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2016/03/30

和漢三才圖會卷第五十二 蟲部 蜂

和漢三才圖會卷第五十二

  蟲部

      攝陽 城醫法橋寺島良安【尚順】編

  卵生類

Hati

はち

【音峯】

唐音

 フヲン

[やぶちゃん字注:底本では絵(画像はここのみ掲げ、書き下し文では省略する。画像は東洋文庫版(現代語訳)のそれをトリミングして配した)が最上部で前四行が絵の下に、以下がその下にある。左右に縦罫。以下、この注は略す。]

 

1【音范

   和名波知】

[やぶちゃん字注:「1」=(上)「范」+(下)「虫」。]

 

本艸綱目云蜂尾垂鋒故字从夆蜂有君臣之禮範故一

名曰1有三種

野蜂 在林木或土穴中作房

家蜂 人家以噐収養【以上二種】並小而微黃蜜皆濃美

山蜂 在山巖高峻處作房卽石蜜也其蜂黑色似牛

三者皆群居有王王大於衆蜂而色青蒼皆一日兩衞應

潮上下凡蜂之雄者尾鋭雌者尾岐相交則黃退嗅花則

以鬚代鼻采花則以股抱之窠之始營必造一臺大如桃

李王居臺上生子於中王之子盡復爲王歳分其族而去

其分也或鋪如扇或圓如罌擁其王而去王之所在蜂不

敢螫若失其王則衆潰而死其釀蜜如脾謂之蜜脾凡取

其蜜不可多多則蜂飢而不蕃又不可少少則蜂惰而不

作其王無毒嗚呼王之無毒似君德也營窠如臺似處國

也子復爲王似分定也擁王而行似衞主也王所不螫似

遵法也王失則潰守節義也取惟得中似什一而税也凡

群蜂旦出午時銜花蘂等來入衙竅有二大蜂兩衙之竅

口相對如改群蜂所銜來花若有不銜花而來者逐還不

入有争拒者則群蜂螫殺之【衙音牙天子居曰衙行曰駕今官府亦曰衙也】

蜂子【氣味】甘平微寒

按蜂人不觸則不螫如行於巣下則追來螫【蜂羽傳油則不敢動】

[やぶちゃん注:「2」=(上){「匃」から一画目及び二画目を除去した内側}+(下)「虫」。]

 

 

はち

【音、「峯〔(ハウ)〕」。】

唐音

 フヲン

 

1【音、「范〔(ハン)〕」。和名、「波知」。】

[やぶちゃん字注:「1」=(上)「范」+(下)「虫」。]

 

「本艸綱目」に云はく、蜂の尾、鋒を垂る。故に、字、「夆」に从〔(したが)〕ふ。蜂に君臣の禮範有り、故に一名、「1〔(ハン)〕」と曰ふ。三種有り。

野蜂(のばち)  林木、或いは土穴の中に在りて、房〔(ばう)〕を作る。

家蜂(いへばち) 人家に噐〔(うつは)〕以て収養す。【以上、二種】並びに小にして微黃なり。蜜、皆、濃美〔(のうび)〕と云ふ。

山蜂(やまばち) 山巖・高峻の處に在りて、房を作る。卽ち、石蜜なり。其の蜂、黑色にして牛2(あぶ)に似れり。三つの者、皆、群居して、王、有り。王は衆蜂より大にして、色、青蒼。皆、一日に兩〔(ふた)〕たび、衞〔(ゑい)〕す。潮〔(しほ)〕に應じて上下す。凡そ、蜂の雄なる者は、尾、鋭(するど)なり。雌なる者は、尾に岐(また)あり。相ひ交(まぢ)はるの時は、則ち、黃、退〔(しりぞ)〕く。花を嗅(か)ぐ時は、則ち、鬚を以て鼻に代ふ。花を采〔(と)〕る時は、則ち、股を以て之を抱く。窠〔(す)〕の始めて營めること、必ず、一臺を造る。大いさ、桃李のごとく、王、臺上に居て、子を中に生ず。王の子、盡(ことごと)く復た、王と爲り、歳〔(とし)〕ごとに其の族を分〔(わかち)〕て、其の分を去るなり。或いは鋪〔(し)〕きて、扇のごとく、或いは圓〔(まどか)〕にして罌(もたい)のごとし。其の王を擁して去る。王の所在〔(あるところ)〕、蜂、敢へて螫さず。若し、其の王を失すれば、則ち、衆(みな)潰(つぶ)れて死す。其の蜜を釀(かも)すること、脾のごとし。之を蜜脾と謂ふ。凡そ其の蜜を取ること、多くすべからず。多き時は、則ち、蜂、飢えて蕃からず。又、少なくすべからず。少なき時は、則ち、蜂、惰(おこた)りて作らず。其の王は、毒、無し。嗚呼(あゝ)、王の毒無きことは、君の德似たり。窠を營(つく)ること、臺のごときは、國を處〔(たつ)〕るに似たり。子、復た、王と爲るは、分定するに似たり。王を擁して行くは、主を衞〔(まも)〕るに似たり。王の〔ある〕所、螫さざるは、法に遵(したが)ふに似たり。王、失する時は、則ち、潰るるは、節義を守るなり。取るに、惟だ中を得るは、什一〔(じふいつ)〕して税するに似たり。凡そ群蜂、旦(あし)たに出でて、午〔(ひる)〕の時、花蘂〔(くわずゐ)〕等を銜(ふく)みて來つて衙竅〔(がけう)〕に入る。二つの大なる蜂、兩衙の竅〔(あな)〕の口に有りて、相ひ對して、群蜂、銜へ來たる所の花を改むるがごとし。若〔(も)〕し、花を銜へずして來たる者有れば、逐還〔(おひかへ)〕して入れず。争ひを拒(はゞ)む者有らば、則ち、群蜂、之を螫殺〔(さしころ)〕す。【「衙」は音、「牙」。天子の居(いどころ)を「衙」と曰ふ。「行く」を「駕〔(が)〕」と曰ふ。今、官府も亦、「衙」と曰ふ。】

[やぶちゃん注:「2」=(上){「匃」から一画目及び二画目を除去した内側}+(下)「虫」。]

蜂の子【氣味】甘、平、微寒。

按ずるに、蜂、人、觸(さは)らざれば、則ち、螫さず。如〔(も)〕し、巣の下に行けば、則ち追ひ來りて螫す。【蜂の羽に油を傳〔(つ)〕くれば、則、ち、敢へて動かず。】

 

[やぶちゃん注:蜂総論。であるが、概ね、蜜蜂を対象としている。

・『「本艸綱目」に云はく』とはあるが、以下は「本艸綱目」の抜粋抄録(主に「卵生類」の「蟲之一」の「蜜蜂」の記載)であるので(良安の見解も含まれている)、『 』で括ることをしない。向後も同じい。

・「故に一名、「1〔(ハン)〕」と曰ふ」東洋文庫版では、この「1」の下に『(規範)』と訳者の割注がある。以下に示された高高度に社会性昆虫として特化した、厳格な規範規律遵守の生物への褒賞的命名ということであろう。

・「野蜂」現行中国語では、膜翅(ハチ)目細腰(ハチ)亜目ミツバチ上科ミツバチ科ミツバチ亜科ミツバチ族ミツバチ属 Apis の野生種を指す。ウィキの「ミツバチ」によれば、ミツバチ属 Apis は現生種ではコミツバチ亜属 Micrapis、オオミツバチ亜属 Megapis、及びミツバチ亜属 Apis の三亜属の、計九種に分類される、とある。次の注も必ず参照のこと。

・「家蜂」養蜂種。本邦の場合はミツバチ属ニホンミツバチ Apis cerana japonica とセイヨウミツバチ Apis mellifera の二種が飼育されている。後者の人工移入は明治一〇(一八七七)年十二月二十八日に明治新政府内の勧農局がアメリカからイタリア国種のミツバチを購求、これを新宿試験場で飼養して試験したのが、恐らく、本邦初のセイヨウミツバチと考えられいる(「日本養蜂協会」公式サイト内の「日本の養蜂の歴史」に拠る)から、良安の時代には前者ニホンミツバチ Apis cerana japonica一種のみが日本の蜜蜂であった。

・「山蜂」恐らく、時珍の言うそれは、中国産の本邦には棲息しないミツバチ属 Apis の一種である可能性が強いように思われるが(色が有意に異なるように記載されてある)、本邦に限って言うと、前に注した通りで、その「日本の養蜂の歴史」の中にも、宝永五(一七〇八)年(本「和漢三才図会」完成の四年前)に『出版された、貝原益軒が日本で最初に体系的に編纂した生物誌である「大和本草」には、採蜜場所が異なっても、生産する野蜂、家蜂、山蜂はどれも同じミツバチであると述べられて』ある、とある。

・「石蜜」「せきみつ」と読んでおく。「ウチダ和漢薬」公式サイトである「生薬の玉手箱」の蜂蜜の記載の中に(コンマを読点に変更した)、『中国医学では、薬用として『神農本草経』の上品に「石蜜」が収載され、「心腹の邪気、諸驚癇痙を主治し、また五臓を安んじ、諸々の不足を主治する。気を益し、中を補い、痛みを止め、毒を解し、衆病を除き、百薬を和す。久しく服用すると志を強くし、身を軽くし、飢えることなく、老いることもない」とあります。石蜜とは高山巌石の間に営巣されたものから得た蜜のことであり、蜂が営巣する場所によって、木蜜や土蜜などと区別されていました』(前注通りである)。『『名医別録では「色白くて膏の如きものが良い」と記していますが、陶弘景はさらに蜂蜜の色や味について、石蜜は青赤で少し酸味があり、木蜜と呼んで食するもののうち』、『蜂が樹の枝にぶら下げて作るものは青白く、樹の空洞や人家で養蜂して作るものは白く味が濃厚で、さらに土蜜は土中に作るもので、青白くて酸味がある、と概要を述べています。アカシアやレンゲ由来の蜜は淡黄白色であり、ソバ由来の蜜が最も濃い褐色を呈するなど、蜂蜜の色は、蜜源となる植物種によって淡黄白色~褐色と異なり、また香りや味も異なります。陶弘景が云う青白い蜜とは、アカシアやレンゲ、あるいは百花蜜とよばれる雑蜜のように比較的淡い色を示すものであったと思われます。味については一般に果樹系の蜜は酸味が強いといわれることから、陶弘景が記した酸味のある蜜は果樹由来であったのでしょうか』とある。

・「牛2(あぶ)」(「2」=(上){「匃」から一画目及び二画目を除去した内側}+(下)「虫」。)「牛2」の二字に「アブ」とルビする。現行で「ウシアブ」と称した場合、狭義には双翅目短角(ハエ)亜目アブ下目アブ上科アブ科アブ亜科アブ属ウシアブTabanus trigonus 或いはその近縁種を指す。この類は平均して体長二センチ七ミリ内外で、灰色の地に暗色の斑紋を有し、雄の腹部両側は茶色を帯びる。日本各地に多く、は人畜を吸血し、は花や樹液に集まる。但し、この場合は吸血性の中大型のアブを広く指していると考えてよかろう。

・「一日に兩〔(ふた)〕たび、衞〔(ゑい)〕す」一日に二度、女王蜂(「女」とは言っていないが、出産をすると書いてあるのでかく記載して問題あるまい)のところに行って、警護を行う。無論、このような習性は、ない。採蜜行動の規則的なところから、帰還して女王蜂に蜜を献上するために参内するという擬人表現を用いたものであろう。

・「潮〔(しほ)〕に應じて上下す」蜂の終日行動や採蜜行動の記憶システムには太陽の位置を認識記憶し、それを仲間にダンスによって伝達するシステムが存在していることは広く知られているものの、潮汐現象(月の引力)というのは、私は聴いたことがない。石川誠男氏の「生き物の謎と神秘」の「ミツバチ社会と環境」にある、ハタラキバチの行動様式の記載(前段にダンスの非常に判り易い詳細記載もあるので必読!)よれば、伝達をするハタラキバチの『ダンスの最初の直線部分によって太陽の方向に対する餌のある方向を知り、円ダンスの動きの速さで餌までの距離を知る』という。『さて、ダンスの直線の方向と重力の方向との間の角度で太陽の方角に対する餌の方向を示すことが分かったが、太陽が雲に隠れて見えない時はどうだろうか。どこかに青空の一角でも見えている場合にはその青空からの偏光をミツバチの眼は感ずることができ、青空からの光線に含まれる偏光のパーセンテージと振動方向についての分析の能力によって実際には見えない太陽の位置を判定できるらしいのである。これに加えて、ミツバチは人が見ることのできない紫外線を見ることができ、薄曇りならば、雲が覆っていても太陽のある位置から他の場所よりも少し多く透過してくる紫外線を感じて太陽の位置を判定できるという。また、ここでは詳しく述べる余裕はないが、ミツバチは体内時計を持っており、時間の変化とともに変化する太陽の位置の変化を予測することが可能だという』と説明された後、『次に、重力の方向はどうして感知できるのだろうか。人の三半規管のような平衡器官を蜂は持っていない。しかし、蜂の頭部と胸部との境に頸部器官と呼ばれる簡単な器官があり、これによって重力に対する自分の体の位置を知ることができるという。ミツバチのおどり手も、またそれに追従する仲間も、垂直面上で自分の体軸と重力の方向とのずれを精密に測定することのできる器官を生まれながらに持っているのである。この収穫ダンスは光に対する行動から重力に対する行動への転換が行われたことになるが、この行動の転換は昆虫一般によく見られるものだという。ダンスをしている時に人為的に巣枠を青空の下に出して水平にすると、直線部の動きは太陽に対する実際の餌場の方向を指すという』とある。重力を感じる能力があるとすれば、蜂に月の引力を感ずる能力などあるはずがないと断ずることは出来ないであろう。

・「蜂の雄なる者は、尾、鋭(するど)なり。雌なる者は、尾に岐(また)あり」勿論、生物学的に誤りであるが、針を持つのがと捉得る気持ちは分らぬではなく、時珍はその殆んどがであり(一般にミツバチの一つの巣のの比率は全体の五~一〇%しかいないとされる。言わずもがな乍ら、ミツバチのは未授精であって単為生殖(染色体数はの半分))、に至っては女王蜂と交尾するためだけに生まれて来て、交尾直後に生殖器が女王蜂の体内に残って引き抜かれてしまい、必ず死んでしまうことなどを知れば、これ、卒倒しかねないこと請け合いである。

・「相ひ交(まぢ)はるの時は、則ち、黃、退〔(しりぞ)〕く」交尾する際には体の黄色い色が褪せる、というのである。私はミツバチの交尾を見たことはないが、こんな話は聴いたことがない。なお、信頼出来る記載によれば、ミツバチの♂♀の識別は、複眼の大きさで区別することが可能であるが、自然状態での判別は非常に難しいとある。

・「王の子、盡(ことごと)く復た、王と爲り」言わずもがな乍ら、これも誤認。

・「其の分を去るなり」新たな女王となることが決定したら、分家をし、その巣を去る。

・「鋪〔(し)〕きて、扇のごとく、或いは圓〔(まどか)〕にして罌(もたい)のごとし」(「もたい」のルビはママ。正しくは「もたひ」(「甕」の意)である)時に平たく敷いたようになって、見た目は扇のように連なったり、或いは丸(まあ)るい形で、一見、水や酒を入れる大きな甕(かめ)のようにも見える形状になって。ここは老婆心乍ら、新王が旧主の巣を離れる際の、恐るべき量の蜂の群れの空を飛ぶ形状を形容しているのである。

・「脾のごとし」脾(臓)のようである、の謂いであるが、これは現在の内臓器官の「脾臓」ではなく、所謂、漢方で言うところの「五臓六腑」、肝・心・脾・肺・腎の一つであるところの「脾」で、漢方医学では主に食物の消化吸収(ここでは蜂が採取して来たものを消化吸収して変容させて蜜を創り出す現象を相似的として喩えたのである)になどを掌ると考えられているもので、現代医学に照らし合わせると、膵臓に相似性を求めることが出来る。

・「蕃からず」読み不詳。「ばんからず」では如何にもである。「蕃」は繁殖して増えるの謂いであるから意味は判る。

・「分定」読み不詳。「わけさだめる」と訓じておくか。子の王に王としての権利を分与し、新たな国家・社会としての巣を作るように勅定するということか。

・「取るに、惟だ中を得るは、什一〔(じふいつ)〕して税するに似たり」前の蜜の採取を載道史観によって説明する場面である。人が蜂蜜を採取する際に多くもなく少なくもない、中庸の量を採るのが正しいというのは、君子が民草から十分の一の税をのみ徴収して、民の生活をも十全に保障してやるという仁の理(ことわり)に似、それが彼らの仁の世界と照応して適った行為であるからである、というのである。これはフレーザーの言うところの類感呪術的発想と言える。

・「旦(あし)た」原典画像では明らかに「且」であるが、誤字と採って例外的に訂した。

・「花蘂〔(くわずゐ)〕等」かく書く良安は、蜂蜜の主体は、花の蜜ではなく、これら花の蘂や(恐らくは脚に多量に附着しているところの花粉)を原料として想定していたのではないか、と私には読めるのである。

・「争ひ」漢字はママ。

・「群蜂、之を螫殺〔(さしころ)〕す」これは恐らく、別集団の蜂や、破壊目的で侵入してくるスズメバチ類などに対する防御・攻撃行動を観察した誤認である。]

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