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2016/03/20

小泉八雲 神國日本 戸川明三譯 附原文 附やぶちゃん注(12) 日本の家族(Ⅶ)

 近代の考へ方から見ると、舊日本の家族に於ける婦人の地位は全く幸福なものとは思はれない。子供として、女はただに上長に服從したのみならず、また家のすべての成人の男子に服從して居た。他の家へ妻として迎へられても、ただ同樣な服從の狀態に移されたに過ぎず、而も自分の祖先の家に於て、父母や兄弟姉妹の關係に依つて與へられて居た愛情は得られなくなるのである。その夫の家に居るのは、夫の愛情に依るのではなく、むしろ多數の人の意志、特に年長者の意志如何に依るのである。離婚された場合にも、女は自分の子供を要求する事は出來なかつた、それは夫の家族に屬したものであつたからである。如何なる際にも、妻としての務めは雇人なる女中の務めよりも苦しいものであつた。只だ老後に於てのみ、婦人は多少の權威を振るひうる望みもあるが、その老年に於ても、なほ後見を附せられて居た――女は全生涯を通じて後見の下にあつたのである。『女は三界に家なし』A woman can have no house of her own in the Three Universes. とは古い日本の諺である。婦人はまた自分一個の祭祀を行ふ事も出來ない、一家の婦人達の爲めの特別な祭祀といふものはない――夫の祭祀と離れた婦人だけの別の祖先の祭祀はない。結婚に依つて歸人がより位の高い家族に入るや、その位置はいよいよ難しくなる。貴族階級の婦人には、自由といふものは全くない。貴族階級の婦人は駕籠に乘るか、若しくは警護に依つて伴なはれるのでなければ、家の門外へすら出られなかつたのである。そして妻としてのその生活は、その家に妾の居る事に依つて、恐らくは痛められたのである。

[やぶちゃん注:「女は三界に家なし」「三界」は「さんがい」と濁り、本来は仏教用語であって欲界(食欲・淫欲などの本能的な欲望が盛んな世界。六欲天から人間界、果ては八大地獄も含まれる)・色界(欲界の上で無色界の下にある世界とされる欲や煩悩はないものの、無色界ほど物質や肉体の束縛から完全には脱却していない世界で、四禅を修めた者の生まれる天界とされ、初禅天から第四禅天の四禅天より構成され、さらにそれが十七天に分けられる)・無色界(肉体・物質から完全に離脱し、心の働きである受・想・行・識の四蘊(しうん)だけからなる純粋世界を指す。その内はさらに四天に分けられ、その最上の「非想非非想天」が別称「有頂天」である)を指すが、この諺ではそこから単に「全世界」の意で用いている。則ち、女は幼少の砌りは親に、嫁に行ってからは夫に、老いて後は子供に従うものであり、広い世界のどこにも身を落ち着ける場所はない、という謂いとなる。]

 

 かくの如きは則ち古代に於ける族長的家族の狀態てあつた、が併しその實際の事情は法律と慣習とが示すよりも遙かに良かつたと察しられる。由來日本の民族は陽氣て快活であるから、何世紀も以前に於て、人世の難境を平らかにし、法律と慣習との酷しい強要を和らげる道を幾多發見した。家族の頭の、偉大なる權力の、殘虐なる方に用ひられた事は恐らく滅多にない事であつた。一家の頭は、法律上尤も恐るべき種類の權利をもつて居たのではあるが、併しこれ等の權利は一家の頭が、責任をもつて居るといふ理由から、自然もつて居るもので、社會の批判に反いてまでも用ひられたといふ事は、先づない事であつた。古い時代にあつては、法律上個人といふものは、認められなかつたものである事を記憶して置かなければならぬ。承認されたのは只だ家族のみで、家族の頭は法律上その家の代表者として存在したのである。故に一家の頭が過をすれば、全家擧つてその過から來る罰を受けなければならないのであつた。なほまた一家の頭が、その權力を極度に働かした場合、その一々の働きはそれに相應した責任を伴なつたのであつた。彼はその妻を離婚し、若しくはその子のために迎へた嫁を逐ふ事も出來た、併しこの孰れの場合に於ても、その行爲に對し、離婚されたるものの一族に向つて責任を負はなければならないのである、而して離婚の權利は、特に侍の階級に於ては、安族の怒りを購ふ恐れのあつたので、制限されて居た、則ち妻を不當に離緣する事は、その親族に對する侮辱と考へられたのである。家長はその唯一の子息を廢嫡する事も出來る、併しそのものが下等な階級のものでない限り、家長は社會に對しその行爲を聲明しなくてはならない。家長が一家の財産の處置に就いて不取締であるといふ事もある、併しその場合には組合の當局(其筋)に訴へる事も出來、その結果その家長は隱居を命ぜられる事もある。吾々の研究した古い日本の法律に關して今日なほ殘つて居るものから判斷しうる限り、家族の長も、その所有地を賣り、若しくは割讓する事は出來なかつたといふのが、一般の規則であつたらしい。家族の統治は專制的であつたが、その統治は一人の主人のではなくて、一個の團體の統治であつた、一家の長は字通際家族の他の人々の名に於て權威を働かしたのである。……この意味に於て家族は今でも專制主義である、併しその法律上の頭たる權力は、後年の慣習に依る内外兩方面から防遏されて居る。養子、廢嫡、結婚若しくは離婚の行爲は、通常廣く家族一般の同意に依つて決定され、何事でも個人の不利となるやうな重要な事を決行するには、一家竝びに親族の決議が要されるのである。

 

註 侍たる父は不貞の行のあつた娘を殺し、若しくは家名を汚す行爲を敢てした子息を殺しても差支ないのであつた。併し侍たる身分のものはその子女を賣る事はしない、娘の身賣りはただ下層階級のもの、或は侍以外の他の階級の進退谷まつた場合に立ち至つた家族に依つてのみ行はれたものであつた、併し娘がその家族の爲めに進んで身を賣るといふ事はあつた。

[やぶちゃん注:「防遏」「ばうあつ(ぼうあつ)」と読み、外からの侵入や拡大などを防ぎ止めること。「防止」に同じい。

「谷まつた」老婆心乍ら、「きはまつた(きわまった)」と訓ずる。]

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