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2016/03/03

譚海 卷之一 加州城下町宮村與兵衞の事

 加州城下町宮村與兵衞の事

○同國城下の町人に宮村與兵衞といふものあり。易學に妙を得たり。四十二歳にて八月十五夜月前に易觀(み)ながら卒したり。兼(かね)て平日いひけるは、我は八月十五夜に生れて、又同日に死ぬる事なりといひけるよし、晩年には鳥獸のたぐひ機(き)をわすれて常に馴親(なれした)しみけり。梁(はり)を走る鼠抔(など)を手を擊(うち)て呼(よぶ)時は、やがて掌に握られて留(とどま)りをる程也。身上(しんしやう)富有(ふいう)なれども毎日つづれを着て鍋(なべ)をうりありき、晝七つ時には歸宿し、即(すなはち)美服に着かへ方丈の樓上に坐し易をのみ見てくらしける。樓居の美麗言語同斷なり。友來れば樓上に對坐し、睡(すい)生(しやう)ずれば客に對しながら暫時假寢する計(ばか)り也。一生平臥(へいぐわ)せし事なし。人の善惡をいひたる事なし。たまたま鳥獸の聲などに就(つき)て未前を卜(ぼく)するに一(いつ)もたがふ事なし。日本の地理は掌をさすごとく談ぜしとぞ。後に國守の聽(ちやう)に達し目見得(おめみえ)を許され、三千石給(たまは)るべきよし成(なり)しを固辭してうけず。武術は心得たるやと問(とは)れしに、生來刀劍の術學(まなび)たる事なけれども、人を恐れたる事覺侍(おぼえはべ)らずとて、手裏劍(しゆりけん)にて庭中の鳥を命ぜらるゝまゝにうちたり。只二人扶持づつ給はりて城下にあらば足り侍るべしと願(ねがひ)て、其(その)席にてもとどりを切(きり)て退出せしなり。妻あれ共(ども)兩人逢(あひ)たる計(ばか)りにて寡居(くわきよ)の人の如く、一子有(あり)、男子にて愛せしが、其子七歳の時庭にあそび、松の枝をとりて西より來る狗(いぬ)に投(なげ)かけしをみて、忽(たちまち)刀をぬき切著(きりつけ)せしとぞ。いかなる事にや其意知(しり)がたし。生質(せいしつ)施(せ)を好み、乞兒(こつじ)貧窮の者に至るまで金錢を與へずといふ事なし。かつて云けるは我もし志(こころざし)の如くなる事をえば、郭注莊子の書は日本になきやうにすべし、此(この)書ほど今時の機に逢(あひ)て、人をそこなふものはあらじと云けるよし。至人(しじん)の所爲(しよゐ)に近き事多しと人のかたりし。

[やぶちゃん注:「機」これは「心の働き」、人間に対する警戒心の謂いであろう。

「つづれ」「綴れ衣(ごろも)」で、破れた部分を継ぎ接ぎした衣服、襤褸(ぼろ)の衣服。「晝七つ時」これは定時法で、申の刻午後四時前後。

「一生平臥せし事なし」これは横臥して寝ると呼吸が困難になって窒息する肺や気管支等の奇形によるものであった可能性がある。ヴィクトリア朝時代のイギリスで「エレファント・マン」として知られたジョゼフ・ケアリー・メリック(Joseph Carey Merrick 一八六二年~一八九〇年:現在では極めて稀な先天性筋骨格系障害であるプロテウス症候群が疑われている)がそうだったし、私の教え子の女性も重度の喘息によって物心ついたころから一度も横になって寝たことがない(積み上げた布団に依りかかって睡眠をとる)子がいた。

「手裏劍にて庭中の鳥を命ぜらるゝまゝにうちたり」命ぜられたとは言え、無益な殺生がこの主人公宮村与兵衞らしくないが、国守の褒美を固辞した無礼の振る舞いなればこそ、ここで敢えて無益な殺生によって自身で自身を断罪する根拠を作り上げたものと私は読む。さればこそ「其席にてもとどりを切て」出家の体(てい)を成し、「退出」したものと読めるからである。但し、かれはあくまで易学の士であって、真に出家したものではないと読める。国守がかくも優遇しようとし、髻(もとどり)もあったとすれば、彼は相応の武士身分であったことが判る。

「妻あれ共兩人逢たる計りにて」妻はあるが、妻と彼とはごく時たま、顔を見合わせるばかりの関係で。

「西より來る狗に投かけしをみて、忽刀をぬき切著せしとぞ」易学の専門家なればこその「西」であって、西方浄土とは無関係であろう。

「郭注莊子の書」西晋期の郭象(かくしょう 二五二年~三一二年)の注した「荘子(そうじ)」のこと。大事なのは、書物としての「荘子」を否定しているのではなく、郭が注した「荘子」の注釈書を焚書せよ、と言っている点に注意されたい。そもそもが易学のバイブルである「易経」は老荘思想に基づいたものである。ウィキの「郭象によれば、彼はまさに「荘子」に注したことで知られるのであるが、そこに現われた彼の思想は、『「独化」「自得」などといった語に象徴されるように道のあるべき流れに従って「おのずと生まれた」有なるものを崇める姿勢を見せた。また、人間の道徳観念は生得的に備わる(「仁義は自ら是れ人の惰性なり。」)ものであるとも説いた』が、『史書の記載するところによれば「郭象は軽薄な人間であり、向秀の『荘子』注が世に知られていないことをいいことに、これに若干の加除を行った上で、自分の著作と偽って『荘子』注を著した」という。これの真偽については古来議論があるが、余嘉錫『世説新語箋疏』では「向秀の注が残っていないのでもはや検証のしようがない」と述べている』とあるのであるが、この宮村与兵衞は、彼の解釈や注が悉く荘子(そうし)の「荘子(そうじ)」の本質を誤っていると断じていることに着目されたい。荘子好きの私としてはここは是非とも、「宮村注莊子」を残して欲しかったものである。

「今時の機」こちらの「機(き)」は、現代の事象生成消滅や人の心の働きの謂いであろう。

「至人の所爲」「至人」はまさに「荘子」逍遙遊篇の「至人は己(おのれ)なし」に基づく成語で、十分に道を修め、その極致に達した人の意で、「所爲」は(そうした「至人」の)成せる行い・振る舞いの意。]

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