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« 生物學講話 丘淺次郎 第二十章  種族の死(4) 三 歷代の全盛動物 | トップページ | 卒業式召集令状夢 »

2016/03/01

生物學講話 丘淺次郎 第二十章  種族の死(5) 四 その末路

      四 その末路

 

 以上若干の例で示した通り、地質時代に一時全盛を極めた動物種族は、その後必ず速に滅亡して次の時には全く影を止めぬに至つたが、これは一體如何なる理由によるか。一度すべての敵に打ち勝ち得た種族はなぜそのまゝに次の時まで優勢を保ち續け得ぬのであらうか。この問に對しては、前にも述べた如くまだ何らの定説が發表せられたことを聞かぬ。少くとも何人をも滿足せしめ得るやうな明瞭な解決を試みた人はまだないやうに見受ける。どの種族も全盛時代の末期には必ず何らかの性質が過度に發達して、そのため生存上却つて不都合が生じ、終に滅したかの如くに見える所から考へて、或る人は生物には一度進歩しかゝつた性質はどこまでもその方面に一直線に進み行く性が具はつてゐると説き、これを直進性と名づけ、一度盛に發展した動物の種族が進み過ぎて終に滅亡したのは、全く直進性の結果であると唱へたが、これは單に不可解のことに名稱を附けただけで、わからぬことは依然としてわからぬ。次に説く所は著者一人の考である。

 

 およそ生存競爭に勝つて優勢を占める動物種族ならば、敵に優つた有効な武器を具へて居ることはいふまでもないが、その武器は種族の異なるに隨うてそれぞれ違ふ。或は筋力の強さで優るものもあらう。または牙と爪との鋭さで優るものもあらう。或は感受の鋭敏なこと、走ることの速なこと、皮膚の堅いこと、毒の劇しいこと、蕃殖力の旺盛なこと、その他何らかの點で敵に優つたために、競爭に勝つを得たのであらうから、全盛を極める種族には各々必ずその得意とする所の武器がある。さて生物各種の個體の數が平常著しく殖えぬのは他種族との競爭があるためで、もし敵がなかつたならば忽ちの間に非常に增加すべき筈であるから、すべての敵に勝ち終つた種族は盛に蕃殖して個體の數が限りなく殖えるであらう。そして個體の數が多くなれば生活が困難になるのを免れず、隨つて同種族内の個體間もしくは團體間の競爭が劇烈にならざるを得ないが、その際各個體は如何なる武器を以て相鬪うであらうかといふに、やはりその種族が嘗て他種族を征服するときに用ゐたのと同じものを用ゐるに違ない。即ち筋力で他種族に打ち勝つに種族ならば、その個體が相戰ふにも同じく筋肉によるであらう。また爪と牙とで他種族を亡した種族ならば、その個體間に於てもやはり爪と牙とによる戰が行はれるであらう。個體間に劇しい競爭が行はれる結果として、これらの武器益々強くなり大きくなるであらうが、いづれの器官でも體部でも過度に發育すると却つて種族生存のためには不利益なことになる。例へば筋力の強いことによつて敵を悉く征服した種族が、敵のなくなつた後に更に個體間で筋力の競爭を續けて益々筋力が增進したと想像するに、筋力が強くなるには筋肉の量が增さねばならぬが、筋肉が太くなればその起點・著點となる骨も大きくなり隨つて全身が大きくならねばならぬ。角力取りが普通の人間より大きいのも、力委せに敵を締め殺す大蛇が毒蛇類よりも遙に大きいのも、主として筋肉發育の結果である。かやうな種族内の競爭では身體の少しでも大きいものの方が力が強くて勝つ見込みがあらうが、身體が大きくなればそれに伴うてまた種々の不便不利益なことが生ずる。即ち日々の生活に多量の食物を求めねばならず、生長には非常に手間がかかり、隨つて蕃殖力は極めて低くなる。その上「大男總身に智惠が廻り兼ね」といふ通り、體が重いために敏活な運動が出來ず、特に曲り角の處で身の輕い小動物の如くに急に方向を變へることは惰性のために到底不可能となるから、小さな敵に攻められた場合には恰も牛若丸に對する辨慶の如くに忽ち敗ける虞がある。されば身體の大きいことも度を超えると明に種族生存のために不利益になるが、他種族の敵がなく同種族内の個體同志のみで筋力の競爭をなし續ければ、この程度を超してなほ止まずに進むことを避けられぬ。直進性とはかゝる結果を不可思議に思うて附けた空名に過ぎぬ。また牙が大くて鋭いためにすべて他の種族を壓倒し得た種族が、敵のなくなつた後に更に個體間で牙による競爭を續けたならば、牙は益々大きく鋭くなるであらうが、これまた一定の度を超えると却つて種族の生存上には不利益になる。なぜといふに、およそ如何なる器官でも他の體部と關係なしに、それのみ獨立に發達し得るものは決してない。牙の如きももし大きくなるとすれば、その生じて居る上顎・下顎の骨からして太くならねばならず、顎を動かすための筋肉も、その附著する頭骨も大きくならねばならぬが、頭が大きく重くなれば、これを支へるための頸の骨や頸の筋肉まで大きくならねばならず、隨つてこれを維持するために動物の負擔が餘程重くなるを免れぬ。即ち他に敵のない種族の個體が牙の強さで互に競爭し續ければ、牙と牙に關係する體部とはどこまでも大きくなり、終には畸形と見倣すべき程度に達し、更にこの程度をも通り越して進むの外はない。その有樣は歐米の諸強國が大砲の大きさを競爭して妙な形の軍艦を造つて居るのと同じである。何事でも一方に偏すれば他方には必ず劣る所の生ずるのは自然の理であるから、牙の大きくなることも度を超えて極端まで進むと却つて種族の生存には不利益となり、他日意外の敵に遭遇した場合に脆くも敗北するに至るであらう。

 

 以上は單に一二の場合を想像して理窟だけを極めて簡單に述べたのであるが、實際地質時代に一時全盛を極め後急に絶滅したやうな動物種族を見ると、その末路に及べば必ず身體のどこかに過度に發達したらしい部分がある。或は身體が大き過ぎるとか、牙が長過ぎるとか、角が重過ぎるとか、甲が厚過ぎるとか、とかく生存に必要と思はれるより以上に發育して殆ど畸形に近い姿を呈し、恐らくそのために却つて生存が困難になつたのではなからうかと考へられるものが頗る多い。從來はかやうなことに對し直進性といふ名を附けたたりして居たが、著者の考によれば一方のみに偏した過度の發育は全く他種族の壓迫を蒙らずに自己の種族のみで個體間または團體間に劇しい競爭の行はれた結果である。他種族と競爭して居る間は種族の生存に不利益な性質が發達する筈はないが、すべて他の種族を征服して對等の敵がなくなると、その後は種族内で競爭を續ける結果として、嘗て他種族に打ち勝つときに有効であつた武器が過度に進歩し、殆ど畸形に類する發育を遂げるであらう。個體間の競爭で勝負の標準となる性質が、競爭の結果過度に進むを免れぬことは、日常の生活にも屢々見掛ける。例へば女の顏の如きも色が白くて唇の赤いのが美しいが、男の愛を獲んと競爭する結果、白い方は益々白く塗つて美しい白の程度を通り越し、赤い方は益々赤く染めて美しい赤の程度を通り越し、白壁の如くに白粉を塗り、玉蟲の如くに紅を附けて得意になつて居る。當人と、痘痕(あばた)も靨(えくぼ)に見える情人とはこれを美しいと思うて居るであらうが、無關係の第三者からはまるで怪物の如くに見える。新生代の地層から掘り出された牙の大き過ぎる虎や、角の重過ぎる鹿なども恐らくこれと同じやうに同僚間の競爭の結果過度の發達を遂げたものであらう。

 

 一方に過度の發育を遂げれば、これに伴うて他方には過度の弱點の生ずるを免れぬであらうから、これが或る程度まで進むと、今まで遙に劣つて居る如くに見えた敵と競爭するに當つて、自分の不得意とする方面から攻められると脆く敗北する虞が生ずる。前にも述べた通り、優れた種族とはいづれも自分の得意とする方面だけで敵に優るもの故、得意とせぬ方面に甚しい缺陷が生じたならば、種族の生存はそのため頗る危險となるに違ない。一時全盛を極めた動物種族がその末路に及んで遙に劣つた敵にも勝ち得ぬに至つたのは、右の如き狀態に陷つたためであらう。その上一時多くの敵に勝つやうな種族は必ず專門的に發達し、身體各部の分業も進んだものであるから、もし外界に何らかの變動が起り、温度が降るとか、濕氣が增すとか、新な敵が現れるとか、從來の食物がなくなるとかいふ場合には、これに適應して行くことが餘程困難で、そのため種族の全滅する如きことも無論屢々あつたであらう。

 

 要するに著者の考によれば、生物各種族の運命は次の三通りの外に出ない。競爭の相手よりも遙に劣つた種族は無論競爭に敗れて絶滅するの外はない。また競爭の相手よりも遙に優つた種族はすべての競爭者に打ち勝ち、天下に敵なき有樣に達して一時は全盛を極めるが、その後は必ず自己の種族内の個體間の競爭の結果、始め他の種族を征服するときに有効であつた武器や性質が過度に發達し、他の方面にはこれに伴ふ缺陷が生じて却つて種族の生存に有害となり、終には今まで遙に劣れる如くに見えた敵との競爭にも堪へ得ずして自ら滅す亡するを免れぬ。たゞ敵から急に亡されもせず、また敵を亡し盡しもせず、常に敵を目の前に控へて、これと對抗しながら生存して居る種族は長く子孫を殘すであらうが、その子孫は長い年月の間には自然淘汰の結果絶えず少しづつ變化して、いつとはなしに全く別種と見倣すべきものとなり終るであらう。ニイチエの書いたものの中に「危く生存する」といふ句が有つたやうに記憶するが、長く種族を繼續せしめるには危い生存を續けるの外に途はない。「敵國外患なければ國は忽ち亡びる」といふ通り、敵を亡し盡して全盛の時代に蹈み込むときは、即ちその種族の滅亡の第一歩である。盛者必滅・有爲轉變は實に古今に通じた生物界の規則であつて、これに漏れたものは一種としてあつた例はない。以上述べた所は、これを一々の生物種族に當て嵌めて論じて見ると、なほ細かに研究しなければならぬ點や、まだ説明の十分でない處が澤山にあるべきことは素より承知して居るが、大體に於て事實と矛盾する如きことは決してないと信ずる。

[やぶちゃん注:『ニイチエの書いたものの中に「危く生存する」といふ句が有つたやうに記憶する』これはフリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ(Friedrich Wilhelm Nietzsche 一八四四年~一九〇〇年)が一八八二年に刊行した、かの「永劫回帰説」を示し、「神は死んだ」と記したアフォリズム形式の「悦ばしき知識」(Die fröhliche Wissenschaft)の「第四書」の「二八三」章の一節であろう。所持する一九九三年刊筑摩書房ちくま刊学芸文庫版「ニーチェ全集」第八巻の信太正三氏の当該箇所の訳文を引くと、『――生存から最大の収穫と最大の享受とを刈り入れるる秘訣は、危険に生きるということだからだ!』(太字「危険に生きる」の箇所は底本では傍点「ヽ」)とある。原文は「gefährlich leben!」(ゲフェーアリヒ・レーベン!)か。]

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