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2016/04/18

原民喜「雜音帳」(自筆原稿復元版) 時の歪み / 「雜音帳」~完

    時の歪み

 

 N放送局ではラジオの修繕を受附けることになつてゐた。毎晩の空襲警報で彼のラジオも消耗してしまつてゐた。朝の八時からときいたので、六時に出掛けて行くと、もう往來にはだいぶ人が集まつてゐた。軈て世話好の一人が紙を千切つて、順番を記入し、人々に渡した。彼のは二十一番目であつた。往來は漸く人通も繁くなり、すぐ前の家の前には大工達が集つてゐた。やがて、大工達がその家を取り壞しにとりかかつた頃、漸く放送局の扉がひらいた。だが、それはただ單に扉がひらいただけのことで、人人はそこから奧へぞろぞろ這入つて行つたところ、室の方はまだ空虚であつた。時計は八時を過ぎてゐた。暫くすると、その空虚な部屋に若い技師らしい男が這入つて來て、机の前のラジオを鄭重な面持で捻りだした。また暫くすると、女事務員がやつて來て、その男の側に氣どつて一寸腰をおろした。それから又一人女事務員がやつて來たが、手提籠の中からハンカチと鏡を取出すと顏を撫でてゐた。時計は既に八時二十分であつた。仕切の外で待つてゐる人人は無視されてゐた。

 男の側に腰をおろしてゐた女事務員は自分の机のところへ帰ると、傳票のやうな紙片に番號を書込んでゐたが、それが濟むとまた不意と外へ出て行つてしまつた。ところで、彼は絶えずこの女事務員の動作に目を注いでゐた譯で、かう無意味に待たされてゐると、―この色の淺黒い女は一體この頃は何を食つて生きてゐるかしらといふ、極くありふれた疑問が湧いて來るのであつた。八時から修繕を受附けるといふのに、今は既に九時近くであつた。

 やがて、外に出てゐたさつきの女事務員が戻つて來た。そして待つてゐる人人の方を冷靜に一瞥すると、さき程の傳票を渡して行つた。それはただ住所姓名を記入して出しておけばいいのであつた。傳票は二十人限りで打切られた。彼は二十一番目で貰へなかつた。今迄待たされた揚句、こんな阿房な目に遇はされたかと思ふと彼は穩でなかつた。彼は手を伸して机の上の傳票を一枚むしり取つた。すると女事務員は、以てのほかの不心得者を發見したといはんばかりの表情で「困ります」と嚴肅に云つた。彼はその紙を事務員の方へ投げ返した。なあにラジオなんか修繕したところで、しないところで、どうせもう燒かれてしまふのだ、早く燒かれてしまふがいい、と、ふいと、そんな氣分になるのであつた。(昭和二十年)

 

[やぶちゃん注:「待たされてゐると、―この色の」言わずもがな乍ら、青土社版全集ではダッシュは『――』。

 「今迄待たされた揚句、こんな阿房な目に……」青土社版全集では読点は、ない。「阿房」は「あほう」、阿呆である。

 以上を以って「雜音帳」は終っている。]

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