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2016/03/17

小泉八雲 神國日本 戸川明三譯 附原文 附やぶちゃん注(10) 日本の家族(Ⅴ)

 養子養女は以前には殆ど勝手に逐はれ得たものでありはしたが、古い日本の家族に於ける結婚の問題は、宗教上の意義あるものであつて――結婚は孝道の主なる義務てあつた事は忘れてはならない。これはまた古いギリシヤ、ロオマの家族にもあつた事で、その結婚式は、寺院でなくて、現時日本て行はれて居るやうに、家庭て行はれた。これは家族的宗教の式――花嫁が祖先の靈の居ると假定されて居るその前で、その家の祭祀の内に迎へ入れられる式であつた。原始的日本人の問には、恐らくそれに等しい式はなかつた事であらう、併し一家の祭祀の制定された後、結婚式は宗教上の式となり、今日なおさうなつてゐるのである。併し普通の結婚は、特別な事情のない限り、一家の神殿の前若しくは祖先の位牌の前て行はれるのではない、普通の結婚に關する規則は、若し花婿の兩親がまだ存生中ならば、位牌の前では行はないと云ふ事らしい、併し若し兩親が死んで居たら、花婿は位牌の前に花嫁をつれて行き、其處で花嫁は服從を誓ふのである。以前は少くとも貴族間の結婚はもつと明瞭に宗教的であつたらしい――『諸禮筆記』“Record of Celemonies”【註一】といふ書物の中にある、次のやうな不思議な關係から判斷して見ると、さう考へられる、曰く、『高位の人の結婚に於ては、三つの部屋を打ちきて結婚の室とし、(通例部屋々々を分かつて居る襖を除けて)新たに飾りをなしてこれに充つ………。家の神の像を納めたる神殿は寢所に接する棚の上に置かる』と。皇室の結婚は、必らず公然祖先に報告されるのも注意すべき事であり、また帝室の推定相續者たる方、若しくはその他の王子の結婚は、賢所則ち宮殿【註二】の地内にある祖先を祭る帝室の御堂の前て行はれる事も注意すべき事である。大體の規則として日本に於ける結婚式の發展は、主として支那の先例に從つたものであるが、支那の族長的家族にあつては、結婚式は、古いギリシヤ、ロオマの結婚と同樣、全くそれ一流の宗教的儀式である。そして日本の結婚式の、家族の祭祀に對する關係は、あまり顯著でないとしても、研究の結果それは十分明瞭になつて居る。たとへば花嫁花婿が、同じ器から相互に酒を飮む事は、ロオマの Confarreatio(一種の麥て作つた菓子を結婚の際、人の共に食する式)に酷似して居る。結婚の式に依つて花嫁は家族の宗教の内に入れられる。その場合花嫁は夫の祖先を、自分の祖先として、畏敬しなければならないし、またその家に年長者がなければ、夫の代りとして供御を捧げる義務を負はなければならないのである。自分の實家の祭祀に關しては、花嫁はもう何等の關係もないのである、それで兩親の家からその娘の去る時、一種の葬式が行はれるが――嚴かに家の部屋々々を掃除し、門前に死者のための篝火をたくのである――それは宗教的に分かたれた事を意味するものである。

 

註一 この飜譯はミツトフオド氏のである。家の神の『像』なんていふものはない、思ふにこれは祖先の位牌のある、一家の神道の神殿の意であらう。

註二 現皇太子の御結婚の時はさうであつた。

[やぶちゃん注:「諸禮筆記」「林氏立斎諸礼筆記」林立斎編。宝永三(一七〇六)年刊。

「賢所」通常は「かしこどころ」と訓読みする。ウィキの「より引く。『日本の天皇が居住する宮中において、三種の神器のひとつである八咫鏡を祀る場所』。『八咫鏡そのものを祀るというより、八咫鏡を天照大御神の神魂として祀るといった方が正しい。かつては内侍が管理したため内侍所(ないしどころ)とも称され、威所・尊所・恐所・畏所などともいった。現在は宮中三殿の中央が賢所とされる。なお、「かしこどころ」で神鏡そのものを、「けんしょ」で宮中三殿そのものを指すことがある』。『起源としては、伊勢神宮に奉安されている八咫鏡の模造の神鏡が天皇の居住する内裏の側に奉安され、賢所とされるようになった』。『平安京の内裏では温明殿』(うんめいでん:内裏の東宜陽門を入って直ぐの北側にある)に賢所が置かれていたが、『後に内裏が荒廃すると、賢所は春興殿に移された』とある。現行でも男子の皇族はここで挙式している。

「ミツトフオド氏」イギリスの貴族で外交官のアルジャーノン・バートラム・フリーマン=ミットフォード(Algernon Bertram Freeman-Mitford 一八三七年~一九一六年)。幕末から明治初期にかけて外交官として日本に滞在した。ウィキの「アルジャーノン・フリーマン=ミットフォード(初代リーズデイル男爵)」によれば、慶応三(一八六六)年十月に来日(当時二十九歳)し(着任時に英国大使館三等書記官に任命)、明治三(一八七〇)年一月一日に離日している。『当時英国公使館は江戸ではなく横浜にあったため』、『横浜外国人居留地の外れの小さな家にアーネスト・サトウ』『と隣り合って住むこととなった』。約一ヶ月後、『火事で外国人居留地が焼けたこともあり、英国公使館は江戸高輪の泉岳寺前に移った。ミットフォードは当初公使館敷地内に家を与えられたが、その後サトウと』二人で『公使館近くの門良院に部屋を借りた。サトウによると、ミットフォードは絶えず日本語の勉強に没頭して、著しい進歩を見せている。また住居の近くに泉岳寺があったが、これが後』に、彼の代表作の一つである「昔の日本の物語」で『赤穂浪士の物語を西洋に始めて紹介するきっかけとなっている』とある。また、彼は慶応四(一八六八)年二月四日に起った『備前藩兵が外国人を射撃する神戸事件に遭遇し』ており、『事件の背景や推移には様々な見解があるが、ミットフォードはこれを殺意のある襲撃だったとしている。なお、この事件の責任をとり、滝善三郎が切腹しているが、ミットフォードはこれに立会い、また自著『昔の日本の物語』にも付録として記述している』とある。

Confarreatio」(コーンファルレアーチオー)は「共祭式」などと訳されるようである。儀式の詳細は(邦語)がよい。

「現皇太子の御結婚」後の大正天皇である明宮嘉仁(はるのみやよしひと)の九条節子(さだこ)との成婚は本書刊行の四年前の明治三三(一九〇〇)年五月十日であった。]

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