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2016/03/17

小泉八雲 神國日本 戸川明三譯 附原文 附やぶちゃん注(11) 日本の家族(Ⅵ)

 ギリシヤ、ロオマの結婚に就いて、クウランジュ氏は恁う言つて居る。『かくの如き宗教は決して一夫多妻を容れない』と。『古代都市論』’La Cité Antique’ の著者(クウランジュ氏)が考へて居たやうな、さういふ社會の非常に發達した家族的祭祀に關しての、氏の記述は殆ど疑問を挿む餘地はない。併し一般の祖先崇拜に關しては、或は正鵠を得て居ない處もある、蓋し一夫多妻も、一妻多夫も、祖先崇拜のまだ全く進歩して居ない形と共存しうるのである。クウランジュ氏に依つて研究された時代の西方アリヤン民族の社會は、實際一夫一妻てあつた。古代の日本社會は一夫多妻てあつて、それは家族の祭祀が成立した後までもつづいて居た。極く古い時代にあつては、結婚の關係そのものが不正確なものであつたと考へられる。則ち妻と妾との間には何等の區別も出來て居なかつた『それ等は共に、「女共」【註】として一緒にされて居た』恐らく支那の感化の下にあつて、その區別は後にはつきりとなつて來たのであらう、そして文化の進歩と共に統治階級は一夫多妻てあつたけれども、一般の傾向は一夫一妻の方にあつた。家康遺訓の第五十四條にこの社會狀態の姿が明瞭に言明されて居る――これは現代に至るまで行はれて來た狀態である――

[やぶちゃん注:以下、引用は底本では同ポイントの全体が二字下げである。〔 〕で示した箇所は底本では( )の二行割注である。]

 妻妾之差別は君臣之禮を以てすべし妾は天子十二妃諸侯八嬪大夫五嬙士に二妾其以下は匹夫也〔附記第五十四條とあれど『禁令考』には五十三條にこの事あり、後段、第四十五條引用の個處も四十四條にあたれり、その他一條づつの相違あり。〕

    註 サトウ著『純神道の復興』。“The Revival of pure Shintau”

[やぶちゃん注:「家康遺訓」「東照宮御遺訓」「御遺訓」「御遺戒」など別名があり、内容も異なる伝本が残る。これは「成憲百箇条」と呼ばれるタイプの中の一条か。但し、多くは現在では偽書とされているようだ(江戸時代の人々は勿論、本物と信じていた)。本書の最後の訳者戸川秋骨明三の後書きでも偽書であるらしいことが示されてある。

「大夫」教義には五位を授けられた者を指すが、ここは前の「諸侯」の下であるところの「大名の家老」クラスの地位を指す。

「嬪」は「ひん」で本来は古代に於いて天皇の寝所に侍した女官で、皇后・妃・夫人の下位に当たる女性を指した。四位・五位の者で、後世の女御・更衣に相当する。

「嬙」は「しやう(しょう)」は本来は「嬪」のさらに下位の女官を指した。

「匹夫」前の記載から考えると、これは「匹婦」で「一婦」の意、武士「以下」の一般庶民の身分の低い「匹夫」「匹婦」のみ、一夫に一婦とする、という謂いと読む。

「禁令考」明治初期に新政府の大木喬任(たかとう)が旧幕臣で司法省官吏であった菊池駿助らに命じて編纂した江戸幕府法令集「徳川禁令考」のことであろう。] 

 これに依つて見れば、蓄妾は永い間(多少の例外はあつたとして)特殊の權利てあつた事と考へられる、そしてそれが大名制度及び武家階級廢止の時代まて續いて來たといふ事は、古代社會の武力的性質を説明するに足りる。(特にハアバアト・スペンサアの『社會學原理』第一卷三百十五節なる『家族』の一章を見よ)家族的祖先崇拜は、一夫多妻とは兩立し得ないといふのは事實でないとしても、(スペンサア氏の言葉は極めて包括的である)少くともかくの如き禮拜が、一夫一妻的の關係に依つて便宜を得、從つてさういふ制度を建てる傾向をもつたといふのは事實である――それは一夫一妻が、他の關係に依つて得られるよりも、家族の繼續を鞏固になし得るからである。吾々はよし古い日本の社會が一夫一妻ではなかつたとしても、自然の傾向は、家族の宗教竝びに多數人民の道德觀と一番よく一致する條件として、一夫一妻の方に向つて居たと言ひうるのである。

[やぶちゃん注:私はこの解析の論理的正当性を認める。しかし、それ以上に、小泉八雲にとって恒久的な理想的な「家庭の平和」とは彼自身の経験上のトラウマによっても裏打ちされていると考える。彼が母と生き別れとなり、父とも断絶し、遂には孤独者として世界の辺地を放浪することになったのも、元を糺せば、彼の父が彼の母以外の女に惹かれたからに他ならないからである。特に心底、日本人となった八雲は生涯、彼の愛する「孝道」に反して、実の父を許さなかった。それは父が母を不幸にし、それが結局、「家庭の平和」を破壊した――「孝道」以前に「人としての道」「家長としての正しき権威のシンボル」に反した、おぞましい呪われるべき存在として実父が認識されていたからに他ならない。彼の小説作品に父のイメージが頗る貧困であるのは、そこにあると私は考えている。] 

 家族の祖先祭祀が一般に行はれるやうになるや、結婚の問題は孝道の義務として、これを若いもの自身の意志に委して置く事は、正常な事であり得なかつたのである。則ちそれは子供等に依るのでなく、家族に依つて決定さるべき事であつた、何となれば男女相互の愛情の如きは、家の宗教の要求する處に對して何等の力をも有し得ないからである。結婚に愛情の問題ではなく、宗教上の義務の問題てあつた、それに對して、別種の考へ方をするのは、神の教に背く事であつた。愛情は後になつて夫妻の關係から起こり來るとなし得るし、又さうであるべきであつた。併し如何なる愛情でも一族の團結を危くするほどに、その力を有つ場合には、それは罪惡とされる。故に夫があまりに妻に愛着するやうになつたが爲めに、その妻の離婚される事もあり得るし、養子とした夫が、その愛情に依つて、家の娘の上にあまり大なる感化力を働かしうるといふので、離緣される事もある。いづれの場合に於ても、その離婚を決行するに、別の理由が附けられなければならぬ事てあらうが――併しその別の理由なるものは容易に得られる事てあらう。

 夫歸の愛情も一定の制限内に於てのみ許されうるといふその理窟から、兩親なるもののその自然の權利も(吾人[やぶちゃん注:「ごじん」一人称複数。我々。後で「吾々」とも使われるが、戸川は何かそれを区別化して使用しているようには思われない。]の了解する處に依れば)當然古い日本の家に於ては制限されて居た。抑も結婚は禮拜を續かせるための後嗣を得る目的であるが故に、子供等は父母のものといふよりも、家族のものと考へられて居た。ここに於て子息の妻を離婚した場合若しくは養子を離婚した場合、――或は結婚した子息を癈嫡した場合も――その子供等は家族に殘されて居るのである。それは若い兩親の自然の權利は、一家の宗教上の權利に從屬するもの、と考へられて居たからである。この宗教上の權利に反對するものは、如何なる權利と雖も認められなかつたのである。勿論、實際には多少幸運な事情に依つて、個人も世襲的の家にあつて、自由を享有する事もあらう、併し理論上竝びに法律上から言へば、古い日本の家族には、その内の一員に取つては、何等の自由もないのであつた――重大な責任をもつ、一家の認められたる首長さへも、この例には洩れないのである。各個は尤も若い子供から祖父に至るまで、他の何人かに服從して居り、一家の生活の各行爲は、傳統的慣習に依つて制限を加へられて居たのである。

 ギリシヤ或はロオマの父親の如く、日本の家族の家長は、古い時代にあつては、一家のすべての人々の上に、生殺與奪の權力をもつて居たと考へられる。遠き蒙昧な時代にあつては、父はその子供を殺し、若しくは賣つたものと考へられる、而して後代になつても、統治階級の間にあつては、父の權力は殆ど無制限であり、その狀態のままで近代にまで及んで居た。その傳統に依つて説明される地方的の例外、若しくはその服從の事情に依つて説明される階級の例外はあつたとしても、日本の家長は、由來その一族内に於ては統治者であり、祭司(僧侶)であり、又役人であつたと言つて然るべきである。家長はその子を強いて或る結婚を爲さしめ、或はそれをやめさせる事も出來、或は癈嫡するとか、勘當する事をなし得、またその子供等の取るべき職業を定める事も出來たし、なほその権力は一族の各員竝びにその家の寄食者に迄及んだ。普通の人民の場合に於ては、時代に依つて、或る制限がその權力の遂行に對して加へられた事もあるが、併し武家階級にあつては、この家長の權力 Patria potestas は殆ど蝕制限てあつた。その極端な形に於ては、父の權力は一切を左右した、――生命と自由とに對する權利――結婚させ、若しくはすでに配偶した妻或は夫をして其結婚狀態をつづけしめるとする權利――自分の子達に對する權利――財産を保有する權利――官職を保持する權利――仕事を選び若しくはそれを續ける權利、さういふものを凡て左右して居た。家族は則ち專制主義であつた。

 併しながら族長的家族に行はれて居るこの絶對主義も、宗教上の信仰からは、正常なものとされて居るといふ事――一切の事は一家の祭祀のためには、犧牲に供せらるべきものであり、父一族の各員は、一家の繼續を完うするために、若し必要とあらば、その生命をも直に差し出すべきであるといふ確信からすれば、正當なものである、といふ事を忘れてはならない。この一事を記憶して置けば、何故に他の點に於ては進歩した文化を有するこの社會に於て、父がその子供を殺し、若しくは賣る事を正當と考へたかといふ事が容易に了解される。子息の罪惡の結果は、一族の減亡を招き、祭祀を絶やす事になるかも知れない――特に日本の武家の如き、その家族の一員の行爲に對して、前家族が責任を有し、その大罪は全家族の死刑となり、それが子供等にまで及ぶといふやうな武家の社會に於ては、さうであつた。また極度な必要に迫られた場合、娘の身賣りが家の破滅を救ひうる事もあるが、孝道は家の祭祀のために、かくの如き犧牲にも服從を要求したのである。

[やぶちゃん注:「家長の權力 Patria potestas」パトリア・ポテスタース。古代ローマに於いて、家長が奴隷を除く(奴隷に対するそれは所有権である)家族に対して持っていた、生殺与奪をも含んだ絶対的家父長権のこと。] 

 アリアン民族の間に於けるが如く、財産は、長子相續の權利に依つて、父から子息に傳へられ、長男は、他の財産が、大勢の子供の間に分配される場合にも、常にその本家な繼承したのである。然るに本家に屬する財産は家族の財産であつて、それは長男なる個人に傳へられたのでなくて、一家の代表としてその長男に傳へられたのである。大體に就いて言へば、父がその家長たる間は、その承認なくして、子息が財産を所有するといふ事は有り得ないのである。規則として――それにはいろいろ例外もあるが――娘は家を繼承する事は出來ないので、それが獨り娘である場合、養子として夫を迎へるのであるが、家の財産は、その養子となつた夫に傳へられるのである、何となれば(最近に至るまでは)婦人は一族の頭となる事が出來なかつたからである。これは西洋のアリヤン民族の家族に於ても、その祖先崇拜の時代にあつては同樣であつた。

註 舊目本に於ける父子繼續の法は、階級と場所と、時代とに依つて著しく異つてゐる、この全問題はまだ十分に論じられて居なかつた、今は安全な一般的な記述を試みるに止めて置く。

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