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2016/03/07

甲子夜話卷之一 50 那須與一扇的玉蟲が詠歌の事

50  那須與一扇的玉蟲が詠歌の事

一日小笠原平兵衞と會して四方の話をせし中に、予、那須與一が扇の的射たりしことを云出したるに、小笠原云よう、此時かの玉蟲が詠たる歌ありと云。何に出たるやと聞ば、『盛衰記』にありと云。乃これを見に曰。源氏はあ射たり射たりと譽めければ、船にもとよみにて有ける。紅の扇の水に漂ふ面白さに、玉蟲は、

 

 時ならぬはなやもみぢを見つるかな

      芳野はつせの麓ならねど

 

其あとに義經此賞にとて、與一に引出ものをやりけることを記して、與一弓矢とる身の面目、屋嶋の浦にぞきはめたり。近き代の人、

 

 あふぎをばうみのみくづとなすの殿

      ゆみの上手は與一とぞきく

 

戰軍の中、女もやさしきことなり。狂哥も今時の詠とは違て優なることなり。『盛衰記』は誰人も見るものなれど、見ぬ人は知らじと書つく。

■やぶちゃんの呟き

「那須與一」「14 那須與一、後豫州に住せし事」を参照。また、私の藪野直史野人化4周年記念+ブログ・アクセス670000突破記念 火野葦平 海御前 附やぶちゃん注」の与一関連の注も是非とも参照されたい。

「小笠原平兵衞」江戸時代は旗本で弓馬礼法師範家として、小笠原平兵衛家(元、赤沢氏。騎射を礼式)と小笠原縫殿助(ぬいのすけ)家(歩射を礼式)が存在し、現在の小笠原流宗家はこの平兵衛家。没年から見ると小笠原常亮か常高か。

「玉蟲」屋島の戦いの那須与一のエピソードで、船の舳先に立ってこの扇の的を射てみよと手招きして挑発した平家の女官玉虫前(たまむしのまえ)。宮中一の美女であったとされる。平家滅亡後、鬼山御前と名を変えて、平家の落人が隠れ住んだとされる五家荘(現在の熊本県八代市泉町内)の近く、現在の八代市泉町(いずみまち)の岩奥(いわおく)にあって、源氏の追手を防いだとされ、奇しくも、追討にやって来た与一の嫡男と恋におちたとする伝説なども残る。

「盛衰記」「源平盛衰記」。内閣文庫蔵慶長古活字本(国民文庫)では第四十二の「屋島合戰 付 玉蟲立ㇾ扇與一射ㇾ扇事」に出る。「J-TEXT」ので原文が読める。当該箇所を恣意的に正字化して示す(頭は少し前から。一部の表記を直し、注記を省略した)。

   *

十二束二つ伏の鏑矢を拔出し、爪やりつゝ、滋籐の弓握太なるに打食、能引暫固たり。源氏の方より今少打入給へ打入給へと云。七段計を阻たり。扇の紙には日を出したれば恐あり、蚊目の程をと志て兵と放。浦響くまでに鳴渡、蚊目より上一寸置て、ふつと射切たりければ、蚊目は船に留て、扇は空に上りつゝ、暫中にひらめきて、海へ颯とぞ入にける。折節(をりふし)夕日に耀て、波に漂ふ有樣(ありさま)は、龍田山の秋の暮、河瀬の紅葉に似たりけり。鳴箭は拔て潮にあり、澪浮州と覺えたり。平家は舷を扣て、女房も男房も、あ射たりあ射たりと感じけり。源氏は鞍の前輪箙を扣て、あ射たりあ射たりと譽ければ、舟にも陸にも、どよみにてぞ在ける。紅の扇の水に漂ふ面白さに、玉蟲は、

  時ならぬ花や紅葉をみつる哉芳野初瀨の麓ならねど

平家侍に、伊賀平内左衞門尉(へいないざゑもんのじよう)が弟に、十郎兵衞尉家員と云者あり。餘りの面白さにや、不感堪して、黑絲威(くろいとをどし)の冑に甲をば著ず、引立烏帽子(ひきたてえぼし)に長刀を以、扇の散たる所にて水車を廻し、一時舞てぞ立たりける。源氏是を見て種々(しゆじゆ)の評定あり。是をば射べきか射まじきかと。射よと云人もあり。ないそと云者もあり。是程(これほど)に感ずる者をば、如何無ㇾ情可ㇾ射、扇をだにも射る程の弓の上手なれば、増て人をば可ㇾ弛とはよも思はじなれば、な射そと云人も多し。扇をば射たれ共武者をばえいず、されば狐矢にこそあれといはんも本意なければ、只射よと云者も多し。思々の心なれば、口々にとゞめきけるを、情は一旦の事ぞ、今一人も敵を取たらんは大切也とて、終に射べきにぞ定めにける。與一は扇射すまして、氣色して陸へ上けるを、射べきに定めければ、又手綱引返て海に打入、今度は征矢を拔出し、九段計を隔つゝ、能引固て兵と放。十郎兵衞家員が頸の骨をいさせて、眞逆に海中へぞ入にける。船の中には音もせず、射よと云ける者は、あ射たりあ射たりと云、ないそと云ける人は、情なしと云けれ共、一時が内に二度の高名ゆゝしかりければ、判官大に感じて、白驄馬(さめむま)に、〈尾花毛馬也〉黑鞍置て與一に賜。弓矢取身の面目を、屋島の浦に極たり。近き代の人、

  扇をば海のみくづとなすの殿弓の上手は與一とぞきく

   *

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