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2016/03/13

ツルゲーネフ原作米川正夫譯「生きた御遺骸」(「獵人日記」より)(Ⅰ)

[やぶちゃん注:本作はイワン・セルゲーエヴィチ・ツルゲーネフ Иван Сергеевич Тургенев Записки охотникаЖивые мощиの米川正夫氏の訳、「獵人日記」の「生きた御遺骸」の全文である。

 底本は昭和二七(一九五二)年新潮文庫刊「獵人日記 下巻」を用いた。

 実は私は既に同作品の中山省三郎氏による翻訳「生神樣」をPDF縦書版HTML横書版HTML縦書版の三種で公開しているが、私は本作には「猟人日記」に馴れ親しんだ小学生時代から、特に思い入れがある。しかも、母が二〇一一年三月十九日にALS(筋委縮性側索硬化症)で亡くなる前後から、私はこの作品のルケリヤと母が強く重なって意識されるようになった。今年は母が亡くなって五年目の祥月命日を迎える。それに当たって、今年はその命日までに、パブリック・ドメインとなった私が馴れ親しんだ米川氏の訳文も電子化したいと感じた。ただ、現代仮名遣の新字版は持っていたはずなのであるが、どうも見出せない(考えてみると、昔、教え子に贈ってしまった可能性が強い感じがする)。されば、すぐ手元にある何種かの内で、新しい上記の版を用いることとした。若い諸君には悪いが、これもまた正字・歴史的仮名遣版である。お許しあれ。米川氏による割注は〔 〕で同ポイントで示した。

 踊り字「〱」は正字化した。注は附さず、静かに電子化したい。――母の御霊に捧ぐ――【2016年3月13日始動】]

 

     生きた御遺骸

 

        長き忍苦にみちたる郷土――

        露西亞の民の國よ、いましは!

              フョードル・チユツチエフ

 

 佛南西の諺のいふところに依ると、「乾いた漁師と濡れた獵人(かりうど)のすがたほど世にも哀れなものはない」とのことである。私はまだ魚とりを道樂にしたことがないので、晴れたいゝ日和に漁師がどんな氣持ちを味はふものか、また天氣の惡い日に獵が澤山あつたら、その嬉しさがどのくらゐ濡れ鼠の不快さを紛らしてくれるものか、何とも見當がつきかねる。しかしとにかく、雨といふやつは獵人に取つて全く災難である。丁度この種類の災難に私は出くはした。それは或る時、エルモライを連れて、松雞(えぞやまどり)を擊ちにべーレフ郡へ行つた時のことである。まだ夜の引き明けから雨は小止みなしに降り續けた。この災難を除けるために、ありとあらゆる方法を盡くしてみた! ゴムびきの合羽を頭からすつぽり被りもしたし、なるべく雨の滴に打たれまいと、木の下蔭に佇んでもみたが‥‥雨合羽の方は、鐡砲を打つ邪魔になつたことは云ひ立てないにしても、臆面もなく平氣で水を浸(とほ)すし、木蔭は又、なるほど初めのうちは、雨の雫が落ちて來ないやうに思はれたけれど、やがてその中に、叢葉(むらは)に溜まつた水が急にどつとこぼれて、枝といふ枝が樋の栓を拔いたやうな瀧しぶきを頭の上から落とすので、冷たい水がネクタイの下を潛り、背筋を傳はつて流れるのであつた‥‥これはエルモライの言葉を借りると、『いよいよのどんづまり』であつた!

「いや、ピョートル・ペトローヸッチ」到頭彼はかう云ひ出した。「これぢや、仕樣がありませんや! 今日は、獵は駄目ですぜ。犬は、濡れて鼻が利かなくなるし、鐡砲は火がつかねえ‥‥ちよつ! お話になりやしねえ!」

「どうしたものかな?」と私は訊ねた。

「かうしませうよ。アレクセーエフカへ參りやせう。旦那は御存じないかも知りませんが――ちよつとした農場がありましてな、旦那の御母(おふくろ)さまの所有(もちもの)になつてをります。こゝから八露里ばかりのところで。今夜はそこで泊つて、明日になつたら‥‥」

「こゝへ引つ返すか?」

「いんえ、こゝへ歸るんぢやありません‥‥アレクセーエフカの先きにわつしの知つたところがありましてね‥‥松雞(えぞやまどり)をやるにや、こゝよりずつといゝ所なんで!」

 私はこの忠實な件の男に、それくらゐなら何故いきなりそこへ案内しなかつたか、などと押して訊ねようとはしなかつた。そして、その日の中に母の所有になつてゐる農場へ辿りついた。正直な話、そんなものがあらうなどとは、今まで私は夢にも知らなかつたのである。この農場には小さな離家(はなれ)がついてゐて、かなり古びてはゐたけれど、誰も人が住んでゐなかつたので、從つてさつぱりしてゐた。私はそこで極めて穩かな一夜を過ごした。

 翌日は思切り早く眼を醒ました。太陽は今しがた昇つたばかりで、空には雲の翳さへなかつた。あたりには、烈しい光りが二重になつて照り輝いてゐた。若々しい朝の光りと、まだ乾きもやらぬ昨日の夕立の反射なのである。小馬車(タラタイカ)の用意をしてゐる間に、小さな庭をそゞろ歩きに出かけた。嘗ては果樹園であつたのが、今はただ荒れるに任してある。でも、薫りの高い水々しい叢葉が、四方から離れを取り圍んでゐた。あゝ、外氣の中の快さ、頭の上に靑空が擴がり、雲雀が鳴寫、鈴のやうな囀りが小さな銀の玉でも振り撒くやうに虛空から降つて來る! 彼らはきつと翼の上に露の滴を載せて行つたに違ひない。その歌聲は露をそゝいだやうに思はれる。私は帽子までぬいで悦びの胸を一杯に張つて息をした‥‥餘り深くないの谷の斜面に、結ひめぐらした柴垣のすぐ傍に養蜂場が見える。高草(プリヤン)や蕁草(いらくさ)が壁その儘に密生してゐる間を、一と筋の細徑が蛇のやうに蜿りながらそこへ通じてゐる。雜草の上には、どこから種子を運ばれたのか、暗綠色をした大麻の莖が高く聳えてゐる。

 この徑づたひに歩いて行くと、養蜂場へ出た。その傍(かたはら)には柴を編ん造つた納屋があつた。冬、蜜蜂の巣を入れて置く、いはゆる「圍ひ」である。私は半ば開いた戸口を覗いて見た。中は暗くてひつそりして、乾き切つてゐる。薄荷や蜜蜂蕈(メリツサ)の匂ひがする。片隅には板の間が設けられて、その上に何やら蒲團にくるまつた小さな物の形が見える‥‥私は出て行かうとした‥‥

「旦那さま、もし、旦那さま! ピョートル・ベトローヸッチ」沼の菅のそよぎのやうに弱々しい、ゆつたりした、嗄れ聲が聞こえた。

 私は足を停めた。

「ピョートル・ベトローヸッチ! どうぞ、こちらへいらしつて!」と、いふ聲がまた聞こえる。それは、私が目をつけた例の板の間から響いて來るのであつた。

 私はそばへ寄つて見て、驚きのあまり棒のやうに立ち疎んだ。私の前には生きた人間が臥てゐたのである。しかし、これは一體なにものだらう?

 頭はすつかり萎び切つて、たゞ一樣に靑銅色をして、――どう見ても紛れのない――昔風の描き方をした聖像のやうであつた。鼻は剃刀の刄のやうに尖つて、唇は殆んど見分けられない位で、たゞ齒と眼ばかりが白く目立ち、頭を縛つた布の下からは、乏しい黃色い髮が額にはみ出してゐる。顎の邊まで被さつてゐる蒲團の襞の下から、小枝のやうな指をゆるゆると爪繰りながら、同じく靑銅色をした小さな兩手が動いてゐる。私はなほも眼をすゑて見た。その顏は醜くないばかりでなく、却つて美しいくらゐであつたが――しかし物凄い、竝み外れたものであつた。その上この顏が、金屬のやうな感じのする頰のあたりに、微笑みを擴げようともがき‥‥もがいてゐるのを見て、一しほ恐ろしく思はれたのである。

「わたしがお分かりになりませんか、旦那樣?」とまた同じ聲が囁いた。その聲は動くか動かないか見分けられない程の唇から、湯氣のやうに吐き出されるかと思はれた。「それに又、お分かりにならう道理がありません! わたしはルケリヤでございます‥‥覺えていらつしやいますか、あのスパスコエのお母樣のところで輪踊(ホロヲード)の音頭取りをいたしました‥‥お覺えでいらつしやいますか、わたしはその上に合唱の方も音頭を勤めてをりましたが?」

「ルケリヤ!」と私は叫んだ。「お前だつたのかい! まさかどうも!」

「わたし、さうなのでございますよ、旦那さま――わたし、わたしがルケリヤでございます。」

 私は何と云つていゝか分からないで、薄色(うすいろ)の死んだやうな眼を私に注いでゐる、このどす黑いぢつと動かぬ顏を、呆然として瞶めてゐた。これが果たして有り得ることだらうか? この木乃伊がルケリヤだとは――あの背が高くて色の白い、頰のあかあかとした、笑ひ上戸の踊り好き、そして歌の名人で、邸中でも一番の美人であつたルケリヤ! 村の若い衆がみんなで後を追ひ廻した利巧者のルケリヤ、私自身まだ十六歳の少年の頃、ひそかに憧れの對象にしてゐた、あのルケリヤだとは!

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