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2016/03/05

「笈の小文」の旅シンクロニティ―― お子良子の一もとゆかし梅の花 芭蕉

本日  2016年 3月 5日

     貞享5年 2月 4日

はグレゴリオ暦で

    1688年 3月 5日

 

神垣(かみがき)の内に、梅一木(ひとき)も無し。如何に故有ることにやと、神司(かみづかさ)などに尋ね侍れば、唯だ何とは無し、自(おのづか)ら梅一本(ひともと)も無くて、子良(こら)の館(たち)の後ろに一もと侍る由を語り傳ふ。

 

お子良子(こらご)の一もとゆかし梅の花

 

「笈の小文」(順列操作がなされている)。サイト「俳諧」の「笈の小文」によれば、この日に伊勢神宮外宮を参詣し、その折りの句と比定されてある。富山奏氏は「新潮日本古典集成 芭蕉文集」注で嘱目吟ではないと断定されている。これはしかし、恐らく、この日の句作ではなく、後日の回想吟だという謂いではなく、実際に子良の館で梅を現認しての吟ではないの謂いである(前書からもそれは判る)。何故なら、僧形の芭蕉は伊勢神宮には入れず、旧外宮正殿のあった場所の南百メートル余に置かれた僧尼遥拝所から外宮を拝むしかなく、およそ神聖な(後述)子良の館なんぞを見ることは絶対に出来ないからである。

「神垣」伊勢神宮の神域。

「唯だ何とは無し」ただ何となく気がついて見るとないだけであって、別段理由はない、の意。

「子良の館」「お子良子」の「子良(こら)」と「御(お)子良子」は同義で、小学館の「日本大百科全書」の中西正幸氏の「子良(こら)」の項によれば(下線やぶちゃん)、伊勢神宮の『古い職掌の一つ。物忌(ものいみ)の別名。「子等」とも記すように、物忌の子供たちを総称したもの』。延暦二三(八〇四)年撰「延暦儀式帳」によれば、『皇大(こうたい)神宮に九物忌(大物忌(おおものいみ)・宮守(みやもり)・地祭(とこまつり)・酒作(さかとこ)・清酒作(きよさかとこ)・滝祭(たきまつり)・御塩焼(みさき)・土師器作(はじものつくり)・山向(やまげ))』が、『豊受大神宮には六物忌(大物忌・御炊(みかしぎ)・御塩焼・菅裁(すがたち)・根倉(ねぐら)・高宮(たかのみや))』が配され、他の『諸別宮にも』各一名の『童男や童女が置かれている。大物忌をとりわけ大子良(おこら)と称し、大物忌・宮守・地祭を三色物忌(みくさのものいみ)という。その所役は大御饌(おおみけ)の調備や奉奠(ほうてん)、正殿の開閉扉にかかわる御鎖(みかぎ)の手附初(てつけぞめ)など、もっとも神聖かつ重要なもので、禰宜(ねぎ)にも勝る祭祀(さいし)上の特権を有する。天照大御神(あまてらすおおみかみ)に朝夕近侍するためつねに厳重な斎戒・禁忌が要求され、肉親の死に際して解任されるなど、いささかも穢(けがれ)が許されなかった。幼童であるため、祭典の奉仕にあたっては物忌父(ものいみのちち)や母良(もら)・副嫗(そえのうば)などの介添え役が加わり、子良の員数も歴史を経るにつれて、しだいに減少した』とあり、所謂、神饌(みけ)や神域での神聖な行為に従事する童子であるが、諸注は圧倒的に少女・未婚の少女と記す(芭蕉の頃には少年は廃されていたかも知れないが、確言は出来ない。少年を奉仕してはいけない理由はない)。少なくとも、そうした神聖な空間内に従事する実に――幼い童子――であるが故にこそ、決定的な可憐さを添えた「ゆかし」であるのであり、一部の注で安易に「巫女(みこ)」とするのは厳密には間違いであると言うべきである。現行は勿論、当時でも「巫女」は年齢上限がもっと上と思われ、ここに出る真の清浄可憐な雰囲気は生み出せないと私は思うからである。「子良の館」というのはそうした「子良」が斎戒(物忌)をして待機するために設けられた詰所で、上記の記載にも参考にさせて戴いた、こちらの個人サイト内の「伊勢で詠んだ二十の発句の鑑賞の為に!(1)松尾芭蕉と伊勢神宮外宮」によれば、江戸時代には北御門(きたみかど)の鳥居を過ぎた右側辺りに子良館(こらたち)と呼称して存在したが、現在は明治政府によって取り壊されてしまい、存在しないとある。

 真蹟詠草に、

 

梅稀(まれ)に一もとゆかし子良の館(たち)

 

とあるのが初案(山本健吉「芭蕉全句」)であるが、実際に詠じて見ると、これはそれぞれ句がブツブツと切れて後味が悪く、句意の清浄可憐と致命的に齟齬し、「新潮日本古典集成 芭蕉句集」の今栄蔵氏の指摘するように「稀」と「一もと」との同義重複という強い難点もある。

 土芳は「三冊子」の本句の説の中で、

 

師のいはく、「むかしより、此所に連俳の達人多く句をとどむ、終に、此梅のことをしらず」、と悦ばしく聞出ける也。風雅の心がけより此事とゞまるを思ひしれば、やすからぬ所なり。

 

と記している。実は芭蕉会心の作であったことがここから窺えるのである。それにしても確かに、一本だけはそこある、というのだから、訳もなく、禁忌ではなかったということになろうが、しかしそれは逆に、厳しい斎戒の場に一本だけというところに選ばれた神聖性が隠されていると読むべきである。伊勢神宮の古式の中には梅一本(ひともと)の由縁がきっとあったに違いないと私は思うのである。

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