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2016/03/14

小泉八雲 神國日本 戸川明三譯 附原文 附やぶちゃん注(9) 日本の家族(Ⅳ)

 これだけの説明をして置けば、家族の教長政治(ハイラキイ)との關係に於ける、結婚及び養子に關する慣習は明瞭に了解される事と思ふ。併しなほ一言、今になほ行はれてゐる此教長政治について説かなければならない。理論上一族の頭首の權力は、なほその家に於て最高なものである。すべてのものがこの頭首に從はなければならぬ。なほ女性は男性に從はなければならぬ、妻は夫にといふ工合に、そして一族の若い人達は年長の人達に從屬するのである。子供達はただに父母、祖父母に從はなければならぬのみならず、自分達の間にあつても、上長に關する家法を守らなければならない、則ち弟は兄に、妹は姉に、從はなければならないのである。祖先の法則は、優しく行はれて居るのではあるが、勵行されて居て、細かな事に至るまで快よくそれは服從されて居る、たとへば食事時に長男が先きに、次男がそのつぎに、と云つた風に給仕を受ける――例外は極く小さい子供の場合のみで、小さい子供は待つ事なく一番に給仕を受ける。この習慣は次男を『冷飯喰ひ』Master- Cold-Rice と嘲つて呼ぶ俚言を説明するに足りる、則ち次男は、小さい子供や、年長の人達の給仕を受けるのを待つて居るのであるから、自分の番になる時には、飯は自分の欲するやうに温かでなくなるといふのである…………。法律上一族は只だ一人の責任ある頭首を持ちうるのである、それは祖父である事もあれば、父である事もあり、或は長男である事もあるが、大抵は長男である、何となれば支那傳來の風に從つて、老人は長男が事にあたりうるやうになれば、通例はその實權を讓つて引退するからである。

[やぶちゃん注:「家族の教長政治(ハイラキイ)」原文は“the family hierarchy”。「ファミリー・ヒエラルキー」。家庭内階層制。平井呈一氏は『族長制度』と訳しておられる。そっちの方が腑に落ちる。]

 若者の年長者に、女性の男性に從屬する事――事實家族の現存の全制度――は族長的家族の恐らくは一層嚴密なる組織を語るものてあらう、抑もこの種の家族の頭首は、殆ど無限の力を持つた統治者てあり、同時にまた神官(僧侶)てあつたのである。この組織は本來宗教的であり、今日でもなほさうである、家族を作成するものは、結婚上の結合ではな

く、また一家に對する親たるものの關係も、宗教的一體としての家族に對する父なり母なりの關係に依るのである。今日てでも妻としず一家の内に迎へられたる一人の女子は、一人の養子として位置をもつて居るのである。則ち結婚は養子の意である。其女子は花嫁 Flower-daughter といはれて居る。同樣にまた同じ理由て、或る家の娘の一人に對する夫としてその家に迎へられた靑年も、只だ養子としてその位置をもつて居るのである。かく迎ヘられた花嫁でも花婿でも、當然年長者に服從すべきものであり、また長者の意向次第で逐はれる事もあるのである。養子として迎へられた夫の位置は、技倆を要し、難しいものである――それは日本の俚諺に『小穅三合あれば、婿養子になるな』While you have even three gō of rice-bran left, do not become a son-in-law. とあるのがよく説明している。ヤコブはラケルを待ち受けなくも良いので、所望されてラケルに與へられるのである、そしてそれからヤコブの奉仕が始まる。それから七年の二倍の奉仕をして後、ヤコブは逐ひ出されるかもしれないのである。(『舊約聖書』に依ればヤコブはラケルを得るために七年の奉仕をする、そして後さらに二度七年の奉仕をするのである)其場合ヤコブの子供達はもう自分のものではない、それは家族のものである。その養子とされた事は愛情などとは何の關係もない事で、又その放逐も何等不行跡があつたといふのでもない。さういふ事柄は法律で定められてあつたとしても、實際は家族の利害に依つて決定されるのである――家【註】とその祭祀とをつづける事に關しての利害に依るのである。

 

註 最近の法律は婿養子の利益になるやうになつて居る、併し法に訴へるのは、不行跡のために養家を逐はれたので、その逐はれた事に依つて、何か利益を得ようと焦慮するやうな人のみのする事である。

[やぶちゃん注:「ヤコブ」と「ラケル」ヤコブは旧約聖書「創世記」に登場するヘブライ人の族長の名でラケルはその妻の名。別名を「イスラエル」と称し、イスラエルの民、即ち、ユダヤ人は皆、ヤコブの子孫を自称する。ウィキの「ヤコブによれば、『父はイサク(イツハク)、母はリベカ、祖父は太祖アブラハム』。『ヤコブは双子の兄エサウを出し抜いて長子の祝福を得たため、兄から命を狙われることになって逃亡する。逃亡の途上、天国に上る階段の夢(ヤコブの梯子)を見て、自分の子孫が偉大な民族になるという神の約束を受ける。ハランにすむ伯父ラバンのもとに身を寄せ、やがて財産を築いて独立する』。『兄エサウとの和解を志し、会いに行く途中、ヤボク川の渡し(後に彼がペヌエルと名付けた場所)で天使と格闘したことから神の勝者を意味する「イスラエル」(「イシャラー(勝つ者)」「エル(神)」の複合名詞)の名を与えられる。これが後のイスラエルの国名の由来となった』。彼には『レア、ラケル、ビルハ、ジルパという』四人の『妻との間に』娘と十二人の『息子をもうけた。その息子たちがイスラエル十二部族の祖となったとされている。晩年、寵愛した息子のヨセフが行方不明になって悲嘆にくれるが、数奇な人生を送ってエジプトでファラオの宰相となっていたヨセフとの再会を遂げ、やがて一族をあげてエジプトに移住した。エジプトで生涯を終えたヤコブは遺言によって故郷カナン地方のマクペラの畑の洞穴に葬られた』とあり、ウィキの「ラケルによれば、『父はラバン、姉はレア』。『兄エサウから逃れて伯父ラバンの元へきたヤコブはラケルを見初め、ラバンの「七年働けば結婚を許す」という言葉を信じて働く。ところが結婚式を終えて花嫁を見るとそれは姉のレアであった。ヤコブは怒るが、ラバンの求めでさらに七年働いてついにラケルと結婚することができた』。『レアには子供が生まれたのに、自分に子供ができないことをあせったラケルは、自分の女奴隷ビルハにヤコブの子を産ませて自分の子とした。それがダンとナフタリである。ラケル自身にも待望の子供がうまれ、その子をヨセフと名づけた』。『その後、エサウと和解したヤコブは、神の言葉によってベテルからエフラタ(現ベツレヘム)へ向かう。その途上、ラケルは産気づき男子を産むが、難産で命を落とした。その子をラケルはベン・オニ(私の苦しみの子)と名づけたが、ヤコブはベニヤミンと呼んだ。ラケルはエフラタに向かう道の傍らに葬られた』とある。]

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