる市場が立ち、稲藁などと交換する光景も見られた』。『しかし大正三(一九一四)年の『桜島大正大噴火によって大きな被害を受け、より商品価値の高いミカンへの転作が進むなどして』、昭和三〇(一九五五)年には栽培総面積が約三十ヘクタールまで減少、さらにその頃より二〇〇一年に『かけて頻発した桜島噴火による降灰被害などにより桜島島内の栽培面積は』約一・五ヘクタールまで減少してしまった。『現在の主産地は桜島島外の鹿児島市郊外および霧島市であるが、噴火頻度の減少とともに桜島島内の栽培面積も回復しつつある』とある。

「二尺」六〇・六センチメートル。やや誇大表現。

「二十日大根」ダイコン属ダイコン変種ハツカダイコン Raphanus sativus var. sativus。根の形状は概ね二センチメートルほどの球形から楕円形(長い品種でも十センチメートル程度)。皮の色は赤(アントシアニン)が多いが、赤以外にも白・黄・紫などの色がある(ウィキの「ハツカダイコンに拠る)。

「ラヂヌワール即ち黑大根」Raphanus sativus var. niger。根の表面が黒いが、内側は白い。根が長くなる品種と蕪の様に丸い品種がある。丸い品種は肉質が硬くデンプンが多いく、花の色は白や紫(ここはウィキの「ダイコンに拠る)。「ラヂヌワール」はラディ・ノワール(Radis noir:フランス語)で、英語ではブラック・ラディシュ(Black radish)。現今ではフランス料理の添え物としてお馴染み。

「人參」セリ目セリ科ニンジン属ニンジン(ノラニンジン)亜種ニンジンDaucus carota subsp. sativus

「金時人參」「きんときにんじん」はブランド京野菜に指定されているニンジンの品種名。ウィキの「金時によれば、根は長さ三〇センチメートルほどの『長円錐形で先が鋭くとがり、いぼが白い』。『リコピンを含み』、『内部まで鮮やかな紅色を呈す事から、「赤ら顔の坂田金時」が名称の由来となっている』。『過湿を嫌うため栽培には高い畝が必要であり、晩生でとうが立つのが早い』ことから、『収穫時期は短く、収量も少ない』。『また、西洋ニンジンより栽培に長い期間が必要であり、根が長いため割れやすく収穫に機械が使えないなど、栽培には難点が多い』。収穫時期は十一月から三月。『一方で、西洋ニンジンと比べて肉質が柔らかく甘味は強く、ニンジン特有の臭いが少ない』上、『煮くずれもしにくいため煮物に向いており』、『御節料理や粕汁などに用いられる』。十六世紀に『中国経由で日本に伝わった東洋系のニンジンとしては、唯一の現存種である』とある。

「西洋では瓜の種類、林檎の種類、梨の種類、苺の種類などは、實に驚くべきほど澤山あるが、我が國ではまだその程度まで培養法が發達して居ないから、八百屋の店を見ても大抵林檎も一種梨も一種よりない」本底本は大正一四(一九二五)年刊行。九十一年前と今では様変わりしました、丘先生。

「雲州」ムクロジ目ミカン科ミカン属ウンシュウミカン Citrus unshiuウィキの「ウンシュウミカンによれば、『中国の温州にちなんでウンシュウミカンと命名されたが、温州原産ではなく日本の不知火海沿岸が原産と推定される。農学博士の田中長三郎は文献調査および現地調査から鹿児島県長島(現鹿児島県出水郡長島町)がウンシュウミカンの原生地との説を唱えた。鹿児島県長島は小ミカンが伝来した八代にも近く、戦国期以前は八代と同じく肥後国であったこと』、昭和一一(一九三六)年に当地で推定樹齢三百年の『古木(太平洋戦争中に枯死)が発見されたことから、この説で疑いないとされるようになった。発見された木は接ぎ木されており、最初の原木は』四百~五百年前に『発生したと推察される。中国から伝わった柑橘の中から突然変異して生まれたとされ』る、とある。

「紀州」ミカン属キシュウミカン Citrus kinokuniウィキの「キシュウミカンによれば、『西日本では小ミカンと呼ばれる。鹿児島県のサクラジマミカンと品種的には同じもので』、『ミカンとしては最初に日本に広まった種類である。中国との交易港として古くから栄えていた肥後国八代(現熊本県八代市)に中国浙江省から小ミカンが伝り、高田(こうだ)みかんとして栽培され肥後国司より朝廷にも献上されていた、それが』十五世紀から十六世紀頃、『紀州有田(現和歌山県有田郡)に移植され』、『一大産業に発展したことから「紀州」の名が付けられた。また江戸時代の豪商である紀伊国屋文左衛門が、当時江戸で高騰していたミカンを紀州から運搬し富を得たとされる伝説でも有名である』。『熊本県八代市高田には樹齢』六百年の古木があったが、大正一三(一九二三)年の『大洪水で流されてしまった。現在は熊本県津奈木町久子(ひさご)にある樹齢』三百六十年と『推定される木が最も古』い。『サクラジマミカンは朝鮮の役の頃に熊本から鹿児島に伝わったとされる。静岡地方のみかんの起源は、江戸時代初期、徳川家康が駿府城に隠居したときに紀州から献上された木とされ、現在も駿府城(駿府城公園)に「家康公お手植えのみかんの木」として残っている』と附言されてある。

「朝顔」ナス目ヒルガオ科ヒルガオ亜科 Ipomoeeae 連サツマイモ属アサガオ Ipomoea nilウィキの「アサガオの「品種改良の歴史」によれば、江戸時代の二度の『朝顔ブームを機に品種改良が大きく進んで観賞用植物となり、木版の図譜類も多数出版された。この時代には八重咲きや花弁が細かく切れたり、反り返ったりして本来の花型から様々に変化したものが生まれ、世間の注目を浴びた。これを現在では「変化朝顔(へんげあさがお)」と呼び、江戸、上方を問わず非常な流行を見た。特に珍しく美しいものは、オモトや菊などと同様、非常な高値で取り引きされた。「大輪朝顔」も「正木」と呼ばれる結実する変化朝顔の一種である。江戸時代の変化朝顔ブームは』、文化・文政期(一八〇四年~一八三〇年)、嘉永・安政期(一八四八年~一八六〇年)にあり、幕末には実に約千二百もの系統が改良作成された。ブームの発端は文化三(一八〇六)年の『江戸の大火で下谷に広大な空き地ができ、そこに下谷・御徒町村付近の植木職人がいろいろな珍しい朝顔を咲かせたことによる』。『その後、趣味としてだけでなく、下級武士の御徒が内職のひとつとして組屋敷の庭を利用して朝顔栽培をするようにもなった』。『上記とは別に、熊本藩では武士たちによる園芸が盛んで、朝顔も花菖蒲や菊、芍薬、椿、山茶花などと共に愛好されており、盛んに育種されて独自の系統が生まれた。この花は変化朝顔とは違い、本来の朝顔の花型を保ち、大輪であり、「肥後朝顔」と呼ばれる。これが後世の大輪朝顔の祖先の一つになった。これら熊本の六種類の園芸植物は現在「肥後六花」と総称され、熊本に伝えられている』。『明治時代以降も変化朝顔は発展して、「東京朝顔研究会」などの愛好会が生まれ、もてはやされた。この頃にはあまりな多様性よりも花型の洗練が追求され、対象となる花型が絞られた。当時の名花は石版画や写真として残されている』。『やがて花型の変化ではなく、花径の大きさを追求する「大輪朝顔」が発展し始める。通常の朝顔の花は曜』(よう)『と呼ばれる花弁が互いに融合した漏斗状の形をしており曜の数は』五枚であるが、『「大輪朝顔」では曜の数が』六~九枚程度に増える「州浜性(すはませい)」という『肥後朝顔にもみられる変化の現れた品種が導入され、選別や他の系統との交配により次第に発展し、「青蝉葉系」と「黄蝉葉系」が生まれた。前者は成長が早いため「行灯(あんどん)作り」、後者は「盆養(切り込み)作り」「数咲き作り」という仕立て方で咲かせるのが本式である。行灯作りとは、支柱三個に輪が三つついている支柱、あるいは、らせん状にまいた針金を竹に取り付けたものに蔓を絡めていき仕立てをする方法である。切り込み作りは、茎を切り込んで脇芽を出し、背丈の低い引き締めた形、まるで盆栽のように作る方法である。名古屋式が有名であるがそれを、容易な栽培方法にした切り込み作りも良く見られる。数咲き作りは同じように切り込んでいくが、一辺に多くの花を咲かせる仕立て方で京都式が有名である』とある。

「五厘銅貨位」十八・七八センチメートル。

「七八寸」凡そ二十二~二十四センチメートル。

「龍田川」キク目キク科キク属サガギク(嵯峨菊)Chrysanthemum grandiflorum cv.Saga の改良型の一名称。花弁が非常に細いのを特徴とする。グーグル画像検索「Chrysanthemum grandiflorum cv.Sagaをリンクしておく。同名のハナショウブの品種もあるので注意。それは国立国会図書館デジタルコレクションの嘉永六 (一八五三)写本の松平定朝著「花菖培養録」のをご覧あれ。

「蜀江の錦」ネットでは現認出来ない。園芸家の御教授を乞う。

「ダーリヤ」キク目キク科キク亜科ハルシャギク連ダリア属 Dahlia。]

 これらの變種の中には僅か五十年か百年前位から始めて生じたものも少くない。小豆色の朝顏なども昔は決して無かつたそうである。短い時期の間に著しい變種の出來た例は動物よりは遙に植物の方に多くあるが、之は總べて草花や野菜の類は多くは一年生で、家畜などに比べると代の重なることが頗る速いから、一代毎に少しづゝの變化が起つても、忽ち之が積り重なつて著しい相違を生ずるからであらう。されば生物は如何に變化し得るものであるかを實物に就いて確に經驗したいと思ふ人は、二三年朝顏でも造つて見るが宜しい。種子次第世話次第で如何樣のものでも出來る具合を見て、その變化の著しいのに驚かざるを得ぬであらう。實は植物にかやうな變化の性質があるので、植木屋の商賣も出來るのである。

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