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2016/03/24

原民喜「かげろふ断章」より「昨日の雨」

[やぶちゃん注:「かげろふ断章」(内部中標題「昨日の雨」「断章」「散文詩」から構成)は原民喜の死後に刊行された、昭和三一(一九五六)年刊青木文庫版「原民喜詩集」を初出とする。底本の青土社版「原民喜全集 Ⅲ」には、原民喜自身による以下の「後記」が途中(詩篇「回想」の後。編者解説によれば、同全集Ⅲの詩篇の配列は原民喜自身が構成したノートの配列に拠っているとある)に入る(以下、読む通り、この「後記」が書かれたのは昭和一六(一九四一)年である。従って恣意的に正字化して示すこととした)。

   *

後記 ここに集めた詩は大正十二年から昭和三年頃のものであるが、その頃のありかは既に陽炎の如くおぼつかない。今これらの詩を讀返してみるに一つ一つの斷章にゆらめくものがまた陽炎ではないかと念へる。附錄の散文詩は昭和十一年の作である。

昭和十六年九月二日、空襲避難の貴重品を纏めんとして、とり急ぎ淸書す。

   *

「讀返」(底本は「読返」)はママ。「大正十二年から昭和三年頃」は民喜は十八歳から二十三歳。なお、これは空襲避難のための事前準備であるので注意されたい。調べたところ、東京に初めて空襲警報発令されたのは翌昭和十七年三月五日で、本格的な日本本土空襲であるドゥリットル(指揮官であった中佐の名)空襲(米陸軍機B-25十六機による東京・名古屋・神戸などでの初空襲)は同年四月十八日のことである。

 この民喜の記載から、詩篇も総て戦前のものであり、清書も戦中であることが明白である。されば、標題を除き(この標題の決定と記載は必ずしも戦中以前とは確定し難いからである)、総ての詩篇を恣意的に正字化することとした。]

 

昨日の雨

 

 散歩

 

誰も居てはいけない

そして樹がなけらねば

さうでなけられば

どうして私がこの寂しい心を

愛でられようか

 

[やぶちゃん注:「なけらねば」はママ。]

 

 

 

 蟻

 

遠くの路を人が時時通る

影は蟻のやうに小さい

私は蟻だと思つて眺める

幼い兒が泣いた眼で見るやうに

それをぼんやり考へてゐる

 

 

 

 机

 

何もしない

日は過ぎてゐる

あの山は

いつも遠いい

 

[やぶちゃん注:「遠いい」はママ。]

 

 

 

 四月

 

起きもしない

外はまばゆい

何だか靜かに

失はれてゆく

 

 

 

 眺望

 

それは眺めるために

山にかかつてゐたが

はるか向うに家があるなど

考へてゐると

もう消えてしまつたまつ白のうす雲だ

 

 

 

 遅春

 

まどろんでいると

屋根に葉が搖れてゐた

その音は微けく

もう考へるすべもなかつた

 

[やぶちゃん注:老婆心乍ら、「微けく」は「かそけく」と読む。]

 

 

 

 夏

 

みなぎれる空に

小鳥飛ぶ

さえざえと晝は明るく

鳥のみ動きて影はなし

 

 

 

 川

 

愛でようとして

ためいきの交はる

ここの川邊は

茫としてゐる

 

 

 

 川

 

川の水は流れてゐる

なんといふこともない

來てみれば

やがて

ひそかに歸りたくなる

 

 

 

 小春日

 

樹はみどりだつた

坂の上は橙色だ

ほかに何があつたか

もう思ひ出さぬ

ただ いい氣持で歩いてゐた

 

 

 

 秋空

 

一すぢの坂は遙けく

その果てに見る空の靑さ

坂の上に空が

秋空が遠いい

 

[やぶちゃん注:「遙」の用字は底本のもの。「遠いい」はママ。]

 

 

 

 遠景

 

幼いのか

山はひらたい

ぼつちりと

陽が紅らんだ

 

 

 

 冬

 

こはれた景色に

夕ぐれはよい

色のない場末を

そよそよと歩けば

 

 

 

 波紋

 

すべてはぼんやりとした

ぼんやりとして空も靑い

水の上の波紋はかすか

すなほなる想ひに耽ける

 

 

 

 愛憐

 

ひつそりと 枝にはじけつ

はじけつ

空に映れる

靑める雪は

 

 

 

 月夜

 

雲や霧が白い

ほの白い

路やそして家も

ところどころにある

 

 

 

 淡景

 

淡い色の

たのしみか

そのままに

樹樹は並んだ

 

 

 

 疲れ

 

雪のなかを歩いて來た

まつ白な路を見て

すやすやしながら

大そう うつかりしてゐた

 

 

 

 京にて  ――悼詩

 

眺めさせや

甍の霜

夢のごとおもひつつ

この霜のかくも美(は)しき

 

 

 

 春望

 

つれづれに流れる雲は

美しさをまして行く

春陽の野山に

今日は來て遊んだ

 

 

 

 旅懷

 

山水の後には

空がある

空は春のいたるところに

殘殘と殘されてゐる

 

 

 

 山

 

影こそ薄く

思ひは重し

霞のなかの山なれば

山に隱るる山なれば

 

 

 

 梢

 

ふと見し梢の

優しかる

みどり煙りぬ

ささやかに

 

 

 

 雲

 

私の一つ身がいとしい

雲もいとしい

時は過ぎず

うつうつと空にある

 

 

 

 川の斷章

 

  1

 

川に似て

音もない

川のほとり

川のほとりの

 

  2

 

空の色

寂び異なるか

水を映して

水にも映り

 

  3

 

思ひは凍けて

川ひとすぢとなる

 

  4

 

遠かれば

川は潛むか

流るるか

悠久として

 

  5

 

現世(うつしよ)の川に

つながるものの

現世の川に

ながれゆくもの

 

 

 

 海

 

ねむれるにあらずや

仄かにしたはしき海

たまきはる命をさなく

我はまことになべてを知り得ず

 

 

 

 五月

 

遠いい朝が來た

ああ 綠はそよいでゐる

晴れ渡つた空を渡る風

なにしに今日はやつて來たのだ

 

 

 

 白帆

 

あれはゆるい船だが

春風が麦をゆらがし

子供の目にはみんな眩しい

まつ白な帆が浮んでゐる

 

 

 

 偶作

 

旅に來て

日輪の赤らむのを見た

朝は田家の霜に明けそめて

磯松原が澄んでゐる

一色につづく海が寒さうだ

 

 

 

 春雨

 

雨は宵に入つてから

一層 靜かであつた

床についてからは

降るさまがよく描かれた

 

 

 

 冬晴

 

冬晴の晝の

靑空の大きさ

電車通りを

疲れて歩く

 

 

 

 春の晝

 

日向ぼこにあきて

家に歸らうとすると

庭石の冷たさがほろりとふれた

ひつそりとして障子が見える

 

 

 

 四月

 

晝は殘いねむりのなかに

身を微かなものと思ひつつ

しばらくは鳥の音も聽かぬ

そよ風の吹く心地して

 

 

 

 花見

 

櫻の花のすきまに

靑空を見る

すると ひんやりしてゐるのだ

花がこの世のものと思はれない

 

 

 

 靑葉

 

朝露はいま

滴り落ちてくる

いたづらに樹を眺めたとて

空の靑葉は深深としてゐる

 

 

 

 ねそびれて――熊平武二に

 

障子がぼうと明るんでゐる

廊下に出て見給へ

あんな優しい光だが

どこか鋭い

 

[やぶちゃん注:「熊平武二」(くまひらたけじ 明治三九(一九〇六)年~昭和三五(一九六〇)年)は詩人。広島市生まれ。民喜の級友で、学歴も広島高等師範学校附属小学校・中学校から慶応義塾大学と全く同じである。 一六、七才の頃からら詩作を始め、北原白秋に認められ、昭和一五(一九四〇)年に詩集「古調月明集」を出版している。大正一二(一九二三)年、民喜(十八歳)が参加した同人誌『少年詩人』の同人でもあり、翌年に始まる民喜の句作は熊平の影響による。]

 

 

 

 昨夜の雨

 

靑くさはらはかぎりもない

空にきく雲雀の聲は

やがて淋しい

 

うらうらと燃えいでる

昨日の雨よりもえいでる

陽炎が濃ゆく燃えいでる

 

[やぶちゃん注:ここに彼が転生する「雲雀」が既にして登場することに注目されたい。]

 

 

 

 卓上

 

牡丹の花

まさにその花

力なき眼に

うつりて居る

 

 

 

 旅の雨

 

雨にぬれて霞んでゐる山の

山には山がつづいてゐる

眞晝ではあるし

雨は一日降るだらう

 

 

 

 靑空

 

うつろにふかき

ながまなこ

ただきはみなくひろがりて

かなしきものをかなしくす

 

 

 

 小曲

 

人に送る想ひにあらず

蓮の花浮べし池は

なみなみと水をたたへつ

小波と風のまにまに

 

 

 

 冬の山なみ

 

けふ汽車に乘つて

山を見る

中國の山脈のさびしさ

都を離れて山を見る

山が山にかさなり

冬空はやさしきものなり

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