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2016/04/29

原民喜「幼年畫」(恣意的正字化版)附やぶちゃん注 「靑寫眞」

[やぶちゃん注:以下の「靑寫眞」は昭和一五(一九四〇)年六月号『文藝汎論』を初出とする。当時、民喜満三十四歳。

 「靑寫眞」とは所謂、「日光写真」のことである。見たい型紙(種紙)に感光紙を重ねて硝子窓を持った枠(箱・カメラ)に仕込んで、数分間、太陽光線に当てた後、水に漬けた後に乾かして出来上がりとなる。個人サイト「コレクター天国」の「日光写真」を参照されたい。途中で春休みとなるから、冒頭は晩冬から初春と読める。因みに「青写真」は冬の季語である。]

 

 

 靑寫眞

 

 夜、雨戸のところの欄間に、大吉が靑寫眞の道具を出しておいて、翌朝、裏側の板を開けて羅紗をめくつてみると、黃色な紙のなかに夢のやうに河童の顏が浮んでいる。大吉はそれを又もと通りにして、柱を攀登り欄間に据ゑると、學校へ出掛けて行つてしまつた。雄二は欄間の靑寫眞を見上げ、暫くぽかんとしてゐた。夜でも寫るのかしら――「夜でも寫るぞ」とさつき大吉は大得意だつた。夜でも――。しかし夜は眞暗で、何が何やら雄二には、燒けすぎた寫眞のやうで、よくわからない。

 夜でも寫るのかしら、と雄二は硝子板の下の黑地に白で浮出てゐる河童の顏を視凝めた。河童はおどけて、庭の方を瞰下してゐた。すると雄二は、突然素晴しいことを思ひついた。ここの家の硝子戸の方が庭に出て、板雨戸の方が内にあつたら、そしてそこへ寫眞の紙をやつておいたら、夜の庭だつて寫眞になるかもしれない。見ると、今も硝子戸には軒の梅の枝が靑空と一緒に映つてゐるのだつた。この家がそつくり寫眞器かもしれないぞ、――大きな家ほどもある寫眞器。それで何でも彼でも寫して、世界中の景色を寫して、寫眞は天井まで積重ねる。雄二はうつとりして天上を見上げた。それから急に我に返ると、日向を探しに裏へ行くのだつた。

 お日さんが家の大屋根の向にあるので、臺所の邊はまだ蔭になつてゐた。隣の二階の窓のところの白壁にはいい具合に日があたつてゐる。そして、雀が窓の閾に留まつて、二人で嬉しさうに囀つてゐる。雀なんか寫眞も出來ない癖に、と思ふと雄二はワーイと大聲で號んだ。雀は平氣でいよいよお喋りになる。ワーイ、ワーイ、と雄二が二三度號んでゐると、急に雀はパツと飛立つて行つた。見ると、そこの大屋根に今、鳩が來て留つたのだ。鳩は樋にそつて、ちよこちよこ歩いて行く。すると、日向が薄らぎ始め、瓦が寒さうな色になつて、鳩は樋の端で暫く考へてゐる。あの鳩は魔法かもしれないと雄二も鳩と空を見較べてゐる。鳩はゆつくり翼を開き、ぱつと飛立つ。その時、薄い光が洩れて來て、鬼瓦の頭が微かに輝き出すと、ずんずん日の光が濃くなり、また前と同じ日向が出來上つた。雄二は納屋の方へ行つてみたが、納屋の前もまだ日向が出來てゐない。葉の落ちた杏の樹の上の枝に薄い日向が見えるばかりだ。それで、玄關の方へ廻つてみると、露次の向の往來には今、立派な日向がある。そこを花賣や鹽賣の女が通つて行く。

 表に出てみると、日はK橋の方からあたつてゐた。その日向の路の片方を工夫が五六人並んで頻りと地面を掘つてゐる。毎日、K橋の方から段々雄二の家の方へ近づいて來て、今は角の菓子屋のところを掘つてゐるのだつた。菓子屋の前には掘返された土塊の山に大きな立札が斜に突立つてゐる。それでそこを通る自轉車などは、人が降りて少し難しさうに傾いて通つた。明日は雄二の家の前まで掘つて來るかもしれない。鶴嘴が日向でピカピカ光つた。暫くして、雄二はちらつと彼の抽匣を思ひ出した。昨夜、雄二はその抽匣が開かなくなつた夢をみたのだつた。抽匣の底には繪葉書、靑寫眞、獨樂、打紐、石塊、繪本などが靑い闇に包まれて苦しげに蠢いてゐた。思ひ出すと遽かに雄二は玄關脇のランプが置いてある部屋へ走つて歸つた。小さな箪笥の一番下の抽匣を引張ると、抽匣はごとごとと輕く軋みながらあいた。雄二はそのなかから、靑寫眞の道具と、好きな繪本と繪葉書を取り出して懷中に收めた。

 

 晝頃になると、雄二の家の緣側にもぱつと日があたつた。厠へ曲る緣側の壁に、湯殿の屋根の方から日は射して來て、手洗鉢の水の影が天井に映つて搖れた。その手洗鉢のなかには、さつき肴屋が折に入れて持つて來た白魚を二匹、雄二は母から貰つて放してやつたのだ。雄二は白魚と一緒に靑寫眞が出來るので大變氣に入つた。それで日向には繪本をひろげ、暫く寫眞の焦げるのを待つた。寫眞を洗ふ時、雄二は手洗鉢の底を凝と覗き込んでみた。白魚は水に透き徹つてゐて、なかなか見つけにくかつた。ふと、天井で搖いでゐる水の影を見てゐると、何だかかぼそい白魚に似た形があるやうに思へた。それで、靑寫眞器の硝子を天井の方へ對けると、鋭い四角形の反射はすぐ天井の呆けた水の形に飛びつく。靑寫眞の硝子は屋根の方へでも、床の下へでも滅茶苦茶に飛んで行き、その中に小さな太陽が燃えてゐる。

 雄二は水で洗つた寫眞は側の硝子戸にぺたぺた貼りつけておいた。轆轤首、がたろ、赤穗義士と寫眞はつぎつぎに出來上つて行つた。しかし、ふと、緣側の日向が薄らぎ始ると、間もなく日向はすつぽり消えて行つてしまつた。湯殿の屋根の空を見上げると、細長い雲がお日さんを隱してゐる。日が隱されたあたりの雲は、皺を寄せて特に靑黑い。綠の板の温みもさめて來て、雄二はすつかりつまらなくなる。でも、雲はたしかに動いてゐるので、やがて、薄い日向がこぼれて來た。見ると、細長い雲を拔けて、日がずんずん現れて來る。やがて雲で洗はれたお日さんの顏がにつこりと笑ふ。緣側も庭も、賑やかに甦つた。緣側の板の間は間もなく温もつて來て、段段日向くさくなる。雄二は懷から手を出し、又もう一枚寫眞を始め、それがうまく日に焦げる間を、側にもつて來てゐる繪本や繪葉書を見て暮すのだつた。

 

 〈雄二の繪葉書〉

1 これは雄二が父に連れられて見物した共進會の繪葉書です。中央の枠のなかに寫されてゐるのが、共進會の建物で、まはりには豚や牛の模樣がついてをります。徽章のやうに金で浮出てゐるのは共進會のマークです。共進會は去年の春、練兵場で開催されました。地面に杉の丸太を埋め立て、その柱には赤と白のだんだらの布が卷いてありました。そのやうな柱が縱にも橫にも澤山あつて、入口へ導く通路がしつらへてありましたが、途中の柵には、豚や、牛や、馬が並んでゐて、人々はそれを見ながら歩いて行きました。雄二も馬や、牛や豚を、そんなに近くで見たことは初めてでしたから、馬が大きな鼻で温かい息をするのに驚かされました。會場へ入ると、頭上にはテントが張つてありましたが、下は土ですから下駄のまま歩いて行けました。雄二はその柔かい黑い土の上を歩いて行くのが何だか愉快でした。陳列品は赤い毛布を敷いた壇の上に並べたり板壁に貼着けたりしてありました。お盆や茶碗や鏡臺があるかとおもへば、樽や鍬や盆栽もありました。いろんな貝釦を綺麗に並べて額に容れたものや、軍人の肩章を一揃收めた額もありました。出口に隨分澤山の一文錢を額に容れて掛けてありました。父はその額の前で立留まつて、頻りに一文錢を眺めてゐました。そこにはいろんな形の一文錢がありましたが、何が面白いのやら雄二にはわかりませんでした。

2 これは先日、神戸の小父さんが送つてくれた繪葉書です。神戸の小父さんといふ人を雄二はまだ見たことがないのです。しかし母に訊くと、その人は雄二がまだ赤ん坊だつた頃、度々家へやつて來たさうです。さう云はれれば何だか氣持だけは浮んで來るのでした。雄二がまだ赤ん坊だつた頃は、朝がとびぬけて綺麗でした。澤山の花が咲揃つてゐる朝の花壇のむかふから、ミルク色の顏がいくつも微笑んで浮んだものです。その一人が神戸の小父さんだつたのでせう……。さて、この繪葉書は松明を持つた侍が三人、川のなかに這入つて、何か搜してゐるところです。侍は膝のところが脹らんでゐる股引を穿き、足は足で、しつかり布を卷いてゐて、顏はきりつと勇しさうです。松明の影が水に映つてゐるので、岸の杉の大木や、そのむかふの闇空も、みんな大變美しくあります。松明を掲げて立つてゐる侍が靑砥藤綱といふ人だと雄二は父から話してきかされました。あの水のなかにはお魚もゐるのかしら、と雄二はそんなことも氣にかかるのでした。

 

 雄二が繪葉書に見とれてゐると、また日が翳つて來た。見ると今度は黑ずんだ大分大きな雲がやつて來たので、雄二は一寸おどろいた。湯殿の煙出の後にその大きな雲は意地惡く展がり、お日さんの顏は悲しげに靑ざめて來る。それでも時々、雲の薄いところから光が洩れさうになるのは、少しづつ雲が流されてゐるためなのだらう。手洗の石の苔の色がどす黑くなり、水の面には冷たさうな皺がよつた。雄二は辛氣になるのを我慢して待つてゐた。暫くすると、向ふの方から靴の音がして、大吉が學校から歸つて來た。大吉が庭のところまで姿を現すと同時に、さつとうまく日が照りだした。雄二はわあと嬉しくなつて、得意さうな顏をした。

 

 春休みが來た。貴麿も大吉も菊子もみんな上の兄姉が朝から家にゐて賑やかになつた。貴麿は緣側に机を持出し、新しい圖畫の手本を展げて、水彩繪具を溶いた。仕切のある筆洗や繪具皿を雄二は側にゐて、よく眺めた。筆洗の綺麗な水に筆の穗の繪具がさつと散つてゆき段々濁つて來るのも珍しかつた。

 或朝、貴麿はやはり繪を練習してゐたが、ふと筆を置いてやめてしまふと、「これから瓦斯會社見に行かないか」と云つた。そこで、雄二も行くつもりで姉に着物着替へさせてもらつた。貴麿は瓦斯會社の招待券を持つて、大吉と雄二を連れて出掛けた。雄二は會社がどちらの方角にあるのか、まだ知らなかつた。貴麿はK橋の方へ歩き出した。途中から別の小路に折れて、お藥師さんの前を通つた。雄二はずつと小さかつた頃、貴麿や貴麿の友達の後に從いて、兄達が靑寫眞のピヤピイをこの邊まで購ひに來たのを憶えてゐる。それはまつ暗な晩のことで、どの邊にそんな店があつたのか、今通つてもわからなかつた。

 柔かい風が頻りに吹き、軒々にある用水桶の水に日が反射してゐた。やがてI橋の袂を曲ると堤に添つた家並を歩いて行つた。その邊はもう雄二にとつて今始めて歩く路だつた。竹竿が一杯に空高く立ててあるところを過ぎると、處々に石段があつて下の方に家が瞰下せた。片方の家並は時々、杜切れ、川の姿が覗いた。雄二達は急いでずんずん歩いた。川が何度も覗き、いろんな恰好をした家々が現れた。路と一緒に曲つてゐる竹垣を過ぎると、大きな護謨の樹が家の上に見えた。そしてT橋の袂へ出ると、雄二は大分歩いたやうに思へた。橋を渡ると間近にH山が見えて來た。路は徒廣くなり、菜畑もあつた。やがて、黑い塀の小學校を過ぎた。そこが大吉の行つてゐる學校だつた。雄二は隨分遠くまで來たと思ひながら、行手を見ると、一本道に並んだ遠くの家々は段々小さくなつてゐた。それが貴麿の畫面の手本に描いてあつた繪と似てゐた。屋根の上に大きなセピア色のタンクが聳えてゐた。「あれが瓦斯會社だ」と貴麿は云つた。家並がまばらになつて、白い路はよく埃が立つた。麥畑で雲雀が囀つてゐた。日の光が強く、空は靑く焦げ始めた。そして、とうとう雄二達は瓦斯會社の門までやつて來た。

 門の正面で見ると、さつきから見えてゐたタンクは更に大きかつた。大きな日の丸の旗が中央に掲げられ、廣場に萬國旗が飾つてあつた。門のところに受附の机が置いてあつた。貴麿はそこで招待券を出すと、皆は菓子折と繪葉書を一つ宛貰つた。小さなトロツコを乘せたレールがタンクの方まで敷いてあつた。雄二達はまづタンクの方へ近づいて行つたが、近づいて行くと、何だか怕いやうな感じがした。タンクの下で上を見上げると、上の方は金網が張つてあつて、茫とした靑空であつた。それから皆はタンクに添つて、ぐるりと周圍を廻つて見ることにした。タンクの裏側の草原には、圍がして石炭が山のやうに澤山積まれてゐた。其處からもレールが堤の方へ伸びてゐた。今度は雄二達は工場の方を見物に行つた。大きな黑い機械が据ゑてある床は、ひつそりとしてゐた。そこの窓硝子からタンクの麓が見えた。工場を出ると、雄二達は門の方へ歩いて行つた。門のところで振返つて、雄二はまたタンクを眺めた。

 歸りは長くひだるい路だつた。橋のところで見ると、タンクが小さく堤に立つてゐた。見憶えのある路まで來て、雄二は吻として、お腹のなかが熱くなつた。その時、小路からキセル掃除の車の笛がピピと鳴り出し、次いでドンが鳴つた。家へ歸つてボール箱の菓子折を開けてみると、赤と白のちちだいの菓子で、繪葉書はタンクと工場を寫した寫眞だつた。

 

 ある日、雄二の家にも瓦斯會社の人がやつて來て、床下を掘つたり、天井に這入つて行つたりした。大きな錐のやうなもので、天井の眞中に穴をあけ、眞鍮管をとりつけ、瓦斯會社の人は一寸栓を捻つて、燐寸で火を點けると、長い焰が下に垂れた。その人は火を消して、小さな紙箱からマントルをとり出して管に嵌めるをまた火を點けた。すると、その白い柔かな袋はぼーつと赤く燃えてゐたが、栓を止めると縮んで小さく固まつてしまつた。その次に燐寸をやると、マントルは微かに白い光を放ち出した。會社の人はそれに硝子のホヤを被せた。

 座敷と玄關と居間と臺所、湯殿の五ところにガス燈はとりつけられた。座敷のホヤは三つあつて、靑白い花瓣に似て一番綺麗だつた。臺所の竈の上には、瓦斯コンロが置かれ、柱にはメートル器が据ゑられた。家のうちの模樣が急に改つたやうであつた。雄二は早く夜になればいいと思つた。

 夜になつた。まづ臺所と居間のガス燈が點され、部屋は明るくなつた。父は蠟燭と燐寸を持つて、玄關や湯殿のガス燈を試してみた。皆は父の後にぞろぞろ從いて行つた。すーつと瓦斯の洩れる音がして、燐寸の焰が一生懸命マントルの方へ近づくと、ぽつと燈がついて明るくなる。その度に雄二も吻として、感嘆の眼を瞠つた。最後にいよいよ父は座敷のガスを點しに行つた。マントルは一つづつ明るくなり、やがて三つの燈りが揃ふと、座敷は晝よりも美しかつた。疊の目や、襖の模樣や、優しい靑い光のなかにあつて、母の顏も姉の顏も白く微笑んだ。父は浮かれて緣側を走り出した。雄二も大吉も歡聲をあげて父の後を追駈けた。

 

[やぶちゃん注:「瞰下してゐる」「みおろしている」と読む。

「K橋」既出既注。私は既に京橋川に架かる「京橋」と踏んでいる。京橋西詰から推定される原民喜の実家までは二百メートルもないと考えられる。

「抽匣」「ひきだし」と読む。

「打紐」篦(へら)で打ち込んで組み目を堅く作った紐。打緒(うちお)。独楽回しなどに使う。

「石塊」「いしくれ」と訓じていよう。

「白魚」これは高い確率で、条鰭綱新鰭亜綱棘鰭上目スズキ目ハゼ亜目ハゼ科ゴビオネルス亜科シロウオ属シロウオ(素魚) Leucopsarion petersii と考えられる新鰭亜綱原棘鰭上目キュウリウオ目シラウオ科 Salangidae のシラウオ(白魚)類ではないということである)。まず、「雄二」が母から分けてもらって手水鉢に入れて活かしているという事実から私は後者ではないと考える。シロウオは踊り食いで知られる通り、死ぬと急速に鮮度が落ちることから、業者は生かして売ることを第一とするからである。また、ウィキの「シロウオ」の地方名の記載に『シラウオ(関西・広島)』とあるからである。孰れも死ぬと白く濁った体色になって見分けがつきにくくなるが、生体の場合はシロウオ Leucopsarion petersii の方には体にわずかに黒い色素細胞があり、幾分、薄い黄味がかかる。主に参照したウィキの「シラウオ」の記載と、シロウオ漁で知られる和歌山県湯浅市公式サイトの「シロウオとシララウオ」のページが分かり易い。その図を見ても判然とするように、シラウオの口は尖っていて、体型が楔形をしていて鋭角的な印象であるのに対し、シロウオはそれに比較して全体が丸味を帯びること、シラウオの浮き袋や内臓がシロウオの内臓ほどにははっきりとは見えないこと、また形態的な大きな違いとして、シラウオには背鰭の後ろに脂びれ(背鰭の後ろにある小さな丸い鰭。この存在によってシラウオガアユ・シシャモ・ワカサギ(総てキュウリウオ目 Osmeriformes)などと近縁であることが分かる)があることが挙げられる。

「轆轤首」「ろくろくび」。或いは「ろくろっくび」と読んでいるかも知れない。

「がたろ」河太郎で河童の主に西日本での異称としてはかなりポピュラーなものである。

「共進會」産業振興を目的として産物や製品を集めて展覧し、その優劣を品評したり、製品紹介とともにそれを売り込んだりする会。明治初年より各地で開催された。競進会とも言った。

「靑砥藤綱」鎌倉地誌その他で散々注してきたが、モデルはいるであろうが、実在は疑われる人物である。取り敢えず、私の耳嚢 巻之四 靑砥左衞門加増を斷りし事をリンクさせておく。

「あの水のなかにはお魚もゐるのかしら」雄二君、その川はね、鎌倉を流れる滑川(なめりかわ)という川でね、宝戒寺というお寺の傍がロケ地とされるんだけどね、お魚はね、ちゃんといるよ。もう先(せん)にはね、稚鮎も遡上したらしいんだよ。

「煙出」「けむだし」或いは「けむりだし」。

「辛氣」「しんき」で「心気」とも書く。ここは、心が晴れ晴れしないこと、くさくさすることを言う。

「K橋の方へ歩き出した。途中から別の小路に折れて、お藥師さんの前を通つた」京橋方向に歩いて直ぐに皆に折れると、浄土宗一法山(いっぽうざん)淸靜院廣教寺(中区橋本町に現存し、ここは民喜の実家のある幟町のごく直近である。現行でも「廣」の字を用いているので院号も正字化した)があり、ここは浄土宗にしては珍しく本尊は薬師如来でかつては「広島のお薬師さん」として信仰を集めた。

「靑寫眞のピヤピイ」不詳。「ピヤピイ」は「ペーパー」で、印画紙・感光紙のことか? 識者の御教授を乞う。

「I橋」京橋川の京橋の下流に架かる稲荷橋か。

「T橋」鶴見橋か。この橋の南東直近に「H山」、即ち、比治山が南北に広がるのである。ここで彼ら橋を渡って京橋川右岸を南下する。

「黑い塀の小學校」これは「そこが大吉の行つてゐる学校だつた」と出ることから、当時民喜の兄の守夫が通っており、最後の「朝の礫」で「雄二」受験するシークエンスの出る、広島高等師範学校付属小学校であることが判る。現在の広島大学附属東雲(しののめ)小・中学校,は広島市南区東雲三丁目に移転しているが、沿革を調べると、同師範学校は明治三四(一九〇一)年に広島市内の皆実(みなみ)村(現在は比治山本町内で、現行ではその南に皆実町がある)に校舎を新築移転しているから、この付近に広島高等師範学校付属小学校もあったと考えてよい。

「瓦斯會社」前の現在の比治山本町から少し京橋川を下った皆実町一丁目にある「広島ガス」広島ガス本社で、ガス・タンクも健在で、ウィキの「皆実町広島市によれば、現在でもこのガス・タンクが『皆実町地区のランドマークともいうべき建造物である』とある。

「圍」「かこひ(かこい)」。

「見憶えのある路まで來て、雄二は吻として」「見憶えのある路まで來」たのだから「吻」(ほっ)としたのである。

ちちだいの菓子」不詳。識者の御教授を乞う。但し、紅白のお乳の形をした饅頭だろうなんどというお馬鹿な私も妄想したような推論なぞでは困る。決定的正答をお願い申し上げる。

「マントル」ガス・マントル(gas mantle)。ガス灯などのガス器具に於いて炎を覆い、発光させる器具で、ある程度の耐火性を持つ(交換は不可欠)ガラス繊維など出来ている。「白熱套(とう)」。]

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