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2016/04/25

原民喜「幼年畫」(恣意的正字化版)附やぶちゃん注 「蝦獲り」

[やぶちゃん注:以下の「蝦獲り」(「えびとり」と読んでおく。【二〇一六年五月八日追加】が、二〇一六岩波文庫刊「原民喜全詩集」の竹原陽子氏の手に成る「原民喜年譜」には「(えびど)り」というルビが振られており、敢えてここにそう振るというのは確信犯である。但し、その根拠は明らかにされていない)は昭和一〇(一九三五)年十二月号『メッカ』を初出とする(当該雑誌の詳細は不詳)。当時、民喜満三十歳。]

 

 蝦獲り

 

 馬車はK橋の方からやつて來て、雄二の家から一町ばかり手前の菓子屋の角を曲つてゆく。その角のあたりを通る時には、トウ、テト、テトウ……と喇叭が鳴つた。雄二の家の前を通らないのは殘念だつたが、それでも雄二は兄とよく馬車の眞似をして遊んだ。喇叭の響は雄二に勇しく氣持のいい夢想を抱かせた。雨が降つても馬車はびしよぬれになつて走つた。馬の背に白い煙があがり路の小石が淸々しかつた。夜遲く、女中につれられてお使ひに出たら、その時も馬車は走つてゐて、ピシリと薄闇に鞭が鳴つた。雄二は外から家へ歸る時には、走つて、トウ、テト、テトウ――と喇叭の眞似をするのだつた。しかし、その馬車は、何處から何處へ行くのやら、雄二はまだ一度も乘つたことがなかつたので知らなかつた。

 雄二は兄の大吉に祕術を打明けてみた。眼を閉ぢて、何でもいいから見たいと思ふもののことを考へると、すぐその見たいものの形が浮んで來ると云ふことである。が、大吉は前からそのことを知つてゐたので雄二は一寸驚いた。それからはこの祕術を一そう頻繁に用ゐた。掌の上に顏を置いて眼を閉ぢると、始めは何だか灰色の球のやうなものがいくつもぐるぐると浮んで來る。そのうちに赤い塊が一寸現れて、暗闇になる。カードのことを想ふと、あの繪ハガキ屋で賣つてゐる、草花や鳥の形をした綺麗な形が出て來る。馬車のことを想ふと、眼隱しされた馬の首が出來て、箱は搖れながら走つてゆく。

 手洗鉢の水に太陽が照りつけて、それが緣側の天井に反射するので、天井には四角な光が映つてゐた。微風で水に波が出來ると、忽ち天井の方も動き出すのだ。雄二は手洗鉢を杓でかきまはした。すると、もう茫とした大きな薄い光(かげ)が縱橫に天井を走り、何のことだかわからない。が、やがて、段々形が縮まつて光が濃くなる。そして、光はまだ頻りに足搔き廻つてゐる。その不思議な馬車は到頭疲れて動かなくなる。

 

 庫さんは雄二の家から四五町離れた家に棲んでゐた。大將中將や、三角の袋を賣つてゐる子供屋の角を廻ると、そこの通りには一間幅の溝が流れてゐる。大雨の時には鯉や鮒などが流れて來ると云ふ話だが、何時もは靑い藻などが浮んでゐて黑い水だ。溝につたつて少し行くと、白い障子に達磨の繪を墨で描いた家がある、何をする家なのか雄二にはわからなかつたが、達磨が通る人を睥んで威張つてゐた。そこから少し行つて小路に入ると、庫さんの家だ。庫さんの姿を見ると雄二は吻として、庫さんの手にもつれつく。すると兄の大吉も負けずに庫さんの手にからみつく。兩方からひつぱられても庫さんはびくともしない。

 庫さんの家は前に一度燒けた。その時は藁屋根だつたので火の粉が雄二の家の庭までも飛んで來て、明るかつたさうだ。雄二はよく睡つてゐて火事を知らなかつた。

 庫さんと云ふのは何故庫さんと云ふのか、雄二には飮込めなかつた。雄二達は少し位無茶しても庫さんは怒らないから、それで庫さんかとも思つた。

 

 ある日、庫さんは大吉と雄二を連れて蝦を獲りに連れて行つて呉れた。

 三人が家を出た時、陽はK橋の方の空から照つていた。雄二は庫さんの手にぶらさがりながら、近所の子供の前を通る時得意であつた。今日は急に自分が偉くなつたやうで少し眩しかつた。大吉は網を提げて先にとつとと歩いた。角の菓子尾の前で三人は立留つた。間もなく雄二はもう大分家を離れたやうな氣がし出した。すると、トウ、テト、テトウ……と喇叭の響きがして、馬車がそこに留り、馬車の後方に乘つてゐる若い洋服の男がひらりと飛降りて、ドアを開けた。兄が一番に乘り、それから庫さんは雄二を抱へて乘つた。箱のなかは薄暗く、腰掛は狹かつた。雄二は嬉しく怖く淋しかつたが、すぐに馬車は動き出した。砂利に車輪が軋む音がして、車は搖れた。窓から射込む光線で、低い天井から塵がこぼれてゐた。やがて蹄の音もかつかつとして速力は增して來た。庫さんは窓を少し開けて二人を覘かせた。家々が目の前を通過して行く。その家の奧は薄暗いが、道路は赫と明るい光線なのだ。風が頰にあたり、樹木が屋根の方から現れる。窓のすぐ側を燕がやつて來て、衝突しさうになつたので、雄二はびつくりした。が、燕は下へ落ちると、地面とすれすれになつて、忽ち遠方へ飜つて行つた。急に速力が緩くなり馬車は留つた。すると、老人が一人乘込んで來た。また喇叭が鳴つて馬車は走り出した。馬車は片方に溝の流れてゐる廣い道路へ出てゐた。溝の泥がピカピカ光つた。何處かの物干棚には白いシャツが一枚吊つてあるので、それがひらひら風に搖れてゐた。小さな犬が路傍にぼんやり立つて、雄二の馬車を見送つた。雄二は得意になつて、汗ばんだ掌をしつかり握り締めてゐた。何時の間にか馬車は町はづれに來てゐた。堤のところで停つた。庫さんはそこで二人を降ろした。馬車は三人をおいて、走り去つてしまつた。

 堤の入口には大きな樹が聳えてゐて、その側にはまた黑い大きな倉庫があつた。堤の石段を登ると、川が見えた。庫さんは雄二の手をひいて堤を歩いた。何處まで行つても堤は續いてゐるやうに思へた。低い方の地面には畑や家の屋根が見えた。砂埃が歩く度にあがり、下駄が埃まみれになつた。隨分長い間さうして歩きつづけたので、雄二はあくびが出て氣持がぼんやりして來た。ところが、いよいよ三人は目的地へ來た。工兵隊の兵舍を過ぎると、川へ降りる石段があつて、雁木には舟が二三艘つないだままになつてゐた。庫さんはその舟へ雄二を乘せた。大吉と庫さんは跣になつて水に浸つた。雄二が乘つてゐる舟は繫いであるのに、下を見ると流れて行くやうな氣がした。底まで透き徹る水で、底には眞白な砂があり、それに舟の影が映つてゐた。低い枳殼垣のむかふでは兵隊が體操をしてゐた。向岸は樹木が濃く繁り、その上に白い雲が浮んでゐたが、それらは絶えず流れて行くやうに思へた。もう雄二は珍しさに退屈しなかつた。庫さんは、獲つたぞと笑つて、雄二の舟へやつて來た。懷からガラス壜を出すと、川の水を汲んで、それに掌のなかのものを移した。壜のなかでは小さな蝦がピンとして泳いだ。壜を雄二に渡すと、庫さんは獲りに行つた。半分透き徹つた身躰をした、この小さな蝦は悠々と進みながら壜のガラスに衝きあたつては、むきをかへた。蝦は細い髭を動かして頻りに不思議がつてゐた。その時兄の大吉が聲をかけて舟に近寄つて來た。その拍子に壜が搖れて、蝦がピンと飛出してしまつた。あつと思つたらもう蝦は川に落ちてゐた。「馬鹿」と大吉は雄二を呶鳴りつけた。驚きと兩方で、雄二は大聲をあげて泣き出した。庫さんがかけつけて來た。「なに、蝦が逃げた、ほら、まだこんなに獲つてるのだから大丈夫だよ」さう云つて、庫さんは腰の獲物を見せた。大吉はそれでも逃したことを不平がるし、雄二は急に家が戀しくなつて泣いた。そのうちに大吉は氣をかへて川の方へ行つた。庫さんは舟に乘込んで暫く雄二の側に坐つてゐた。雄二の涙は風ですつかり乾いた。

 雄二たちが家に歸ると、持つて戻つた蝦を母が串にさして燒いて呉れた。蝦はみんな小さかつたが、いい色に焦げておいしさうに匂つた。

 

[やぶちゃん注:「一町」一〇九・〇九メートル。

「喇叭」「らつぱ(らっぱ)」。

「眼隱しされた馬」馬具の一つである「遮眼革(かく)」「遮眼帯(たい)」「ブリンカー(blinkers)」「ブラインダー(blinders)」のこと。乗馬・馬車・競馬などに於いて馬の目の外側に装着して視野を遮り、前方しか見えないようにする器具(マスク状のものもある)。

「手洗鉢」「てうづばち(ちょうずばち)」。

「光(かげ)」この読みは以下の一文の「が、やがて、段々形が縮まつて光(かげ)が濃くなる。そして、光(かげ)はまだ頻りに足搔き廻つてゐる。その不思議な馬車は到頭疲れて動かなくなる。」でも有効と読まなければならない。

「庫さん」「くらさん」と読んでおくが、「雄二達は少し位無茶しても庫さんは怒らないから、それで庫さんかとも思つた」というのは今一つ、この読みを明瞭にはして呉れない。無茶しても怒らない、どっしりと構えている、だから「倉」=「庫」だというのか?

「四五町」四百三十七~五百四十五メートル。

「大將中將」軍人将棋のことであろう。

「三角の袋」不詳。そうした形の中に入っている駄菓子なら、私はポン菓子が真っ先に浮かぶが。

「一間」一メートル八十三センチ弱。

「白い障子に達磨の繪を墨で描いた家がある、何をする家なのか雄二にはわからなかつた」私にも分からない。

「睥んで」「にらんで」。「睥睨(へいげい)」の「睥」で、厳密には横眼で睨(にら)むの意。
 
「吻として」ここは既出既注の「ふん」ではなく、文脈から「ほつとして(ほっとして)」と当て読みしているように思われる。これは後の「招魂祭」などにも推定で認められる用法である。

「K橋」民喜の実家の東(出発を午前中と採る)にある橋でイニシャルが「K」となると、現在ある橋では京橋川に架かる「京橋」或いはその川上にある「上柳橋」になる。

「雄二は嬉しく怖く淋しかつたが」分らないではないが、表現としてはただ「嬉しく」を「怖く淋しかつた」に並列で繋げるのは、私には抵抗がある。

「赫と」光り輝いて眩しいさまで、音なら「カク」であるがここは「かつと(かっと)」と訓じておきたい。

「シャツ」拗音表記はママ。

「いよいよ三人は目的地へ來た。工兵隊の兵舍を過ぎると、川へ降りる石段があつて」ここが唯一、本ロケーションを特定出来る叙述である。海が描かれず、終始、「川」と言っていることから考えて川の河口附近ではないと判断、「工兵隊の兵舍」を調べてみると、現在の広島市中区白島北町(はくしまきたまち)に陸軍工兵隊兵舎があったことをつきとめた。ここは太田川が左岸で京橋川に分岐するところで、この京橋川分岐部分に架かっている橋は現在も「工兵橋」と称する。幟町からは直線で二・三キロメートル圏内である。

「雁木」「がんぎ」と読み、この場合は、道から狭い磧などに降りるために棒などを埋めて作った階段、或いは船着き場や桟橋の階段を指す。

「跣」「はだし」。

「枳殼垣」「からたちがき」。ムクロジ目ミカン科カラタチ属カラタチ Poncirus trifoliata 。樹高は二~四メートル程になり、枝には稜角があって三センチメートルにもなる鋭い刺が互生している(この刺は葉の変形したものとも枝の変形したものとも言われる)。軍施設であるため、有刺鉄線代わりに、棘のあるそれを垣根にしているのである。

「半分透き徹つた身躰をした」「細い髭を」持った「小さな蝦」はロケーション(現在の太田川河口から計測して七キロメートル近く上流で、干拓などを差し引いて考えても、六キロメートルほどはある)にから見て、純淡水域をフィールドとするエビである可能性が高い。同定候補としては、

節足動物門軟甲綱十脚目抱卵(エビ)亜目コエビ下目テナガエビ科テナガエビ亜科スジエビ属スジエビ Palaemon paucidens

を挙げておけば問題はあるまい。所謂、「川蝦(かわえび)」である。ウィキの「スジエビから引いておく(下線やぶちゃん)。『広義にはスジエビ属 Palaemon に分類されるエビ類の総称としても用いられるが、日本産の種類のうち淡水産なのはスジエビくらいで、ほとんどの種類が汽水域や浅い海に生息する』体長はで三・五センチメートル、で五センチメートルほどで、『メスの方が大きい。体には黒の帯模様が各所に入り、和名もここに由来する。帯模様の太さは個体や地域で若干の変異がある。生きているときは体がほぼ透明で内臓が透けて見えるが、瀕死になったり、死ぬと体が白く濁る。体型は紡錘形で、頭胸甲・腹部の境界と腹部中央(いわゆる「腰」)が曲がり、頭部が上向き、尾部が下向きになっている』。『額角は細長い葉状で、眼柄や触角』、五対の『歩脚も細長い。歩脚のうち前の』二対は『先端にはさみがある鋏脚となっている』。テナガエビ亜科テナガエビ属 Macrobrachium のテナガエビ類に『近縁で、テナガエビ類の若い個体とスジエビはよく似ているが、テナガエビ類には複眼後方の頭胸甲上に「肝上棘」(かんじょうきょく)という前向きの棘があり、肝上棘がないスジエビと区別できる。また、同じく淡水にすむヌマエビ類』(コエビ下目ヌマエビ上科ヌマエビ科 Atyidae)『とは大きさが同じくらいで混同されることもあるが、スジエビは明らかに脚が長く、上から見ると複眼が左右に飛び出す』。分布は『樺太、択捉島、国後島、北海道から九州、種子島、屋久島、朝鮮半島南部』に及び、『川や池などの淡水域に生息するが、汽水域にもまれに生息する。釣り餌などの利用もあって本来分布していなかった水域に持ちこまれ、分布を広げることもある』。『沖縄には本来は分布がなかったが』、一九七五年に沖縄本島西部中に位置する中頭郡(なかがみぐん)の西原町(にしはらちょう)の『池田ダムで最初に確認された。侵入経路としては、コイの養殖種苗と共に関西方面から持ち込まれたと考えられている』。一九九七年時点では『沖縄島中部の幾つかの河川とダムで確認されている。沖縄島には本種は分布せず、代わりにテナガエビ類が河川にいる。この種がそれらを押しのけて定着出来た理由は幾つか挙げられる。例えば比屋良川』(ひやらがわ:宜野湾市内の河川)『の場合、川の下流域の汚染がひどく、幼生期に海に下るテナガエビ類は遡上出来ないのに対して、本種は淡水域で生活史を終えられるために定着が可能であった。そのため、その上流の貯水池やダムでもテナガエビ類はおらず、侵入が容易だったと思われる』。『昼間は石の下や水草、抽水植物の茂みの中にひそみ、夜になると動きだす。藻類や水草も食べるが、食性はほぼ肉食性で、水生昆虫や他の小型甲殻類、貝類、ミミズなど様々な小動物を捕食する。大きな個体はメダカなどの小魚を捕食することもある。動物の死骸にもよく群がり、餌が少ないと共食いもする。餌を食べる際は鋏脚で餌を小さくちぎり、忙しく口に運ぶ動作を繰り返す。また、小さな塊状の餌は歩脚と顎脚で抱えこみ、大顎で齧って食べる。一方、天敵はスッポンなどの淡水性カメ類、ウナギやカワムツ』(コイ目コイ科 Oxygastrinae 亜科カワムツ属カワムツ Nipponocypris temminckii)、外来侵入種として問題となっているブルーギル(スズキ目サンフィッシュ科ブルーギル属ブルーギル Lepomis macrochirus:本来の原産地は北米大陸東部の淡水域)などの『淡水魚、サギなどの鳥類がいる』。『繁殖期は春から秋までで、初夏に盛んに産卵する。交尾を終えた』メスは直径一~二ミリメートルほどの『緑褐色の卵を産むが、これはテナガエビ類やヌマエビ類に比べて大粒・少数である。産卵したメスは卵を腹脚にかかえ』、約一ヶ月ほど『保護する。卵から孵化した幼生はゾエア幼生の形態で』二〇~三〇日ほど『プランクトン生活をした後』、体長ミリメートルほどの『稚エビとなって着底する。寿命は』二~三年ほど、とある。『スジエビ類は発生に塩分を必要とせず、ミナミヌマエビ』(ヌマエビ科ヒメヌマエビ亜科カワリヌマエビ属ミナミヌマエビ Neocaridina denticulata denticulata)『と同じく閉鎖した淡水でも繁殖できる』。但し、『地方によっては発生に塩分が必要な両側回遊型の個体群がある可能性も指摘されている』。『日本では各地でモエビ(藻蝦)、カワエビ(川蝦)などと呼ばれ、淡水域では比較的馴染み深いエビとなって』おり、セルビン(セルロイド製の小魚捕獲用具:昔は硝子壜(びん)を使用していたことからの呼称)・『タモ網などで漁獲され、唐揚げや佃煮、菓子など食用に利用される。殻も軟らかく、食用の際はまるごと使用される。滋賀県には、琵琶湖産のスジエビと大豆を煮たえび豆という郷土料理がある』。但し、『他の淡水性甲殻類と同様に寄生虫の危険もあり、生食はされない。食用の他にも釣りなどの活餌として利用され、地方や時期によってはヌマエビ類などと共に釣具店で多数販売される』とある。]

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