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2016/03/13

小泉八雲 神國日本 戸川明三譯 附原文 附やぶちゃん注(6) 日本の家族(Ⅰ)

 

  日本の家族 

 

 凡そ永續して來た祖先崇拜の基となつてゐる大きな廣い考へ、則ちその基礎を爲す思想は、生者の安寧は死者の安寧に依るといふ考へである。この思想竝びにそれから起つて來る祭祀の感化の下に、古の家族の組織、財産及び相續に關する法律、一言を以つてすれば、古代社會の全組織が發展して來たのである――西洋に於ても東洋に於ても。

 併し古い日本の社會組織が、祖先の祭祀からその形を得たものであるかを考へる前に、最初は死者以外には神といふもののなかつた事を、重ねて讀者に注意して置きたいのである。日本の祖先崇拜が神話を作り出した時にあつてすら、その神々はただ亡靈のその姿をかヘたものに過ぎなかつた――而してこれが又すべての神話の歷史なのである。天國及び地獄といふ思想は原始の日本には存在しなかつた、また輪廻の考も同樣ありはしなかつた。佛教の再生の教も――後年に他から藉り來つた教であるが――上古の日本の信仰とは全然兩立しないものであつて、その教を立てるためには、念入りの哲學的教理を要したのであつた。併し吾々は日本人の死者に就いての古い思想は、ホオマア以前の時代に於けるギリシヤ人の思想に酷似して居ると想像し得るのである。則ち靈が下つて行く下界といふものがあつた、併しその靈はまた好んで自分の葬られた墓場、若しくはその靈屋の邊に、とどまつて居ると考へられて居たのである。この靈の遍在する力をもつて居るといふ考は、僅に徐に發展し得た事であつた。その考の發展し來たつた時ですら、靈は特に墓場、神殿、住家につき纏つて居ると考へられて居た。平田(篤胤)は十九世紀の初めに當つて恁う書いて居た『死者の靈は吾々の周圍の何處にでもある目に見えざる世界の内につづいて存在して居り、いろいろな種類や程度の力をもつた神々となつた。或るものはそれを祭るために建てられた社の内に住み、また或るものはその墳墓の近くに止まつて居り、みな續いて生前と同樣にその主君や兩親、妻子等に奉仕して居る』と。言ふまでもなくこの『目に見えざる世界』は大體は目に見える現世のうつしで、同じものであると考へられ、その世界の幸運は生者の助けに依ると考へられてゐるのである。則ち生者と死者とは互に相ひ倚託してゐたのである。故に亡靈に取つて何よりも以上に重大であつた必要事は、供物を以つてする崇拜であつたし、また人に取つて何よりも以上に重大なる必要事は、自分の靈に對する將來の祭拜をして貰ふ用意であつた。而して禮拜を受ける保證を得ずして死ぬといふのは最大の不幸であつた……、この種の事實を知つて置けば、族長的の家族の組織を了解するに大いに都合が良い――その組織は死者の祭祀を保持し、その用意をするために作られたもので、この祭祀を怠れば不幸を招くと信じられたのであるから。

[やぶちゃん注:「死者の靈は……」は以下、段落の最後までは、平田篤胤の「玉襷」の「十之卷」に基づく。平井呈一氏の「日本 一つの試論」に「訳者注」として引かれるものを正字化して示す。

   *

すべて人間の靈魂と云ものは。例の眞柱にも申たる如く。千代常磐(トコトハ)につくる事なく。消(キユ)る事なく。墓所(ハカドコロ)にもあれ。祭屋(マツリヤ)にもあれ。其祭る處に。きつと居る事で。‥‥或は其家に就(ツキ)て。功績(イサオ)ありし家臣等に至(イタ)る迄も。凡(スベ)て其祭屋の内に祭りたる靈等は。漏(モ)れず落ず。‥‥

   *

「倚託」「いたく」と読み、依り頼む、頼りにすることの意。]

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