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2016/04/19

原民喜「淡章」(恣意的正字化版)  冬の日

  冬の日

 

 折鞄を提げて廊下を行くと、ずぼんの裾からちらつく派手な靴下の色が妙に目障だつた。苔の靜かな、佗しげな庭にいま時雨が降り歇んで、つくばゐの脇のひよろひよろの楓の枝に美ごとに色づいた葉が二三枚、痛々しく殘されてゐる。そこを過ぎて一層冷んやりするやうな暗い曲り角をまがると、ぽつと彼方に薄ら陽が射して、白い障子の向に人のゐる氣配がした。何氣なく彼は襖に手をやり、應診の姿勢で閾を跨いで行かうとした。

 だが、そこに張る異常に緊張した空氣が忽ち彼を立ち留まらせてしまつた。いま、その部屋には六七人の男が蹲つたまま、ことりとも音を立てず、みんな何か目に見えないものを追つてゐるやうな姿であつた。わけても、こちらからは後姿しか見えなかつたが、澁い茶の羽織を着けた小柄の凛とした肩には、一つの微妙な意匠が宿つてゐるやうに仄かに息づいてゐた。その人から斜橫のところに控へてゐる俊英さうな男の眉は、今にも火花を散らしさうな勢を孕んでゐた。その又隣にゐるもの靜かな男の頰はやさしい情趣にやや靑ざめてかすかに痙攣してゐるやうであつた。……これは見るものの目にも自ら熱いものを傳へて來る不思議な幻であつた。みんなが、ある氣分の下に、ずしんと靜まり返り、かつちりと組合つた儘、一つの流れを視詰めてゐる。……これはいま目のあたりに見る「冬の日」の一座であつた。

 折鞄を小脇に抱へた男は、そつと向に一拶するとその儘踵を返して行つてしまつた。

 

[やぶちゃん注:ここで謂う『「冬の日」の一座』とは、芭蕉四十一歳の折りの、俳諧七部集の最初に配される蕉門の新風(正風)を代表するところの、かの「冬の日」の俳諧興行の座であり、そこに原民喜自身がタイム・スリップしたという幻像設定であろう。「冬の日」は山本荷兮らの編に成り、貞享元(一六八四)年に成った。「尾張五歌仙」の別名の通り(当初は「狂物語」と称したとも伝える)、貞享元年十月から十一月に尾張国名古屋で行われたもので、芭蕉・荷兮の他、岡田野水・加藤重五・坪井杜国と、羽笠(うりつ)・正平(後の二人は作中句数が少ないが、延べ七名である)による歌仙五巻及び追加の表六句を収める。

 「こちらからは後姿しか見えなかつたが、澁い茶の羽織を着けた小柄の凛とした肩には、一つの微妙な意匠が宿つてゐるやうに仄かに息づいてゐた。その人」が芭蕉であろう。

 「その人から斜橫のところに控へてゐる俊英さうな男」俳歴から見て、芭蕉以外の連衆の本座の中心人物である荷兮であろう。

 「その又隣にゐるもの靜かな男の頰はやさしい情趣にやや靑ざめてかすかに痙攣してゐる」野水・重五・杜国の孰れともとれる(三人の中では推定で重五が年長ではある)が、この描写からは私は芭蕉が愛し、私も偏愛する、かの「萬菊丸」杜国であってほしい気はしている。全くの偶然乍ら、今日(二〇一六十九アップ「笈の小文」の旅シンクロニティ―― 吉野にて櫻見せうぞ檜木笠 芭蕉 / 吉野にて我も見せうぞ檜木笠  萬菊丸をリンクさせておく。
 
 「一拶」「いちさつ」。元来、「挨拶」という語は禅宗で問答を交わして相手の悟りの深浅を試みる「一挨一拶(いちあいいつさつ)」が元であって、「挨」も「拶」も本来は「対象に迫る」の意である。

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